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5歳児、ウォール街を支配する 〜異世界の巫女は、星を読んで家族(パパ)の死線を変える〜  作者: かぶんす


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3/3

国家権力の包囲網と、五歳児の「お星さま」交渉術

「――サトルの手術は、完璧に成功したわ!」


午後二時。

市民病院の最上階、大改造されたVIPフロアの待合室に、緑色の手術着を着たロンドン帰りの世界的名医が、晴れやかな笑顔で飛び出してきた。


「極めて初期の段階だったため、腹腔鏡での切除は一分の狂いもなく完了した。がん細胞(泥団子)は、一ミリの取り残しもなく完全にパパの胃から『ぽいっ』と消え去ったよ。凛ちゃん!」


「わあーい! お医者さん、ありがとう! パパ、泥団子チョキンできた!」


私はお母さん、そしてエリザベスお姉ちゃん、アレクサンダーおじさんと一緒に、飛び跳ねて喜んだ。

ベッドの上でまだ麻酔から覚めきっていないパパの『生体情報』をそっと読み取ると、そこには昨日の不穏などす黒い澱みは一切なく、ただ穏やかで健康な、あたたかい「生の光」だけが優しく満ち溢れていた。

(よかった……。本当に、パパは助かったんだ!)

お母さんはパパの手を握りしめ、ボロボロと大粒の涙を流していた。

だが、安堵したのも束の間。

私の頭の中の星空が、突如として激しく明滅し、冷たいノイズのような警告音を響かせ始めた。

(……きた。いじわるなおじいちゃんの、黒いクモの巣が、すぐそこまで来てる!)


――ウゥゥゥゥン、ウゥゥゥゥン!!!


突如、病院の敷地外から、数十台ものパトカーのサイレンが重低音となって響き渡った。

窓の下を見下ろすと、そこには京都や兵庫からも動員されたと思われる、大阪府警の機動隊の黒い大型車両や、公安警察の覆面パトカーが、病院の周囲を幾重にも完全包囲していく光景が広がっていた。


「な、何事かしら……!? なぜ日本の警察が、この病院を包囲しているの!?」


エリザベスが、鋭いサファイアの瞳をさらに尖らせて、インカムで部下に怒鳴り散らした。


「ボス! 大変です!」


病室のドアが勢いよく開け放たれ、モップを持った清掃員に変装していたはずの、元SASの精鋭リーダーが血相を変えて飛び込んできた。


「日本政府の金融庁、および警察庁の上層部が、特別令状を持ってこちらに向かっています! 容疑は、アマミヤ・サトルおよびアマミヤ・リンによる『インサイダー取引』および『不正アクセス(サイバーテロの共謀)』! 彼らは、ハミルトン家から凛ちゃんを『重要参考人』として強制的に引き離し、身柄を拘束する気のようです!」


「なんですって……!?」


エリザベスの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


「バカな……! 我々は世界最強のヘッジファンドだぞ! 日本政府が、我々を敵に回してまで、こんなデタラメな令状で最高預言者チーフ・オラクルを拘束しようとするなど、常軌を逸している!」


「――違うな、エリザベス。これは日本政府の意志ではない」


ソファーから立ち上がったアレクサンダーおじさんが、冷徹な灰色の瞳をギラリと光らせた。


「上海の劉天啓リウ・テンチーだ。あの男、裏から日本の政界の汚職まみれの閣僚や、警察上層部を買収したな。国家権力という『合法的な暴力』を使って、ハミルトンの防壁をすり抜け、凛を拉致する算段だ。……汚い手を使う」


「父上、どうするの!? 日本の警察を相手に、まさかSASの私設部隊で銃撃戦を始めるわけにはいかないわよ! そんなことをしたら、本当のテロリストになってしまう!」


お母さんも、凛を自分の胸にぎゅっと抱きしめて震えていた。


「凛ちゃん……! ママが、ママが絶対にあなたを守るからね……!」


国家の力。

どれだけお金を持っていても、「法律」と「公権力」という絶対的なルールの前には、民間ファンドの力はあまりにも無力に見えた。

廊下から、バタバタと何十人もの警察官たちの革靴の足音が近づいてくる。


「アマミヤ・リン! 金融庁および警察庁特別捜査班だ! 容疑者同行のため、中に入らせてもらう!」


ドアがバン! と開け放たれ、高級そうなスーツを着た警察庁のキャリア官僚――『漆原うるしばら』という、目の細い意地の悪そうな男が、数十人の機動隊員を引き連れて病室に踏み込んできた。


「ハミルトン家の方々。お下がりください。これは我が国の公権力による、正当な法執行です。邪魔をするならば、あなた方も公務執行妨害で逮捕せざるを得ません」


漆原は冷酷に言い放ち、手錠を持った隊員に私を指し示した。

だが、私はお母さんの腕からトコトコと降りると、漆原の前にゆっくりと歩み寄った。


「おじさん」


「……何かな、お嬢ちゃん。大人しく署まで来てもらおうか」


「おじさんのお胸の奥、すっごく汚い『泥棒さんのお金』の匂いがぷんぷんするよ」


「……っ!? 何をバカなことを――」


漆原が一瞬、激しく動揺して視線を泳がせた。

彼の『生体情報』は、表面上の冷徹な仮面とは裏腹に、心臓が「バクバクバクバク!」と、いつ破裂してもおかしくないほどの、恐怖と焦りの黒い煙を噴き出していた。

私は、自分の『星読み』の力を、病院の窓から見える大阪の街全体の「電子ネットワーク」へと繋いだ。

日本の金融庁の裏帳簿、汚職政治家たちの秘密口座、そして、漆原が昨日の夜、劉天啓の代理人から受け取った「五億円のスイス口座への送金データ」。

世界中の電子データが、私の頭の中で、一枚の『完璧な犯罪のパズル』として組み上がっていた。


「おじさん、昨日ね。黒いチャイナのおじいちゃん(劉天啓)の部下の人から、スイスの『ひみつのポケット(裏口座)』に、ごおくえん(五億円)もらったでしょ?」


「な、ななな……何をデタラメをっ……!」


漆原の顔から、みるみるうちに血の気が引き、真っ白に変貌した。


「そのポケットの名前はね、『URUSHIBARA-TRUST』。パスワードは、おじさんがお家でこっそり飼ってる、可愛いネコちゃんの名前と同じ『TAMA-NYANたまにゃん』でしょ?」


