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泰山庁幽鬼調査課  作者: 十弥彦
仮面編
12/17

第十二話 悠抄、仮面の秘密を明かすの事 その四

 常ならば早朝の漁も終え一休みしているであろう昼下がりのひととき。

 子供は遊びに転がり、老人達が陽光を受け茶飲み話に興じる広場では、予期せぬ客人を総出で出迎えていた。

 本来は声を上げて驚かれることも少なくない異相の面の少年達だが、この時はどんな手段を用いたものかすんなり受け入れて、投げかける問に口々に回答を得ていた。

「ここ最近は、話しかけられれば受け答えもするし、ご飯も仕事も変わったことはないけど、いつもぼんやり、ですか」

 それは面白いですねぇ、と上着の裾に子供を纏わりつかせた悠抄が、広場の縁台に腰を掛け、件の漁師の妻を中心とした主婦層から聞き取りを行う。

 その周囲では、子供に囲まれ順番に振り回して遊び相手になる天猫と、何故か老人達に取り囲まれ背や肩を容赦なく叩かれる彩藍の姿が見える。

「ちょ、ちょっと、何ですか、これ。さっきまでの説明と話が違うんですけど」

「落ち着け。驚くのは分かるが、稀にある状況なんだよ。ここみたいに加護の強い小さな村で住人が感受性が高い上に、当事者に徳があったりすると、村全体が関係者判定されるんだ」

 老いてまさます盛んの格言通りの迫力を見せる長老衆の攻勢に情けない声を上げる青年に、猫面少年が助けを出すでもなく冷静に現実だけを突きつける。

 曰く、現状は身なりの良い子供二人とお付きの青年にでも見えるから、身構える必要もないのだろう、とのことである。

 いい加減な話だが損をするでもなし気にすることもない、と締めくくった猫面の少年が、ああ、と思い出したかのように言葉を続けた。

「言っておくけどな、仮に妖怪じみた体力でも年寄りは邪険にするなよ。適当にあしらって落ち込ませると、後で悠抄に詰られるぞ」

 あいつ、あれで年寄りと子供には甘いからな、とのんびりと難題を付け加えると、天猫自身は子供たちの相手に戻る。

 現状を理解した上での無理難題に彩藍が一瞬大きく怯むが、妖怪並みの体力お化けと評された年寄連がその隙を見逃すはずもなく、どこから取り出したものやら、青年の腕の中に村名産の干物積み上げていった。

「坊やのお付きの兄さん、うちの年寄連に集られているけど、大丈夫なのかい?」

「大丈夫ですよ。お年寄りと子供が元気なのは良い村の証拠ですよ。渡されたお魚は、彩藍くんが買い取るので問題ないです」

「問題あります。僕よりあちらの方が高給取りなので、押し売りは悠抄さんにお願いします」

 血も涙もない悠抄の宣言に、彩藍が品物を崩さないように苦戦しつつも凛とした声音で反論を試みる。

 そして、いずれにしても定給取りと判断した老人は、黙って特大の干あわびをひとつ積み上げた。

 不毛な攻防を繰り返すことしばし。

 胴間声の呼びかけに振り返ると、焦点の合わない目をした中年男性を引っ張ってきたひげ面のが駆け寄って来る姿が見えた。

「ああ、来たよ。ほら、あのぼんやりしたのがうちの亭主だよ。昔は気風の良い男前だったんだけどねぇ」

 右の頬に手を当て悩ましげに溜め息を付く漁師の妻の言葉に、同じ方向を向いた悠抄がなるほどと声を漏らす。

 見やった先の漁師の男は、確かに指示を受け動いてはいるものの、緩慢に手足を上下させ時折立ち止まる様子は、細君言う気風の良い男前の気配は感じられなかった。

「これは確かに、様子がおかしいですね」

 腕を引かれて歩く漁師の生気のなさに、やはり確認が必要と、纏わりつく子供の手を取り早く来いと手招きをして見せる。

「待たせたな。今日も川を見てぼけーとしてたから、引っ張ってくるのに苦労したぜ」

「ありがとうございます。では、ちょっと調子を診てみすね」

 額の汗を拭うような仕草でおどけてみせる髭面に礼を述べると、悠抄が漁師の右手首に二本の指を添え、残る片手で左目の下瞼を引き下げて眼球を覗き込み、続いて大きく口を開けさせ異常を確認する。

