37.訓練開始
読みに来ていただいて有難うございます。
前回のお話は……
一人で立とうとして失敗したマックスは、歩く練習が必要と言った風花の声が脳内再生していた。
訓練に向けて、早くから執務室に行った風花は、早々にその日の仕事を終らせ、ラスクを作ってお茶に振舞った。
アルフレッドは風花に手伝ってもらうコストナーに絡み、護衛として置いて行かれたランドルフは不機嫌になっていた。
マクシミリアン……マックスの足の訓練初日の朝、今日から一時間早く起床し行動を開始する事にした風花は、マリーとアイシャに朝の支度を調えられると直に食堂へと向かった。
「それじゃマリー、よろしくね」
「はい、承りました」
「アイシャも、手伝ってね」
「はい、フーカ様」
食事と打ち合わせを済ませると後片付けをマリーが、執務室に向かう風花にはアイシャが付き添っていた。
執務室の扉の前で、アイシャは風花に問い掛けていた。
「フーカ様、お迎えに来なくても宜しいのですか?」
「うん?厨房までは迷わずに行けるし、大丈夫だよ」
「では、厨房でお待ちしております……が、お一人で移動してはいけませんよ」
「は~い……わかってまーす」
風花が執務室に入ると、コストナーはもう専用の執務机で仕事を始めていた。
早くから顔を合わせた風花に向かって、無理はいけないというコストナーに『そっくりそのまま返したい』と思った風花は、ぐぬぬっ……と握った右手を震わせたのだった。
*****
朝の鍛錬を終えたランドルフは、カウンターでパンとスープを注文して席に着いた。
歯ごたえのあるパンをスープに浸け、別なテーブルを見ながら食べていると、黄色い何かを食べては、顔を緩ませている侍女や侍従がいた。
昨日まで隊員宿舎の食堂で食事を取っていたランドルフが初めて目にした物だった。美味しそうに食べている何かは気になったが、領主の遠縁の娘の守護に選ばれたランドルフに、朝食を堪能する時間は無かった。
手早く朝食を食べたランドルフは手巾で口元を拭うと、食堂を出て守護する娘の部屋へと向かった。
ランドルフが部屋に着くと、開いたドアから中で掃除をする幼馴染の侍女マリーと侍女長の娘のアイシャがいた。
コンコン、とドアをノックして風花の在室を確認するランドルフに、マリーは冷たく言い放った。
「遅いわよ…フーカ様なら執務室にいらっしゃるわ。今はいいけど、騎士団が来てからだった、ら……」
「そうか、わかった」
マリーが言い終わる前にランドルフは短く返すと、すぐに部屋の前から立ち去った。
貴族のお嬢さんが朝早くから執務室だって……?どうして護衛を待たずに部屋から出る……
領主の遠縁の娘……大事に育てられたはずの貴族の娘が朝早くから執務室で補佐官の手伝いをするという事実にランドルフは自分の失態を棚上げに、想定外な行動をとった風花に憤っていた。
*****
日課の仕事を終えたマリーは風花に言われて、マックスの部屋を訪れていた。
マックスは部屋で、家庭教師から出された課題をしていた。
部屋のドアをノックする音に、マックスの専属侍女クレアがドアを開け対応をしていた。
「あら、マリーじゃない、どうしたの?」
「クレアさん、フーカ様の命でマクシミリアン様をお迎えに上がりました」
「フーカ様?お迎えって……」
「フーカ様はアルフレッド様の遠縁のお嬢様です。十一時からマクシミリアン様の訓練を始めるので、その準備の為にお迎えに上がりました」
「マクシミリアン様の訓練?準備って……まさか専属侍女の私を差し置いて……?」
「いえ、クレアさんも一緒に訓練に参加して下さいと、フーカ様が……」
「何を……フーカ様に会った事も無い私まで、何故……」
アルフレッドと婚約していた王女に侍女失格と言われたクレアは、マクシミリアンの専属侍女として再雇用されていた。
王女の八つ当たりでクビにされた事を知らないクレアは、失格などと言われない様に今度こそ……と、意気込んでマックスの専属侍女になった。
事故で脚が動かせなくなった可哀相な男の子に誠心誠意尽くしていたクレアは、何時からか盲目的な親愛の情を持つようになっていた。
