ミゲラ奪還 (3)
空が白くなり始めた頃。
暴動がいつ起きるのかと組合所で待っていたマリアは、すぐに異変に気付いた。
もともと陽動が目的なのだから、マリアでもすぐ気付けるのは当然か。外が騒がしくなり、不穏な空気が室内にも伝わってくる。
ノアやアレクも、意味ありげに頷いた。マリアは二人を連れ、外に出る……。
やはり、暴動が起き始めていた。
少し離れたところから人の叫ぶ声や激しい物音が聞こえてくる。野次馬をしに行く住人、暴動を止めに行くオレゴン兵、訳が分からず右往左往するだけの人混み……それらを掻き分け、なるべく目立たないよう町長の屋敷を目指した。
町長の屋敷は町の北西にある。
できるだけ裏路地を通って行きたいが、町を東西に分ける大通りだけは横切らなくてはならない。
大通りでオレゴン兵に出くわさない可能性は、限りなく低いだろう。
チャコ人で目立ちやすいアレクは深くフードをかぶってなるべく姿を見せないようにし、マリアはかつてのキシリア宰相の顔を知っている人間と出会わないことだけを祈って、野次馬に混ざろうとする住人のふりを努めた。
「おい、どこへ行く」
オレゴン兵に呼び止められ、マリアは平静を装って振り返る。
兵士の男は、マリアを気遣わしげに見ていた。敵意は感じられない。
「向こうで男たちが暴れてるんだ、女は家に入ってたほうがいい。危ないぞ」
心の中でホッと溜息をつき、マリアはオレゴン兵に頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます。騒がしいのが気になって……何が起こったのでしょう」
「たぶん、食料庫が襲われたんだろうな。無理もない。俺たちオレゴン兵が寡占しちまってるからなぁ……半分は住人に渡すべきだって、俺もそう思うんだけど……」
人の好さそうな兵士との世間話に応じながら、さりげなく距離を取る。なんとか彼を立ち去らせられないか。マリアは会話の糸口を探した。
その時、数人の部下を連れた小隊長っぽい年輩の兵士が通りがかり、人の好いオレゴン兵士に向って怒鳴った。
「何をしている!さっさと援護に向かわんか!」
怒鳴る年輩の兵士と目が合った瞬間、マリアはまずいと察した。
年輩の兵士は、マリアを見て明らかに反応している。彼は、キシリア宰相クリスティアンの顔を知っているに違いない。
「クリスティアン・デ・セレーナ!?いや、やつは死んで……やつの娘か!?侵入者だ!捕えろ!」
年輩の兵士はマリアの正体に気付くなり、その意図まですぐに気付いたようだ。
ノアに引っ張られながら、マリアは走った。
「セレーナの人間が町に入り込んでるぞ!」
「目的は町長の家だ!回り込め!」
「クリスティアンにそっくりな女だ!チャコ人とエンジェリク人の護衛を連れているぞ!」
次々に駆け寄ってくるオレゴン兵士を振り切るように、マリアは大通りを横切って細い路地裏に飛び込んだ。
先導するマリアのすぐ後ろを、ノアとアレクが追う。時々追いついてくる兵士を、二人は斬り捨てていた。
「ノア様!アレク!」
曲がり角のひとつからオレゴン兵士が現れたのを見つけ、マリアは足を止めて二人に呼びかける。
しかしアレクがマリアの前に出るより先に、別の曲がり角から飛び出してきたキシリア人の男が、手にした鍬をブンブンと振り回して兵士に迫った。
「姫様、二つ先の右の横道に入ってください!俺たちが援護します!」
キシリア人の男はそう叫んだ。
彼は武術の心得はないようだが、鍬を振る腕前はなかなかのものだ。リーチの差で不利を悟った兵士は、農民相手に怯んでいる。
マリアは彼の指示通り走ったが、その道がどうなっているかは知っていた……。
「待ってください。ここは袋小路じゃありませんか!?」
行く手に立ちふさがる壁を視界にとらえ、ノアが言った。
