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愛さないと言った辺境伯は、前言を撤回したい  作者: 如月アトリ


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7/7

第七章 君のことを

 冬の別荘は、街道から森へ入ったところにあった。

 王都を発って三日目の午後、馬車が細い道へ入ると、左右には葉を落とした木々が続いた。雪はまだ積もっていないが、地面には薄く霜が残っている。枝の間を抜ける風は、王都を出たときよりはっきり冷たい。

「この先ですか」

「ああ」

 窓の外を見ていたアデライードが、白い襟巻に頬を寄せた。

 王都で買ったものを、あれから毎日使っている。濃灰のほうも馬車に積んであるが、そちらを選んだところは、まだ一度も見ていない。


 やがて木々の向こうに、石造りの建物が見えた。

 辺境伯家の別荘と呼ぶには小さい。領都の本邸と比べればもちろん、王都の屋敷よりもずっとこぢんまりしている。中央に二階建ての母屋があり、その左右へ低い棟が伸びていた。背後は森で、正面には冬枯れの庭が広がっている。

「思っていたより小さいですね」

「大人数で使う家ではないからな」

「いつごろ建てられたものですか」

「祖父の代より前だ。増築は何度かしている」

 馬車が玄関前に止まった。

 数日前に知らせを出してあったため、管理を任せている老夫婦と、近隣から呼ばれた使用人が待っていた。まるごと放置されていたわけではなく、屋根や窓の補修はされ、最低限の家具も残されている。ただ、辺境伯家の者がここに泊まることは、ここ数年なかった。

 暖炉にはすでに火が入り、主要な部屋は温められている。それでも、長く人が暮らしていなかった家特有の匂いがした。

「まず屋根と暖炉を見たい」

 コンラートが管理人に言うと、アデライードも当然のようについてきた。

「君は休んでいていい」

「わたくしにも使用権があるのでしょう?」

「そう言ったが」

「でしたら、状態を知っておいたほうがよろしいかと」

 もっともだった。

「では来い」

「はい」

 こういうところは、本当に話が早い。

 二人で一階から順に見て回った。客間や食堂、厨房、使用人室を確認し、窓枠に傷みがないか、暖炉の煙突は詰まっていないか、冬場の水回りは使えるかを見ていく。

 アデライードは、やはり装飾より先に実用面を見た。

「こちらの窓は少し隙間風が入りますね」

「春になったら直させる」

「冬のあいだ使う可能性があるのでしたら、布を厚くするだけでも違うかと」

「そうだな」

「厨房は十分使えそうです」

「管理人が時々火を入れている」

「それなら傷みにくいですね」

 白い毛皮を首に巻いた女が、暖炉の煙道を覗き込んでいる。

 王都の店でこれを選んだときには、まるで想像していなかった光景だった。

「アデライード」

「はい」

「汚すなよ」

「何をですか」

「それだ」

 毛皮を指す。

 彼女は襟元に触れた。

「ああ」

「白は汚れが目立つと言っていただろう」

「気をつけております」

「さっき壁に触れそうだった」

「触れておりません」

「ならいい」

 アデライードが目もとをゆるめた。

「コンラート様のほうが、わたくしより気になさっていますね」

「俺が買ったからな」

「そういうものですか」

「……たぶん」

 贈り物についての知識には、お互い大差がないらしい。


 二階には寝室がいくつかあった。

 最も広い部屋は、使われていないわりに傷みが少ない。家具にはきちんと覆いが掛けられていた。

「以前はこちらを?」

「両親が使っていた」

 答えてから、コンラートは足を止めた。

 アデライードは何も尋ねず、部屋を見回している。窓の外には、枝ばかりの庭木と、その向こうの森が見えた。

「母は、俺がまだ赤ん坊のころに亡くなった」

 自分から言った。

 アデライードが振り返る。

「さようでございましたか」

「ああ。だから俺にはほとんど記憶がない」

 父はその後、ここへ来なくなった。もともと母が冬の静かな時期を好んでよく使っていたらしい。コンラートにとっては、自分の記憶より先に、家族から聞かされた話の中にある場所だった。

