京都の女性警察官の序章
一人の若い女性が、おびえながら左右を見渡していた。中世ヨーロッパ風の建築様式で建てられた家々を眺める。二階建てもあれば、三階建てもある。今はその建物のほぼすべてが炎に包まれ、燃え盛っていた。
この若い女性は寝間着姿だった。身長は約165センチ、体重50キロのスレンダーな体型。卵形の顔に大きな丸い瞳、腰まで届く黒い長髪。
彼女は今、街の中心を貫く大通りの上に立っていた。両側に建ち並ぶ家々は密集しており、その全てに炎が激しく燃え移っていた。
「いったい何なの、これ!?何が起きてるの!?どうして私ここに立ってるの!」
若い女性は恐怖で体を震わせた。ここに立つ前、自分が自室で幸せに眠っていたのを覚えている。しかし気がついたときには、この街の中心にある大通りに立っていた。
燃える家々から伝わってくる熱気を肌に感じ、もうもうと立ち込める煙に思わずむせた。白い長袖の寝間着は黒い煤だらけになっていた。状況はどんどん悪化し、体がもう限界になってきた。彼女は目の前に伸びる道を全力で走り出し、この恐ろしい状況から逃れようとした。
「あそこにいるのは誰!?」
炎が赤い熱線を路上に降り注ぐ中、誰かの人影が見えた。煙が人影の前を漂っているせいでよく見えず、ぼんやりとしたシルエットだけが目に映った。
「待ってたわよ!北斗!」
謎の声は女性のもので、はっきりと響き渡る声で言った。その人影は炎の煙越しに何かを投げてよこした。驚いた彼女は咄嗟に両手を伸ばしてそれを受け取った。
「これって日本刀!?どういうこと!?」
若い女性は、全身に汗を滲ませながら飛び起き、素早く身を起こした。激しく息をしながら目を大きく見開き、部屋の中を見渡した。勉強机も、洋服ダンスも、変わらずそこにある。
「夢だったの!?なんでこんな場所の夢ばかり何度も見るんだろう!」
若い女性は手を上げて汗を拭った。ゆっくりと立ち上がり、キッチンに向かって冷蔵庫を開け、ペットボトルの水を喉が渇いたようにゴクゴクと飲み干した。冷蔵庫に水を戻す前に、大きくため息をついた。ようやく気持ちを落ち着かせると、ベッドに戻って横になり、眠りについた。
東京警視庁では、事務所の固定電話が鳴り止まなかった。二十歳の女性警察官、北斗は、水色の半袖シャツとネイビーのスラックス、左胸には名札をつけた制服姿で、定時までに片付けなければならない大量の書類と格闘していた。
彼女は高校を卒業後、警察学校に入学し、二十一ヶ月間の訓練を経て事務職員として採用された。しかし昨夜の出来事のせいで十分に眠れず、まぶたが重くなり始めていた。頭がだんだんと沈んでいき、額が机の上の書類の山に触れそうになっていた。
「北斗、コーヒー要る?トイレ行くついでに持ってきてあげようか?」
肩を思い切り叩かれ、声と同時に「バシッ」と音が鳴り、半分眠りかけていた意識が一気に覚めた。声の主を振り返る。
「ありがとう、宮子。お願いしてもいい?」
宮子は同期の訓練仲間で、学生時代からバディとして組んでいた親友だ。卒業後も同じ職場に配属になった。
しばらくして宮子が戻ってきた。手には半分ほど入った紙コップのコーヒー、湯気が立ってよい香りを漂わせている。北斗の机の上に置くと、礼を待たずに自分の仕事に戻っていった。
北斗は紙コップを持ち上げ、息を吹きかけて冷ましてから、一気に飲み干した。コーヒーの強さに思わず目を細め、目が覚めてくるのを感じた。カップを置き、書類の山に向き直った。
事務室のドアが三回ノックされ、扉が開いた。三十代のグレーのスーツを着た清潔感のある若い男が、半身だけ開いたドアから室内に入れ、誰かを探すように視線を走らせた。
「北斗さん、捜査課の警部が至急来るようにとのことです」
捜査課の職員がそう知らせに来た。北斗は捜査課の警部に呼ばれたと聞いて思わず眉をひそめた。両手で頭を抱え、うんざりしたようにため息をついた。
「またかあ……なんで他の部署ってこんなに呼び出してくるんだろう」
両手で机をバンと叩いた大きな音で、思わず立ち上がった。室内の全ての視線が集まる。彼女は苦笑いを浮かべ、皆を驚かせてしまったことを謝った。
命令とあれば逆らえない。急いで警部の部屋へと向かった。やがて北斗は、茶色のラッカー塗りの木製ドアの前に立った。ドアには部屋の主の名前と「捜査課警部」という肩書きのプレートが貼られている。
ノックして許可を得てから中に入ると、ずんぐりとした小柄な禿頭の男が黒いスーツに黒ネクタイ姿で、黒い事務椅子に座っていた。机の上に積み上げられた書類をかき回し、一冊のファイルを取り出すと眼鏡をかけてそれを読み始めた。
