22. 逃走
「痛っつ……追いましょう!」
壁から身を起こしたミグゥに促され、呆然としていたセイジも我に帰る。慌てて走り出した。
カナはあちこちを破壊し、大音量を立てながら獲物を追う。音と煙が目印になり見失うことはなかった。だが、どれだけ走っても一向にペースの衰える気配がない。
「ちょ、あの人達どんだけ体力魔神っスか!」
追いかけるカナは明らかにバトル向けで見た目通りと言えばそうなのだが、追われる方もまたひょろりとした体格からは想像もつかない速度で走る。
〈俊足〉スキルを持たないミグゥが少しずつ遅れ始めた。
「っきゃあ!?」
その腕を、横道から伸びてきた手が掴んで引きずり込んだ。ミグゥの姿が壁の隙間に消える。
「待って、僕、僕」
「え……!?」
咄嗟に殴り飛ばそうとしたミグゥが拳を引いた体勢で固まる。ぎくしゃくと振り返った視線の先を追いかけ、緑の頭巾の少年がミグゥの手を掴んだまま小首を傾げた。
「おー、確かに同じ格好だ。ここからじゃはっきり見えないけど、確かに顔も同じ? かな?」
遠くの「自分」を見て、こちらのユウヤが他人事のような感想を述べる。
「ただ格好はなあ、一番左上のやつそのままクリックしただけだしな」
「……二重人格が別人物としてサーバーに認識され、アカウントがふたつ作成された」
まだ言ってんのミグゥ、と呆れた顔がジト目になる。
「二重人格でも脳はひとつなんだから、同時にログインはできないよ」
「うえっ、ま、マジでふたりいたんスか!?」
ミグゥの不在に遅ればせながら気づいて引き返してきたセイジ、その視線が忙しく行き来した。廊下の向こうに、カナの側から逃げ回るユウヤ。そして目の前に、ミグゥの手を掴んで立つユウヤ。
「えええどういうことなんスか、あっちやっぱアッキーなんスかね!?」
何気に一番テンパっているセイジはわたわたと踊る。
「その『アッキー』が誰なのか分かんないけどさあ……。そっくりさんって単に僕のリアルの知り合いなんじゃないかな、中学の同級生とか」
いっそ淡々と述べるユウヤ(仮)。如何にもその場を宥めるために喋っているだけという風で、自分のドッペルゲンガーというものに対して何の興味もなさそうな口調だった。
「卒アルか何かで僕の写真持ってたんじゃない? 自分の顔は出したくないけどイラストも持ってないから適当な他人で、みたいな」
「……それはネットマナー的にアウト、というか違法なのでは……?」
「あ、うん。まあね。一般人だからばれてないだけだと思うよ」
芸能人の写真使った人なんかはとっくに通報あって垢バンされたらしいねー、と笑う。その「他人」が自分の姿を勝手に使ったことにも、更には自分の振りをしていたことにも感想はないらしい。
「それをやったのが貴方なのか彼なのか、我々には判断がつきません」
握られていた手をすげなく振り払い、硬質な声音でミグゥが言う。
「つうかぐっさん! あっちの、アッキーかも知れない方、助けないとヤバくないスか!?」
その懸念に対し、ユウヤかも知れない方はさらっと冷淡な答えを返した。
「あの子、自力でどうにでもできるんじゃないかなあ。あ、ほら」