「フーカと言わなかったか?」
フーカという単語が耳に入ったマックスが、扉前で話しているクレアに声を掛けた。
マックスの母アビゲイルから何も聞かされていないクレアは、マリーの言う事に戸惑い、どうしたものか……と対応に苦慮していた……
「フーカが来てるのか?」
戸惑っているクレアに代わって、マリーが答えた。
「フーカ様のご指示により、お迎えに上がりました」
そう言いながらするりと脇を抜け、マックスの側によるマリーを、クレアは険しい表情で見ていた。
不穏な空気を醸し出しているクレアに気が付かず、マリーは足の訓練の為にフーカに言われ迎えに来た事をマックスに説明していた。
「わかった……『ジム』が何かわからないけど、連れて行ってくれ」
マリーは小さく頷くと、車椅子が通りやすい様に扉を大きく開いた。
「失礼致します、マクシミリアン様……」
扉近くに控えていた従僕が車椅子の横に立つと、マックスを抱え上げた。
「!……マクシミリアン様に何を、す…」
「『ジム』の場所が階下ですので、安全の為従僕を手配致しました」
「……わかった、よろしく頼む」
「はい、マクシミリアン様」
「では、御案内いたします」
先を行くマリーの後を、マックスを抱えた従僕が続きゆっくりと通路を進んでいた。呆然としていたクレアは気を取り直し、空の車椅子を押しながら慌てて後を追うのだった。
マックスを抱えた従僕が足を踏み外さぬ様ゆっくりと階段を下りるのを睨みつけながら、クレアは車椅子を抱えて階段を下りていた。
マックスを従僕に抱えさせたままジム迄案内しようと思っていたマリーは、車椅子を運ぶクレアの考えがわからなかった。
従僕に抱えられていたマックスは階下に降りると、クレアが持ってきた車椅子に座らせるよう従僕に言うのだった。
車椅子に降ろしてもらったマックスの安堵した表情を見たマリーは、車椅子を運んできていたクレアに、感嘆の目を向けていた。
従僕に礼を言うとマリーは、クレアが押す車椅子に乗ったマックスを連れてジムへと向かった。
「此方です。どうぞお入りください」
そう言うとマリーは、空き倉庫だった部屋の大きな扉の前で立ち止まり、扉を大きく開け放つと、車椅子を押すクレアに入る様に声を掛けた。
入ってすぐに、中を見たマックスが感嘆の声を上げていた。
「ぉおっ…何だか変わった物がある……ここがジムとか言う部屋か?」
「はい、此方にある物は全てフーカ様が作られました」
「フーカが……」
「はい、フーカ様が、です」
部屋の中に設置された家具や梯子の付いた収納棚、間仕切り代わりのカウンターと壁にある円形の絵……それらを風花が作ったと聞いたマックスは、驚きに目を大きくしていた。
小さな主の偉業に、マリーは誇らしげに胸を張っていた。
「奇妙な物ばかり……これが何の役に立つの?……それで、肝心のフーカ様はいらっしゃらないようだけど、呼んでおいて遅れるなんて……マクシミリアン様をなんだと……」
「訓練は十一時から始めると聞いております。マクシミリアン様には先に着替えを済ませていただきたいと……」
「着替えるのか?」
「はい、マクシミリアン様、どうぞ此方へ……」
マリーはマックスとクレアを、部屋の奥にある小部屋に案内し、ロッカーの使い方を説明した。
それから青いトレーニングウェアを差し出すと、Tシャツの着方の説明をして更衣室の扉を開けた。
マックスは着替えの介助をするクレアと、更衣室の中に入って行った。着替えを終えたマックスがトレーニングウェアの着心地の良さをマリーに言うよりも早く、クレアが苦情を言い始めていた。
「何ですか、この……みすぼらしい服は……飾りも何も無く、難民だってもっと良い……」
「クレアさん……フーカ様の作られた物をみすぼらしいだなんて、言いすぎです」
風花が作ったトレーニングウェアをみすぼらしいと言ったクレアに、マリーは言い返さずにはいられなかった。
「先輩侍女のクレアさんでも、今の発言は見過ごせません……」
「マリー……弟の幼馴染だからと、少し甘やかしていた様ね……私に意見するだなんて……」