「父にとっては、来る理由より来ない理由のほうが多かったんだろう」

「お母様との思い出が?」

「たぶんな」

 父自身から詳しく聞いたことはない。

 そういう話をする男ではなかった。

 コンラートも尋ねなかった。

 別荘は少しずつ使われなくなり、必要な修繕だけが続けられてきた。

「閉じてしまうことは、お考えにならなかったのですか」

「何度か話は出た。ただ、土地まで手放す必要もないし、この辺りへ来たときの宿としては使える」

「では、残しておかれた」

「そういうことだ」

 実際、今日のように王都から戻る途中で泊まるには都合がいい。領都までは、ここからさらに北へ一日近くかかる。

「今後、君が王都との往復で使ってもいい」

「わたくしが?」

「毎回、無理に領都まで進む必要はない。ここで一泊してから帰ればいい」

「なるほど」

 アデライードは窓の外を見た。

「静かなところですね」

「嫌か」

「いいえ」

 すぐに答えた。

「好きか?」

 何気なく聞くと、彼女がこちらを見る。それから、庭へ視線を戻した。

「……好きだと思います」

 白い毛皮のときと同じ答えだった。

 コンラートは笑った。

「またそれか」

「何がでしょう」

「好きなのだと思います」

 真似をすると、アデライードが困ったような顔をした。

「まだ一時間もおりませんので」

「なるほど。今回は理由があるな」

「毛皮にもございました」

「聞いていない」

「そうでしたか?」

 アデライードが小さく笑う。

 こんな会話をするようになったのがいつからだったのか、コンラートには思い出せなかった。


 夕食は、小さな食堂で取った。

 久しく客を迎えていない家なので、料理も簡素だ。近くの村から届けられた肉と根菜の煮込み、黒パン、保存してあった果実酒。

 アデライードはいつもどおり、何の不満も言わなかった。

「こちらの料理は、領都と少し違いますね」

「南だからな。王都に近いものもある」

「香草が違います」

「分かるのか」

「父が商人でしたので、子どものころはいろいろなものを食べました」

 コンラートはパンを切る手を止めた。

「父君は商人だったのか」

「はい」

 知っているつもりで、知らなかった。

 平民の生まれで、幼いころ神殿へ入った。それくらいは聞いている。父親が何をしていたのかまでは、考えたこともなかった。

「何を扱っていた」

「織物や香辛料、細かな輸入品を。大きな商会ではございませんでしたが、外国の品も少し」

「それで大使殿下の国のことを知っていたのか」

 アデライードが一瞬、目を丸くした。

「ああ、はい。言葉そのものは神殿で学びましたが、食べ物や服飾の話は、父から聞いたことがございました」

 大使殿下と話す機会が多かった理由も、そこでつながった。

「ご両親は?」

「わたくしが九歳のとき、流行病で亡くなりました」

 声は静かだった。

 コンラートは何も言わず、続きを待った。

「同じ時期に親族も何人か亡くなりまして、わたくしを引き取れる者が残りませんでした。それで神殿へ」

「九歳で?」

「はい」

「最初から聖女候補だったのか」

「いいえ」

 アデライードは小さく笑った。

「下働きです」

「下働き?」

「掃除や洗濯を覚えて、先代の聖女様のお部屋にも出入りしておりました」

 コンラートの頭の中に、今のアデライードをそのまま小さくしたような娘が、神殿の廊下を黙々と磨いている姿が浮かんだ。

 妙に想像しやすい。

「そこで先代に?」

「はい。よくしていただきました」

 アデライードの声が、少し柔らかくなる。

 十一歳のとき、先代の聖女が亡くなった。その後、聖遺物による選定が行われ、選ばれたのがアデライードだった。

「十一歳」

「はい」

「子どもだろう」

「子どもでしたね」

「それで、すぐ今の仕事を?」

「まさか」

 珍しく、おかしそうに笑った。

「最初の数年は勉強ばかりでした」

 儀礼や作法、神殿法と王国法、記録の読み方、土地制度や救貧制度、怪我や病人への基本的な手当を学び、聖女として人前に出るための教育も受けた。十四、五歳になるころから監督付きで公務に出るようになり、十六歳ごろから自分で申立書を読み始めたという。

「前に聞いたな」

「はい」

「十一歳から、ずっと聖女なのか」

「そうなります」

 十三年。

 人生の半分以上だった。

 今、コンラートの前に座っているアデライードは二十四歳だ。九歳で両親を失い、十一歳で名前と立場を与えられ、それから十三年。王都では誰もが彼女を「聖女猊下」と呼び、辺境へ来てからもそれは変わらない。