「――ッッ!!!!!」


漆原は、まるで雷に打たれたかのようにその場でガタガタと震え、膝から崩れ落ちた。

たまにゃん。

それは、彼が妻にも内緒で溺愛している、自宅の愛猫の名前であり、彼がすべての裏口座に使っている極秘のパスワードだった。


「それからね、おじさん。お星さまがね、『おじさんが凛ちゃんを連れていこうとしたら、世界中のお友達に、おじさんのたまにゃんのポケットの秘密を教えてあげてね』って言ってるよ」


「せ、世界中のお友達、だと……?」


すかさず、アレクサンダーおじさんが、不敵な笑みを浮かべて自分のスマートフォンをタップした。


「漆原。今、我が社の最高預言者オラクルが暴露した、お前のスイス口座の取引履歴、および買収の証拠音声、そしてお前がこれまでに私腹を肥やしてきたすべての汚職データが、我が社の金融ネットワークを通じて……日本経済新聞、ニューヨーク・タイムズ、そしてロイター通信のトップページに【実名入り】で一斉配信される準備が整った」


「な……っ!?」


「さらに、お前を買収した日本の『汚職政治家』たち、計十二名の秘密口座もすべてロックオンした。彼らの政治資金の不正還流データも、同時に世に放たれる。……もし、凛に指一本でも触れてみろ。一秒後に、日本の内閣は総辞職し、お前たちは全員、国家転覆の罪で一瞬にして社会的に抹殺されるぞ」


アレクサンダーの、世界を裏から支配する『金融の覇王』としての圧倒的な脅迫。

そして、それを一瞬にして可能にする、5歳の私の「神の領域」のハッキング能力。


「ひ……ひぃぃぃぃぃっ!!!」


漆原は、持っていた令状を床に落とし、自分の頭を抱えてのたうち回った。


「待て! 配信を止めろ! 止めてくれ! 頼む! 私が、私が悪かった! 龍門資本に脅されて、仕方がなくやったんだ! 令状は取り下げる! 今すぐ、全員撤収だ!!!」


「し、しかし漆原さん、上層部からの命令が――」


機動隊の部下が困惑する。


「うるさい! 撤収だと言っているだろう! 内閣が吹っ飛ぶぞ! 早く行け!!!」


漆原は、手錠を放り投げて脱兎のごとく病室から逃げ出し、数十人の機動隊員たちも、パニック状態で廊下を逆流して走っていった。

病院の敷地外。

つい先ほどまで病院を包囲していたパトカーや大型車両が、まるで引き潮のように、ものすごい勢いでサイレンを鳴らしながら退散していく。


「……消、消え去ったわ」


エリザベスお姉ちゃんが、呆然とした声で呟いた。


「国家権力による包囲網が……わずか一分間、凛ちゃんの『たまにゃん』の一言で……完全に崩壊したわ。凛ちゃん、あなた本当に……世界最高のネゴシエーター(交渉人)だわ!」


「お姉ちゃん、凛ちゃん、たまにゃんって言っただけだよ? 猫ちゃん、かわいいもんね?」


「キュン死……ッッ!!!(心肺停止)」


エリザベスはお決まりのように胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。


「凛。私はお前の交渉能力を称え、本日より、我がハミルトン・グループの【特別国家特別交渉権】をお前に一任する。……これからは、アメリカの大統領だろうが、どこの国の首相だろうが、お前の『飴ちゃん』一つでひれ伏させることができるぞ」


アレクサンダーおじさんが、涙ぐみながら私を高い高いした。パパの『生体情報』は、麻酔から覚めかけの頭で、窓の外のパトカーの退散劇を見つめながら、「もう世界征服でも何でもしてくれ」という、完璧に悟りを開いたクリアなピンク色に染まっていた。

こうして、天宮家は「国家権力」による拉致の危機すらも、凛ちゃんの驚異的な暴露ピタゴラスイッチによって完全撃退。

だが、ハッカーテロも、国家権力による拉致も失敗した上海の黒幕・劉天啓は、自分のすべての財産と、人生のすべてが崩壊していくのを、ただ指をくわえて見つめていた。

『――なぜだ! なぜ、日本の警察までが敗北する! あの天宮凛という幼児は……本当に、人間なのか……っ!?』

彼の前に表示されたAIのメッセージ。

『警告:劉天啓。あなたの残された資産はゼロになりました。あなたの物理的な破滅(逮捕)まで、あと24時間です』

最悪の黒幕との戦いは、ついに、最後の最終決戦クライマックスへと突入しようとしていた。



「――ううっ、お腹が減った……。夕紀、お腹が減って背中とくっつきそうだよ……」


手術の翌朝。

パパは病室のベッドの上で、大袈裟にのたうち回りながらお腹をさすっていた。

術後の経過は極めて良好。傷口の痛みもほとんどなく、点滴のチューブに繋がれながらも、パパの『生体情報』はすっかり健康な、新緑のような鮮やかなグリーン一色に染まりきっている。


