秋の楽しみ方 虚脱
少しでもいいから立ち止まって考える。そうすれば数分前の自分自身が示唆したように、リディの部屋である可能性の方が高いと分かるのだ。
でも、今廊下を駆けながら私が考えていることは――グアルさんの部屋の隣にあるのは私の部屋。近い部屋から回った方が時間内に全てを効率よく回れる、だった。
もう私は、この事態が終わってくれさえすればそれでいいという、ほとんどやぶれかぶれな状態になっていた。
自分の部屋の扉を蹴破る勢いで開けて、飛び込んだらまっすぐにペトラを目指す。後ろからグアルさんが声を張り上げているけれど、紡がれる言葉は鼓膜を震わすだけで意味を成さず、右の耳から左の耳へと通り抜けていく。
既に絨毯は捲り上げられていた。触られるのを今か今かと待っているような状態のペトラに、私は憎しみに近いような感情を覚えていた。
大体、私が握り締めて寿限無を唱えたって、取り込んでくれないくせに!
「待つんだ!」
グアルさんが放つ制止の叫びを、背中に受けると同時だった。
完全に筋違いな怒りを混ぜ入れて一瞬だけ屈み込み、素手でするモグラ叩きの要領で、私はペトラに木槌のような拳をくれてやった。
なんの余韻も残さずすぐに足のバネを使って立ち上がり、返す勢いで扉へと急ぐ。そこに何故か出口を塞ぐようにして、グアルさんが苦しげ表情で佇んでいた。少し離れた後ろの方では、エレーヌとソフィアが憂慮も濃く顔を蒼白にしている。
「グアルさん!」
どいて、と責め立てる意味を含ませて、近寄りながら私は言った。
グアルさんが重そうに腕を上げ、立ち止まった私の肩に手を置く。
「ここまでなんだよ、桜」
諦めろと諭すように、私を見て首を左右に振っている。グアルさんが寄越す、疲労感の滲む視線が撫でた先から、自分の意地が砕けていきそうだった。
そんなの分からないじゃない。まだ結果は出てないんだし、こんな悠長な問答をしている場合じゃないのに。
駆け足と、様々に襲ってくる不安な感情のせいで早くなっていた鼓動が、さらに目まぐるしくなっていく。どくどくと、怒濤の勢いで血が巡る。どうして邪魔をするんだろう。グアルさんは協力してくれていたはずなのに。
激しい鼓動のせいか、視界が真っ赤に染まっていた。
妨害するんだったら、もういい。
「離して!」
肩に置かれた手を振り払い、グアルさんの脇をすり抜けて、私は廊下に出た。二人の口からも否定的な何かを言われるのが怖くて、エレーヌとソフィアの方にはもう目を向けなかった。次はリディの部屋!
部屋の方向にくるりと身体を回し、足を踏み出しかけたその時。
「桜様……」
決して大きい声ではなかった。それなのに、静かな廊下をこちら目掛けて真っ直ぐ進むその声に、後ろから心臓を貫かれたような衝撃を受け、私は硬直した。次いで、仁王立ち状態で突っ立ったまま振り向けないでいる私に、さっきよりも近くから同じ声がまた呼びかけた。
抑揚のない調子が悲壮感を強調している、この声の主は、きっとマーガレットさん。
ふと、全然関係ないのだけれど、自分が今までちゃんと呼吸をしていたかどうかが気になった。緊迫感の中、息の仕方を忘れていたように思ったのだ。
ここにマーガレットさんがいる意味は――
無意識に覚悟を促されたように、私は大きく息を吸い込み、長く長く吐き出した。そうして身体ごと、背後のマーガレットさんに向き直る。
私が反対を向いている間に近付いたのか、マーガレットさんはすぐ傍にいて、痛いほどの視線を私に注いでいた。私も自分よりも高い位置にある顔を、ぼんやり見上げる。
色を失うとはこういう表情を指すのか。真っ青な面に、何かに耐えるように引き結ばれた口元。
マーガレットさんの血相を見て、私は最悪の展開になったと理解した。
どのみちもう、リミットの一時間には間に合わないだろう。
何もかも、取り返しがつかないまま終わってしまったんだ。マーガレットさんの目に映る、抵抗することを放棄した人間の顔を見て、そう悟る。
足が膝を支える力を失ってしまい、私は床にへたり込んだ。
何も考えられない真っ白な頭の中を、絶望という空虚な感情が埋めようとしていた。




