22 エピローグ ~3分プロポーズ~
「ニナ、ちょっとだけいい? 話があるんだ」
ブランと3人でエールやソーダ水で休憩した後にヨルンに声をかけられた。
それ以上なにも語らない背中について行く。足取りはしっかりしたもので、ずっと左足を引きずるのが常だったので不思議なかんじがする。
着いた先は、辺境伯邸のいつもの東屋だった。
「まだアルコールが足りませんか?」
エールを飲み直すのかと、侍女を呼ぼうとしたニナをヨルンが止めた。
「いや、エールはいらない。ニナ、俺に3分だけでいい。時間をくれ」
今後のニナの処遇の話だろうか? さすがに診療所をクビになることはないと思うけど、脅威は去ったので、辺境伯邸を出て自立しろという話かもしれない。
ヨルンがソファに腰かけて、その隣をぽんぽんと叩くので隣に大人しく座る。
日中にここに来ることはないので新鮮なかんじがする。大きな屋根が強い日差しを遮ってくれていて、意外と涼しい。通り過ぎる風が大きな観葉植物の葉をゆらす。
手を差し出されたので、治癒魔法をご所望かと手の平を重ねる。
「違う。治癒魔法はいい。このまま俺の話を聞いて欲しい」
「はい」
手をひこうとしたのに、抜けない。どうやら手をつないだまま話を聞くようだ。
神妙な顔をした彼をのぞき見て、姿勢を正した。
「ニナは王都や王宮に未練はない?」
「ないです」
「第二王子は引いてくれたし、父さんと母さんが圧をかけてくれるだろうから、しばらくは安心だろう。でも、この先はわからない」
「……」
「ニナがずっとこの地にいられる方法が一つだある」
「なんですか?」
「俺と結婚すればいい」
「え、私、平民ですけど。次期辺境伯様」
「ヨルンだ」
「ヨルン様。あなたは次期辺境伯で、私は身元のわからない孤児です」
「父さんの許可はもらっている。辺境の民も反対するものはいない」
「……」
「辺境に永住できるし、衣食住が一生保障されるぞ」
「……」
なんで? しか浮かんでこない。聖女としては働かなくていいって言うし、貴族ではないニナとヨルンが結婚するメリットがわからない。
「あと、すごく愛されるし、大切にしてもらえる」
「え」
愛される? 誰が? 誰から? まず主語と目的語をはっきりさせてほしい。
「大丈夫。こっちの気持ちは重たいけど、嫌だったらそれを感じさせないし、部屋も別でいいし。本当は同じ部屋がいいし、一緒にいたいけど我慢するし。とにかく今まで通りで大丈夫だから。あ、少しずつ距離は詰めさせてもらうし、毎日くどくけど」
「え」
ちょっと、情報量が多くて処理しきれない。気のせいかもしれないけど、なんかすごい熱烈な告白されてない?