「当たり前でしょ、あなた。手術が終わったばかりなんだから、今日のお昼までは重湯おもゆしか出ないわよ」


お母さんが呆れたように言いながら、パパの枕元に置かれたプラスチックのコップにぬるま湯を注ぐ。


「ええっ!? 重湯!? あの、味のしない、うっすいお米の汁かい!? 僕はこんなに元気なのに! ニューヨークで食べたフォアグラが恋しいよ……!」


「贅沢言うなアホ! がんが綺麗に治っただけでも感謝しなさい!」


お母さんの鋭い突っ込みが病室に響き渡る。

昨日まで国家権力だ何だと、パトカーに囲まれて絶体絶命の危機に瀕していたとは思えないほど、いつもの平和でコミカルな天宮家の日常が戻っていた。


「ふふ、サトル。そんなに退屈なら、私がマンハッタンから世界一のフレンチシェフを呼び寄せて、重湯の概念を覆す『最高級コンソメ風重湯』を作らせましょうか?」


ソファーに腰掛け、高級ブランドのタブレットで世界市場を監視していたエリザベスお姉ちゃんが、妖艶な笑みを浮かべて提案した。


「い、いえ、そんなことしたらお医者さんに怒られますから、本当に結構です……」


パパが冷や汗を流して首を振る。

そんなドタバタの中、私はお気に入りのアンパンマンのお茶碗を抱えながら、病室の窓の外を眺めていた。

窓の向こう、大阪の午前中の青空。

昨日、日本の警察を退散させたことで、黒い蜘蛛の巣のようなノイズはすっかり消え去っていた。

けれど、私の『星読み』の奥底で、何かがキチキチと、まるで壊れたネジが軋むような不気味な音が響き続けている。

(……あれ? お星さまが、すごく暗い『真っ黒いお砂』を、このお部屋にサラサラって落としてる……)

私の『生体情報』が、病室の入り口の向こうから漂ってくる、形容しがたい異質なデータを捉えた。

それは、昨日まで警察官たちが持っていた「焦り」や「恐怖」といった人間らしい感情ではない。

例えるなら、長い年月をかけてドロドロに腐り果て、底知れない執念と「死への狂気」だけでかろうじて形を保っている、底なし沼のような澱んだ生体データ。

(くる。いじわるな、チャイナのおじいちゃんが……すぐそこに、立ってる!)

心臓がドクン、と大きく脈打った。

その瞬間。


――カチャリ。


病室の重厚なマホガニー製のドアが、音もなく開け放たれた。

そこに、ハミルトン家が配置したはずの元SASの警護員も、元暗殺者の白面も立ち会っていない。ただ、一人の老人が、静かに室内に足を踏み入れた。

漆黒のチャイナスーツ。

皺一つない冷酷な顔立ちに、凍りついたような黒い瞳。

そして、その指に嵌められた、巨大な翡翠の指輪。


「――っ!?」


アレクサンダーおじさんが、瞬時にソファーから立ち上がり、ジャケットの裏ポケットの銃に手をかけようとした。


「お、お前は……! 劉天啓リウ・テンチー……っ! なぜ、ここにいる! 病院の周囲の警備はどうした!?」


「無駄だ、アレクサンダー」


劉天啓は、一切の感情を排した、カサカサに乾いた声で言った。


「お前たちが用意したあの優秀な兵隊どもは、今頃、お前たちが買い取ったはずの『特別VIPフロア』の監視カメラの死角で、全員仲良く眠っているよ。……私の持ってきた、超高濃度の睡眠ガスでね」


「なんですって……!?」


エリザベスが、青ざめてパパのベッドの前に立ちはだかり、私を自分の背中に庇った。


「劉天啓! あなた、世界中から指名手配されて、資産も全て凍結されたはずよ! 24時間以内にFBIがあなたの身柄を拘束するわ! なぜ、日本の、こんな地方の市民病院にまで――」


「フハハ……。手配? 資産凍結? そんなものが、この『死に行く男』に何の制約になるというのだ」


劉天啓は、歪んだ、狂気に満ちた笑みを浮かべて、ゆっくりと私の方へ歩を進めた。

彼の『生体情報』から流れ込んでくるデータは、凄まじいものだった。

肺も、腎臓も、そして血管も。彼の全身の臓器は、重度の病魔によって、すでにボロボロの炭のように朽ち果てていた。


『末期肺がん。転移多数。余命、残された時間は数日――』


劉天啓は、金銭的にも、肉体的にも、完全に「今日、明日死ぬはずの男」だったのだ。

だからこそ、失うものが何もない彼の狂気は、いかなるハミルトン家の経済的・物理的な防壁をも、文字通り命を投げ捨ててすり抜けてきた。


「私は、未来予測AIに言われたのだ。――『お前は、未来を読む存在によってすべてを失い、殺される』と」


劉天啓は、私を睨みつけ、翡翠の指輪を嵌めた手をゆっくりと伸ばした。


「だが、私は死なん。死にたくないのだ! かつて上海で、私に死を予言したあの『未来を読む少女』を、私は自らの手で絞め殺した! そうすれば、未来は変わるはずだった! ……それなのに、なぜ、なぜお前のような幼児が、また私の前に現れる! なぜ私の資産を奪い、私を追い詰めるのだ!」


「凛ちゃんに近づかないで!」


お母さんが、悲鳴を上げながら私の前に飛び出そうとしたが、劉天啓はジャケットの内側から、小型の、けれど冷酷に光る自動拳銃を引き抜いた。


「動くな。動けば、この病室の全員の頭を撃ち抜いてから、この娘を連れていく」


病室全体が、凍りついたような緊張感に包まれる。

パパはベッドの上で、点滴のチューブを引きちぎりそうになりながら、劉天啓を激しい怒りの眼光で睨みつけていた。

だが、私はお母さんの背中から、一歩前へ踏み出した。


「凛、だめ……っ!」


お母さんの制止の声。

私は、劉天啓の持つ拳銃の銃口を真っ直ぐに見つめながら、彼の足元へトコトコと歩み寄った。


「おじいちゃん」


「……何だ。命乞いか? お星さまは、お前の死を予言していないのか?」


劉天啓は引き金に指をかけ、冷酷に私を見下ろした。


「おじいちゃん、すっごくお身体が痛い痛いって泣いてるね。お胸の中がね、真っ黒い燃えカスの、お砂の山になってる。……息をするのも、すっごく苦しいでしょ?」


「……っ!? お前に、私の病状が……」


「お星さまがね、おじいちゃんに『もう、がんばらなくていいよ』って言ってる。おじいちゃん、死ぬのが、すっごく怖いんだね。だから、たくさんの良い人をいじめて、お星さまに怒られたんだね」


私は、劉天啓の震える、冷たい翡翠の指輪を嵌めた手に、私のちいさな手のひらをそっと重ねた。


――ビリリリッ!!!


