第3話「ゆるやかな日常」
ここは、アクアリス水族館。
今日も元気にアクアリス達が暮らしている。
まだ開館前のこの施設は、完成された水族館というよりも、準備の途中にある“生きた建物”のようだった。通路は広く、ところどころに装置が並び、静かな空気の中にわずかな機械音が混じっている。
そんな館内を、二人のアクアリスが歩いていた。
「ねぇ、ほんとにここからちゃんとした水族館ってのになるの?」
ミズクラゲの少女が、周囲を見回しながら不安そうに呟く。
ハダカカメガイは少し前を歩きながら、振り返りもせずに答えた。
「うん、なるって言ってた。ほかのアクアリス水族館のパンフレットを見た感じ、綺麗だよ」
「他にもあるの〜!」
「うん、ある。ここは第三アクアリス水族館、世界に3つあって、ここはまだオープン前」
淡々とした説明に、ミズクラゲは目を輝かせる。
「へぇ~、そういえば、私達以外の、アクアリス見ないね」
「まぁ、みんな自分の居場所にいるからね。歩き回ってるほうが珍しい」
「そうなんだね、あってみたいな〜」
「いいんじゃない?、あなたは新人、勉強になるかも」
そんな会話をしながら歩いていると、広い区画に出る。そこには小さな看板が立っていた。
「ここは何?」
「土産屋って描いてあるでしょ」
「土産?」
「ここでグッズとかを買って記念にしたりできるの」
ミズクラゲは興味津々で中を覗き込むが、棚はほとんど空だった。
「へぇ~!……空だね」
「そうね、食品なんかはおけないもの」
「そうだよね。それにしても広いね〜」
がらんとした売店を見回しながら、ミズクラゲはくるりと回る。まだ“完成途中”という印象が強い空間だった。
そのとき、奥から声がした。
「たくさんの人に来てもらいたいからね」
「あ!飼育員さん!」
ミズクラゲが嬉しそうに駆け寄る。
そこには館内スタッフの飼育員が立っていた。
工具のような端末を持ち、照明の状態を確認している。
「うん、こんにちは」
「飼育員さんは、何してるの?」
「明かりの点検だよ。この明かりには月の力を使っててね、それを点検してるんだ」
「どうして、月の力が?」
ミズクラゲの問いに、飼育員は少しだけ真面目な表情になる。
「君たちアクアリスは月の力を浴びれば浴びるほど健康体になるからね。逆に浴びないと大変なことになる」
「大変なこと?」
ミズクラゲが首をかしげると、ハダカカメガイが短く言った。
「元の生き物に戻る」
「え!?」
驚くミズクラゲに、飼育員は頷く。
「そういうことだね。そういうことが起きないように、点検してるんだ」
「そうなんだね、頑張って」
「うん、君たちもね」
「は~い」
「はい.......」
飼育員は軽く手を振り、その場を去っていった。
残された二人は少しだけ沈黙する。
「大変そうだね〜」
「まぁ、人間がこれからたくさん来れば、もっと忙しくなりますよ」
「あ、そっか、でも、なんだか楽しみ♪」
「……そうですね」
ミズクラゲは勢いよく拳を握る。
「よーし!頑張るよ〜!!」
「……はい」
その様子を、少し離れた場所から館長が見ていた。
「ん?あの子達は……ふふっ、楽しそうね」
小さく微笑むと、視線を外す。
二人は再び歩き出す。
館内はまだ未完成だが、少しずつ“形”になろうとしていた。
「ここは〜?大きな水槽だね〜」
ミズクラゲが指さした先には、巨大なプールのような施設が広がっていた。
そこに若い飼育員が立っている。
「ここは、ショープール、海獣と呼ばれる生き物たちが人間とショーを……言ってしまえば見世物ね」
「へぇ~……どんな子がいるの?」
「どうやら今は休憩中のようですね」
ハダカカメガイが周囲を見て言う。
「今日はたくさん訓練しましたからね。休ませていますよ」
「そうなんだね」
ミズクラゲは水面を覗き込むように目を細める。
「ミズクラゲ、見えますか、あそこ」
「ん?……あ、誰か泳いでる」
水面の奥、静かに影が動く。
「アレは、イロワケイルカ?」
若い飼育員が少し誇らしげに頷いた。
「珍しいですよね。絶滅危惧種の生き物のアクアリスはとても少ないので。それと、あの子は激しいパフォーマンスはしませんが、海中でのパフォーマンスはとても美しいですよ」
そのとき、水面から小さな影が浮かび上がる。
白と黒のはっきりとした模様を持つ少女が、こちらに気づいたように手を振った。
イロワケイルカ:「ハクジラ亜目 マイルカ科 イロワケイルカ属 イロワケイルカ」南アメリカの南端 フエゴ島、フォーグランド諸島、インド洋南部、ケルゲレン諸島周辺の海に生息、その色合いからパンダイルカなどと言われたりする。頭、背びれ、尾びれが黒くそれ以外が白い、世界最小クラスの小型イルカ、イルカには明確な分類上の区別はなくクジラの仲間
「あ!」
ミズクラゲも思わず手を振り返す。
「あの子も身体が弱いらしくて、めったにでてこないんですが、弱いと言っても、そこまで弱くありませんよ」
「そうなんですね」
「いつか、お話してみたい」
「いつかできますよ」
「そうだよね」
そのときだった。
「いつかではなく、今するのですよ」
背後から声が響く。
振り返ると、先ほどのイロワケイルカがすぐそこに立っていた。
「で、でてきて大丈夫なんですか!?」
「うん!今日は元気」
明るい笑顔で答える。
「こんにちは!」
ミズクラゲが元気に返す。
「こんにちは……」
ハダカカメガイも静かに頭を下げる。
イロワケイルカは嬉しそうに胸を張る。
「うん!こんにちは!!私イロワケイルカのアクアリス!」
その声は、まだ完成途中の水族館に、確かな“命の気配”を広げていった。
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