13.毎日がまっさらな
『伯爵家当主アッシュ・フォードの名において、我が妻セシリアと以下の契約を締結する。
一、妻セシリアに、伯爵家秘蔵である呪い師の手記を閲覧する許可を与える
一、当主不在の折であっても、妻セシリアは好きな時に保管庫に出入りして構わない
一、食事は可能な限り夫婦一緒に取るべし
一、当主は妻セシリアに好意を持たぬよう自制してはならない
一、当主は妻セシリアに好意を持った場合、隠さずこれを伝えねばならない
一、呪い発動を恐れるあまり、互いに距離を取ってはならない
――要は明日忘れてしまうとしても、毎日二人で楽しく過ごす努力をすべし!!』
◇
契約書の効果は絶大だった。
ああでもないこうでもない、と二人で議論しながら作り上げた契約書。
初めは手記の閲覧許可だけのつもりだったのに、話しているうちに欲が出た。だってどうせ忘れてしまうなら、少しの時間も無駄にしたくないじゃない? 仮初めだの何だのと逃げていないで、夫婦仲良く暮らしたいのだ。
(……夜が明けた。もう起きてるかな?)
今朝も私は心ときめかせ、アッシュ様の部屋へと走る。
深呼吸して扉をノック。すぐに中から返答があった。
「おはようございますっ」
「あ、ああ。おは、よう……」
身支度を整えたアッシュ様が、恥ずかしそうに視線を逸らす。
目線の先にあるのは壁に貼られた契約書。互いのために一部ずつ作成し、アッシュ様の分は壁にでかでかと貼ってある。目覚めてから一番に、彼の目に飛び込んでくるように。
「はじめまして。あなたの妻のセシリアです」
「はじ、はじめまして。アッシュだ……って、とっくに知っているよな。ああごめん、なんだかうまく話せない」
頬を染めて口ごもる。可愛い。
私は勢いよく首を振って、跳ねるようにアッシュ様に駆け寄った。
「いいんです。アッシュ様は今日は視察のお仕事が入っているから、昼食をご一緒するのは無理ですよね。代わりに朝と夜は一緒に食べましょう?」
「ああ。だが夜も大分遅くなると思うから、セ、セセセシリア……は、先に済まてくれて構わないが?」
「いいえ。ちゃんとお待ちしています。だって私が、アッシュ様と一緒に食べたいから」
はにかみながら告白すると、アッシュ様は真っ赤になった。二人顔を見合わせ、笑い合う。
「……では、食堂に向かおうか」
「はいっ」
照れてまともに目を合わせられないアッシュ様に、食事をしながら私が賑やかにしゃべりかける。すると次第に、アッシュ様も打ち解けてくれる。優しい笑顔をのぞかせてくれる。
これが私達の朝のルーティン。
普通の夫婦とはかけ離れているのだろうけれど、案外私は楽しんでいる。毎朝まっさらな状態から始めるのも悪くない。
「――行ってらっしゃいませ、アッシュ様!」
一生懸命に手を振り、小さくなっていく馬車を見送った。
今日の私は一日お留守番。となればもちろん、やることはひとつだけ。
私は一目散にアッシュ様の部屋へと走る。
ふわふわ髪が邪魔にならないようポニーテールにまとめ、袖を勇ましくまくり上げた。大きめのエプロンでドレスをすっぽり覆い、いざ出陣!
「セシリア様、おやつにマフィンとクッキーを用意しといたからね。お茶はポットになみなみ注いでるけど、足りなくなったら言っとくれ」
いかにも重そうなお盆をテーブルに置き、メイド長がにっこり笑う。
「ありがとうございます! ところでメイド長、『様』はいらないんですけど……」
「だめだめ、けじめなんだからさ。奥様として頑張っていくって、アンタも決めたんだろ?」
いたずらっぽくウインクして、メイド長はのっしのっしと出ていった。私は深々とお辞儀して彼女を見送る。
(……さてっ)
差し入れをアッシュ様の部屋に残したまま、保管庫を開けて中へと入った。
お茶をこぼしたり食べかすを散らかしたりしたら大変なので、保管庫の中で飲食はしないと決めている。面倒だが休憩のたびにここに戻らなければならない。
「えぇと、まずは薬草関係からね」
狭い隙間で体をひねり、背伸びして皮綴じの本に手を伸ばす。
書き物机に腰掛けて、前回挟んでおいた栞を抜き取った。深呼吸して続きから読み始める。
…………
…………
…………
……うん、今日はここまでだな。
三十分ほど格闘して、あえなく降参。
何せ敵は薬草の専門書、しかも呪い師本人の手によるもの。これはあくまで彼女自身のための覚え書きであって、読み手を意識して書かれたものではない。まして薬草の知識など皆無の私には、ちんぷんかんぷんな内容なのだ。
ため息をついて栞を挟み、本を元あった場所へと戻した。
「さ、気を取り直して次に行こう!」
また苦心して本棚の隙間を移動する。
次なる狙いは呪い師の日記帳。赤の他人が読むには多少罪悪感を覚える代物だが、この際そんなことは言っていられない。数冊いっぺんに書き物机へと運んだ。
(こっちは結構、はかどるのよね……)
どきどきしながらページをめくる。
呪い師の流麗な文字は読みやすいし、心情描写が細やかだ。伯爵子息と初めて出会うシーン、逢瀬を重ねてだんだんと親しくなっていく二人の姿は、まるで恋愛小説を読むような心地にさせた。
没頭しすぎて、気づけばあっという間に昼食の時間になっていた。
「セシリア様、おやつを全然食べなかったって? 午後はまた別のものを運ぼうか」
使用人食堂にて、メイド長が気遣わしげに申し出てくれる。大鍋から自分の分のシチューをよそいながら、私はふるふると首を横に振った。
「いいえ大丈夫ですよ、メイド長。ちゃんと後で美味しくいただきますから」
それから元同僚の皆さんと、楽しくおしゃべりをしながら昼食を済ませた。
少しだけ食休みしてから温かいお茶を入れ直し、秘密の保管庫へと取って返す。本当はすぐにでも日記の続きを読みたいところだが、まずは難解な薬草書から。休憩を挟んで英気を養ったことだし、集中力が続くうちに頑張らないとね。
それでもやはりそう長くは読めなくて、私は再び日記に逃げる。
日記の中で呪い師は、伯爵子息のことを常に『あのひと』と呼んでいた。わたしの恋したあのひと。いつも穏やかで心優しいあのひと。一人ぼっちだったわたしに、温かな愛をくれたあのひと――
――伯爵家から身一つで追放されたというのに、あのひとは全く後悔などしなかった
――『君さえ側にいてくれれば、それでいい』そう迷いなく言い切って、ふわりと微笑みかけてくれたのだ――……




