蟄居
三郎の屋敷は西館の城に程近い集落にあった。そもそも三郎も捨扶持の小姓ではない。れっきとした領地持ちの小地頭である。
小なりとはいえ村の纏め役であり一応はそこの領主でもあるため屋敷はそれなりに広い。家の子である小者達も、平時は畑や田を耕してはいるが、いざ合戦となれば破れ胴と鉢金を締めて三郎の後に続く者が二、三人はいた。
「旦那様、今日は随分とお早いお戻りで」
三郎が屋敷の門を潜ると、庭を箒で掃いていた老人が声をかけて来た。
弥平と云う名の、歳は今年で還暦を一つか二つほど越えた老人なのだがなかなか矍鑠としており、三郎が不在の時はよく家事を切り盛りしてくれている老臣である。
弥藤家先代の頃からの郎党である弥平は妻のみつと共に三郎の屋敷内で暮らしている。
本来は小さいながらも邑の一角に茅葺の百姓屋敷を建ててそこに住んでいたのだが、数年前に起きた多賀谷と豊田の合戦の折りに三郎の郎党として従軍していた一人息子を失っており跡継ぎが居ない事と、歳も既に老齢に近いので三郎が屋敷に引き取っていたのだ。
息子を失わせてしまった主人としての三郎なりの心遣いでもあった。
「若と奥方の行方はまだわからぬので?」
「ああ」
三郎は家中にも妻子が多賀谷に連れ去られたとは話していない。ある日、所用があって妻の実家に居所を移したと言って聞かせていた。だが唯一、気心の知れた弥平にだけは多賀谷にかどわかされた事を話していた。
「何処へ押し込められているかだけでも分かれば救い出す手立ても考えられますのにのぅ」
「ああ」
弥平は三郎を屋敷へと迎え入れると上がり框に腰を下ろさせた。
「今、足を拭うて差し上げますで」
「すまんな」
「何をおっしゃいますやら」
へへへと屈託の無い笑顔で弥平は笑っていた。
上がり框のある土間を北側に抜けると井戸のある裏庭に出られる。弥平が井戸端に置かれた縄紐に括られた桶を器用に落とし、手際よく水盥の中に流し込む水の音が心地よかった。
「お待たせいたしました」
三郎の足元まで水盥を持って来ると、そこに手拭を浸し堅く絞り三郎の足を丁寧に拭いはじめた。
先代から仕えてくれている弥平との間には親子のような感情が流れている。足の指の間までも丁寧に拭ってくれる弥平につい愚痴を溢した。
「ワシは多賀谷の間諜になってしもうた。弥平、今後我が家に何が起ころうとも驚くなよ。それと……」
両の足を拭い終わった弥平は手拭を盥に戻し、黙って三郎の話を聞いていた。
「いや、今はやめておこう」
弥平は静かに頷くと、水盥を持ち上げて屋敷の外に歩いて行った。
それを見送ると、三郎は溜息を一つその場に残して自室に戻る為にくるりと振り返り廊下に一歩踏み出した。そのとき、外に出たとばかり思っていた弥平が背中に声をかけて来た。
「旦那様、ワシは旦那様から受けている御恩を何時かは返さねばならぬと、そう思うております。何事があろうとワシだけは旦那様のお味方ですぞ」
にこりと皺だらけの顔に笑顔を貼りつかせた弥平は裏庭に消えていった。
「弥平」
弥平の姿は既に庭に消えていたが三郎は背を向けたまま、「すまぬ」と呟くように呻くと足取りも重く自室に入った。
三郎はそれきり部屋に籠り、西館の城には弥平を送り病気と称して出仕も止めてしまった。
それからは三郎が何をしているのか伺い知ることもできなかった。朝と夜の日に二回、下女が膳を運ぶ時だけ濡れ縁に姿を見せるのみなのだ。
しかしそれが三日も続くと余程三郎の病状が重いと思ったらしい同僚が一人尋ねて来た事があったのだが、それも弥平に取り継がせずに帰している。
「旦那様はいったい、何をされておるのかのぅ」
下女が竃に火を入れている隣で、不安げな貌をした弥平が呟いた。一日二度の食事をしっかりと摂っているとは言え、五日も部屋から出てこないのだ。もしかすると本当に病に罹っているのではと勘繰ってしまう。
「旦那様は何かずっと読み物をしてるみたいだよ」
下女がそう言った。
 