 コンラート自身だけが、妻だからという理由でアデライードと呼んでいる。

「先代の聖女とは親しかったのか」

「そうですね」

 アデライードの榛色の目が、暖炉の火を映して柔らかく見えた。

「神殿へ入ったばかりのころ、わたくしには身寄りもなく、知っている者もおりませんでしたから。先代様は、よく声をかけてくださいました」

「どんな人だった」

「お優しい方でした。ただし、お仕事については大変厳しくて」

「君がそう言うなら相当だな」

「そうでしょうか」

「そうだろう」

 彼女は少し考え、否定はしなかった。

「先代様は、わたくしをアデルとお呼びになりました」

 コンラートは聞き慣れない音に顔を上げた。

「アデル?」

「はい」

「誰の名だ」

 尋ねてから、彼女の表情で気づいた。

「……君か」

「生まれたときの名前です」

 アデライード。

 それ以外の名があったとは、考えたこともなかった。

「アデル」

「はい」

「では、アデライードというのは」

「聖女に選ばれたときにいただいた名前です。もとの名のまま務める者もおりますが、聖女にふさわしい名へ改めることもございます」

「元の名は捨てるのか」

「いいえ」

 アデライードは首を振った。

「禁じられたわけではございません」

「では、なぜ誰も呼ばない」

 彼女は少しだけ視線を落とした。

「呼ぶ方が、いなくなっただけです」

 コンラートは言葉を失った。

 両親は、彼女が九歳のときに亡くなった。親族もいない。神殿で以前の名を知り、そう呼び続けた先代の聖女も、二年後には逝った。そのあと周囲にいた者にとって、彼女は最初から聖女アデライードだった。

「誰も?」

「昔から神殿にいる方なら、ご存じの方もいらっしゃいます。ただ、呼ばれることはございませんね」

「君自身は?」

「何でしょう」

「その名前を、どう思っている」

 アデライードはすぐに答えなかった。

 暖炉の薪が小さく爆ぜた。

「嫌いではございません」

「またそれか」

 思わず言うと、彼女が肩を揺らした。

「好きです」

 今度は言い直した。

「父と母がつけてくれた名前ですから」

「ああ」

「ただ、アデライードも、わたくしの名前です」

 その言葉は静かだった。

「十一歳からずっとそう呼ばれてまいりました。聖女として過ごした時間を、別の誰かの人生だとは思っておりません」

「分かっている」

 コンラートは答えた。

 アデルが本当の彼女で、アデライードが外向けの仮面なのではない。そういう話ではないのだろう。書類を読み、役人に記録を出させ、王太子と議論し、騎士団長と喧嘩をする聖女アデライードも彼女自身だ。蜂蜜の焼き菓子を少し嬉しそうに食べ、白い毛皮に頬を寄せる女も、同じ一人である。

