第六十二話 悠抄、泰山鳴動をして鼠一匹を見るの事 その二
大食堂の入る西館を裏口から出た悠抄一行は、そのまま中庭方面へと足を向けた。
いつぞやと同じ順路に予測した目的地が外れた彩藍は、覚えた違和感に小さく首を傾げて小柄な剣士少年に見咎められる。
「忘れ物か? 仕方ない奴だな。俺達はゆっくりと先に行ってるから、さっさと行ってこい」
決して待っててやるとは言わない天猫とあっさりと手を振って見送る悠抄に呆れを覚えた彩藍がそうじゃないと否定した。
「そっちは本館ですよね? 討伐課に行かなくても良いんですか?」
逆方向を指し示す青年事務官に、悠抄がかとりと顔を縦に動かす。
「はい、次は総務部さんのお話を聞きに行こうと思っていますが、彩藍くんは討伐課にご用がありましたか?」
「そうではないですが、一般職の方の意見を聞いたので、平等を期するために次は他の方の意見を聞くのかな、と」
素朴な意見を口にする青年に、万物の混沌は不思議そうに腕を組んだ。
「彩藍くん、討伐課の人達に人語は通じないのですよ?」
今更何を言うのだと憐れみすら滲む言葉を向けられる彩藍であるが、当然の如く憐れまれる筋などあろうはずもない。
どういうことだ、と無言を持って説明を求める青年に、悠抄がゆっくりと左手の人差し指を立てた。
「良いですか、討伐課さんとお話をするには一度意識を刈り取る必要があるのです」
自らも前提を省略しすぎて会話の不成立を晒すという体たらくの説明魔に、彩藍は早々に無駄を悟る。
青年の救難信号を受け取った天猫は、面倒くさそうに肩を軽く竦めた。
「あいつらの価値観は、強くなるか修行して強くなるかの二つしかないからな」
「……すみません、僕にはどこに差があるのか分からないんですが」
そして帰ってきた補足は、更に意味不明な二択という惨状であった。
襲い来る頭痛をひとまず気が付かなかったことにし詳細説明を要求する青年に、天猫が小さく頷いて見せる。
「さっきの大食堂でも話題に出たけど、なよ竹の姫の騒動の時に会った職人の隠れ里の里長を覚えているだろ?」
「はい。手相見の押し売りの後に何のためらいもなく爪を採取されそうになったので、忘れたくとも忘れようがないですね」
記憶に燦然と輝く恐怖の体験を引き合いに出されて、思わず遠くを眺める彩藍である。
「あれをもう少し活動的にした連中でな、見敵即殺を是とする意味不明の集団だ」
「なるほど、了解しました。せっかくの修練にお邪魔しては迷惑になるので、今回の調査は除外にしていただきましょう」
「彩藍くんも気になるようですし、ここはひとつ討伐課さんのお話を聞きに行ってみることとしましょう」
討伐課は調査対象外にしようと華麗に提言する彩藍の言葉に被せるように、人型理不尽が狙ったわけではなかろうが最大効率を発揮する瞬間に討伐課訪問決定宣言をかます。
想定外も良いところの展開に固まる彩藍を尻目に、悠抄は言伝を吹き込んだ鳥型の紙形代を先触れとして風に流してしまう。
これでよし、と大して動いていないくせに大層迷惑なことをしでかした人型災厄入口は、満足げに額の汗を拭うと固まる青年を振り返った。
「安心してください、彩藍くん。今しがた言伝を送ったので、大手を振って訪問できますよ」
「いや、できますよ、じゃないですよ! 僕は調査対象から除外しましょうとはっきり進言しましたよね? そこから何がどう転んだら訪問に繋がるんですかっ」
遅れて再起動を果たした彩藍は盛大に苦情を申し立てるが、災厄の先触れは構うことなく上機嫌で踵を返した。