その瞬間、劉天啓の脳裏に、彼自身の『未来のビジョン』が、私の手を通じて強制的に流れ込んだ。

彼に見えたのは、暗い、静かな部屋。

そこには、拳銃を持った自分ではなく、ただベッドの上で、誰にも看取られず、寂しく、けれど痛みのない眠りにつく自分自身の最期の姿。

そして、そのベッドの傍らで、かつて自分が絞め殺したはずの、あの上海の「未来を読む少女」が、優しい笑顔で自分を待っているビジョン。


「あ、あ……あぁぁぁ……っ!!!」


劉天啓の目から、突然、枯れ果てていたはずの涙がボロボロと零れ落ちた。

彼の『生体情報』から流れ込む狂気のオーラが、私の治癒波動と共鳴した瞬間、一気に「安堵」と「解脱」の、穏やかな青い光へと浄化されていく。


「痛みが……。血管を焼くようなあの激痛が、消えた……。……私は、私は何を恐れていたのだ……」


拳銃を持つ劉天啓の手が、力なくダラリと下がった。

彼を支配していた「死への狂暴な恐怖」は、凛の生体情報のあたたかさと、星が示した「穏やかな死の約束」によって、完全に骨抜きにされてしまったのだ。


「劉天啓。お前のゲームは終わりだ」


背後から、バタン! とドアが開け放たれ、睡眠ガスの効果からかろうじて目覚めた白面が、額に青筋を立てて飛び込んできた。

彼の後ろには、日本政府の公安警察と、ハミルトン家の精鋭たちが、一斉に銃を構えてなだれ込んでくる。


「もう撃つ必要はないわ、白面」


エリザベスお姉ちゃんが、冷ややかに、けれど深く安堵した息を吐きながら言った。


「この老獣は、今この瞬間、すべての牙を抜かれたわ。……凛ちゃんの『奇跡』の前には、どんな狂気も、ただの哀れな子供の駄駄に過ぎないのよ」


「……フフ。そうだな」


劉天啓は、拳銃を床にカランと落とすと、自ら両手を差し出して、白面が差し出した手錠を静かに受け入れた。


「天宮凛。お前の目は……確かに、あの少女と同じ、未来のその先を見据えている。……私は、お前に敗北したのではない。お前の視る『星の運命』の美しさに、完全に屈服したのだ……」


劉天啓は、穏やかな、これまでにないほど澄んだ瞳で私を見つめ、公安警察の男たちに連れられて、静かに病室を後にした。

世界を裏から操り、ハミルトン家を破滅の一歩手前まで追い詰めた「中国金融界の影の皇帝」の最期は、5歳の私のあたたかい手のひらの上で、静かに、そして完璧に幕を閉じたのだった。



「……あ、あかん。僕、もう一回、気絶してもいいかな」


ベッドの上のパパが、点滴のチューブを持ったまま、呆然と天井を見上げて呟いた。


「サトル、ダメよ! しっかりしなさい! パパの泥団子も切除できて、あのいじわるなおじいちゃんも捕まって、これで本当に……本当に、うちの平穏な日々が戻ってきたんだから!」


お母さんが、パパの身体を激しく揺さぶりながら叫ぶ。


「オーマイガー!!! マイ・エンジェル!!!(超絶大絶叫)」


エリザベスお姉ちゃんが、床の拳銃を蹴り飛ばして、ものすごい勢いで私を抱きしめた。


「凛ちゃん! あなた本当に凄いわ! 拳銃を持った世界一危険なテロリストを、ただのおてて繋ぎで完全降伏させるなんて! もう、ハミルトン家の最高預言者なんて役職じゃ足りないわ! あなたは私の【ゴッド】よ!」


「お姉ちゃん、凛ちゃん、神様じゃないよ? ぽん、ぽん、ちゅー、だよ?」


「尊死……ッッ!!!(完全に心停止)」


エリザベスは白目をむいて、ソファーの上にドサリと倒れ込んだ。


「凛。私はお前の安全を完全に保証するため、本日、この大阪の市民病院の『土地』を丸ごとハミルトン家の永久私有地として買い取った。……これでお前は、日本にいながらにして、ハミルトン一族の絶対特権に守られることになる。いいな?」


アレクサンダーおじさんが、涙ぐみながら私をぎゅーっと抱きしめた。


「お、おじさん……市民病院の土地を丸ごとハミルトン家の私有地にって、もう大阪の行政を巻き込むレベルの暴挙だよ……」


パパが遠い目をしている。パパの『生体情報』は、家族が守られ、黒幕が滅びたことへの心からの安堵の、最高に澄み切ったクリアなピンク色の光を、どこまでも眩しく放ち続けていた。

天宮家、そしてハミルトン家。

世界の金融を裏から動かす、史上最強のファミリーの絆は、劉天啓の滅亡によって、もはや誰も立ち入れない絶対の領域へと達した。

だが、大団円の病室の窓の外。

大阪の夜空を見上げた私の目には、新たな星の瞬きが視えていた。

それは、劉天啓が消え去った世界の金融市場を、パパとお姉ちゃんたちが「星のお歌」でさらに大きく塗り替えていく、輝かしい『未来の星座』だった。



「――お好み焼き……。豚玉、マヨネーズ多め、青のりたっぷりの、本物のお好み焼きや……!」


パパが病院を無事に退院して、最初に向かったのは、大阪の下町にある年季の入ったお好み焼き屋だった。

鉄板の上でジュージューと音を立てるソースの香ばしい匂いに、パパは涙を流しながらヘラを握りしめていた。


「サトル、大袈裟ね。ニューヨークでも一流の鉄板焼きを食べさせてあげたじゃない」


エリザベスお姉ちゃんが、店の丸椅子に不釣り合いな高級シルクのワンピースの裾を気にしながら、不思議そうに首を傾げた。


「違います、エリザベス様! 一流の鉄板焼きも最高でしたが、やっぱり大阪人のソウルフードは、この煙まみれの狭い店で、自分で焼いてコテで直接食べるお好み焼きなんです! ああ、生きてて良かった……!」