「……」
車椅子に座っているマックスは、頭上で繰り広げられている応酬に、巻き込まれない様に息を潜めていた。
「ふぅ……年下の貴方の言う事に、ムキになっても仕方ないわね。それにしても、フーカ様はまだなの?マクシミリアン様を待たせ……」
「あれぇ~……一番乗りだと思ったのに、マックスに先を越されちゃったなぁ~」
「父様……」
ノックもせずに扉を開けて、カーディナルが部屋に入ってきた。
「早いなぁマックスは、もう着替えも終わっているんだね……私も早く着替えないと……」
そう言うとカーディナルはマックスの頭を軽く撫でると、着替えをする為に奥の部屋に入って行った。
「ちょっと……まさか、カーディナル様もこの格好に?」
「カーディナル様……だけじゃない……ですよ」
マリーは昨日の……トレーニングウェアを着た風花、カーディナル、アルフレッドの様子を脳内再生し、遠い眼をするのだった。
「何よ?ど、どうした、の……」
「いえ、何でもありません……マクシミリアン様今暫くお待ち下さい……」
マリーはマックスに一礼すると、風花を迎えに執務室へと足を進めた。
*****
執務室まで迎えに来ていたマリーとランドルフを連れて、風花が慌ただしくジムの扉を開けると、既に着替えを終えたカーディナルとマックスがいた。
「お、遅れちゃったかな……?」
「まだ十一時にはなってないよ、フーカ」
「う、うん……着替えてくるね」
風花はマリーとランドルフを置き去りに、小走りで奥の部屋に入って行った。
辺境伯の遠縁……貴族の令嬢らしからぬ風花の様子に、クレアは口に手をやり眉を顰めていた。ジャージ姿で出てきた風花を見ると手をわなわなと震わせ、獲物を見つけた猛禽類の様な目でマリーを責め立てた。
「ちょ、ちょっと、あのお嬢様……どういう……」
「フーカ様です……」
「そんなのわかっ……」
小声で言い合うクレアとマリーを見た風花は、自分の事で険悪になっているとは毛先に出来た枝毛ほども思っていなかった。
幼馴染と姉の間に流れる空気に、火の粉が飛んでこない様にと息を潜めていたランドルフだったが風花がマットを運ぼうとしているのを見て、すかさず手伝いに動いた。
「手伝います。どうすればいいですか?」
「ありがとう、そしたら二枚並べて床に敷いてくれる」
け、敬語だと……?昨日の態度と違い過ぎじゃね?
丁寧に話すランドルフの顔を二度三度とチラ見しながら、マットを床に設置した風花は、車椅子に座るマックスの横に立ち話し始めた。
「おはよう、マックス……」
「…っはよ……って、今何時だよ?」
「うん?十一時かな……訓練開始だね~~カーディナルさん、お願いします」
風花に声を掛けられて、カーディナルはマックスをマットの上に座らせ、ゆっくりと上体を後ろに倒した。
「と、父様……?」
脚を動かす練習をするのかと思っていたマックスは、硬い敷物の上に寝かせられて戸惑っていた。
「あ~うん、フーカごめん、説明してくれるかな……」
マックスへの説明を丸投げされた風花は、訓練を始める前に軽く準備運動をして、今まで動かしていなかった脚の緊張を解すのだと説明をした。
カーディナルはマックスの足首、膝の曲げ伸ばし運動の介助をし、それが終わるとマックスを抱え上げた。そして、椅子に座って足を乗せると両足が動く訓練具の椅子にマックスをゆっくりと座らせた。
板に乗せただけでも足が上下に動く事で、マックスが足を動かし易くなり、ステッパーで脚の運動を続ければ、歩行に必要な筋力も付くだろう……
そんな事を思いながら二人の様子を見ていた風花は、うろ覚えのラジオ体操をしていた。
フンフンと鼻唄をしながら体を動かしている風花をクレアは信じられない物を見た様な目で、マリーは人前でまたあんな動きを……と頭を抱えたくなり、ランドルフは着ているジャージを見て動きやすそうで鍛錬時に良さそうだな……と三者三様に思うのだった。
投降後に誤字の修正、文章的な修正があります。
内容的には変化は無いと思いますが、ご理解下さいますよう、お願いいたします。