「俺が呼んでは駄目か」

 気づけば、そう尋ねていた。

 アデライードが目を上げる。

「アデルと?」

「ああ」

「なぜです?」

 当然の質問だった。

 コンラートは考えた。

「聖女になる前の君だけを呼びたいわけではない」

 言葉を選ぶ。

「今の君を、そう呼びたい」

 アデライードは黙っていた。

 断られる可能性を、そこで初めて考えた。

 昔の名前だからといって、誰にでも呼ばせたいとは限らない。それも、本人に聞かなければ分からないことだった。

 以前の自分なら、そこまで考えなかったかもしれない。

「嫌ならいい」

「いいえ」

 アデライードが首を振った。

「嫌ではございません」

 そこで少し考え、

「……では、二人のときだけ」

 と言った。

 コンラートは、胸の奥で何かがわずかに動くのを感じた。

「ああ」

 返事をしてから、一度その名を口にした。

「アデル」

 彼女の榛色の目が、少しだけ大きくなる。

「はい、コンラート様」

 ただそれだけだった。

 それだけなのに、今まで何度も呼んできたアデライードという名とは、まるで違って聞こえた。


 食事のあと、二人は暖炉のある小さな居間へ移った。

 家全体を暖めるほど使用人を置いていないので、夜はこの部屋と寝室にだけ火を入れるという。

 アデライードは長椅子に座り、白い襟巻を外して隣に置いた。火の光を受けて、毛皮が淡い銀色に見える。

 コンラートは向かいの椅子に座った。

 先ほどの話が、まだ頭に残っている。

 アデル。

 知らなかった。

 知らなかったことが、また一つ増えた。

 以前なら、自分が知らないという事実を、それほど気にしなかっただろう。

 今は違う。

「アデル」

 もう一度呼ぶ。

「はい」

 彼女が顔を上げた。

「それと、謝らなければならない」

 アデライードの表情が変わった。

「何をですか」

「最初の日のことだ」

 分からないらしい。

「婚礼だ」

「ああ」

 今度は分かった。

 コンラートは息を吐いた。

「君を愛することはない、と言った」

「おっしゃいましたね」

「覚えていたか」

「婚礼の日でしたので」

「そうだな」

 忘れるほうが難しい。

 高位神官の視線まで、ついでに思い出した。

「場所と時機が悪かったとは、その日のうちに思った」

 アデライードが目を上げた。

「そこだけですか?」

 コンラートは黙った。

 この女は、ときどき急所だけ正確に刺す。

「……当時は」

「そうでしたか」

「今は違う」

 認めた。

「君が何を望んでいるのか、一度も聞かなかった」

 アデライードは何も言わない。

「俺には王命だった。断れる婚姻ではなかった。それが気に入らなかった。君について聞いていた噂も、ろくなものではなかった」

「存じております」

「だから勝手に、君もこの婚姻を利用するつもりだと思った」

 祭壇で、初めてまともに顔を見た。噂ほど華やかな女ではないと思った。内心で地味だと腐した。

 それでも顔そのものは嫌いではなかったことを、今なら認められる。

 認めたところで、もう誰にも言う必要はない。

「何も確認せずに」

「はい」

「しかも本人に、最初から敵意を示した」

「はい」

「……そこは少し否定してくれてもいい」

「事実ですので」

「そうだな」

 コンラートは苦笑した。

「王都で大使殿下の話を聞いたとき、俺はあの男を無礼だと言った」

「おっしゃいました」

「自分も同じことをしていた」

「少し似ておりますね」

「少しか?」

 アデライードが考える。

「殿下は祭壇ではございませんでした」

「俺のほうが悪いではないか」

「そうとも申せます」

「…………」

 逃げ道がなかった。

 王都の公爵令嬢の言葉も思い出す。

 彼女は噂を聞いて、少なくとも本人に尋ねた。

 自分はしなかった。

「すまなかった」

 今度は、余計な言い訳をつけなかった。

 アデライードはしばらくコンラートを見ていた。

 やがて、静かにうなずいた。

「謝罪をお受けいたします」

 許します、とも、気にしていません、とも言わなかった。

 それでよかった。

 あの日の言葉は、なかったことにはならない。

 コンラートも、そうしてほしいとは思わなかった。

「ありがとう」

「はい」

 短い沈黙があった。

 暖炉の火が揺れている。外では風が木々を鳴らしていた。人の少ない家だから、領都の本邸よりずっと静かだ。

「もう一つ、聞いていないことがある」

「はい」

「なぜ王は、君を北へやった」

 アデライードは間を置いた。

「北方が選ばれた正式な理由は、わたくしにも知らされておりません」

「王都を離れること自体は?」

「陛下と宰相閣下からご相談を受けました。わたくしも、そのほうがよいと考えておりました」

 コンラートは彼女を見た。

「この婚姻を、断れたのか」

「はい。聖女に婚姻を強いることはできませんので」

 あまりにもあっさり返されて、言葉が止まった。

 自分には王命だった。だからどこかで、彼女にも同じように選択肢はなかったのだと思い込んでいた。

 聞きもしなかったくせに。

「……なぜ受けた」

「王都を離れることには、わたくしも意味があると考えておりました。理由は二つございます」

 一つは、王のもとへ届く陳情だった。あの聖女をどうにかしてほしい、という類のものが絶えない。ほとんどが貴族からで、辿ればどれも、陳情した側に非のある話だった。

 もう一つは、聖女宮へ集まる人の数だった。聖女に頼めば何とかなる。その評判が広まって、朝から門前に列ができるようになった。