「贅沢な重湯おもゆだなんて騒いでいたのに、結局お好み焼きで泣くなんて、本当に安上がりなパパよねぇ」


お母さんがクスクスと笑いながら、私のお皿に小さくカットした豚玉を載せてくれた。


「凛ちゃん、熱いからフーフーして食べなさいね」


「はーい! ママ、お好み焼き、きんきらのソースの匂いがしてしゅき!」


私は息をフーフーと吹きかけながら、お口いっぱいに頬張った。

最悪の黒幕・劉天啓が去り、パパのがんも完全に消え去った。

天宮家を脅かす実質的な脅威は、この世界からすべて消滅したのだ。パパの『生体情報』は、点滴から解放された解放感と、我が家の平穏な未来への確信で、これ以上ないほど輝かしい「幸福のサクラピンク」に染まりきっていた。


「はぁ。僕、胃がんも治ったし、退職金代わりの資金も十分にある。……これで、念願の『静かなスローライフ』が送れるなぁ。毎日、凛ちゃんと一緒にお散歩して、夕紀の美味しいご飯を食べて、のんびりテレビを見るんだ」


パパが、ビールジョッキを片手に、遠い目で幸せそうに呟いた。

だが、その甘いスローライフの夢は、隣で冷たいウーロン茶を優雅に飲んでいたアレクサンダーおじさんの一言によって、一瞬にして木っ端微塵に打ち砕かれた。


「サトル。何を寝ぼけたことを言っている」


アレクサンダーは、灰色の瞳を鋭く光らせ、高級なハンカチで口元を拭った。


「劉天啓が消滅した今、中国の巨大ファンド『龍門資本ロンメン・キャピタル』が抱えていた、数千億ドル規模の休眠資金フリーズ・アセットが、世界市場を彷徨っている。……これを完全に回収し、ハミルトンと天宮家の支配下に置くまで、お前に眠る暇など一秒もない」


「ええっ!? いや、僕はただの元営業マンですよ!? そんな世界規模のマネー回収なんて、荷が重すぎますって!」


「甘いわ、サトル!」


エリザベスお姉ちゃんが、私の小さな口元についたマヨネーズを愛おしそうに拭いながら、激しい目つきで割り込んできた。


「凛ちゃんの年俸十億円テンミリオンを維持し、セントラルパークの隣に建てた『ディズニーランド付きおもちゃのビル』の維持費を払うには、常に世界市場のトップを走り続けなければならないのよ! さあ、サトル。大阪のコナモンを堪能したら、今すぐ次の『神託ステップ』を凛ちゃんに仰ぐのよ!」


「お、おもちゃのビルの維持費って、勝手に建てたのそっちでしょう……!」


パパがガタガタと震えながら、私を助けを求めるような目で見つめてきた。

(ふふ。パパ、お仕事がんばってね。お星さまがね、『パパがかっこよくキーボードをぽんぽんって叩くと、世界中のお金さんが、凛ちゃんのおもちゃの箱にいっぱい集まってくるよ』って言ってるよ)

私の頭の中の星空には、劉天啓の暗いノイズが完全に消え去ったことで、これまでにないほど澄み切った、美しい「青い星座の羅針盤」が輝いていた。

それは、世界中の金融、市場、そしてテクノロジーの未来を完璧に示す、最強の『光のポートフォリオ(資産構成図)』。


「おじさん。お姉ちゃん」


私はお好み焼きのヘラをパチパチと鳴らしながら、テーブルの上に広げられたハミルトン家の金融データ(タブレット)を指差した。


「いまね、あっちのお空の『リンゴのシリコンバレー』で、ちいさな卵から、すっごくおっきな『きんきらのゾウさん』が生まれようとしてるよ」


「……卵から、ゾウさん?」


アレクサンダーが眉をひそめ、タブレットの画面を覗き込んだ。


「そう! ゾウさん! そのゾウさんはね、みんなのお話をぜんぶ聞いて、なんでもお写真にして見せてくれる、すっごく賢いゾウさんなの。でもね、いまはまだ殻の中にいて、誰も気づいてないの」


「凛ちゃん……それって、人工知能(AI)による、画像生成技術や対話型自然言語処理のスタートアップ(ベンチャー企業)のことかい?」


パパが、私から流れ込む『生体情報』と専門用語を脳内で高速翻訳した。


「そう、それ! そのゾウさんをね、いまのうちにおファンドの中に連れてきて、ごはん(投資資金)をいっぱい食べさせてあげてね。そうしたら、三年後にお仕事が何百倍もおっきくなって、世界中の人がそのゾウさんを使わないと、お仕事ができなくなっちゃうよ!」


「な、何百倍……!? 汎用人工知能(AGI)の、市場独占デファクトスタンダードの予言か……!」


アレクサンダーは、タブレットを持つ手を激しく震わせた。

それは、現在のウォール街のどの投資アナリストも「まだ実用化には程遠い」と一蹴していた、超極秘段階の次世代AI技術の卵だった。


「エリザベス。今すぐシリコンバレーの非公開株リストをすべて洗え。凛の言う『ゾウの卵』――つまり、自然言語画像生成の特許を持つ極秘スタートアップをピンポイントで特定するんだ。……資金は、龍門資本から回収した休眠資産から、まずは【五十億ドル(約七千五百億円)】を一括投資(シード投資)する!」


