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ある変奏の第一章  作者: ミック・ソレイユ
7/8

終わりの季節は繰り返す

『ある変奏』のチケットをネットで注文した。整理番号は四十九番だった。四と九は日本では縁起が悪いというけれど、ラッキーナンバーのような気もする。四十九日というのは仏教で人が亡くなって次の生を受けるまでの日数とされているからだ。それに、七日かける七週はラッキーセヴンの二乗なのだ。


 父親が心臓の病で突然死したのは三年ほど前のことだった。長男だったぼくは生まれて初めて喪主となった。葬儀社とのやり取りはもちろん、参列者の選定や挨拶の内容をどうするかなど、すべきことが山ほどあった。四十九日というのもこれまで耳にはしていたが、その意味を詳しく知ったのは父の葬儀があったからだ。


 父と母は共働きで野菜を栽培していて、その作物を売ることで生計をたてていた。頼りの父が亡くなった当初、母は取り乱していたが、徐々に落ち着いていった。母の説得を受け、父のあとをぼくが継ぐことになった。母一人では農作業を続けるのは、力仕事もあるし、とても無理だと思ったから。今はぼくと母の二人で野菜を育てている。規模の小さい農場なので、畑が空く時期がなるべく少なくなるように、キュウリ、トマト、ナス、カリフラワー、ホウレンソウなど多くの品種を扱っている。


 ぼくが高校生のころ、父は息子のぼくが大学の農学部へ進学することを望んでいたようだ。ところが、当時のぼくは農業に全く興味が持てなかった。本を読みあさっていたぼくは文学部に進んだ。就職活動中に、体験入社で『パラノイズ・パブリッシング』という出版社の仕事を手伝った。それが功を奏し、内定をもらうことができた。大学卒業後に無事入社して、編集の仕事に就くようになった。


 出版の仕事は忙しかったが、書籍の制作はとてもやり甲斐があり、充実した日々を過ごしていた。上司のもとで経験を積むと、徐々に仕事を任されるようになった。電子書籍の類が後年台頭することになるが、実際に手に取ったときの重みや紙の手触りなど、フィジカルな存在である本というのものは愛着が湧くように思った。表紙や紙質、レイアウトをどうするか、印刷会社とデザイナーと相談の上、予算内に収まるように進めていく。料理がうまく映える風合いの器を形作るようなものだ。著者の原稿が遅れたらスケジュールも調整しなくてはならない。業務のノルマもあった。そんな中、担当した本が好評を得たり、予想販売部数を上回ったりしたときは、完成までの苦労が一気に吹き飛んだ。上司からの評価も励みになっていた。三十歳を過ぎ、一生この仕事を続けるんだろうなと漠然と思っていた。そんな矢先に父が亡くなったのだった。


 家業である農業への転職は、会社の人間や周りの友人だけでなく、ぼく自身も驚いていた。母親を助けるためというのも大きいが、思い返すと他にもいくつかの理由があった。災害でコンビニやスーパーの棚から食料品が一斉に消える日がある。TPPや遺伝子組み換えという言葉も頭をよぎる。スローフード、スローライフなどの思想にも漠然とした憧れがある。自分が安心して口にできるものを自分が作りたい、という使命のようなものを今さらながら感じ始めたからだろう。


 だが、さすがに農作業はそんなに甘いものではない。朝も早いし、体力も使う。雑草取りなど地味な作業もある。台風など不測の事態もある。とにかく大変なのだ。しかし、その達成感は言葉にできない。自分がまいた種が太陽エネルギーの恵みを受けて成長を続け、やがて収穫のときを迎える。輪廻のような自然のサイクルは美しい四季の風景を作り出す。収穫の季節は終わるが、やがて土作りや種まきが始まる。終わりの季節は繰り返すのだと思う。


