三十六話・三十七話
(三十六)
「ふ~、よかった、まだ、いた。これ、会長から、間山君に渡すように預かって来たのだけど、ふ~、もう行っちゃったかと思って焦ったよ」
息を切らしながら、生徒会員の沖村平治が言うと制服のポケットからボイスレコーダーを間山和仁に渡す。
少し遅れて、
「その、はあ、はあ、赤いボタン押したら録音始まる、はあ、から、忘れるなって会長言ってたぞ。なんなら今から押しといてもいいかもな」
と、この前助けた近藤一が補足した。
「すみませんが、こいつのこと頼みます。脳が揺れているので、もうしばらくこのままにしてやってください。自分は一人で行きます。目的は自分が習っていた柔術ですから、皆さんに助けてもらわなくても大丈夫だと思います。こうは言っても会長はいろいろ計らってくれると思いますが」
「分かった。会長に伝えとくよ。無理すんなよ」
沖村が答えると、近藤に守人を任せ沖村が生徒会室の方へ駆けて行く。
守人に付き添う近藤と和仁の目が合うと、お互い小さく頷き、和仁は廃工場に向かった。
栗林の廃工場はここら辺では有名な危険区域だ。ここら辺で栗林とは栗林工業地帯の事を指し、中小の工場がひしめき合っている。その工業地帯の外れに大きな廃工場があり、昼間には地域の有力な不良達のたまり場になっていた。しかし辺りが暗くなる前には不良達は居なくなる。夜は闇の中で何かしらの取引がされていると噂されていた。
工業地帯に向かう和仁だが、おもむろに携帯電話を取り出すと会長の田沼をコールする。
「あ、会長、忙しいところすみません」
「どうしたんだい?」
「それが、栗林の工業地帯はわかるのですが、廃工場ってどこなのでしょうか?」
「え⁉知らないの?」
「噂は友達から聞いた事がありますが、自分、生まれはこの辺じゃないので場所までは」
「ああ、そうだったね。廃工場は・・・」
ハイ、ハイ、と会長の田沼からの説明を受けると、「ありがとうございました」と言い和仁は電話を切る。行き先が分かった和仁は、歩く速度が上がっていた。
「会長、誰からですか?」
と、書記の池尻明子はカメラなど機材が入ったバックのチャックを閉めながら質問すると、大きく重いバックをひ弱に見えるスレンダーな身体からは想像できない身のこなしと力強さで背負い、田沼と生徒会室を出る。
「間山君からなのだけどね。先に行きますって颯爽と飛び出して行ったけれど・・・」
一度言葉を切ると田沼は生徒会室にカギを掛ける。
気が付けば、和仁がのした空手家は居なくなっていた。
「廃工場の場所が分からなかったようなんだ。僕は間山君の事を思慮深いように思っていたけど、かなりの脳筋君なのかもしれないね」
それを聞いた池尻が、クスクスと上品な笑い声を漏らし、田沼も楽しそうに頬を緩める。
「会長、彼が優秀な証拠ですよ。私だって現場で画を抑える時は、周りなんか見えなくなって、本能のままに写真や動画を抑えるだけの生き物になりますから」
「そうだね」
そう言うと、田沼は少し考え、口を開く。
「僕は心配なんだよ。僕が和仁君を学警部部長に任命したけれど、彼の暴力への反応の速さというか、彼が培ってきた武術のレベルがあまりにも違い過ぎて、僕は彼に何もしてやれることもなく、命が散っていくのを見ることになるのではないかと思ってしまうんだ。彼の速さは、彼が通っていた道場が想定する命の速さだと思うのだけど、彼の速さを見るたびに、その命に対する速さが和仁君を奪い取ってしまうのではないかと思ってしまうんだ」
また少し考えて、
「まあ、どんな分野でも、分野の違う人間が、同じ速さでは動けないわけだから、自分がその中で何ができるかを考えて、やれることをするしか無いのだからどうにもならないことなのだけどね。でもね・・・心配だなあ~」