「ふむふむ、黄色い眼球、目の下に隈、舌の白くすみに、とどめが虚脱となると、これはもう魂が抜け出たとみて間違いないですね」

 脈を取ると共に手早く面相を読み取った悠抄が所見を口にする様子に、周囲が短く感嘆の声を漏らす。

 言葉の意味こそわからないものの、どうやら対処できそうだと踏んだのであろう、落魂の漁師を連れてきた男が、豪快な笑いを上げて仮面の少年の頭をかいぐりと撫でつけた。

「なんだい、ちびっこがお医者のお弟子をしてんのかい。なら、なんとか治してやってくんねぇかな。こいつが静かだとこっちまで調子が狂っちまうよ」

「お医者ですか。厳密には違いますが、何とかするのがぼくのお仕事なので、まぁ、今は似たようなものですね」

 泰山庁きっての問題児二人組の片割れが、知らぬこととは言え現世の住人のなすがままにされていると言う怪現象に、目撃してしまった彩藍が危うく干物を落としそうになり老人達の顰蹙を買う。

 渦中の漁師を確認できて満足したのか、悠抄が纏わりつかせていた子供から裾を抜き取ると、さて、と背筋を伸ばして咳払いをした。

「はい、ありがとうございました。漁師さんの一家以外はお仕事に戻ってくださいねー」

 悠抄が立てた指を大きく回すと、好奇心に輝いていた村人達の瞳に理性の光が灯された。

 次いでぱちりと手を打ち鳴らすと、欠伸を漏らしたり腕を回したりと、三々五々日常生活に戻って行った。

「……いいんですか、あれ。術で解散って、規則違反すれすれじゃないですか。絶対相手するのが面倒くさくなっていますよね?」

「何を今更。あいつは悠抄だぞ?」

 大量の干物を腕に抱えたまま驚愕に一歩身を引く彩藍に、天猫が理屈になっていない理屈で纏める。

「なんか失礼な話をしていませんか?」

「お前の性格が悪いって言う話だよ」

「なるほど、事実ですね」

 相棒の評に雑に納得すると、体を翻してぼんやりしたままの漁師と急な変化にぽかんとするその妻へと向き直った。

「お待たせしました。詳しくお話を聞きたいので、お家に案内してくださいね」

 有無を言わさぬ調子で告げられた決定事項は、先ほどの見立てと相まって、断る選択肢を浮かばせることなく意識の隙間へと滑り込んだ。


 〜〜


 案内をされた漁師の自宅は、村のやや西寄りの浜と河川の中間に場所に位置していた。

 簡素な居間の卓の上手中央に漁師とその両脇に幼い子供たちが腰を下ろし、対面を悠抄達が座す。

「生物の内面は、魂と魄と言うもので構成されています。魂は精神を司り魄は体を支えます」

 ここまでは現世でも有名な話ですね、と一人頷く仮面の少年に、一行を白湯でもてなした漁師の細君がはぁ、と曖昧に返事をする。

「魂が落ちれば虚脱となり、魄が抜ければ体はもぬけの殻となります。ご主人の場合、反応は鈍くても声を掛ければ動きご飯も食べるので、典型的な落魂と言えますね」

 ひらりと左右に動かした少年の手に、漁師の視線が遅れて後を追う。

 ね? と首を傾げる仕草に、今までは現実を直視するのを避けていたのであろう細君が泣きそうに顔を歪め、天猫は相棒の頭を小突く。

「お前は率直にすぎる。相手は素人だ、言葉は選べ」

「あ、はい。すみません。迂闊でした」

 指摘を受け素直に謝罪をする悠抄だが、細君の気が休まろうはずもない。

 盆を抱えて、どうにか言葉を絞り出そうと口を開閉させる。

「悠抄さん天猫さん、こちらのご主人はどうなるんですか?」

「この漁師が鬼籍に載ることはない。そこは安心するといい」

 きょとんとした子供たちの表情に哀れを感じた事務官が調査官二人を窺い見ると、視線を受けた天猫が、まずは、と大きく頷いて断言をした。

「遅くても反応があるのは魂の緒が繋がっていてこそなので、天猫の言う通りその点に心配は要りません」

 事情の確認は必要ですが、とぽつりと呟いた悠抄が顔をあげて仮面越しながらも細君としっかり目を合わせる。

「その前に、体がこれ以上疲れないように安静にさせる術をかけますので、細かいお話はその後に聞きますね」

 日々気丈に振る舞いながらも不安に耐えていたのであろうと漁師の妻が、くたりとしゃがみ込んで何度も頷くと眦に滲んだ涙を拭う。

 そんな母親の様子に幼子なりに何かを感じたのか、椅子を飛び降りた漁師宅の長男が弟を連れて悠抄のそばに歩み寄ると、その袖を引いて問いかけた。

「父ちゃん、また元気になっておれ達と遊んでくれるの?」

「はい、必ず良くなりますよー。今はいっぱい眠ることが大事なので、良い子は元気にして待っててあげてくださいね」

「長い昼寝だけどな、起きたら我慢した分たくさん遊んでもらえ」

 悠抄と天猫から交互に頭を撫でられた幼子の兄弟は、その仮面を見上げ精一杯の笑みを浮かべて見せた。

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