「ニナが好きなんだ。ずっと」
「え」
いつから? 彼の過去の態度をどこをどう切り取っても、恋心は察知できない。
「ニナは俺のことをそういう対象としては見てなかったと思うけど、こっちはニナに振られたら生涯独身確定だ」
「え、脅してる?」
次期辺境伯が平民の聖女に振られたくらいで独身確定しないでほしい。
「脅してるわけないだろう。ニナも王宮でこき使われるより、辺境でのんびり暮らす方がいいだろ? 俺のことだって、恋愛対象としては見てないけど、一緒にいて嫌じゃない。違うか?」
「恋愛対象としてーー」
見ないようにしてた。
意識しないようにしてた。
気持ちが動かないようにしてた。
だって、彼はやんごとなき身分の人で。なんだか事情がありそうで。手の届かない人との将来を夢見るほど馬鹿じゃない。
目の前に迫る顔を見て、頬がぼっと赤くなる。顔が好みすぎて困る。
「この顔は好きなんだろ? 見込みありそうだな?」
ニナを舐めるように見て、顎に手をそえられる。獲物を狙うように琥珀の瞳がきらめく。ここで大人の男の本領を発揮しないでほしい。
「……じゃないです」
「ん?」
「顔だけじゃないです! 中身だってとっくに好きです! こっちだって、ヨルン様のこと、まぁまぁ好きですよ!」
ニナの告白に切れ長の目が見開かれる。
「後悔しないでくださいね! 本当に私でいいんですか? 離縁されても辺境の地から出て行きませんよ! 次期辺境伯様の脛にかじりついて生きて行きますよ!」
「本気だ。離縁なんてするはずないだろう。俺はニナがいい」
いつの間にこんなに惚れ込まれたかはいささか謎だが、ニナは基本、安きに流れる人間だ。
生涯の安泰が保障されるなら問題ない。彼の目が覚めた時のために婚前契約書はきちんと作成しよう。辺境伯ファミリーにも証人になってもらおう。
「えと、それなら、よろしくお願いします。ヨルン様」
えーと、決して決して、もじゃもじゃの前髪をあげると琥珀の綺麗な瞳があるからなんて理由じゃない。顔につられたわけじゃない。
なんだかんだ優しいし、飴をくれるし、石鹸のいい匂いがするし、強いし。一緒にいて居心地いいし。
手の平の上でコロコロ転がされている気もするけど、それすら心地いいし。
これまでのことを思い出しても、実はニナへの執着がすごそうだけど。根無し草のニナにとってはそれぐらい重たい気持ちを持った相手の方が安心できる。
「じゃ、ここに署名して」
「え」
ひらりと差し出されたのは婚姻届け。
にっこり笑顔の圧がすごい。仕事早すぎじゃないですかね?
でも、即決即断で行動力がある。彼のそんなところも嫌いじゃないのだ。
こうしてニナの結婚は3分で決まった。政略結婚でも契約結婚でもない恋愛結婚だ。実感はないけど。ヨルンの顔には今まで見たことがない嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。
◇◇
ヨルンのプロポーズから1カ月経った。
辺境伯夫妻不在の中、害獣騒動の後始末に追われていたがそれもようやく落ち着いてきたところだ。今日はヨルンと初めてのお出かけだ。
二人乗りで馬に乗っているが、今回は前回の時と違いヨルンの前に乗っているし、明るい時間だし、ゆっくりと進んでいるので景色を楽しむ余裕がある。
辺境伯邸を出て、そこそこ栄えている街を通り、草原を抜けるとそこにはのどかな景色が広がっていた。
「羊ですね!」
「約束したからな」
ゆっくりと馬を止めたヨルンは、ニナをそっと馬から降ろしてくれた。
そこかしこに羊がいて、のん気に草を食んでいる。
「わー……」
初めて本物の羊を見たニナのテンションは——少し落ちていた。
「くくっ。想像してたのは、あんなんなんだろ?」
隣で肩を揺らして笑うヨルンが空にふわふわと浮かぶモコモコと塊になった雲を指さす。
「うー。なんでもお見通しですね」
だって、ニナが目にしたのは一冊の絵本だけで、挿絵にはふわふわしてかわいらしい動物が描かれていたのだ。実物は毛がモゴモゴしていて、ちょっと小汚いかんじだなんて聞いてない。黄金色の目の中で黒い瞳孔が横長の長方形でなんだか怖いし。
「せっかく、ここまで来たし、触ってみるか」
乗り気なヨルンに手をひかれて、一頭の羊の前までくる。
