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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
外伝 キシリア漫遊記
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変わったもの


宿屋の一室にて、マリアは着替えを終え、大きな鏡で自分の姿を確認していた。


マリアと、ホールデン伯爵用の客室。

二人で使うには広すぎる部屋に大きすぎるベッドのような気もするが、いくらキシリアでも、それなりのランクの部屋でなければ風呂が付いていない。

この贅沢だけは、マリアも素直に甘えることにしていた。


「……あら、ヴィクトール様。もうお風呂からあがっていらしたんですか?せっかく大きなお風呂でしたのに」


静かに部屋に戻ってきた伯爵の姿を見つけ、マリアはからかうように言った。

伯爵は大股でマリアに近づき、声をかけることもなく強引に抱き寄せてくる。


軽く羽織っただけの、薄手の寛衣はマリアの身体の線にぴったり沿っていて。伯爵の大きな手が身体を撫でてくれば、肌のぬくもりをはっきりと伝えてくる。


忙しなく自分に口付けてくる伯爵の首に腕を回し、マリアも自らの身体を伯爵に押し付けた。

ぴったりと抱き合っていたくて、ほんの少しの距離も、もどかしくて堪らないほど。


「ずいぶんと可愛らしいことをする」


平時と変わらぬような口調を装っているが、実は少し余裕を失っていることに、マリアは密かに気付いていた。


出会ったばかりの頃は――このキシリアで、ホールデン伯爵と出会って――彼の真意を察するなんてこと、マリアには到底無理なことだったのに。

いまは……まだ、完ぺきではないけれど、でも、彼のことが分かるようになってきた。


「ふふ……ヴィクトール様ったら、ひどいです。浮気を疑うなんて」


マリアが積極的に可愛らしく振舞う時は、浮気をした時。伯爵がちょっぴりそれを疑がっていることはお見通しだ。

……前科もあり過ぎるし、疑われるのも当然なんだけど。


「キシリアで……ヴィクトール様との思い出を辿る旅でもあったんですよ?私だって、ヴィクトール様が恋しくて堪らなくなる時ぐらいありますわ」


今度こそ有無を言わさぬ強引さでベッドに引きずり込まれ、そのまま伯爵の寵愛を受けることになった。




不意に、マリアは目を覚ました。

夜明けには遠い時間のようで、部屋の中も、外も、闇と静寂に包まれている。


伯爵から溺れるほどに愛された身体は重たくて、まだ明らかに睡眠を必要としていた。

だけど、なんだか眠る気にはなれなくて、ぼんやりとした頭で上体を起こす。起き上がった視線の先には、先ほども見ていた大きな鏡が……。


床に放り投げられたままになっていた寛衣を適当に羽織り、なんとなく、マリアは鏡に近づいた。


鏡に映るのは、情事に乱れた顔で、不気味なほど女らしい肉体を持つ娼婦。キシリアを出る前は……そこにいたのは、間違いなく無垢な少女だったのに。


男を誘う術を身に着け、当たり前のように男を悦ばせる振る舞いをして。この寛衣だって、どう見ても男の欲望を煽るためのもの。

自分を追って部屋に戻ってくるであろうホールデン伯爵のため……男のため。男が訪ねてくるのを期待して、自ら選んだ。


――自分の墓参りにやって来たマリアの姿を見て、父はどう思っただろうか。

キシリアの大貴族の姫として育ってきた娘が、娼婦となって戻ってきたのを見て……。


ベッドで伯爵が身じろぐ音を聞き、マリアは振り返った。静かにベッドに戻り、眠る伯爵の顔をじっと見つめる。

……起きてるくせに。


マリアはくすりと笑い、伯爵にそっと口付ける。途端、伯爵の手が伸びてきて、マリアを強く捕えてきた。

体勢が入れ替わり、伯爵がマリアに覆いかぶさって来る。マリアのすべてをその腕の中に閉じ込めるように――マリアは抵抗することなく、自分の唇を貪る伯爵を従順に受け入れた。

いまは、何よりも……伯爵が恋しい。この人の腕の中で、何もかも忘れていたい。


「ヴィクトール様、もっと……」


マリアが甘くねだれば、伯爵はそれに応える。きっと彼も、マリアが何を考えているのかお見通しのはず。でも、何も気づかないふりでマリアを甘やかしてくれて。

――マリアはずっと、伯爵に守られ、甘やかされ続けている。




「君の父上のお墓には、私も行くべきだと思ったのだが」


翌朝。

マリアの髪を甲斐甲斐しく梳きながら、伯爵が何気ない世間話のついでに言った。


「あら。素敵な提案ですね。私も、ヴィクトール様のこと、両親に紹介したいと思っておりましたの」


マリアの大切な人のこと――もちろん、両親に報告した。実際に彼も連れて来たかったな、と残念に感じていたぐらいだ。

伯爵が来てくれる気になったのなら、マリアとしては喜ばしい限り。

……なのだが、伯爵は苦笑いだ。


「赴くべきだと思うのだが……さすがの私も、そこまで厚顔にはなれん。君のご両親から……特に、父上からは、八つ裂きにされることしかしていないからな」

「そんなことは……。でも、お父様からは嫉妬されちゃうかもしれませんね。私がヴィクトール様にべったりなのを見たら」


マリアが笑う。


たしかに、あの頃から何もかも変わってしまった。

でも、父と別れたあの日――もう二度と、自分たちは笑うことなんかできないのではないかと思っていたのに。いまもこうして、マリアは屈託なく笑うことができている。


ちゃんと笑顔を忘れずにいられること――そのことも、マリアは彼らに伝えたかった。


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