了解イエス、父上! すぐに特設特別目的会社(SPC)を立ち上げて、市場に気づかれないように株式を買い占めるわ!」


「ご、ごじゅうおくドル……っ!? シード投資の規模じゃないでしょ!」


パパは完全にキャパシティを超え、お好み焼きのキャベツを喉に詰まらせそうになっていた。

だが、凛の「星読み」が示す未来予測は、これだけにとどまらなかった。


「パパ。……あのね、もうすぐ『砂漠の国』のお星さまがね、すっごく熱くなって、お船が海の真ん中で通れなくなっちゃうの」


「え? 砂漠の国で、船が通れなくなる……? それって、中東の地政学リスクによる、スエズ運河の封鎖か、コンテナ船のルートの寸断のことか!?」


「そう! 船が通れなくなると、お空の『原油くん(石油)』が、すっごくお高くなるの。だから、パパのパソコンで、原油くんをいまのうちにいっぱいいっぱい『買う』ボタンを押しておいてね」


「原油のロング(買い)……! 来週の原油先物オプションだな!」


パパはもはや、スローライフの夢を完全に諦め、鋭い「冷徹な相場師」の目になって、自分のスマートフォンを叩き始めていた。


「よし……! 凛ちゃんの予言通りなら、スエズ運河の緊張が高まる前に、原油先物を全力で仕込む。……エリザベス、HGIのコモディティ部門の取引口座の権限を僕に共有してくれ。僕がここで、直接『お歌』のリズムで、世界中の原油を買い占めてみせる!」


「サトル、最高にクールよ! その目、まさにハミルトン家の一員にふさわしいわ!」


エリザベスお姉ちゃんが、嬉しそうにパパの背中をバシバシと叩く。


「ママ、パパ、お仕事いっぱいで楽しそうだね!」


私はアンパンマンのジュースをストローでちゅーちゅーと吸いながら、みんなを見上げてにこっと笑った。

パパの夢見た「静かなスローライフ」は、一瞬にして消え去った。

けれど、家族を脅かす影が消えた世界で、パパとお母さん、そしてハミルトンお姉ちゃんたちが、私の「星の光のポートフォリオ」に導かれ、世界の富をすべて塗り替えていく新しい成り上がりロードは、この大阪の小さなお好み焼き屋の鉄板の上から、どこまでも輝かしく、熱く走り出そうとしていた。


「凛ちゃん。……パパ、世界一の投資家になって、凛ちゃんに世界一美味しいお好み焼きを、毎日焼いてあげるからね!」


パパが、最高に輝かしいヘラを掲げて、誇らしげに叫んだ。



「――お、お星さま、もう勘弁してくれ……。数字の桁が多すぎて、僕の普通の脳細胞が悲鳴を上げているんだ……」


大阪・平野区の、天宮家のささやかな一戸建て。

リビングのソファで、パパは頭を抱えながら、目の前のノートパソコンの画面を見つめて、今にも気絶しそうな声を絞り出していた。

画面に表示されているのは、ハミルトン家から提供された、世界の主要市場に直結した機関投資家専用の超高速トレーディングシステム。

そこに、目を疑うような数字が、めまぐるしい速度で更新され続けている。


『天宮悟・個人特別ポートフォリオ評価総額:36,500,000,000円』


「さ、三百六十五億円……。あなた、最近まで『貯金が十万円しかない』って言ってた、あの普通のサラリーマンだったよね……?」


隣で洗濯物を畳んでいたお母さんが、畳みかけのパパのパンツを床にポトリと落とし、完全に目が点になっていた。


「そうだよ、夕紀……。僕だって信じられない。でも、凛ちゃんが言った『砂漠の国の原油くん』の予言が……本当に、恐ろしいほどの規模で現実になってしまったんだ……」


パパの『生体情報』は、あまりの急激な資産増大への恐怖と、元サラリーマンとしての「こんなに税金どうすればいいんだ」というパニックで、激しく明滅していた。

そう、すべては数日前、凛がお好み焼き屋で指し示した『星の光のポートフォリオ』の通りだった。

凛が「砂漠の国のお星さまが熱くなって、お船が通れなくなる」と予言した、わずか二日後。

中東のスエズ運河を航行していた大型コンテナ船が、突発的な地政学的緊張の激化により、航路を塞ぐ形で完全に立ち往生。さらに、代替ルートであるアフリカ・喜望峰周りの航路も大混雑となり、世界中の物流が文字通り「大パニック」に陥ったのだ。

当然、エネルギーの生命線である原油の供給不安が一気に爆発。

一バレル=五十ドル台を低迷していた原油価格が、わずか数日のうちに、ロケットのように垂直に急騰した。

パパが凛の指示通り、手元の十億円の資金を限界までレバレッジをかけて仕込んでおいた【原油先物オプション】。

市場が地獄のような大混乱に陥る中、パパのロング(買い)ポジションだけが、世界中の悲鳴を燃料にして、天文学的な利益を叩き出し続けた。


「……パパ、お仕事、がんばったね! お星さま、いっぱいパパに『きんきら』を運んでくれたよ!」


私は、お気に入りのアンパンマンのコップに入ったリンゴジュースをちゅーちゅーと吸いながら、パパの膝の上にちょこんと座ってにこっと笑った。


「がんばったというか……僕はただ、凛ちゃんが歌ってくれた『原油くんのお歌』のリズムに合わせて、買いボタンを連打しただけなんだけどね……」


パパは私のちいさな頭を優しく撫でながら、力なく笑った。パパの指先から流れ込む『生体情報』は、疲労の灰色から、娘への無条件の愛と信頼の温かいピンク色へと、徐々に包み込まれていく。

だが、凛の仕掛けた「未来のドミノ」は、原油の高騰だけでは終わらなかった。

――バターン!!!