「命は一つですからね」
「そうなんだよ」
「会長、今回の突発事案ですが、何か大きな組織が関係している気がします。あの廃工場を、夜に差し掛かるこの時間に指定するというのはよほどの力が働いていると思います。ならばこそ、間山君を守るために出来ることをするだけですよ」
「池尻君の言う通りだ。やれることを頑張ろう。・・・しかし、心配だ・・・」
田沼は、「頭ではわかっているのだよ」と何度もつぶやきながら廊下を歩く。
それを池尻は穏やかな表情で勇気づけながら田沼に付き添う。
田沼と池尻が廃工場へ向かい出したころ、廃工場では広田グループが色めき立っていた。
「広田さん、俺もう我慢できないっすよ」
「俺、こんないい女とできたら、この後パクられようがなんでもいいや」
理性を抑えることの知らない広田グループの色好きな四人は、人質の高梨黒と相川春香の容姿と柱に括り付けられている状況に強く興奮していた。
「おいおい、中学のガキじゃねえんだから。ま、俺は気持ちのいい事してから、あのヒーロー君を女たちの前でブン投げるのでも構わねえんだけどな」
かろうじて理性を保っていた四人だったが、広田の言葉をいいように捉え理性は解けてなくなる。
色好みの四人が、黒と春香に真っ先に近づく。
黒はその不良四人を一人ずつ睨みつけ、顔を覚えようとする。しかし見開かれた目からは涙が流れていた。
春香は自分に起こるであろう未来を想像したのか、体がガクガクと震えだし目をつぶる事しかできない。
不良達はこれから起こるであろう事を想像して、湧き上がる喜びに身を任せた笑顔で近づいていく。
黒はその笑顔を見て、身体が冷たくなるのを感じながら、なんて醜い顔なのだろうと思った。
(三十七)
高梨黒と相川春香に近づく四人を遮るように、体育館裏で和仁を襲った虎男が立ちふさがる。
「悪いが・・・」
黒と春香を親指で指しながら、
「これは成功報酬だ。こちらの要求が通ってからにしてもらおうか」
常人の倍はあるのではないかという首をごつく分厚い手で揉みながら、虎男は四人に言う。
四人は常人離れした体格の虎男の出現に立ち止まるが、その中の一人が苛立ちを抑えた顔でポケットに手を入れたまま近づくと、
「順番は関係ねえだろ!」
と、言葉に乗せて折り畳みナイフを右ポケットから取り出すと、慣れた動きで虎男の太ももめがけて突き立てるように動き出す。
が、不良の右手はポケットから出てすぐのところで虎男の左手で抑えられ、右股関節を虎男の左足が抑え、不良の勢いが止まってしまう。
不良は、お?と思った記憶を最後に、勢いを止めるのに合わせて放たれていた虎男の右掌底で顎を打たれ意識を絶たれていた。
「とめろ」
虎男は低く言うと、のしている隙に黒と春香に駆け寄っていった三人の不良を追う。
駆け寄る三人の前に、虎男と同じ黒のジャージを着た男が二人立ちはだかり、黒ジャージの一人はタックルからもみ合いとなり、もう一人の黒ジャージは、
「なんなだよ!」
と、叫び逃げ出した不良を追う。
「もう、触れれば、ハハ、どうだっていいんだよ、おれは、ハハハ」
「いや!触らないで!」
四人のうちの一人が空手家たちの制止を搔い潜り黒と春香の所へ到着すると、黒の太ももから尻にかけて手を這わせ、首筋へしゃぶり付こうとした刹那、
「うおっ⁉」
と言う言葉を残して、不良の体が消える。
虎男が最後の一人に追いつき、後ろから襟首を掴むと、大人が子供を引き倒しているのではないかという速度で仰向に転がし、不良の顔へ一部の躊躇いの無い拳が吸い込まれる。
鈍い音を立てると不良は動かなくなっていた。
「この四人を縛っておけ」
「押忍」