「藤原北斗、また会ったな」
北斗は顔が曇った。嫌な予感がして、ただ黙って立ち、捜査課の警部が何を言おうとしているのかを聞いていた。
「なぜ捜査課に異動してこないんだ?」
「危ない仕事は苦手なんです。事務室にいる方が気楽で」
北斗は笑顔を作り、額に大粒の冷や汗を浮かべながら答えた。三ヶ月前、連続殺人事件の捜査に協力するよう呼び出された記憶がよみがえる。犯人は刀を凶器として使っており、彼女は一時的に捜査チームに転属させられていた。
彼女は剣道のチャンピオンで、刀や武術についての知識があったため、事件解決のために協力を求められ、その後元の部署に戻っていたのだ。
「今日呼んだのは重要な任務があるからだ。戦時中に国外に持ち出された非常に価値のある物品の護送を頼みたい。情報部がタイとミャンマーの国境付近でそれを発見した」
中年の男は鋭い眼差しで北斗を見つめた。
「ミャンマー側から日本に護送するのを手伝ってほしい」
「え!?なぜ私なんですか、警部。前の事件でも捜査に呼ばれましたが失敗しました。なぜまた私を使おうと思うんですか?」
「前の事件でお前が何かを隠していたことはわかってる。わかってないとは思うなよ!」
北斗は黙り込み、驚きで体が震えた。思わず片手で自分の髪をかき上げてしまった。警部は何かを知っているように話す。彼女は反論しないことにした。答えられない質問を投げかけられるかもしれないから。
「まあ、それはいい。死んだのは悪人ばかりだった。あのまま未解決事件にしておいた方がいい」
警部は立ち上がり、机の後ろにある窓の方へ歩いていった。カーテンを開けると日光が差し込み、外を見渡した。
「情報筋によると、裏の有力者グループが地元の人間を使って同じ物を追っているらしい。戦闘技術の高い者や元兵士たちだ」
「戦闘技術の高い者、ですか?」
警部は心配そうにうなずき、北斗の方に視線を向けながら詳細を続けた。警視庁は部内全職員の経歴を調査し、武道の心得がある者をタイへ派遣してこの物品の護送に当たらせることにしたという。
「お前はその一人だ。前の事件での戦いを目の当たりにして、適任だと判断し、すでに上に名前を挙げた」
「え!?なぜ事前に私の意思を確認しなかったんですか?」
北斗が躊躇いを見せると、警部は昇給とミッション完了時の多額のボーナスを提示した。
断りがたい条件で、しかもちょうどまとまったお金が必要だった北斗は、迷わず承諾した。
「いつ出発すればいいですか?」
「明日の正午だ。飛行機の手配はこちらでする」
北斗にはまだ疑問があった。遠回しにせず、直接聞いた。
「なぜタイの軍に護送を頼まないんですか?その方が簡単じゃないですか?」
「それはできない。今その物はミャンマー側にあり、タイ軍にはその領域に入る権限がない。しかも現地の一部の関係者がこの有力者グループと通じているようで、我々との協力を全く拒否している。だからお前の任務は、ミャンマーの領土内に潜入している我々の工作員が持っているその物を、タイ側まで運び出すことだ。そこまでできれば作戦完了だ」
北斗は警部の部屋を出た。両手を首の後ろで組みながら、とりとめのないことを考えつつ事務室へと戻っていった。
「どうだった、北斗?警部に何を言われたの?」
宮子は北斗の顔を見るなり口を開いた。北斗は机の上の荷物をまとめながら、宮子に一部始終を話した。宮子は仕事終わりに北斗のアパートまで送ると申し出て、二人は退勤後に北斗の部屋へ直行した。
北斗の賃貸アパートは小さな安い部屋だった。中には薄い布団、コンピュータデスク、洋服ダンスがあるだけ。小さなキッチンとバストイレが付いていた。
「私と一緒に住めばいいのに。この狭い部屋は北斗に全然合ってないよ」
「嫌!たまには一人で静かな時間を過ごしたいんだから」
宮子は北斗の答えに呆れた顔をした。まるで他人のように言う。宮子が荷造りを手伝う中、北斗はクローゼットの奥深くに仕舞われていた刀箱を取り出した。
箱に積もった埃を布で払うと、埃が部屋中に舞い散った。宮子の咳の声が狭い部屋に響き渡る。換気の悪い狭い部屋では、窓を開けてしばらく待たないと埃が完全に消えなかった。
北斗が箱を開け、美しい刀を取り出した。柄と鞘はどちらも黒く、全長約一メートル。彼女は長い間、じっとそれを見つめた。こうして外の空気に触れさせるのはいつ振りだろう。箱の中に仕舞われたまま、埃が厚く積もるほど時間が経っていた。
