第三十九話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その三十一
爽やかに広がる崑天の空。
岩肌に映える緋毛氈の上に正座した悠抄は、仁王立ちする天猫により威を掛けられていた。
「なんで怒られているか分かっているか?」
「はい、すみません。盛り上げようとしたのに失敗しました」
しょんぼりと項垂れる仮面少年の反省の弁に、猫面相棒がきりきりと圧を強める。
「そうじゃない」
ぱしん、と巻き取った紺紙を左手に叩きつけると、語気を強めて言い募る。
「虎なんかを呼び出そうとして、俺達が対応できなければどうするつもりだったんだ?」
「大丈夫ですよ。この虎さん程度で本気の天猫が遅れをとるはずありません」
不思議そうに首を傾げる悠抄に、一瞬言葉を詰まらせた天猫が深々と溜息をついて顔を反らせた。
そのまま終わりとなりそうな気配を察した彩藍が、猫面少年の背後から声をかける。
「いや、どれだけ甘いんですか。叱る時は叱るのが躾です」
締まらない猫面を押しのけると、変わりとばかりに事務官青年が腕組み立ちはだかった。
彩藍が方相氏の金の眼越しに万物の元凶を見据えると、いいですか、と少し温度の低い声で切り出した。
「自由気儘、無理ではあっても無謀ではない、が悠抄さんの持ち味なのは理解していますが、今回はさすがに度が過ぎています」
躾、と称するだけあり、まずは逃げ道から潰して説こうする青年に、悠抄がこっそりと意識を逃がしてやり過ごそうとするが、即座に指摘をされて未遂に終わった。
「的役が積極的に攻撃を加えるなど、射芸勝負として成立していないにも程があるでしょう」
場を仕切らんとする人物が率先して混戦生み出してどうするのだ、と詰め寄る事務官青年の言葉に、悠抄が反論をすべく仮面で青年を見返す。
「勝負とはですね、平等を保ちながらいかに天秤を傾けるかが肝要なのです。なので、武芸百般の天猫でも不利な弓勝負を持ちかけ、ぼくが場をかき回して不平等な平等となるのです」
「そんなわけないでしょう。世の中悠抄さんで構成されているわけではありません。そんな阿鼻叫喚は嫌です」
一般人には理解不能な理屈を堂々と展開する意不明な仮面に対し、良識の守り手たる青年がぴしゃりと切って捨てる。
青年の発言の真っ当さに、少し離れた場所で体を休めていた神獣は、うっすらと片目を開けると鼻から大きく息を吐いた。
「大体、あの状況でさらに何かしでかそうなんて、どこからそんな発想がくるんですか」
ぼやく彩藍に、悠抄が臆するでもなくひょいと手を挙げた。
「ですが彩藍くん、ぼくは主催した側としてより面白くする義務がですね……」
「言い訳しない。罰として、悠抄さんには有給二日を課長に申請しておきます。ちなみに、天猫さんももちろん連座です」
さらりと押し付けられた有給に、折良く吹き抜けた突風に煽られた猫面少年が巻き添えの衝撃を伴って大きくよろめいた。
「なんで俺まで……」
「ですから、連座です。監督不行届ですよ」
まだまだ続きそうな彩藍のお説教を、悠抄が手を翳して遮ると、そのまま掌を返して別の方向へと指先を向ける。
仮面の調査官が示した先には、粗末な住居の脇で佇む半透明の人物の姿があった。
「やっぱり出てきましたねー。ここなら、顔を見せるはずだと思いました」
悠抄がのんびり呟いて立ち上がると、一つ背伸びを見せて彩藍へと首を倒す。
「彩藍くん、有給の件はあとで取り消しのお話し合いをしましょう。それよりも、今は漁師さんが先決です」
さり気なく有給の拒絶を織り込んで話を途切れさせた人型問答無用は、軽い足取りで揺らぐ人型へと歩み寄った。
「羿さんのお宅を見て、何かが思い出せそうですか?」
焦点の定まらない視線を元英雄の侘び家に注ぐ漁師の影法師に、悠抄がひょこりと下から覗き込む。
虚ろな目が一瞬だけ自分を捉えたのを確認して、悠抄が右手を腰にあて軽く胸を反らせた。
「漁師さんには、奥様とお子さん達がいますよねー。置いてきてますけど」
右手の人差し指で腰を叩いて言葉を詰め始める悠抄に、天猫が身振りで一歩下がるよう彩藍に指示を出す
「羿さんにもご家族がいるのですよ。羿さんは奥様とお弟子さんですが、まぁ一緒に暮らしていたので家族みたいなものですよね。こちらも、心を遠くに置いてきてますけどねー」
輪郭定まらない相手に合わすわけではなかろうが、ゆらゆらと上半身を揺らす振り子生物に、漁師の魂は一度羿に顔を向けてから悠抄へど戻した。