リビングのドアが勢いよく開け放たれ、大阪の下町の狭い住宅街に不釣り合いな、輝く金髪を振り乱したエリザベスお姉ちゃんが飛び込んできた。

その後ろには、白髪混じりの銀髪を誇らしげに揺らしたアレクサンダーおじさんまでもが、興奮で灰色の瞳をギラギラと光らせて立っている。


「――サトル! 凛ちゃん! 大変なことになったわ!」


エリザベスは、いつもの私を抱きしめる「デレデレ顔」の余韻をかろうじて残しながら、手元のタブレットをパパの顔の前に突き出した。


「シリコンバレーに仕込んでおいた、あの『ゾウの卵』――スタートアップ企業の『エレファント・マインド(Elephant Mind)』が、昨日、極秘開発していた画像対話型AIのベータ版を世界に一般公開したの! そうしたら……!」


「そ、そうしたら……?」


パパがゴクリと唾を呑み込む。


「公開からわずか二十四時間で、世界中のクリエイターや企業が殺到して、サーバーが五回もパンクしたわ! 『言葉を入力するだけで、プロ以上の神アートを数秒で描き出すAI』として、世界中のニュースやSNSのトレンドを完全に独占したのよ!」


エリザベスは、私の小さな手をぎゅっと握りしめ、顔を紅潮させて叫んだ。


「ハミルトン家が、凛ちゃんに言われるまま、龍門資本から回収した休眠資金を使って買い占めておいた、同社の株式……。当時、時価総額わずか一千万ドル(約十五億円)だった『エレファント・マインド』の価値が……今日、世界中の大手テック企業からの買収オファーが殺到したことで、一瞬にして【時価総額百億ドル(約一兆五千億円)】を突破したわ!」


「ひ、ひええええええっ!? 一兆、五千億円!?」


パパは完全にキャパシティを超え、ソファーから床へとずり落ちた。


「そうよ! ハミルトンが保有する株式の含み益だけで、一兆円以上! さらに、その筆頭共同出資者アソシエイトとしてポートフォリオを組んでいたサトルの個人口座にも、一瞬にして数百億円の価値アセットが転がり込んできたのよ! サトル、あなた本当に、世界で一番稼ぐ元サラリーマン(デイトレーダー)だわ!」


エリザベスは、私の頬にスリスリと自分の美しい頬を寄せながら、蕩けるような甘い声で囁いた。


「もうダメよ、凛ちゃん……! あなたの『星の光のポートフォリオ』は、ウォール街のすべての金融工学を過去の遺物にしてしまったわ! これからハミルトンは、あなたを『金融の絶対守護神』として、世界一安全なマンハッタンの地下宮殿で、世界中の一流のお菓子とお人形で包んで、一生保護させてもらうわね!」


「お、お姉ちゃん、お菓子いっぱい? 凛ちゃん、嬉しい!」


「尊い……ッッ!!!(光速で心停止)」


エリザベスは胸を押さえ、リビングのフカフカの絨毯の上に、ばたりと仰向けに倒れ込んだ。


「凛。お前の預言は、我がハミルトン一族の覇権を、もはや不可侵の領域へと引き上げた」


アレクサンダーおじさんが、膝をついて私の小さな両手を包み込み、深く頭を垂れた。


「世界最高の画像AIの誕生。そして、原油の高騰を見越した完璧なヘッジ。……ウォール街のすべてのメディアが、今、『日本の謎の投資家サトル・アマミヤの背後には、神のオラクル(神託)がいる』と、狂ったように詮索し始めている。……だが、安心しろ。お前を覗こうとする不届きなドローンや、ネットのハッカーどもは、我がハミルトンの防空システムと、千人のホワイトハッカーが一瞬で撃墜してやる」


「お、おじさん……我が家の庭に、対空機関砲とか並べないでくださいね……。ご近所の奥様方が、洗濯物を干す時に驚いちゃいますから……」


お母さんが、呆れ半分、恐怖半分の複雑な顔でパパのパンツを拾い上げた。

天宮家、ハッカーテロも、国家権力による拉致も、そして世界規模の地政学リスクまでもを、凛ちゃんの愛らしい「星読み」によって完璧に逆利用し、ついに世界のテクノロジーとエネルギーの覇権を手中に収めた。

パパの夢見た「静かなスローライフ」は、もはや銀河系の彼方へと吹き飛んでしまった。

けれど、かつて病院のベッドで「泥団子」に蝕まれていたパパは、今や、世界の金融市場を裏から動かす、最も健康で、最もリッチな「伝説のデイトレーダー」として、凛ちゃんとお母さんを、世界一安全な特権で守り抜く存在となったのだ。


「サトル。明日、ニューヨークへ戻るぞ」


アレクサンダーおじさんが、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。


「我々のポートフォリオは、これから始まる『新世界ニュー・ワールド』の秩序そのものだ。……凛を、世界で最も輝かしい、ウォール街の玉座へとエスコートするのだ」


「……はは。分かりましたよ、アレクサンダー様。凛ちゃんのためなら、僕はウォール街だろうが、世界の果てだろうが、喜んでキーボードを叩き続けますよ」


パパは、すっかり健康に引き締まった顔で、鋭く、けれど優しさに満ちた瞳で私を見つめ、力強く頷いた。

窓の外、夕暮れの大阪の空。

そこには、かつてのどす黒い悪意のノイズは一欠片もなく、ただ、私たち家族とハミルトンお姉ちゃんたちの未来を祝福するように、どこまでも青く、澄み切った満天の星たちが、まばゆく瞬き始めていた。



「――だからね? エリザベスお姉ちゃん。凛ちゃん、お星さまのビルのてっぺんに、アンパンマンのすべり台を作ってほしいな!」


「オーマイガー!!! 今すぐ建築チームを招集してちょうだい! 設計図を全て引き直して、最上階からセントラルパークへ直接滑り降りる『純金製のアンパンマンすべり台』を作らせるわ!」


ニューヨーク・マンハッタン。

ウォール街の頂点にそびえ立つハミルトン・グローバル・インベストメンツ(HGI)本社の超巨大な社長室。

窓の外には、ニューヨークの摩天楼がどこまでも広がっているが、室内の光景は完全に「親バカの楽園」と化していた。


「ちょっと、エリザベス! 純金では摩擦抵抗が強すぎてエンジェルが怪我をするかもしれないだろう! 私はすでに、NASAの宇宙船の外壁技術を応用した、世界で最も滑らかなハイテクすべり台を特注しておいたぞ!」


