10、夏が来て、地固まる
口元をほんのりほころばせる店主を見ていたよつはは、自分の横で同じく店主をまじまじと見ている花緑青に気が付いた。
「この男がお礼を言うなんて……さすがはよつはね!」
なぜか誇らしげな花緑青のことばに、店主ははっとした顔をするとぷいとよそを向く。おだやかな空気に飲まれかけていたよつはは、ふと我にかえって姿勢を正した。
「茶碗を割ってしまい、お返しするのが遅くなり、そのうえ勝手に手を加えて申し訳ありません。迷惑をかけてすみませんでした。働かせてもらってありがとうございました。今日まで、お世話になりました」
店主と珠串に向けてぺっこりと頭を下げたよつはに、花緑青が飛びついた。
「なによ、それ。まるで今日でいなくなるみたいなこと言ってるわ」
「……ごめん」
愛らしい顔をしかめる花緑青に、よつははそれしか言えない。おおきな瞳に涙を浮かべる花緑青を見ていられなくて、そらした視線のさきで珠串と目があった。
「器を割ったことの責任を取ろうと思ってのことですか?」
「責任……が取れるほどの価値があるとは思っていません。でも、あの客を招き入れたのは事実です。ここにいれば、また来るかもしれない。あの客でなくても、ほかのだれかを招いてしまうかもしれない。だから……」
「だから、やめるというのか」
よつはが言いよどんだことばの先を店主が引き継ぐ。それを言った店主の顔があまりにも不機嫌そうだったので、よつははだまってうなずくほかなかった。
花緑青が目をうるませて、シバイヌがくぅんと鼻を鳴らす。珠串が目を伏せてじっと何かを考えているそのとき。
「……だめだ」
むっつりと閉じていた口を開いて、店主が言う。
「責任を取るというなら、やめるなどもってのほか」
そう言い切られてしまって、ほかに謝罪の方法を知らないよつははうなだれるしかない。これまでに受け取った給料を全額返して、それで足りるだろうか、とよつはが悩みはじめたとき、珠串がうんうん、とうなずいてにっこりと笑う。
「そうですね。よつはさんにやめてしまわれては、ここはいよいよ廃墟と化して、化生の巣窟となってしまいます。この件に関してよつはさんに非があるとは思えませんが、気持ちが収まらないとおっしゃるのなら、これからも足を運んでいただけるとうれしいです。と、言いたいようですね。もちろん、わたくしも同じ気持ちです」
眉間にしわを寄せたまま言った店主のことばに、珠串が付け足せば、店主はあわてて珠串に詰め寄る。
「おれは、そんなことはっ」
「思ってるけど、言わないのよねえ」
言いかけた店主をさえぎった花緑青が、やれやれと言いたげに肩をすくめる。
「いいえ、言えないのよねえ。よつはを泣かせたときだってそう。まったく、いつだってことばが足りないんだから」
「それに関しては、擁護のしようもございませんね」
苦笑を浮かべた珠串に視線を向けられた店主は、うっとことばに詰まっている。
それをいいことに、珠串と花緑青がよつはを囲んで話し出す。
「あの日、よつはさんがお帰りになってから戻ってきたわたくしは、ことの顛末を問いただして心底呆れました」
「そうよ。はじめは黙っててなにも喋らないものだから、聞き出すのも苦労したわ」
「その話はもう!」
店主がさえぎろうとするが、珠串と花緑青の口は止まらない。
「器が割れて、よつはが泣いてたっていうのに、どうしてひとことめが『割れたのか』なのよ! てね。見ればわかるでしょ、その状況は」
「そうですとも。そこで言えばよかったのです。『割れた破片で怪我をしなかったか』と。あとになってオロオロと家のなかを歩き回るくらいなら、はじめからすなおになっていればよろしかったのに」
たしかにあの日、割れた茶碗をまえに涙を流すばかりだったよつはに向けて、店主は「割れたのか」と言った。あれは道具を割ったことに対する詰問かと思っていたが、そこにそんな意図があったとは。
おどろいたよつはが目を丸くして店主を見れば、視線に気がついた店主はわずかに頬を赤くしてぷい、と顔をそらす。
「そうよ、そうよ。よつはが知らない男を連れてきたことに嫉妬したなら、そう言えばよかったのよ。『なぜ招き入れた』なーんて聞かれても、伝わるわけがないわ」
「それに店のことを判断するのは自分だ、などと回りくどいことを言わずに、よつはさんが居ればじゅうぶんだ、とお伝えしていれば、このようにこじれることもなかったでしょうに」
言いたい放題に言っているように聞こえるが、珠串と花緑青のことばは、本当なのだろうか。確かめたくて店主を見ていれば、そっぽを向いたままでいた店主がふるふると震えだした。
かと思うと、勢いよくよつはのほうを向いてまくしたてる。
「ああ、そうだ。その通りだ。それから、物を大事にしないやつは嫌いだが、大事にしていても割れてしまうことが、壊れてしまうことがあるのも知っている。お前がここを、ここにあるものを大切に思っていることはわかっている、と言いたかったんだ!」
眉を吊りあげ怒ったような口調で言う店主だが、顔だけでなく耳まで赤くなっていては、迫力もなにもない。
言うだけ言って、ふんっと再びそっぽを向いてしまった店主に、珠串がしゃらしゃらと音を立てて笑う。
「そんなわけで、よつはさん。至らないものばかりですが、これからもよろしくお付き合いくださるとうれしく思います」
にこやかに言う珠串の横では、花緑青がにっこりと笑顔を浮かべている。よつはの足元にいるシバイヌもちょこりと顔をのぞかせて、よつはを見上げている。そして、そっぽを向いていた店主もまた、赤みの残る顔をよつはに向けて、じっと返事を待っている。
よつははじわじわとこみ上げるうれしさを噛みしめるように、ゆっくりと口を開くと、頭をぺっこり下げた。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
この場所にふたたび迎え入れてもらえたよろこびに、よつはの胸は熱くなるのだった。
〜金の章 完〜