虎男配下の二人も手早く不良達をのしたようで、それぞれ倒した不良を柱にくくり付けるために運びだす。
虎男は、こういう事をされては困る、と言うように広田力を睨みつける。
「俺は、そいつらに自分の意見を言っただけだぞ。勘違いされちゃあ困るよ」
肩をすくめながら両手を上げおどける広田を見て、周りの不良仲間が笑い声を漏らす。
それに腹を立てたのか、虎男は真っ直ぐ広田に近づき、広田の胸倉を右手で掴み引き寄せようとする。
が、透かさず広田も右手で虎男の胸倉を掴み引き寄せる事で、死に体にされる事を防ぐ。
「よして下さいよ、五島さん。自分を潰したら、そちらの要求が成り立ちませんよ?」
虎男こと五島は、力を緩め広田との力の拮抗を自ら解くと、広田も間髪置かずに手を緩め二人は離れる。
広田の額には汗がにじみ、短い力のぶつけ合いが濃密であったことを表していた。
「安心したよ。広田君の実力がもし思っているものと違っていたら、そのまま捻り潰そうと思ったのだが、私が確認したいことを代わりにやってくれることが改めて確認できた。期待しているよ」
虎が笑ったらこんな顔になるのだろうと思わせる微笑を顔に浮かべると、五島は元いた場所に戻って行く。
五島に捻られ擦れた胸から、ヒリヒリとした軽い痛みを感じながら、広田はこの五島という男の気持ち悪さに包まれる。
つるんでいる奴らが間山和仁にやられた時、広田は別の用事でちょうど居合わせなかっただけで、一時間でもずれていたら和仁と戦っていた事になる。
ならず者で通っている連中が、和仁に襲われた後は意気消沈していて、そこに居た者や戦ったナイフ使いとムエタイ使いは、ただ強いのと違う、普通ではない、と口を揃えるのだった。
苛立った広田は、近くにあったごみ箱を蹴り飛ばす始末であった。
強姦しようとした現場からほど近いビルの谷間にある神社でそんなやり取りをしていると、虎男五島は現れた。
「今日は散々だったな」
「なに?」
殺意剝き出しで、声のする方を見た広田はギョッとする。
武道系の部活に所属していていると一度は噂を耳にする虎男の話がある。
それは、大会で成績を残したり喧嘩が強いと噂される人間が一人でいる時に、人並み外れた体躯の虎のような男に「勝負してもらう」と言われ、襲われるというものだった。虎男は空手使いだとか、喧嘩が好きで強い奴と戦わないと気が済まないだとか、ある組織が強い者を探していて虎男が腕試ししているだとか、色々な補足付きで、実は幽霊である等のオカルト方面の補足すらあった。
そんな噂の中で共通している、虎のような男が目の前に立っていた。
「なんだこの野郎!」
噂が頭を過って広田が逡巡している間に、他の不良が詰め寄ろうとするが、
「おい!やめておけ。あんたは噂で聴く虎男か?」
と、広田は仲間を制止し、そのまま虎男に質問する。
「ただのバカでは無いようだな、インターハイ出場は。俺は五島という者だ。もしこっちの要求を聞いてくれたら、二人の女を好きにしていいと言ったら、話を聞いてくれるかな?」
虎男は、広田に間山和仁と戦う場を作るという事、その勝負に勝てば和仁の女友達二人を好きにしていいというものだった。
広田は要求を呑むと、虎男と携帯の番号を交換し、五島は連絡を待てとだけ言い残して消えた。
そして、時間と廃工事に来いと書かれたメールが届き、仲間を連れて来てみれば女が二人括り付けられていた。
広田は仲間を焚き付け虎男達を襲わせ、あわよくばこの場を支配できるのではないかと思っていたが、この時間にこの廃工場に居られる状況や、姿は見えないがまだ虎男の仲間が居るのではないかと思えて、ここは大人しく従うことにしようと考え直す。
広田は相手が引いたレールでも、憂さが晴らせれば何でもよかった。