 今後の自分の課題として、まだまだ勉強することは多い。農薬や肥料の量や種類をどうするか。エコファーマーや有機JASという制度もある。新品種の栽培や固定種への挑戦も考えられる。オンラインショップ、デパートやレストランなど新規販路の開拓もある。作物のブランディングや作業着のファッションも工夫して進めたい。そういった新たな取り組みを考えるのは、とてもクリエイティヴで楽しい時間だ。


 ただ、編集の仕事を離れた今でも書籍への思いは頭を離れていない。『文芸的な』という文芸誌で『ある変奏』というイベントのことを知って、心が踊るのを感じたのだ。それは、新しい編集の試みのようだった。その場に身を置いてみたいと思った。かつての自分にノスタルジーを感じていたのかもしれない。とりあえず一人で行くことにして、チケットを一枚購入した。イベント参加者用に用意されたアプリケーションもすぐにダウンロードした。


 イベント『ある変奏』の当日、作業は母にお願いしてぼくは休みをもらうことにした。着ていく服はどうしようかと迷ったが、濃いカーキのパーカー、黒の作業用パンツ、グリーンのオニツカタイガーにする。会場は『赤い小鳥たちのために』という初めて行く劇場だ。『赤い鳥』というと『杜子春』などが掲載された昔の児童雑誌を連想させる。


 今日の気分はレイ・ハラカミだ。プレイヤーで『lust』を聴きながら会場へと向かう。


 劇場は新しくできた複合施設『ミリンダ・コンプレクス』の地下にある。建物の外観は木材を利用したモダンで大胆なデザインで、巨大な鳥の巣のようにも見える。地上階は店舗やオフィス用のフロアとなっているようだ。会場に着いたのは開演の二十分前くらいで、客入れはもう始まっている。地下の入り口に続く階段に、順番待ちの人々が長く列を作っている。整理番号の四十九番はもう入場可能だ。


 階段を下って、入り口から入場し、チケットを受付の店員に手渡す。ドリンクチケットとフライヤー、それに細長いカードのようなものをもらう。カードの色は淡い水色だ。ゴシックの白い文字で「ある変奏」と書かれている。


「そのカードは今日の入場者限定の本のしおりです。再入場するときにお使いください」と、店員が愛想よく教えてくれる。店員は黒いポロシャツを着ている。胸に小さく赤い鳥のロゴが入っている。スタッフのユニフォームなのだろう。


 受付を過ぎるとロビーに物販スペースがあって、客が周りを囲んでいる。著者の本以外に、何冊かの本が並んでいる。黒ぶちの眼鏡の女の子が店番をしている。白いシャツに、膝が隠れるくらいの黒いスカートで、短めの髪を後ろで一つ結びにしている。文学少女風のコーディネートだ。本を眺めていると、彼女に声をかけられる。


「いらっしゃいませ。いかがでしょうか?」


 売り場の端の方に置いてある、手作りのような一冊の本に目が留まる。白い表紙に黒い文字で『セルフィー・メロディー』と書いてある。手に取ってページをめくってみる。小説のようだ。


「店員さん、これってどういう本?」


「あ、ありがとうございます。その本、わたしが自分で作ったんです。今日は特別に置かせてもらってるんです。限定五十部ですよ」と、彼女がはずんだ声で言う。


「そうなんだ。未来の作家さんの貴重本か……。帰るときに買うから一冊取り置きをお願いしたいんだけど」


「はい、大丈夫ですよ。お名前をお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」


「ヒノモトです。じゃあまた帰りに寄らせてもらうよ」


「ヒノモト様ですね。承知いたしました。お取り置きさせていただきます。それでは後ほど、よろしくお願いいたします」と、彼女は丁寧にお辞儀をする。


 扉を開いて場内に入る。止まり木のようなオブジェがいくつも張り巡らされてある。すでに多くの人がいる。自分よりも歳上に見える男性、女性もいる。意外にも若い男女が多い。全体の男女比はざっと四対六くらいか。スタンディングと席のスペースは今日は半々くらいにしているようだ。空いている席を見つけ、座ることにする。ステージ正面には大きなスクリーンがあり、その前にマイク、楽器、アンプ、モニタースピーカーが設置されている。ステージの両脇には巨大な音響スピーカーが配置されている。