「薄々予測はしていましたけど、たまには予測を外してくれても良いじゃないですか……」
つつが無く進行する蛮族本拠地訪問行事に、青年は膝を抱えてしゃがみ込み、剣士少年は丸まったその背に拳を置いた。
「まぁ、怖いもの見たさも滲んでいたんだろ?」
「滲んでいませんよ! 相棒を庇うのに事実無根の言いがかりはよしてください。大体、貴方が甘いから、悠抄さんはあんな風に進化したんでしょう!」
真っ当な不平不満をもって噛みつく青年であるが、今更天猫が感銘を受ける由もなし。
「そんなことは良いから、さっさとあいつを追わないとまた厄介事を引き起こすぞ」
腰から鞘ごと引き抜いた剣の鞘尻で哀れな事務青年を引っ立てる人非人であった。
〜〜
三人が踏み入れた討伐課敷地は、広大ではあるが殺風景で、木人が整然と並ぶ荒廃の地であった。
「流石は討伐課ですね。いつ来ても見事な未開の地です」
砂埃が風に舞う訓練場を見渡した悠抄は、絵に描いたような荒涼さに満足げに胸を張った。
隣に立つ天猫はくるりと視線を巡らせるとつまらなそうに鼻を鳴らす。
「気配は、三つか。代表としても少ないが、楽しみにしすぎて気配が消しきれていないな」
「先触れを出した甲斐がありましたねー。待ち侘びてくれているようで何よりです」
そこはかとなく漂う浮足立った空気であるが、残念ながら事務青年には感じ取ることはできないらしく、どうしたものかと同行者二人の様子を伺う。
「さて、睨み合いもつまらないですね」
彩藍に手で下がるように指示をすると、悠抄がすぅ、と息を吸い込んだ。
「こんにちわー、幽鬼調査課の悠抄ですー」
「おっしゃぁ! 俺が一番殺りだぁ!」
間延びした悠抄の挨拶に触発された討伐課員が二階から朱塗りの槍を力任せに投げ付け、自らも勢いを駆って剣片手に欄干を飛び越える。
朱色の飛来物を前に進み出た天猫が黒漆塗りの木靴の爪先で蹴り飛ばして、空中でその手に収める。
「往ねや、調査課ぁ」
初撃失敗にも挫けることなく、役人とも思えぬ台詞とともに世界の終わりを思わせる奇声を上げつつ煌めく白刃を悠抄に突き立てんと伸ばすが、横合いから割り込んだ天猫が回転した槍の石突で顎を打ち抜き、そのまま柄の腹で側頭部を殴打した。
先鋒が土埃を上げて沈み込むのと同時に半身を開いて回避行動を取ると、その足元に数本の矢が突き立った。
僅かとも言えない天猫の隙を突いて、残り二名の討伐課員が空中回転を交えつつ悠抄の眼前へと躍り出る。
「油断したなぁ、調査課ぁ」
「へっ、腕が立とうと盤を読み違えればしまいだろうが」
胸元に煌めく芍薬の徽章と好対照の台詞を吐き出す他称役人の二人に、悠抄が懐から白い釉薬のかかった小瓶を取り出す。
「はい、そうですね。天猫が時間を稼いでくれたので、盤面を整えることができました」
では、お休みなさい、と悠抄が小瓶を逆さにすると、溢れ落ちた中身の粉末が風に攫われて、討伐課二人の顔付近に纏わりついた。
悪態をつく暇もあらばこそ、迂闊にも粉末を吸い込んだ討伐課員達はたまらず地面に倒れ込んだ。
「ちょ、悠抄さん! いくらなんでも毒殺はまずいですよ!」
回廊の柱の陰に隠れて避難を飛ばしてくる青年に、天猫が槍を半回転させて石突で地面を突く。
「大袈裟な奴だな。ただの眠り薬だよ。言っただろ、一度意識を刈り取らないと話にならないって」
解説する天猫の隣で悠抄がしゃがみ込むと、袖口から小さな革袋を付けた竹製の器具を取り出す。
「ともあれ時は押していますし、早く目を覚ましてもらいましょう」
にこやかに言うが早いか、革袋を押して竹筒に仕込まれた散薬を鼻先に吹き付けて回る。