ここは住居が立ち並ぶ路地だ。そしてその先は建物でふさがっている。抜け道などはなく、引き返すことしかできない。それはマリアも分かっていた。
『あの男に騙された?』
アレクが少し焦ったように手を動かす。
後ろから別のオレゴン兵士の集団が追いかけてきているのだから、あの鍬男が兵士と組んでマリアを騙したと疑いたくなるのも当然だ。
集団のリーダーらしい太っちょの兵士が、追い詰められたマリアたちを見てニヤリと笑う。
「へへへ……どうやらしてやられたみたいだな、アンタたち」
他の兵士たちもニタニタと笑い、自分たちの勝利を確信してマリアたちにじりじりと迫る。
最初に焦って飛びかかってきた兵士は難なくノアとアレクによって返り討ちにされたので、全員で襲いかかるタイミングをうかがっているらしい――。
「してやられたのはアンタたちのほうだよ!」
威勢のよい女性の声が響き渡り、建物の窓が乱暴に開く。顔をのぞかせたおばさま……ご婦人は、周りを見回して叫んだ。
「いまだよ、みんな!やっちまいな!」
あちこちの窓が開き、顔を出した女性たちが鍋いっぱいに煮え立った湯を一斉にぶちまけていく。兵士たちのいる場所をちゃんと見計らって行われた攻撃だが、離れたところに立っているマリアたちにもその熱さは伝わって来た。
兵士たちは叫び、何人かは逃げ出している。熱湯攻撃を免れた者たちにも、次の攻撃が待ち構えていた。
「投げ捨てろ!」
「これでも喰らえ!」
熱湯の入っていた熱々の鍋、包丁などの刃物、裁縫用の大量の針……ダメージが与えられそうな物なら何でも窓から投げ捨てて、夫人軍団はオレゴン兵士たちを攻撃している。中には、桶いっぱいの汚物を浴びせかけているつわものもいた。
呆気に取られてマリアたちがそれを見ていると、背後で派手な物音がした。
後ろの壁が、ドシンドシンと轟音を立てて揺れている――と思ったら、壁が破壊され、ハンマーやら大きな鈍器を持った男たちが姿を現す。
「姫様、中に入って階段を上がってください!屋根を伝って町長の屋敷へ向かうんです!あちこちの建物で、屋根同士をつなげる作業をしてます!」
早く早く、と手招きしてくる男たちに案内され、マリアは建物に入って上を目指した。
説明された通り、建物の上に住人が立ち、屋根同士をつなげる即席の橋を作っている。丈夫な板を持ち運んでは、数人がかりでそれを固定してマリアを呼んでいた。
「二人とも、町長の屋敷はあれよ!」
マリアが指差せば、ノアもアレクもすぐに理解した。
この一帯で一番大きな屋敷だ。初めて見る人間でもすぐに気付くことができる。
屋根の上での騒ぎにオレゴン兵が気付かないはずもなく。窓や柱、壁をよじ登って、兵士たちも追いかけて来る。
住人は物を落として追い払ったり、応戦したりしていた。マリアたちが渡ってしまうとすぐに橋を落として、追手を防ごうとしてくれる者もいる。
「姫様、ここからは地上で……」
「ええ。ここまで来れれば十分よ。ありがとう。皆さんも気をつけて」
町長の屋敷に一番近い建物で、マリアは地上に降りた。
建物はすでに待ち構えていたオレゴン兵士がマリアたちを捕えようと集まっていたが、二階の窓から子どもたちが物を投げ始めた。
「あっち行けぇ!」
ドングリやら痛そうな木の実を投げる子もいれば、蛇や害虫を投げ捨てている恐ろしい子もいる。大量に捕獲してきたゴキブリが放たれた時には、オレゴン兵士だけでなくマリアも大急ぎでその場を離れた。
「二人ともこっち……屋敷に入る抜け道があるの」
さすがに屋敷の門前は、厳重に警戒されていて入る隙もない。
もともとはマリアの叔父が住んでいた屋敷だ――抜け道ぐらい知っている。正当に屋敷を継いだわけではない新しい町長は、抜け道の存在を知らないはずだ。
「この広場の、この銅像――動く仕組みになっているわ。物凄く重いけど。この先に屋敷へ通じる地下通路がある」
