二十六話・二十七話
(二十六)
「今日も、お邪魔します」
図書室に入った和仁は、先に図書室を開けて読書を始めている黒に挨拶をして本棚に向かう。
席に戻る和仁に黒が手を振って微笑むと、和人は軽く会釈して席に着く。
もちろん目は合わさずうつむき気味にだ。
最近の二人の挨拶はこんな感じで、挨拶をしてからは二人とも閉館まで言葉を交わさないこと方が多い。
「昨日・・・自分は二人の人を傷つけました」
唐突に話し出した和仁に、黒は驚きの顔を和仁に向ける。
「今まで武術を習ってきて自分の武術を必要とされる事はありませんでした。でも初めて会長に必要とされて、喜びに体が震えました。でも無事に家に帰って自分がした事を思い返したら体が震えだしました。もし相手が体を捻って自分の突きが必死の急所を捉えていたら、自分は人を殺していたかもしれません」
和仁はそう言うと、目の前の机に置いてある本に視線を落とす。
「でも、和仁君のおかげで生徒会の近藤君とマネージャー部の飯島さんを助けられたのは確かだよ」
和仁は昨夜の出来事を黒が知っている事に驚き顔を上げる。
「昨日の夜、私も会長にお願いされて三春ちゃんが逃げる時に付き添ったんだ。だから昨日の事、会長から聞いてるよ。あそこで和仁君が一人を気絶させてなかったら悪い人たちが一斉に襲いかかってきていたかもって、会長が言ってたよ」
「そんな・・・・・・自分は・・・・・・」
そう言うと和仁は、視線をそのままに考え込んでしまう。
黒は和仁が頭の中の会話が終わるのを待つ。
「自分は、怖くなったんです。もしかしたら、人を殺してしまったのではないかって。でもああしなかったら近藤君は死んでいたかもしれない。わからないんです。何が正しくて、何が悪いのか。自分は今まで祖父から武術を習ってきました。技は教わっても何も分っていません。この技は何のためにあるのか?いつ使えばいいのか?そもそもこの時代に武術を習って何の意味があるのか?何も分りません。それでも自分は武術が好きなんです。おかしいのは分っているんです。習っている技を使えば犯罪者です。でも、武術が好きなんです。自分は特技というものを持っていません。あるのは子供の頃から教わった武術だけです。武術しかない人間は人の為になる事が出来るのでしょうか?一方が助かっても一方は死ぬしかないのでしょうか?自分には分らないんです・・・」
視線をそのままで黒とは眼を合わさず、ゆっくり静かにでも強い口調で一気に心の中を吐き出した和仁は、顔を手で覆い自問自答を始める。
「和仁君」
自分の中に籠って行こうとする和人を、いつの間にか受付カウンターから出て来て和仁の前に立つ黒が名前を呼んで現実に引き戻す。
顔を上げた和人へ黒が、
「間山君、そんなに分らないのなら目に見える答えを見に行きましょう。その答えを見てからいろいろ考えればいいんじゃない?」
そう言うと和人の手を掴み図書館を出る。
「高梨さん、どこに行くんですか?」
振り返りもせず黒は和仁の手を力強く引っ張って行く。
今の和仁は訳も分からず黒の行く方向に身を任す事しか出来なかった。
校舎の廊下を、手をつないだ二人が進んでいく。
廊下を進み、階段を上り着いた先は、生徒会室の前だった。
立ち止った黒は和仁に顔を向けると人差し指を立てて口に当て“静かにして”と動きで思いを伝えると、和仁はうなずいてそれに答える。
黒は先に立って生徒会室の引き戸をゆっくり中が見えるように薄く開ける。
黒が上で和仁が下になり物音を立てないよう引き戸から中をのぞくと、昨日の夜和仁が助けた近藤一と飯島恋が生徒会の仕事をしているようであった。
「近藤君、この経費はどこの項目に書いておけばいいの?」
「ん?ああこれは・・・たぶん、ここかな?」
「たぶんて何?学校の経費の記録なんだからしっかりしなきゃだめでしょ」
「しっかりってお前、これ会長がグラウンドを見渡せるように買った望遠鏡のレシートじゃないか。これ本当に生徒会の経費で落とすつもりなのかな?」