「どちらも、わたくしが王都におります限り止まりません。それに、案件が一か所へ集まりすぎるのは、制度としてもよくございません」

「それで王都を離れることに同意した」

「はい」

「北方へ来ることにも?」

「王都から距離を置くことには意味がございますし、辺境伯家の保護下へ入ることにも利があると考えました」

「腹は立たなかったのか」

「立ちました」

 即答だった。

「何に」

「陳情なさった方々に」

「そちらか」

「それに、記録は王都におりませんでも請求できます」

 箱が六つ届く理由が、そこでようやく腑に落ちた。

 筋は通っている。

 だが、それでもヴァルデンブルクでなければならない理由にはならない。

「遠い領地なら、ほかにもある」

 アデライードが口を閉じた。

「そこまでは分からないのか」

「はい」

「……基金の話をしていたな」

「はい」

「貴族から取り上げた金で、訴える金のない者を支えるという」

「はい」

「取り上げられた側は、君をどう思っている」

 短い間があった。

「よくは思っておられないかと」

 コンラートは椅子の背にもたれた。

 王都から遠い。城と兵がある。当主は武人で、王都のどの派閥にも属していない。

 自分が選ばれた理由が、そこで揃った。

「……なるほどな」

「何がでしょう」

「いや」

 厄介払いだと思っていた。

 半分は当たっていて、半分は逆だった。

「あのときの俺は、君について何も知らなかった」

「そうですね」

 容赦がない。

「今も、たいして知らない」

「それはそうでしょうね」

「そこも否定しないのか」

「コンラート様は、わたくしの好きな花をご存じですか」

「知らない」

「好きな色は?」

「……知らない」

「好きな本は」

「知らない」

「では、たいしてご存じないかと」

 正しかった。

「君は俺について知っているのか」

「好きな花は存じません」

「ほら見ろ」

「好きな色も」

「同じだろう」

「好きなお酒は存じております」

「なぜ」

「夕食でよく召し上がるので」

「それなら俺も、君が蜂蜜の焼き菓子を好きなのは知っている」

 アデライードが瞬いた。

「覚えていらしたのですか」

「毎回同じ顔をするからな」

「同じ顔?」

「少し嬉しそうになる」

 彼女は自分の顔に手を触れた。

「そうなのですか」

「自覚がないのか」

「ございませんでした」

「毛皮も同じだ」

 長椅子の白い毛皮を見る。

「それは、自覚がございます」

「進歩したな」

「何の進歩でしょう」

「知らん」

 二人で笑った。

 コンラートはそのまま、しばらく火を見ていた。

「……もう少し知りたいとは思っている」

 アデライードがこちらを見た。

 コンラートは視線を逸らさなかった。

「君のことを」

 何が好きなのか。何が嫌いなのか。仕事以外の時間に何をしたいのか。十一歳より前、アデルと呼ばれていたころ、どんな子どもだったのか。それから十三年、アデライードとして何を見てきたのか。

「では、お尋ねくださいませ」

 コンラートは答えに詰まった。

「今?」

「今でも構いません」

「急だな」

「知りたいとおっしゃいましたので」

「そうだが」

 何から聞けばいい。

 五人の男についてなら、王都へ向かう前からあれほど気になっていたのに、本人についてとなると、質問の一つも用意していなかった。

「……好きな花は」

 結局、出てきたのは、さっき彼女自身が挙げたものだった。

 アデライードが笑った。

「春の鈴蘭が好きです」

「鈴蘭」

「はい」

「色は」

「青です」

「濃いのか、薄いのか」

「どちらも。けれど、朝の空のような淡い青は特に好きです」

「本は」

「旅行記が好きです」

「行ったことのない場所の?」

「はい」

 質問すれば、答えが返ってきた。

 当たり前のことだった。

 それを、今までしなかった。

「ほかには?」

 アデライードが尋ねる。

「まだ聞いていいのか」

「お尋ねくださいと申し上げました」

「では――」

 コンラートは次の質問を考えた。

 夜はまだ長かった。


 翌朝、空はよく晴れていた。

 別荘の庭には薄く霜が降り、吐く息が白い。

 朝食を済ませると、使用人たちが馬車に荷物を積み始めた。コンラートは管理人から最後の報告を受け、春までに必要な修繕箇所を確認する。

 アデライードは玄関前に立ち、白い毛皮を首に巻いていた。

「準備できたか」

「はい」

 彼女が振り返った。

 濃い髪のまわりで、白い毛皮が朝の光を受けている。

 コンラートはその姿を見た。

 婚礼の日と同じ女だった。目立つ美女ではない。背丈も体つきも平均的で、王都へ行けばもっと華やかな女性はいくらでもいる。

 それでも、今ここにいるのは、九か月をともに過ごしてきた妻だった。

「行くぞ、アデル」

 呼ぶと、彼女は一瞬だけ目を細めた。

「はい、コンラート様」

 二人は馬車へ向かった。


 馬車が動き出すと、別荘は木立の向こうへ隠れた。

 向かいの席で、アデライードが鞄へ手を伸ばしかけ、こちらを見て、その手を止めた。

「読んでいいぞ」

「いえ。もう少し、外を」

 窓の外を、冬枯れの森が流れていく。

 婚礼の日、彼は言うことを決めていた。

 今日は、何も決めていない。

 聞きたいことなら、いくらでもある。

 領都までは、まだ一日あった。

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