ヨルンのことを認識しているのかしていないのか、ふんふんと羊の方から寄ってきた。
「こいつは人懐っこいから大丈夫だ。この草が好物だから、あげてみて」
どこからか取り出したのか、草を手渡されて恐る恐る羊の口元に持っていくと、あげた草を食んでいる。
「かわいい……かも?」
「ほら、このへん、なでてみなよ」
ヨルンが顎のあたりをなでているので、ニナもそっと触ってみる。
「もうちょっと触っても大丈夫だよ」
ニナも思い切って毛の中に手をうずめてみる。
「うぅぅぅ……」
やっぱり思ってたんと違う。確かにもこもこしているが思っていたより固いし生あたたかい。それに、少しベトついている。
早々に音をあげたニナは、ヨルンと共に柵にもたれかかって羊の群れを眺めることにした。
「はぁ、なんか疲れた。私は羊は見ているだけでいいです」
その隣でヨルンは笑いが止まらないようだ。
「なぁ、ニナ」
ひとしきり笑った後、ヨルンが真面目な表情になる。
「はい」
「父さんから連絡がきた。俺とニナの婚姻届けはきちんと王宮で受理されたそうだ」
「わぁ、全然実感湧かないですね。ありがとうございます」
「父さん達が帰ってきたら、すぐに身内で式をあげて、ちゃんと準備してから領民にもお披露目してパーティーもする」
「はい。私はなにをしたらいいですかね? 貴族令嬢としての教育からですか?」
「ニナ。本当に辺境伯夫人になる覚悟はある? はっきり言って俺の気持ちを押し付けて、ここまで強引にことを運んできた自覚はある。でも、今ならまだ止めることもできる」
「……」
「羊はさ、憧れて思い描いていたのと違っただろ? 俺との結婚も、きっとそんなかんじだ。この一カ月走り回ってなんとなくわかっただろ? 害獣の被害もあるし、災害も起こるし、その対策も色々考えているけど完璧にできることはない。課題は山積みだし、王家や西との関係を保つのも一苦労だ」
「はい、それは理解している……と思います」
「俺との結婚生活は、あの羊雲みたいに……ふわふわのお砂糖菓子みたいに甘いものじゃないかもしれない。それでも、一緒にいてくれるか?」
ニナが嫌なら結婚を取りやめてもいいよ、なんて言いながらも、そんなヨルンの瞳は珍しく不安で揺れている。
「当たり前じゃないですか! ここまで来て、私のことを放り出さないでください」
目の前のヨルンの大柄な体にタックルするようにして抱きついた。
ニナはこれまで、目の前のことだけ考えるようにしていた。なににも執着しないようにしていた。なにも欲しいと思わないようにしていた。
でももう、ヨルンと東の辺境の暮らしを手放すことなんてできない。
「ありがとう、ニナ。一生、大事にするって羊雲と羊に誓うよ」
ヨルンもぎゅっと抱きしめ返してくれる。
そこへ馬が駆けてくる音がした。
「兄様! いちゃついてばっかいないで、仕事をしてください! ニナさんもヨアキム先生が呼んでましたよ! まだ、後始末が山積みなんですから、早く結婚したかったら、全部最速で片付けて下さい!」
どうやらヨルンは仕事を抜け出してニナを連れ出してくれたようだ。ここまで追ってくるブランの執念もすごい。
「さぁ、行きましょうか!」
ニナの差し出した手にヨルンの手が重なる。
——治癒魔法をかけるっていう名目がなくても、手を取ってもらえる。
じわりと胸にあたたかいものが広がって、束の間その感覚を味わった。
「ニナ?」
「なんでもないです。行きましょう!」
ヨルンの手をぎゅっと握って、馬の方へと先導する。
「はりきってるけど、馬を駆るのは俺だけどな!」
「いえいえ、そのうちキーラ様に乗馬も習って、颯爽と駆けてみせますよ!」
「羊と一緒で乗馬も思い描くのとは違うかもしれないから、大人しく俺の馬に乗ってればいいんだよ」
「むむむ!!」
憎まれ口を叩きながらも、優しい手つきでニナを馬に乗せてくれる。
「だから、いちゃついてないで、行きますよ!」
ブランのじれたような声に、ニナとヨルンの笑い声が重なる。馬上から空を見ると、雲は風に流されていて、真っ青な空がどこまでも広がっていた。
ヨルンが東屋でしてくれたプロポーズは3分だった。今日の追加確認も3分くらい。でも、彼との関係はきっとずっと続いていく。ニナにはそんな予感がしている。
(了)
ニナとヨルンの物語をお読みいただき、ありがとうございました!




