7、緑と灰と健太郎、三人寄れば大騒ぎ
「そんな毛むくじゃらばっかり、撫でてるんじゃないわよー!」
飛び出しざま、叫んだのは栗色の髪に緑のワンピースを着た少女。緑の椅子のつくもがみだった。
「え? あれ? よつはちゃんの知り合い? あれ、この子どこから出てきたの?」
向かい合うよつはと少女に交互に目をやり、健太郎が首をかしげる。そのそばでは、珠串が遠い目をして明後日の方向を見ている。
彼らを見て少女を見たよつはが、どうしたものかと考える間に、少女はほほをふくらませて主張する。
「すぐそばまで来てるのに、なんであたしじゃなくてほかのやつを構ってるの! あたしに構いなさいよ! よつはのばかあ!」
怒っている。赤くなってほほをむくれさせる様は大変かわいらしいが、間違いなく少女は怒っている。
地団駄を踏む少女の動きに合わせて、緑色のワンピースがひらひらゆれる。それを見ていたよつはは、はたと閃いて、持ったままでいたメモ帳のページをめくった。
片手で抱えたシバイヌを落とさないよう気をつけながらとあるページを開いたよつはは、目的の箇所を見つけてペンで丸を付けた。そして、それを少女に向けて見せた。
「花緑青。あなたの名前。ずっと考えてた。やっぱり、あなたのその色を表す色にしたい。だから、花緑青。どう?」
開いたページには、丸印をつけられたひとつ以外にもたくさんの文字が書かれている。ひらがな、カタカナそして漢字。どれも、少女のことを考えていろいろな本から見つけてきた文字ばかり。
よつはのすこし癖のある字でびっしりと書かれた文字の列に、少女は地団駄をやめてじっと見入る。
示された自身の名前を見るその顔の変化は、顕著だった。
眉間のしわが消え目が一点を見つめる、真剣な表情。
それが一転、ほほはばら色に染まり、目はきらきらと輝いた。口角はきゅうっと音が聞こえそうなほどの勢いで上を向く。
そして、少女はよつはに飛びついた。
「おっと、と」
イヌを落とさないよう片手で少女を抱きとめたよつはのひざに乗り、少女はぐいっと顔を近づけた。
「すてきよ、よつは! とってもすてき! きれいな響きだわ。きれいな字面だわ。だけどなにより、あなたがあたしのために考えてくれたことがうれしいわ。こんなにたくさん考えてくれて、あたし幸せよ!」
一瞬で機嫌を直した少女、花緑青はよつはのほほに頬ずりする。
右手にイヌ、左手に少女を抱えて必死に体勢を保つよつはに気づかない少女は、機嫌よく続ける。
「ここの主なんて、ひどいのよ。あたしが緑色に塗られた椅子だからって、あたしのこと『みどり』って呼ぶの。まったく、気が利かないうえにセンスのかけらも感じないわ」
機嫌よく笑いながら怒るという器用なことをしてみせる少女のことばに驚いたのは、健太郎だ。
「ええ? ここの主に会ったの? ていうか、椅子? この子、椅子なの? ええぇ?」
花緑青を指さして疑問符をいくつも浮かべる健太郎に、当の花緑青が鼻を鳴らす。
「なあに、この人間。椅子で悪いかしら? まあ、あたしとしてもあんたなんて座らせたくないから、かまわないけど」
少女を見つめて目を白黒させる健太郎に、珠串がそっとささやく。
「それは、椅子のつくもがみです。緑色の華奢なものが、ありましたでしょう。あれがつい最近、つくもがみに成ったのです」
「つくもがみ……椅子の。それと石灯篭も、つくもがみ……。おれが来なかった短い間に、ふたりもつくもがみが増えてるって、どういうこと……?」
珠串のことばを耳にして呆然とつぶやいた健太郎は、呆けたような顔でよつはを見る。よつはと、その腕に抱かれた灰色のシバイヌ、そして緑のワンピースの少女を見つめる。
「おれが何年も通ってる白寿堂で、おれの知らないつくもがみがふたりもいて、しかも両方になつかれてるなんて……」
ぶつぶつとつぶやいていた健太郎だったが、不意にくるりとよつはに背を向けた。
そして、そのまますたすたと歩いて玄関に向かっていく。
「おかえりですか?」
「……ちょっと、一回帰って気持ちの整理してくるよ。きょうはこの町に泊まってるから、また明日来る」
声をかけた珠串にそう答えて、健太郎はふらりと出て行ってしまう。よつはが立ち上がる間もなかった。
というか、ひざのうえのふたつの塊のおかげで、よつはは立ち上がれない。片手ではシバイヌを下ろすこともできず、かといって花緑青を下ろそうとすれば首に回した腕にますます力が込められてしまう。そして、両者がそれぞれ悲しげな鳴き声を上げたり、離れたくないと抗議してくるものだから、どうしたものかと困ってしまう。
そのとき、不意に背後から伸びてきた腕が灰色の毛玉を持ち上げた。おかげでいくらか自由の利くようになったよつはの耳に、知らない声が落ちてくる。
「喧しい」
振り向けばそこにいたのは珠串でもない、健太郎でもない。よつはとそう年の変わらない見た目をした青年が着流しをまとい、耳をぺたりと伏せたシバイヌを片手に立っていた。
よつはは、見知らぬ青年をじっと見つめる。
間違いなく初対面だ。オレンジ色の短髪と角度によって色の変わるひとみをしたひとなど、いくらよつはでも忘れない。
けれど、よつはには彼がだれだかわかっていた。会うのははじめてだが、彼のまとう雰囲気をよつはは知っていた。どことなく近寄りがたい、けれど静かに凪いだ雰囲気。この雰囲気をよつはは何度も感じている。
ひざに座る花緑青をそっと床に下ろして立ち上がったよつはは、青年に向き直ってぺっこり頭をさげる。
「中紅よつはです。お世話になってます、店主さん」
「……べつに」
青年がぶっきらぼうに言って、シバイヌを下ろす。その手つきは思いのほかやさしい。
シバイヌのほうもそれを感じたのか、あるいはほかの何かがあるのか。青年の足元に親しげにすり寄るが、青年はくるりと背を向けて店の奥へと歩きだす。
「店主さん」
その背によつはが声をかけると、青年の足が止まった。
「アルバイトとして、役に立てていますか? これからもここに来て、良いですか?」
よつはの問いに、そばで聞いていた花緑青がこくりと息を飲む音が聞こえる。そっと伸ばされた手をにぎって、よつはは店主の背中を見つめて応えを待つ。
取り残されたシバイヌも、その場でおすわりしてじっと待っている。
「……好きにしろ」
振り向かないままそれだけ言って、店主はふたたび歩きだす。
よつはは花緑青とつないだ手をぎゅっとにぎって、もう一度ぺこりと頭を下げた。
「これからも、よろしくお願いします」
店主からの返事はない。彼はそのまま店の奥の暗がりに消えてしまった。
けれど顔をあげたよつはの周りには、飛びついて喜びを表す花緑青と、くるくる回ってうれしげなシバイヌがいる。
やさしくほほえむ珠串にうなずかれて、よつはの胸にもうれしさがこみ上げる。
これからもここに来て良い、という店主の許可をついにもらえたのだった。
〜灰の章 完〜




