第九話
「で、話の続きですが、沢辺さん、絵が動くとは…、
その、具体的に、どういったことなんでしょう」
我ながらおかしな質問だと思う。
だが俺はそんな素振りはおくびにも出さず、
真顔でそう訊ねた。
沢辺氏は一度俺の顔を探るかのように見た後、
テーブルへと視線を落とす。
そしてその目を、
何かを探すかのようにキョトキョトと動かす。
おや?と俺が思い始めたのとほぼ同時に、
沢辺氏が口を開く。
「あの、紙を…、紙を一枚頂けませんか」
「は?紙?」
何のことかと訝しむ俺に、
慌てて弁解するような調子で沢辺氏はこう続ける。
「あっ、あのメモ用紙で結構ですので、一枚頂けませんか」
「ああ、メモ用紙ね」
そう言って俺は、
手帳のメモページを引き千切ろうかと思ったが、
残りが少ないことに気付きそれを思いとどまる。
「ちょっとお待ち下さい…」
俺は席を立った。
事務室の電話口に置いてあるのを取りに行く為だ。
ところで、何故メモ用紙?とは思ったが、
まぁ渡せばわかると、あえて理由は聞かなかった。
ピリっ。
乾いた音が室内に響く。
そうやって俺はメモ用紙一枚を引き千切ると、
足早に面会室へと戻る。
「これでいいですか?」
四方5センチのメモ用紙。
「はい、結構です」
頭を下げ恐縮し、そして恭しくも両手で受け取る沢辺氏。
まるで下賜だな、そんなに卑屈にならなくても。
俺は思わず苦笑いする。
再び席についた俺は、
さてメモ用紙をどうするのかなと、
沢辺氏の一挙手一投足に注目する。
沢辺氏はそのメモ用紙をテーブルの上に置くと、
しばらくはそれを前かがみで覗き込むようにして、
じっと見つめていたが、
やがてスーツの胸ポケットから一本の万年筆を取り出す。
俺はその万年筆のメーカーを確認しようとしたが、
沢辺氏の行動はそれよりも早い。
さらさら―。
もうそのペン先はメモ用紙の上を滑り始めていた。
さらさら―。
なおもそのペン先は滑り続ける。
さらさら―。
改めてメーカー名を確認しようとするも、
ペンの胴体がブレ、しっかりと確認できない。
俺は目線をメモ用紙に。
さらさら―。
やはり、そのブレ方からもわかるように、
書いているものは字ではなかった。
さらさら―。
絵。
さらさら―。
それは字ではなく、絵だった。
さらさら―。
俺は胡散臭げにそのメモ用紙と、沢辺氏を交互に見る。
沢辺氏はまるで、
どこかから誰かに『操作』されているのではないか、
といった様子で一心不乱にペンを走らせている。
さながらその様子は、
子供の頃どこかの科学館で見た絵描きロボットを髣髴とさせた。
ロボット、いや、違うな。
もっと別のものか。
そう、取り憑かれている―。
俺は何やら背筋がゾクリとした。
目の前の沢辺氏は、
まるで何かに取り憑かれでもしたかのように、
無心にペンを走らせていたからだ。
そして、やがてその絵が出来上がった頃には、
おそらくこう言うのだろう。
『この絵が、動くんです―』と。
俺は再び背筋がゾクリとした。
これは病院ではなく、祓い屋か?
などと、
まぁ取り憑かれている云々と考えるのは、
過剰反応だとは思うものの、
あまり気持ちのいいことではないのは確かだ。
何とか早めに良い言い訳を考えて、
そして帰って頂いた方が得策だな。
俺はそう思い考えると、
沢辺氏が絵を完成させる間中、
その言い訳とやらを頭の中で必死に構築し続けていた。
さらさら―。
……………。
さらさら―。
……………。
さら―。
……………。
さ―。
……………。
コトン…。
沢辺氏の『絵』が完成する。
しかし俺の『言い訳』は、まだ完成していなかった。