本来この抜け道は、屋敷から逃げ出すために使われる。そのため、外から容易に入り込めるような構造にはなっていない。
マリアも手伝いながら、ノアとアレクがありったけの力で銅像を押して動かした。
地下に続く細い階段を下り、マリア、ノア、アレクは屋敷へ向かって小走りに移動する。
灯りのない暗い通路は先が見えない――幼い頃、義理の兄たちと探検に来た記憶をたどって進んだ。
脱出用の通路だ。とにかく道に沿って進めば、必ず着くようにはなっているはず。
「この壁は仕掛け扉になっていて、向こう側は地下の倉庫になっているの」
「……どうやって開けるんですか」
今度は二人がかりで押した程度ではどうにもならなさそうな障害物を前に、ノアが尋ねた。
「横にスライドする棚なの。ただし、向こう側からしか動かないわ。見ての通り、こっちからだと横に動かすための取っ手がないもの」
『どうしろと』
詰んでるじゃん、と言いたげなアレクに、マリアは、出る方法はちゃんとあるのよ、と答える。
「間違って閉じ込められた時のために。ここと……ここの留め具を外して……それからこのへんの……下段あたりを思い切り蹴飛ばせば、一人ででも簡単に棚は倒れる仕組みなの」
「倒れる」
嫌な予感しかしないノアが、じとっとマリアを見た。
「当たり前だけど、すごい物音がするわ。気付かれないようにとか絶対無理」
『だよね』
つまり、屋敷中の人間に気付かれること前提で屋敷内に侵入するしかない。
覚悟を決めなさい、とマリアが言った。
「内装を変えていないのなら、書斎は三階にあるわ。重要なものは、書斎の金庫にしまうものじゃないかしら。異変に気付いた新しい町長が、持って逃げ出さなければいいのだけれど」
「その心配はあまり必要ないかと。逃げ出したところで、外でも暴動が起きています。それならば、我々三人を排除してしまうほうが確実かつ安全です」
心配を一蹴するノアに、マリアは目を瞬かせた。
「珍しいわね。ノア様のほうが楽観的な意見を言うだなんて」
「ここまで来たら腹を括るしかないでしょう。アレク君。マリア様を目的の場所まで連れて行くことが最優先です。万一の時は、私のことなど構わず。マリア様も、最悪の場合、お一人で向かわなくてはならないことも覚悟しておいてください」
今回ばかりは、本当にマリアの動きが重要だ。屋敷内に詳しいだけでなく、マリアが町長の権限を手に入れなくてはならない。
そうしないと、マリアの味方をしてくれている住人たちも陽動を終わらせられない。彼らも兵糧攻めによって、体力はもう限界のはず。早く、終わらせてしまわなければ……。
「では行きますよ。いち……にの……」
轟音を立て、ノアに蹴飛ばされた棚が倒れて行く。マリアたちは躊躇うことなく飛び出した。
明らかに誰かがこちらに気付いて向かってくる音が聞こえてくるが、もう止まることはできない。
マリアは真っ直ぐに階段に向かう――途中で道を阻むオレゴン兵たちは、ノアとアレクが斬り捨てていた。二人も、マリアの道を開けさせることが目的だ。深追いはせず、敵を振り払う程度にとどめている。
書斎に辿り着ければそれでいいわけではないのだ。いま全力を出し切ってしまうわけにもいかない。
階段は、最大の乱戦場だった。
向こうもマリアの狙いが分かっているのだから戦力を集中させて来るし、ここだけは迂回もできず、逃げ場もない。
行く手を遮る敵をアレクが切り崩してくれているが、後ろからも敵は迫ってきている。ノアがそれを阻み、一進一退を繰り返しながら進んでいる状態だった。
二階の踊り場まで辿り着いた時、マリアは階段を登るのを止めて、踊り場の柱をよじ登ることにした。
アレクとノアからはぎょっとした顔をされたが、踊り場にある高い窓は、三階の部屋の窓と同じ高さにあることをマリアは知っていた。外に出て、窓から隣の部屋に飛び移ったほうが早い。