「会長の権限で落とせるからここに入ってるんじゃないの?」
「いや、これ会長の悪い癖なんだよ。上手い事紛れ込ませてなんとかなるだろうって考えているんだよ」
「え?会長ってケチなの?」
「そういう訳じゃないと思うけど時々こういう事するんだよな」
「前にもあったの?」
「うん。前は事務仕事をするにはお茶を飲むことが大切だから電気ポットを置くんだって言い出して、次の日電気ポットを買ってきて代金を経費に計上したんだ。でも文武大付属の伝統で部室とかに置いてある電気ポットは部員の誰かが持ってきて部室に置いてあるみたいで、生徒会もこれにならってポットを用意しろって会計の先生に言われたんだ」
「マネージャー部の部室に置いてあった電気ポットって部員の私物だったんだ。会計の先生に言われたら会長もそうするしかないわね」
「でもね、会長しつこくて一週間ぐらい会計の先生の所に暇があれば通って、生徒会は人が少ないから丁度要らない電気ポットが無かったからとか、生徒が快適な学校生活を送れるようにするのが学校側の仕事じゃないのかって、粘って相当会計の先生を困らせて、結局教頭先生と校長先生に部屋に呼ばれて、二人に説得されて諦めたみたい」
「なにそれ」
二人は、会長の往生際の悪さにくすくすと笑い合う。
「会長すごいね。聞き分けのない子供みたい」
「そうなんだよ。頭も良いし、弁が立つから先生達かなり困ったと思うよ」
笑顔で話しあいながら仕事を進める二人を見ていた和仁と黒もいつの間にか笑顔になり、こちらも笑顔を見合わせると静かに生徒会室から離れる。
「人って環境が変わると、あんなに顔が変わるものなのですね」
和仁が図書館に戻る廊下で、黒に聞こえるか聞こえないかの声で呟くと、
「答えを見た人の顔もこんなに変わるものなんだね」
と、手を後ろで組んだ黒が和人の前に出て顔を覗き込みながら笑顔で答えた。
しかし、目が合ってしまいすぐにお互い顔を反らす。
和仁はその笑顔が可愛くて、照れた気持ちをごまかしたくて頭を掻いた。
(二十七)
日本有数の繁華街のゲームセンターの一角を十人の不良達が占拠していた。
不良達が各々談笑する中、ゲームの筺体に向かう男が一人。
その男は、ゲームが上手くいかなかったようで、その筐体を力いっぱい蹴り飛ばしコントローラー部分を壊してしまう。
近くにいた店員は声を掛けようとするが、談笑していた取り巻きが一斉に店員に睨みを利かすと、店員は何も言えずに引き下がるしかなかった。
「行くぞ」
不良達は一斉にゲームセンターを出ると、声を掛けたリーダーが全員に見えるようにサインを送る。
それを見た取り巻きは、顔に不気味な笑みを浮かべ目をギラギラさせ始める。
この集団、先日広田力を取り巻いていた連中だった。
広田力が中心となって飯島恋をいいおもちゃにしていた連中で、この連中は他にも色々な悪さをしていた。強姦、恐喝、薬の売買、その他闇の世界の雑用などなど。自らの欲の為、小遣い稼ぎの為ならば法律は関係なく何でもする奴らであった。
人込みをバラバラに、しかし付かず離れず移動する集団は、誰が決めるわけでもなく一人の女子高生を付け始める。
「ちょっとごめんね。死にたくなかったらついて来て」
女子高生に一番近い不良が、繁華街の大通りとビルとビルの間の狭い路地の十字路で人に見られないように、体でナイフを隠しながら女子高生の腰に押し当てると耳元で囁いた。
「だ・・・」
女子高生は人を呼ぼうと声を出そうとするが、いつの間にか近付いていたもう一人の不良が口を押さえ肩を抱き、傍目では中のいい学生のような素振りを装いながら狭い路地へ連れ込んでしまう。
この狭い路地は折れこんだ先が行き止まりになっていて、人が一人か二人で入口を塞いで立っていれば誰も入ることが出来ないようになっていた。
「へへ、すぐ代わるからな」
そう言われ路地の入口で肩をたたかれたのは先日、間山和仁に鉄パイプの突きを鳩尾に食らい気絶をした不良で、小林と言った。