討伐課員三人が跳ね起きたかと思うと、猛烈な咳とくしゃみそして時折混ざり込むえずきが踏みしめた土の庭に響き渡った。
突如出来した地獄絵図に、うわぁ、と彩藍が小さく零すのも意に介さず、獄吏もどきは腰に両手を当てて軽く息を吐いた。
「良いですか? いつも言っていますが、奇襲とは仲間を出し抜く作戦ではないのですよ?」
協調を欠くから遅れを取るのです、と襲撃被害者が襲撃者に道理を説く絵面はどう処理したものか、さり気なく混沌図から視線を外して彩藍が現実逃避を試みる。
繰り広げられる喜劇に興味のなさそうな気配を隠そうともしない天猫が、再度槍で地面を鳴らして討伐課一同の意識を引く。
「それよりも、随分と気配が少ないが、他の連中はどうした?」
「どうしたも何も、俺達が庁舎にいないなら現場に決まっているだろ。通常任務と国軍帯同の演習があったと思ったら、総務主導の現世での大捕物が入ったからな。ここに残っているのは運悪く留守居を押し付けられた十数人程度だ」
自分達はその十数人の中の調査課撃退代表争奪戦の勝ち残りだ、と威張る姿には反省のかけらも見当たらない。
期せずして飛び出した総務の名に、未だ柱と仲良くする彩藍は如何に反応したものかと意味なく青空を仰いだ。
「総務部主導ね。どこの課か分かるか?」
「あぁ、庶務と広報、後は人事だろ。この時期に堪忍袋の緒が切れる連中なんざ、そんなもんだ」
天猫の問いに討伐課先鋒が軽く答えると、未だ安全地帯に留まる彩藍に顔を向けた。
「そこの柱の坊主は出向組だろ。うちにいる連中もそうだけど、出向組は苦労するぞ。なんせ、故事の蝙蝠さながらだからな」
ようやっと復調を果たした三人組は顔を見合わせると、なぁ、と朗らかな笑い声を立てた。
派手な立ち合いを演じたにも関わらず、上等の官服を身に纏い弁も乱れぬ涼しさがあるはずの三人を目に、焚火に照らされる戦利品を前に呵々大笑する山賊を連想するのは何故であろうか、と問うべきを問わず現実逃避をしかける彩藍である。
青年の思考に半拍の隙を見て取った悠抄は、滑るような足取りで両者の間に割り込んだ。
「本題です。彩藍くんが組織変人不要論なるものに対する変人の存在意義について調査を行っていますが、皆さんは変人としてご意見はありますか?」
「いえ、僕が提唱者ではないので、そこで僕の名前は出さないでください」
分かりやすく濡れ衣を着せようと見せかけ、掲げた手の影で道標を外すという洒落にならない悪戯を仕掛ける悠抄を眺めて天猫が肩を竦めるが、いつにも増して楽しげな相棒の様子に、まぁ良いかとごく軽く見ないふりを決めた。
「誰が提唱者でも俺には関係ないがな、規約を守るのが常識人なら、規約を守った上で破る変人と規約の抜け道を探す常識人はどう対処するのか、というのが重要なんじゃないか?」
関係ないと言う割に絶妙に真理を突く討伐課その二の言葉に、何故か彩藍は悔しげに拳を握る。
常識人を自認する青年の態度に感銘を受けたわけではなかろうが、討伐課その三は意見を纏めるべくかんらと笑い声を上げた。
「要するに変人が不要だろうと必要だろうと、訓練と実戦が俺達を待っているわけだ」
短時間の邂逅でも分かる如何にもな言葉に、天猫と悠抄が深々と同意の頷きを見せる。
「確かに、最終的には仕事をさせてくれれば文句はないな」
「そうですねー。人間暇だと色んな事を考えるので、お仕事をするのが一番ですよね」
調査課と討伐課という変人集団によるこの上なく酷い結論に、次の総務部こそは、と儚い希望を受ける彩藍であった。




