6、客というには始末が悪い
よつはがハラハラしながら見守るなか、福永ははじめに見せた引きつった顔はどこへやら。室内をふらふらと歩き回る。
ふと目についたものを無造作に手に取って、眺めることもなくよつはに向けて突き出す。
「ね、これなーに?」
「文鎮。書道とかで紙が動かないように置くもの」
人さし指と親指の二本で気軽に摘ままれたのは、よつはの手のひらほどの長さをした細い棒だ。一見、黒一色に見えるがよく見れば細かな彫り物が施してある品のいい文鎮だった。
なんの素材でできているのかまでは知らないが、落としていいものではない。陶器ならば文鎮が割れてしまうし、金属ならば下にある小物が壊れるだろう。
いつ福永の手がすべって取落すかと思うと、よつはの手は自然と文鎮の下で待ち構える形になる。
「ええー、なにそれ。落とすと思ってるの? ひどいなあ、そんなことしないよー」
なにがおかしいのか、福永がけらけらと笑うたび、震える彼の手によつはの心臓は速くなっていく。
こつん。
持ち上げたときと同じ気軽さで福永が文鎮を戻して、よつははほっと息を吐いた。
「ここってほんと、なに屋さんなの? 見た目ボロいし、中身もボロいものばっかりなんだけど」
「歴史ある建物。中にある道具たちもみんな、長く使われて今に至っているものばかり」
白寿堂をけなす福永の発言に、よつはは素早く言い直す。
お客さまとはいえ、彼を招き入れたのは良くなかったかもしれない。きしきし鳴り止まない物音を聞きながらよつはは思う。
彼に悪気はないのかもしれないが、黙っていられなかった。それでもお客さまに対する言いかたではなかったのでは、とよつはは彼の様子をうかがう。
ただでさえ客がいない白寿堂の印象を悪くしては、いよいよ客さえも雇って呼ばなければいけなくなるかもしれない。それさえも見つからなければ、よつはが大学を卒業したあとにここが廃墟と化してしまう。
心配するよつはをよそに、福永は気にしたふうもなく次の棚に手を伸ばしていて、ほっとすると同時にひやひやする。
「あ、よつはちゃんってこういうの好きな系のひと? レトロとか、アンティークな感じのやつ好きなんでしょ。だからここで働いてるんだ。だったら今度いい古着屋、教えたげるね」
こけしをつつきながら言う福永に、よつはは首をかしげる。
たしかに、白寿堂の雰囲気は好きだ。けれど、それが古いものだから好きなのか、と言われるとすこし違う気がする。
いつも胸のポケットに入れているお気に入りのペンだって、はじめから古かったわけではない。もらったときは新品でぴかぴかのペンがうれしくて持ち歩くようになり、そうするうちにどんどん好きになっていって、いつしか手にしっくりなじむようになって手放せなくなって。
そういう風にして、誰かが大切にしてきた結果ここの道具たちが白寿堂に集まったのだと思うと、愛おしい気持ちになる。
思うが、それをうまくことばにまとめられない。
そんなことを考えて、福永から意識をそらしたそのとき。
「あー、こんなのもあるんじゃん」
ふらっと足を進めた福永の手が、戸棚の引き戸をがらりと開ける。
「こういうのって、すんごい値段ついたりするんでしょ。いいやつ安く売ってよ、友だち割でさあ」
言うが早いか戸棚のなかから古びた茶碗を取り出した福永は、片手で持った茶碗を目の高さに据えてくるくると回す。
珠串がときおり茶を注いで出してくれる茶碗だ。手にしっとりなじむ陶器製の茶碗は、取り落とせば確実に割れる。
よつはが彼を止めようと口を開きかけたとき、きしきしと続いていた家鳴りがぴたりとやんで、部屋のなかは静まり返る。
「あ」
ぽつり、と声が落ちた。
福永の口からこぼれた声。
それと同時に、茶碗も落ちた。空っぽになった自分の手を見つめる彼の声を追うように、抵抗もなく宙を落ちていく茶碗。
ぱりん。
軽い音とともに、茶碗は割れた。
止める間もなかった。ほんの一瞬のできごとだった。
そのほんの一瞬で、これまで茶碗の過ごしてきた長いときが断ち切られた。
からり、転がる茶碗はふたつにわかれて無残な断面をさらしている。ステンドグラスを透かした赤い光が、割れた茶碗を床ごと色鮮やかに染めていた。
よつははふらふらと足を進めるとしゃがみこみ、その赤に手を伸ばす。
「あ、あちゃー。やっちゃった。これってもしかして、高いやつ? ごめんね、よつはちゃん。わざとじゃないんだよ。ほんと急につるっと手がすべってね、ついうっかり……」
弁明を口にしていた福永のやけに明るい声は、座り込んだよつはのひざのうえにしずくが落ちた瞬間、ぴたりと止まる。
ぽたぽたと、涙がこぼれていた
割れた茶碗を呆然と見つめるよつはの目から、透明なしずくが止めどなく流れ落ちる。
それを見た福永はぎょっとしたかと思うと、すぐにうろうろと目を泳がせた。
「な、なんだよ。泣かなくってもいいだろ。たかが茶碗じゃん。それも中古のぼろいやつだろ。ほかにもいっぱいあるんだから、ばれないって」
焦ったように福永が言っても、よつはは茶碗を見つめてただ涙をこぼすだけ。
「なんなんだよ、泣いてんじゃねえよ。ほんものの不思議ちゃんかよ」
いらいらとことばを重ねながら、福永は後退していく。
「なんだよ、茶碗ひとつで泣くとか、意味わかんねえ。お前なんかちょっと変わったやつだと思って、声かけただけだからな。まじで変なやつには用はねえよ。大学で会っても、もうおれに声かけるなよ」
言うだけ言って、福永は靴を履くが早いか玄関の扉を荒々しく開けて、飛び出していった。
開け放たれた扉の向こうで足音が遠ざかっていくのにも気づかず、よつはは座り込んだまま、割れた茶碗を見つめているのだった。