「父上! また勝手に先回りして! 凛ちゃんに甘いお顔を見せるのは私だけで十分です!」


銀髪の覇王アレクサンダーおじさんと、金髪のプリンセスエリザベスお姉ちゃんが、私の目の前で「どっちが凛にすべり台をプレゼントするか」について、世界の国家予算に匹敵するレベルの激しい親子喧嘩を繰り広げている。


「あはは……。NASAの技術をすべり台に応用しないでください、アレクサンダー様……。もう僕、驚きすぎてアゴが外れたまま戻らなくなっちゃいましたよ」


ふかふかの高級革製ソファーで、パパが完全に魂の抜けた顔で高級紅茶をすすっていた。

パパの『生体情報』は、個人資産が三百六十五億円を突破し、もはや「お金」という概念そのものに対して完全に悟りを開いた、クリアで眩しいサクラピンク色一色に染まりきっている。


「本当にねぇ、あなた。ニューヨークに戻ってきたら、アパートの時とは比べものにならないくらい、パパがすっかり『ウォール街の生ける伝説』になっちゃってるんだから」


お母さんがクスクスと笑いながら、私に一口サイズにカットした高級メロンをフォークで食べさせてくれた。


「あーん、もぐもぐ。ママ、これ甘くておいしい!」


「ふふ、お気に召して良かったわ、マイ・エンジェル!」


エリザベスお姉ちゃんが、喧嘩を一時休/止して猛烈な勢いでスライディングし、私の小さな頬をそっと抱きしめた。

そう、今やウォール街の誰もが知っていた。

宿敵・龍門資本を滅ぼし、地政学リスクの原油高騰を完璧に先読みし、シリコンバレーの歴史的AI革命を独占した、HGIの背後にいる「本物の神託オラクル」。

それが、日本の普通のサラリーマンだった天宮悟と、その傍らでアンパンマンのジュースを飲む5歳の少女、凛であるということを。

世界中の投資家やメディアは、この「小さな最高預言者」の姿を一目見ようと血眼になっていたが、ハミルトン家が構築したホワイトハッカー軍団と元SASの超厳戒防衛網により、天宮家の平穏なプライベートは完璧に守り抜かれていた。


「サトル。……今日、お前に新しい契約書を用意した」


アレクサンダーおじさんが、真面目な顔で一枚の羊皮紙の書類をパパの前に差し出した。


「な、なんですかこれ……。HGIの共同経営者パートナーの契約書……? 報酬は……年間、利益の【十%】の特別配当……!? 桁が多すぎて、もはや何円なのか分かりません!」


「気にするな。サトル、お前と凛がもたらした利益に比べれば、ハミルトン一族の全財産の半分を渡しても足りないくらいだ。……これでお前は、名実ともにウォール街を裏から支配する『支配者』の一員となったのだ」


「支配者って、僕はただ、凛ちゃんと夕紀と一緒にのんびり暮らしたいだけなのに……。でも、ありがとう、おじさん。これで僕は、家族を世界一安全な場所で、一生守ってあげられる」


パパは、すっかり健康になって引き締まった逞しい顔で、私とお母さんを見つめて、優しく微笑んだ。

(パパ。パパのお腹の泥団子がんは、もうどこにもいないよ。……パパ、これからずーっと、ずーっと元気で凛ちゃんと一緒にいられるからね!)

私は、パパの身体から流れ込む、どこまでもあたたかい「生命の光」を読み取り、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

かつて、大阪の明るい夜空の下で、孤独に「怖い夢」を見続けていた私。

自分が異世界の巫女であったことを思い出し、一人で家族を救わなければと、小さな肩に世界を背負おうとしていた私。

でも、今は違う。

優しいパパがいて、強いお母さんがいて。

私を狂信的に愛してくれるエリザベスお姉ちゃんや、アレクサンダーおじさんがいて。

白面おじさんが、いつでもポケットに「パイン飴ちゃん」を忍ばせて、後ろで静かに見守ってくれている。

世界はこんなにもつながっていて、あたたかくて、私のちいさな手のひらの中に、すべてが優しい光となって満ち溢れている。


「凛ちゃん。お星さまは、何か言ってる?」


お母さんが、私の小さな手をぎゅっと握りしめて尋ねた。

私は、マンハッタンの全面ガラス張りの向こう、澄み切った大空を見上げた。

昼間なのに、私の目には、世界中の電子データや人々の幸せな感情が、きらきらと輝く無数の星の川となって、ウォール街の空を流れていくのが見えていた。


「うん! お星さまね、みんなで一緒に『たこ焼きパーティー』をすると、世界中がすっごくハッピーになるよって言ってる!」


「オーマイガー!!! たこ焼きパーティーですって!? 今すぐ大阪から世界一のたこ焼き器を百台チャーターしなさい! HGI本社のビル全体を『たこ焼きのテーマパーク』にするわ!」


「お、お姉ちゃん、ビル丸ごとたこ焼きって、規模がおかしいよ……」


パパの心地よい絶叫が、再びマンハッタンの空に響き渡った。

私は、パパとママ、そしてお姉ちゃんの手をしっかりと握りしめた。

星はすべてを知っている。

けれど、未来はいつだって、この温かい手のひらで、新しく、優しく書き換えていくことができるのだ。

現代日本に転生した小さな巫女が、家族を救い、世界金融の頂点に君臨した物語。

それは、世界で一番きらめく満天の星空の下で、家族のあたたかい笑い声と共に、これからも永遠に、美しく瞬き続けていくのだった。


「パパ、ママ、お姉ちゃん。……凛ちゃん、みんなと一緒におうち(家族)になれて、すっごく、すっごく嬉しいな!」


――五歳のちいさな神様は、世界で一番幸せな笑顔を浮かべて、愛する家族の胸の中へと、そっと飛び込んだのだった。


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