 ビデオカメラで撮影をしているマッシュルームカットの男が会場を動き回っている。背中にきのこ雲のマークの入ったグレイのTシャツを着ている。


 場内には、スティーヴ・ライヒの『エレクトリック・カウンターポイント』が流れている。ジョニー・グリーンウッドのヴァージョンだろうか。


 開演時間を過ぎると照明が落ちる。イベント開始の合図を告げるアナウンスが始まる。ボーカロイドのような心地よい男性の声だ。


「ハロー・ワールド。

 あなたは、身体の力を抜いてリラックスしていきます。

 あなたは、銀色に輝くかごの中に、捕らわれていることに気づきます。そのかごから巧みに抜け出し、鳥のように羽ばたきます。広大な空に、気持ちよく飛躍します。雲の隙間を浮遊して、光る星を目指します。観念や規則などの透明な拘束物を切り離し、エレガントに脱ぎ捨てます。

 あなたは、より深くリラックスしていきます。

 あなた自身が心から望むストーリーを、できるだけリアルに思い描いてください。内容や巧拙などは問いません。無数のストーリーはテキストへと変換され、順次クラウドへと送信されるでしょう。

 それでは、『ある変奏』というイベントによって、オートマティックに抽出される一篇の私小説をお楽しみください」


 アナウンスが終わって、場内に歓声があがる。突如、不規則なリズムの電子音が流れ出す。スクリーン全面がさまざまな色に入れ替わる。周りの客は一斉に手元のスマホや携帯を操作する。文字が次々とスクリーン上にタイプされていく。スクリーンに踊る文字の色は白だ。フリースタイルのラップバトルのように、文字がスクリーンに現れては消える。文字は絵やグラフィックへと入れ替わる。場内の映像もカットアップのように映る。絵と音は完全にシンクロしている。スクリーンの光は、サウンドとともにグラデーションのようになだらかに変化する。ぼくはそうした光景にいつまでも見とれている。優れたDJミックスのように引き込まれていく。このまま無数のテキストは紡ぎ出されて、物語が出来上がっていくのだろうか?


 二、三十分くらい経ったところで、ステージ上にゆっくり人影が動いているのに気づく。告知されていたシークレット・ゲストだろうか? 影は五人だ。照明が少しずつ明るくなると、会場から悲鳴のような声があがる。客がステージ前へ一斉に押し寄せる。歓声は鳴り止まず、場内のボルテージはマックスだ。黒いポロシャツを着たショートカットの店員が近くにいる。真っ赤になったライトが彼女の横顔を照らしている。涙がこぼれ落ちているように見える。


 さっき見かけたマッシュルームカットの男がステージ脇にいる。ビデオカメラを持って撮影を続けている。


 ステージに、五人のバンドメンバーが現れる。ヴォーカルの赤いつなぎを着た女性がささやくように挨拶する。


「みなさん、こんばんは。フォー・ザ・バーズです。赤い小鳥たちのために、へようこそ。今日は一日だけ特別に演奏します。それでは聴いてください。ヴァリエーションズ・ワン」


 すぐに即興のような演奏が始まる。ドラムとベースはダンサブルなリズムを刻む。アフリカのワールドミュージックのような、儀式の呪術をも感じさせるビートだ。その上をディストーションの効いたギターの轟音が突風のように流れていく。キーボードはホワイトノイズの混じったオルガンのような音を奏でる。ヴォーカルのささやく朗読は嵐の海にゆらめく小舟だ。


 音の壁はステージから客席までを埋め尽くしていく。シャーマンの祝祭のような古代の映像のレイヤーが現れる。酩酊感は心地よく、まるで催眠術のようにぼくの意識を支配する。


 七色に光る音の波に身をゆだねて、ぼくはゆっくりテキストを送信する。

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