小林は根っからの暴れん坊で、今まで人にのされたことが無かった、
小林はケンカで負けそうになっても周りにある何かを掴み、振り回してその場をめちゃくちゃにしてケンカどころでは無くしてしまう。どんなことをしても人に負けるのは嫌という性格だった。
そんな小林は、昨晩の出来事が頭から離れなくなっていた。
あの瞬間、目の前をすさまじい勢いで向かってくる和人の突きを為す術もなく受け、気が付くと腕の折れた仲間が一人蹲っているだけだった。
骨の折れた仲間を連れて逃げている時、小林は自分が気絶していた事を理解した。
のされた夜から、仲間たちは小林の事を何かにつけて馬鹿にするようになった。
チームのリーダーが、
「あの夜は凄かったよな!あの後警官来てお前が殴り倒した時は興奮したよ!そのあと腕砕かれてるけどなあ、ははは!あれ?その時小林は何してたんだっけ?」
と言うと周りの奴が、
「そもそも、小林居たっけ?」
「居たような気がするけど、寝てなかった?」
「あの時、誰か寝てるなって思ったら小林か!そもそもいつも寝てるような顔してるもんな!」
こんな具合に小林をネタに周りの連中は飽きることなく馬鹿にするのだった。
小林はその度に歯を食いしばって仲間の嘲りに耐えた。
しかし馬鹿にされている時小林は、
(他の奴が同じ突きを食らったら避けられるのか?今までのケンカでは食らったことのないものだった・・・)
と言う思いが次第に頭を埋め尽くしていく。
仲間に馬鹿にされて悔しいはずが、和人の突きを食らった時の衝撃や光景が思い出されて、なぜ避けられなかったのかという悔しさと何か違う突きだったという好奇心が小林を満たしていた。
そうなると小林は仲間の嘲りがどうでもよくなっているのだった。
不良達はすんなり和仁にのされてしまった小林を弱いと見ているため、煽って暴れれば自分たちの憂さ晴らしに丁度いいと考えて馬鹿にするのだが、周りの嘲りが聞こえなくなってしまったかのように考え込む小林を見ると、面白くなくなり興味はすぐ無くなるのだった。
今の小林も和人の突きを思い出しながら、道行く人を眺めていた。
人込みの中を一人の男が真っ直ぐ小林に向かって歩いて来る。
人の流れと違う動きをする人間を小林もいち早く見つけて、息を飲む。
間山和仁が路地を塞いでいる小林に真っ直ぐ向かってきていた。
小林は変な感覚に陥っていた。
向かってくる和仁に、あの突きはどうやってやったのかを聞きたくなってしまっていた。
やられた日から何度となく心を囚われて来た突きを小林に食らわせた本人が向かってきて、小林は自分の気持ちが仕返しよりも好奇心の方が強い事に驚いた。
しかし小林は今がそんなことを聞ける状況じゃない事を分っているし、和仁が一息で襟を掴める間合いに入ったら、左手で一気に胸倉を掴んで右の拳を打ちつけようと心の中で作戦を立てている。
和仁が小林の間合いに入るまで、三歩、二歩、一歩・・・
小林は和仁が間合いに入ると同時に、放たれた矢のように襟を取りに行く。
しかし、小林の予想していた位置よりも襟は少し遠く、もう少しで取れそうな襟を小林は追って行くと、いつの間にか小林の体は取れそうな襟を追うあまり引き延ばされ、左足一本に重心を預ける形になっていた。
すると、和仁の襟の遠退く速度が落ち小林の手が届く。
刹那、和仁の体が小林の左手に向けて転身し、その転身の力が乗った和人の左手が小林の腕に、右手が小林の左手を捉え、和人の体が一瞬で膝立ちになっていた。
結果、小林の体は受け身を取る暇もなく、左側面を地面に強く打ちつけられていた。
「まっ!ッ・・・ッ!・・・」
小林は声を出そうとするが体を打ち付けられたため声が出ず、路地の奥に進む和仁を見ることしかできない。
和仁が路地の角を曲がると、二人続けて短い悶絶の声と共に人が地面へ倒れる音が聞こえて来る。
それを聞いた小林は、仲間を助けなければとは思わず、和仁が戦う姿を見たと思い、地面を重たい体を引きずって路地の角へ向かった。