マリアの目指しているものを理解して、アレクも軽々と柱をよじ登って窓に飛び移る。そしてもたもたと登っていたマリアの手をつかんで、マリアを引っ張り上げた。
ノアは、マリアたちを追跡しようとする敵を追い払っている。
「隣の部屋の窓が見える?バルコニーがついてるから、それに移って……え、嘘でしょ。おぶされって……私、結構重いわよ。アレクのほうが軽そう……」
背を向けて自分の肩をポンポンと叩くアレクに、言いたいことは察したが……。さすがに無理がある。
不安でいっぱいになりながら、マリアはアレクにおぶさった。
マリアを背負い、ひょい、と。
アレクは難なくバルコニーに飛び移った。バルコニーに無事辿り着き、アレクの背中から下りたマリアは、大きく溜息をつく。
「廊下に出て左に……五つ先が書斎よ」
だが廊下に出た途端、マリアは偉そうな衣装を着た男と出くわした。その腕に、装飾が施された箱を抱えている。
「アレク!あれ!」
マリアは思わず叫んだ。
どう見たってあれが町長で、あの男が抱え込んでいるものがマリアが求めている物だ。
マリアは町長に向かって一目散に駆け出した。護衛の兵士が剣を構えても無視して。
アレクが護衛を抑え、後ろから追いついて来たノアもそれに加わる。
偉そうな衣装を着た男はその衣装の重さに足を取られながら、不摂生な身体を揺らして必死に逃げた。
鍛えた兵士ならまだしも、明らかに運動不足な中年男性にマリアが体力で負けるはずがなく。
「渡さん!これは渡さんぞぉおおおお!」
腕の中の箱をマリアの手の届かない高さにまで掲げる男の足を蹴飛ばす。足払いを食らって男は無様に床に転がり、マリアは箱を奪い取った。
特に封印もない箱の中身は――やはり、臣下の誓約書と町の鍵。
「ノア様!アレク!今度は下へ降りるわよ!外に出て、私が町長の権限を取り上げたことを宣言して、暴動を終わらせないといけないわ」
マリアが言えば、突然ノアがマリアを担いだ。そのまま窓へ向かうノアに、嘘でしょ、とマリアはまた青ざめた。
「三階なのよ!飛び降りるとか、そんな……」
しかし、アレクがロープを窓の近くの柱に縛りつけてるのを見て、マリアは黙った。
――そう言えば、そんなアイテム持ってたわね……。
片手にロープを掴み、もう片手にマリアを抱え、ノアは窓から外に出た。
屋敷の外は戦場と化し、混沌としていた。屋敷を守るオレゴン兵と、マリアたちを追いかけてきた住人がぐちゃぐちゃになって戦っている。
マリアは誓約書と鍵を見せつけるように掲げ、叫んだ。
「オレゴン兵はいますぐ剣を収めなさい!ミゲラは私の――マリア・デ・セレーナのものとなりました!町長の権限を持って、私はあなたたちを町から追放することもできます――不服ならミゲラから出て行きなさい!」
凛とした声が響き渡り、兵士も住人も、動きを止めた。
そしてマリアを見て、マリアの手にある誓約書と鍵を見た。
「姫様が、誓約書と鍵を持っている……」
「町はセレーナの姫様のものだ!」
住人たちは武器を下ろし、口々にマリアが町長になったことを叫ぶ。
オレゴン兵士はマリアの不当を訴えて排除するよう命令していたが、暴動を静観していた住人すら異議を唱えた。
「この町はもともとセレーナ一族のものだった。正統な主を、なぜ追い出さなくてはならん?」
オレゴン兵士たちは押し黙る。
彼らも、新しいオレゴン人の町長は成り行きでその地位に就いただけの新参者である自覚はあった。
「いますぐ門を開けて――ガーランド商会を招き入れなさい!食料、薬、その他必要な物資を、住民全員に行き届くように、彼らに協力するのです!」
門が開かれ、待機していたガーランド商会の馬車が次々と町の中に入ってくる。
物資を乗せた馬車に住民は列を成して並び、オレゴン兵士の大多数も、戦うことを止めて食料を求めた。
こうして、ミゲラはかつての主のもとへ戻って来たのだった。