彼女はゆっくりと鞘から刀を少し引き抜き、白く輝く刀身を哀愁のある眼差しで見つめた。
心の中で何かを思い巡らせ、物思いに沈んでいった。
「わあ!すごく綺麗な刀ね、北斗!」
親友の声が聞こえた瞬間、女剣士は物思いから引き戻された。夢の中の若い女性のことを考えていた。顔さえ見えなかったあの女性が、刀を投げてくれた。今、祖父から譲り受けたこの刀を見て、夢の中の刀とそっくりだと気づき、つい夢のことを考えてしまっていたのだ。
「この刀はお祖父ちゃんから譲り受けたものよ。非常に貴重な上質な刀なの」
「持っていくの?」
「だって警部が相手は戦闘技術の高い人たちだって言ってたでしょ。鞘から抜く機会があるかもしれないし」
北斗は刀を箱に戻し、大きなスーツケースに詰め込んだ。必要な荷物を全部揃え終えると、外の空はすっかり暗くなっていた。彼女はスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。
「お父さん、今月末は帰れないと思う。タイに仕事で行かなきゃいけなくて」
電話の向こうから文句の声が止まらず、彼女が口を挟む隙もなかった。向こうが十分文句を言い終えると、北斗は全ての事情をゆっくりと説明した。
電話の向こうがしばらく沈黙した後、父は心配そうに娘への警告の言葉を告げた。彼女は耳を傾け、できる限り気をつけると約束した。任務が終わったらすぐに家に帰って会いに行くと誓い、話が終わって電話を切った。
「荷造り終わったね!何か食べに行こうよ!」
宮子が誘いをかけた。北斗の荷造りを手伝い終えると、二人はアパートを出て近くのレストランへ向かった。
その店は小さなお店で、四、五テーブルとカウンターバーがある。二人はカウンターに腰を下ろし、食事とビールを注文した。夜中の十二時近くまで話し込み、翌朝の待ち合わせを決めて別れた。
翌朝、約束の時間に宮子がアパートに迎えに来た。ちょうど北斗もシャワーを浴びて着替え終わったところだった。白いシャツに黒いジーンズ、スニーカーというカジュアルな格好。スーツケースを宮子の車に積み込み、空港へ向けて出発した。
「大きな仕事だね、北斗。くれぐれも気をつけてね」
「あの連続殺人犯を一緒に追った彼が手伝ってくれたら楽だったのにな。あのニンジャみたいな奴、こういう仕事にぴったりなのよ」
宮子は親友の顔を見て、乾いた笑みを浮かべた。北斗が何のことを言っているのかわからなかった。突然の海外赴任にまだ緊張しているのかもしれない。しばらく走ってやっと空港に到着した。宮子がスーツケースを車から下ろした。
「気をつけてね。帰ってきたらお土産忘れないでよ」
二人は笑顔で別れた。北斗はチェックインを済ませ、荷物を預けて搭乗を待った。
出発から約七時間後、スワンナプーム国際空港に到着した。係員が出迎え、車で約四時間、自然の山道を越えてミャンマー側へ渡った。やがて作戦拠点のセーフハウスに到着した。
一帯は森の端に建つ三棟の大きな家だった。外には完全武装した警備員が隙間なく配置されている。押収品はすでにここに運ばれており、空港への移送を待っていた。
北斗は用意された部屋に荷物を置き、刀を鞄から取り出して手に持ったまま部屋を出た。この任務のリーダーに報告するために。
「ありがとう、北斗さん。今回手伝いに来てくれて」
今回の任務リーダーは松田隊長という名の三十代半ばの男だった。身長は百八十センチ、筋肉質でがっちりとした体格。黒いシャツ、茶色のスラックス、革靴姿で、北斗を見て嬉しそうに微笑んだ。
「こんなに近い距離なのに、なぜさっさと運び出さないんですか?百人もの人員がいるのに?車で少し行くだけじゃないですか?」
「奴らが全方位で待ち伏せしているんだ!人が入ってくるのは気にしない。出ていく者を狙っている。これは極秘作戦だ。現地当局とは連絡を取っていない。だから戦力はここにいる我々だけだ」
北斗はそれ以上何も言わなかった。今回の任務に違和感を覚えていた。現地当局との連絡なし、他国の領土での作戦行動は無断では主権の重大な侵害になる。
しかも大勢の人員がいるのに、なぜたった一つの小さな犯罪グループをそこまで恐れるのか、理解できなかった。
太陽が地平線に沈み、暗闇が辺りを覆った頃、夜の二時を過ぎていた。北斗は多くの職員が行き交うセーフハウス内をうろうろと歩き回っていた。
「侵入者だ!侵入者!」
当直の警備員が叫んだ。黒い服を着た数十人の集団が突入してきた。銃撃戦が始まり、北斗は急いで物陰に隠れ、状況を見守った。