指差されて振り向いたミグゥとセイジはもろに閃光を浴びる羽目になり、よもやこれもブラックな方のユウヤの策略ではないかと疑った。カナに追われていた方のユウヤが放ったのは雷魔法。目くらましの定番である。
「こんっっのクソガキャアア! どこ行きよったんや!」
標的を見失ったカナが怒号を上げる。
その脇から突如として現れカナに体当たりする大男。セイジを縦横に5割増したようなサイズ感で、何故かタータンチェックのキルトを着用していた。
「……あんなあオッサン、男の脚見る趣味はないねん。邪魔やからどいてんか」
突き飛ばされてもものともせず、据わった眼のカナが低く吐き捨てる。
「死んでくれ【白雪姫】ェ! 俺の勝利のためにィ!」
こちらはこちらで聞く耳持たず一方的に要求を告げる巨体のプレイヤー。
「【白雪姫】は俺が狩りつく、っぐあ!?」
下からすくい上げるように突きを放ち、立ち上がったカナが正面から男を見た。
「狩り尽くす、か。それもええな。コユキちゃんおれへんのに他の奴がゲームクリアとか業腹やわ」
眼は爛々と見開いたまま、口の端だけでニイ、と嗤う。
「あんたもあの小僧もお色気ねーちゃんも、全員アタシが喰らい尽くしたるわ」
殲滅宣言。どこかで何かがぶっちぎれたらしいカナの暴走が始まった。
「何や自分、ガタイの割に踏ん張りきいてへんなあ!」
「ぐぁ! あがぁあ!」
小手先に弄ばれて巨体が壁に叩きつけられる。騒音に招き寄せられて他のプレイヤーまでもがカナに群がり始めた。その【女王】と思しきプレイヤー達を次々に屠るカナ。
「げっまずい、あのひと【女王】壊滅させちゃうかも」
緑頭巾の少年が声を上げる。つられて全体パラメータを見たミグゥもぎょっとした。
このゲームのエンディングがどこに向かうのか、全く見えなかった。【白雪姫】は死んでいる。それは多くの【女王】キャラクターのクリア条件となるはずだ。だが、生き残っている【女王】は先程コユキとカナが大きく狩ってしまった。そして更にその残数は減り続けている。【白雪姫】が死に【女王】も全滅してしまった場合、誰が勝利するのだろう。
「困るよ……全滅したら【白雪姫】蘇生できないじゃないか」
その台詞にミグゥがぴくりと反応する。
「【白雪姫】蘇生スキル、ですか」
「そうなんだけどね、敵キャラにぶつけないと発動しない。……それと、まだ解放されてないから」
自分のレベルは49だから解放レベルの55に足りない、と苦々しく呟く。
「だからミグゥのβスキル借りたかったんだけど」
「……? 《ランプ》のユニークスキルβは、【白雪姫】の保護なのでは?」
「あー、まあそうとも読めるけど。単純にβ化する前のスキルの上位互換って考えた方がいいと思う。【白雪姫】を『見つける』機能だったでしょ。βは【白雪姫】の能力を『見出す』機能になって、未解放のユニークスキルを解放させるはずなんだ」
そう示唆されてミグゥは考え込んだ。『保護』というのもコユキの推測に過ぎず、彼の説にも一理あるように思えたのだ。しかし目の前の彼は信用していいものだろうか?