「やっぱり、気になりますよね。羿さんも漁師さんも、ご家族がいるのに側にいないですし。もちろん、羿さんとは状況は違いますけどね」
ただ、と一度言葉を切ると揺らぐ漁師の魂の前面に回り込んで、しかとその目を覗き込む。
「ただ、ご家族にとっては話を聞いて欲しい時にいないという点で同じですね」
悠抄にしては珍しい切り口上の台詞に、彩藍がはらはらとしながら離れた位置に立つ羿の様子を伺う。
動揺する青年の心情を慮ったわけではなかろうが、傍らの弓聖より肺腑の息を抜くような笑い声が響いた。
「そう責めてくれるな、仮面よ」
羿の声かけにより悠抄の意識が僅かにそれた隙、漁師の魂が息を吹きかけられた蝋燭の炎のようにかき消えた。
しばし何もない空間を眺めていた悠抄だが、大きく息をつくと勢いよく後ろを振り返った。
「逃げちゃいましたね。羿さん、お仲間だからって庇うのはずるいですよー」
声に不満を滲ませる異形面の少年のもとに、彩藍が駆け寄って肩を掴むと前後に思い切り揺さぶった。
「悠抄さん、あれはさすがに厳しすぎじゃないですかね。漁師さんだってなりたくて今の状況になったわけではないですし」
「ぼくは漁師さんを連れ帰ると子供さんに約束しました。なので、そろそろ自分で帰ろうと思ってくれないと手助けする甲斐がないのです」
苦言を呈する二等事務官に対し、ふんっ、とそっぽを向く悠抄に取り付く島はない。
いつにない不機嫌さにいかにしたものか、と彩藍が天猫に助けを求めると、猫面相棒は仕方がないとばかりに肩を竦めた。
「言っただろ、これでも悠抄は年寄りと子供に甘いって。むしろまだ我慢している方だな」
天猫の軽く笑いを含んだ声で当て擦られた弓聖が、苦笑いとともに大きなずた袋を彩藍に押しつけた。
「そこの仮面にこれ以上機嫌を損ねられては儂が保たんな。妻と弟子には改めて話をするので、ひとまずはこれで勘弁しろ」
おどけた羿の言葉に彩藍が袋の中身を確認すると、仄かに光を放つ鳥の羽根がこれでもか詰め込まれていた。
歓声をあげる彩藍の横から袋を覗き込んだ天猫が、呆れたようにゆるく頭を振った。
「律儀だな。最初から準備していたのか」
「仮面にも言った通り、儂には不要な物だからな。ただ、御老にお気に掛けていただいていたとあっては、安易に渡すわけにもいくまいよ」
からからと笑い声を一度区切ると、まぁ、と悠抄を指差す。
「そこの仮面の指摘は図星過ぎて中々に腹が立った故に、それなりに本気で暴れさせてもらったがな」
お陰で良い憂晴らしになった、皮肉を寄越す元英雄に、悠抄がつまらなさそうに鼻を鳴らして見せる。
「ぼくが彩藍くんにお説教された分も合わせて、奥さんやお弟子さんに叱られてくれたら水に流してあげますよ」
悪態を一つつくと、揃え右手の人さし指と中指を軽く添えて息を吹きかける。
数瞬の間を置いた後、袋が蠢きを見せたかと思うと大鷲へと姿を変えた。
「せっかく鳥さんの姿に変えてあげたので、君が向かう場所は自分で分かりますね?」
「ぎょぇ」
頭を撫でようとする悠抄の手を避けた大鷲があらぬ方を向いて不服従を表明する。
ふむ、と頷いた悠抄が大鷲の前にしゃがみ込んで触れる直前まで仮面を近づけた。
「もう一度だけ聞きますね。君は、自分の役割がわかる良い子ですよね?」
「……きゅぁ……」
横暴の具現化による無自覚の同意強制に抗えず、術生物は不承不承頭を下げた。
「そういうわけで、金烏さんの羽根は、隠れ里の職人さんまで大鷲さんが届けてくれます」
「あぁ、見事な強権発動の図だったな」
晴れやかに振り返る問答無用に対して、天猫は正確な表現を返し、彩藍は大鷲に同情のあまり両手で方相氏面を覆って見せる。
「なんにせよ、火鼠の皮は営業猫鬼その一が必死に運び込んでいるだろうから、皮衣はこれで問題なしだな」
ぴー、と上空で一度輪を描いて抗議の声をあげた大鷲を見送った天猫が軽く伸びをして締めくくる。
出立の気配を見せた一行に、羿が欠伸を漏らしつつ声を掛けた。
「貴様らが遅れを取るとは思えんが、次はどこに迷惑をかける気だ?」
「次は水界の底、龍府の主が相手だな」
天猫の即答により想定外の規模の大きさを把握した羿は僅かに鼻白むと、大丈夫かと問う目線を彩藍へと向けた。
古の英雄の懸念の表情を向けられた彩藍は力なく肩を落とすと、万物の元凶を指さした。
青年の指差しに気がついたわけではなかろうが、一歩進み出た悠抄が根拠不明にふんぞり返った。
「大丈夫ですよ。ぼくのお友達が相手なので、順調に話がつくに決まっています」
誰にとっては順調かは不明だが、次なる被害者の発生だけは確約された宣言であった。




