12.伯爵家の秘密部屋
「――なるほど、呪い師の手記をね」
一通り話を聞き終わってから、デューク様が低くうなった。
腕組みしてしばし考え込み、ややあって慎重に頷く。
「よろしいんじゃないんですか。オレも主も散々調べはしたけど、何ひとつとして手掛かりは得られなかったわけですし。呪い師と同じ女性であるセシリア様なら、オレ達が見逃した何かに気づいてくれるかもしれない」
「そ、そうですよねっ」
私も勢い込んで同意した。
そうと決まれば善は急げ。張り切って立ち上がる私に、アッシュ様とデューク様が顔を見合わせる。
「え、今からですか?」
「お前も今日は疲れたろう。明日でもいいんじゃないか?」
気遣わしげに止められるが、私はきっぱりと首を横に振った。
「いいえ、せめて手記の保管場所だけでも今日のうちに教えてください。それから閲覧の許可証も、書面で用意していただけると助かります。じゃないと明日のアッシュ様に叱られてしまうかもしれないでしょう? お前は誰だ、なぜ呪い師の手記を調べているんだ、ってね」
しかつめらしく訴えれば、アッシュ様がぎょっとして目を剥いた。
「い、いや明日もちゃんと覚えているぞ!? 俺はそう何度も呪いに屈するほど、やわな男ではないからな!」
「何度となく屈した男が何を言う」
デューク様が冷たく突っ込む。そうそう、アッシュ様は前科者ですからね。
うんうんと同意する私に、アッシュ様はみるみる顔を険しくした。意地になったみたいにそっぽを向いてしまう。
「必要ない。俺はちゃんと明日もお前のことを覚えている。二度と忘れたりなどするものか!」
頑固だなぁ。
困り果てた私は、デューク様に目線で助けを求める。が、デューク様は苦笑してかぶりを振るだけだった。うーん、助け舟を出してくれる気はなさそう。
(……まあ仕方ない、か)
これはきっと妻として、私自身で為さねばならないことなのだ。
今後も呪いは何度となく繰り返されていくのだから、そのたびデューク様を頼るわけにはいかない。呪いを前提とした私とアッシュ様の関係を、二人できちんと構築していかなくては!
「アッシュ様……」
拗ねている彼に歩み寄り、おずおずと見上げた。
けれどアッシュ様はかたくなに私を見ようとしない。私はそっと彼の腕を揺さぶって、声を落としてささやきかける。
「本当、なのですか? 本当にアッシュ様は、明日私を忘れたりなさいませんか……?」
「あ、当たり前だ!」
ようやく私としっかり目線を合わせ、アッシュ様がきっぱりと叫んだ。荒々しく私の手を取り、両手できつく包み込む。
「どうか信じてくれ、セシリア。俺はお前を忘れない。そして夜が明けたら、また二人でピクニックに行こう!」
「いや二日連続でサボらせませんよ? 今日一日休んだ分、明日は早朝から深夜まで馬車馬のごとく働いてください」
「おいデューク、それはさすがに酷すぎないか?」
二人の掛け合いを聞きながら、私は深呼吸してタイミングを図る。えいっとばかりにアッシュ様の手を振り払った。
「――そうですか。わかりました」
冷え冷えとした声で言い放つ。
アッシュ様が息を呑み、驚いたように私を見た。
「セシリア?」
「……忘れては、くださらないのですね。つまりはアッシュ様は、私のことを好きでもなんでもない、ということ。今日一日楽しかったのは、どうやら私だけみたい……。アッシュ様にとっては取るに足りない、ありふれた一日に過ぎなかったのですね……っ」
嗚咽をこらえ、下を向く。
唇を震わせる私に、途端にアッシュ様が慌て出した。
「な、何を言っている? 楽しかったに決まっているだろう! な、何度も心ときめいたし、俺にとって宝物のように大切な一日になったんだっ」
「でも、忘れないんですよね。アッシュ様は私のことなんか、好きじゃないから」
涙声で言い募れば、アッシュ様が「違う!」とほとばしるような叫びを上げた。ちぎれそうなほど激しく首を横に振る。
「そんなわけはない! 忘れるとも、明日の朝にはきっと忘れるに決まっている!…………あ」
「はい、主の負け〜」
デューク様が即座に宣告してくれる。
私は満面の笑みを浮かべ、茫然とするアッシュ様を揺さぶった。
「じゃあアッシュ様、お休みになる前に許可証のご用意をお願いします! 呪い師の手記の在り処も教えてくださいねっ」
「……うん」
力なく頭を垂れ、アッシュ様がしょんぼりと首肯した。
落ち込む彼が気の毒になって、私は「ごめんなさい」と慌てて謝罪する。
「私、なんだか不思議な気持ちなんです。忘れられてしまうのはもちろん寂しいし、悲しい。でも明日また二人で一から始められるんだなぁ、って思うと、どこかわくわくする気持ちがあるのも本当で」
「……意外と大物だよ、セシリア様は」
デューク様が感心したように呟いた。
ぱちくりと瞬きするアッシュ様を、肘先でいたずらっぽくつつく。
「ほら主。貴方の恋したセシリア様は、どうやら大層芯の強いおかたのようですよ。『仮初めの妻』だなどと偽って、彼女が傷つかぬよう遠ざける必要などないのでは?」
「俺、は……」
アッシュ様がくしゃりと顔を歪ませた。
きつくこぶしを握り締め、何度も深呼吸を繰り返す。ややあって、迷いを吹っ切るように顔を上げた。
「セシリア。手記の保管庫は当主の部屋――つまりは俺の部屋からしか行けないようになっている。あちらにある扉だ、付いてきてくれ」
「はいっ」
その扉は大きな本棚の影になっていて、今まで全く気づいていなかった。ポケットから鍵を取り出し、アッシュ様が秘密の部屋を開く。
「あ、オレは遠慮しておきますね。かなり狭いから三人も入ったら大変なことになる」
デューク様は笑ってその場に残り、私とアッシュ様の二人で足を踏み入れた。
(わぁ……っ)
明かりを付けた途端、天井スレスレまで迫る背の高い本棚に圧倒された。壁に沿ってぐるりと囲むように置かれていて、圧迫感がすごい。どうやらこの部屋には窓はないか、あっても本棚によって完全に塞がれてしまっているらしい。
他には質素な書き物机と椅子が一脚だけ。
本棚と机の隙間に立つのが精いっぱいで、デューク様の言う通り本当に小さな部屋だった。
「なかなかの量だろう? 走り書きのメモの類まで何もかも回収したら、こんな有り様になってしまった」
アッシュ様も窮屈そうに身を縮めながら、手早く私に説明してくれる。あちらの棚には薬草関係の覚え書き、そして向こうには仕事の日誌と日記帳、占い関連の記録帳……。
(すごい……)
一体どこから手を付ければいいのやら。
途方に暮れながらも、めらめらと闘志が湧いてくる。やるべきことが目の前にあるのなら、ひとつずつ片付けていけばいいだけだ。
早速腕まくりをした私を、アッシュ様がすかさず制した。
「読むのは明日から、な。まずは閲覧の許可証を作らねばならないだろう?」