「だ、騙されないっスよ、ブラックな方のユンチー! んなこと言ってぐっさんにユニークスキル使わせて、エラーでゲームオーバーにしようって腹っしょ!?」
「……その可能性は否定できませんね」
「僕がブラックな方って前提かよ……それ言うなら、『アッキー』だって怪しいんじゃないの」
ジト目で問い返されセイジはストレージから小さなアイテムを取り出した。推定飛鳥時代の古びた銅鏡。
「アッキーが【白雪姫】なのは確実っス! だってこの鏡で確かめたんで! 〈鏡よ鏡、壁の鏡よ、教えておくれ。国中で、誰が一番うつくしいか、言っておくれ〉……今は作動しないっスけど!」
本来は《ランプ》の探知スキル同様に【白雪姫】の居場所を映し出すアイテムなのだ、とドヤ顔で説明され、緑頭巾の少年の顔がみるみる険しくなる。
「いや、いやいや。そのアイテムおかしいって気づこうよ!」
「その手鏡、確かアカリさんも……」
「確かに【女王】の初期装備っスけど、でもドロップで拾った別の奴とか俺にも使えてたんで」
そうじゃねえよ、と苛立たしげに首を振り、少年は言った。
「あのさ、原作中の《モノ》は全部キャラクターになってるんだよ!? 《魔法の鏡》だってキャラになるに決まってるじゃない! それ《鏡》キャラの分身とかだよどう考えても! 作動しなくなったのって本体が死んだからじゃないの!?」
指摘に愕然として、セイジは手鏡を取り落とした。カン、と乾いた音を立てて転がってゆく。
「え……だ、だってこれ、アッキーが俺に……じゃ、じゃあやっぱアッキーは《鏡》で……【女王】だったんスか……? 俺、騙されてたの……?」
パラメータを睨み続けていたミグゥが静かな声を挟んだ。
「……違うと思います。理由がふたつ。まず、アキラさんは5日目に《ナイフ》のユニークスキルを食らっています。これにより【白雪姫】死亡という状態が発生しました。つまり、少なくともあの日カナさんに倒されたのは【白雪姫】です」
そう告げてミグゥが正面から目の前の少年の顔を見る。
「ふたつ目の理由ですが、今カナさんが追っている彼、そして貴方も【女王】ではないということがこの瞬間、明らかになりました。……【女王】が全滅したので」
たった今カナが正拳突きで討ち取ったビキニアーマーが最後のひとりだったらしい。ちょうどパラメータが更新され、【女王】のライフがゼロになった。
「うわちゃあ……本当に全滅させちゃったのかよ」
少年は苦りきった顔で頭巾越しに頭を掻いた。ミグゥは尚も言い募る。
「但し。【女王】ではないにしろ、何かしら共存し得ないクリア条件を持った他クラスタ、あるいはカナさんのようなシークレットという可能性も考えられます」
セイジとミグゥが示し合わせたように少年から一歩距離を取る。少年はふと手を叩いた。
「あっじゃあさ、あっちの『僕』がホワイトな方だったら、そっちにユニーク使うのは問題ないよね?」
「は?」
「うん、じゃあホワイトな方の『僕』に会いに行こう。そんでその子にユニークかけてよ、ミグゥ」
そう言ってすたすた歩き出す少年に、呆気に取られたままのふたりは突っ立ったまま。
「何してんの? 早く行こうよ」
「い、いやまず逆転の発想すぎてついて行けてないんスけどっ、そもそも居場所分かるんスか!?」
「最適逃走ルートの予測はつくよ、昨夜からずっとマッピングやってたから。てか急いでここ離れた方がいいんじゃない? あのヤバいひとに見つかる前に」
はっとして壁の向こうを振り返る。累々たる【女王】達の死体が作り出す光の粒子の洪水の中、カナが全身から湯気を上げんばかりの形相で立っていた。
「ふ……ふふ、次行くで……待っときやネズ公ども……」
ヒィイ怖い、と悲鳴を上げそうになったセイジをふたりがかりで抑えて隠し通路に連れ込む。
「馬鹿、見つかったらどうすんの!?」
「すみませんが同感です、静かにして下さい!」
今のカナに捕捉されれば瞬殺は間違いない。潜めた声で責められてセイジは口を抑えたままこくこくと懸命に頷いた。手を離した少年が先に立って歩き出す。
「こっち。ついて来て」
「……いいのですか? 我々に背中を見せて」
背後から刺されても文句は言えませんよ。訝しげに呟いたミグゥに、少年は半目で返した。
「ミグゥはどうせ刺せないでしょ」
すたすたと歩を進める頭巾の背中は、薄暗い通路の空間に溶け込むような色をしていた。
「あ、ああ、待って下さいっスう」
脅威にならないと言外に切り捨てられた男も慌てて後を追う。
同じく歩き出そうとしたミグゥは、ふと壁にかかった鏡に映る自分を見てしまった。
(……酷い顔)
どうせ刺せないでしょ、と言われたことが、堪えているのだろうか。




