1、よろしくしないほうが、良いようです
店主と顔をあわせた翌日。
大学での講義を終えたよつはは、礼華と向き合って学食をほおばっていた。
いつも何かと忙しい彼女と講義以外でいっしょに過ごせることはあまりないため、貴重な時間だ。
「ふふふ、よつはちゃんのおすすめメニュー、おいしい」
うれしそうによつはのおすすめ、鶏から温玉丼を食べる礼華に、よつはは箸をとめる。
礼華の前にあるのは、丼がひとつと水の入ったコップがひとつ。対するよつはの前には、ごはん茶碗、さばの味噌煮、具沢山みそ汁と温野菜サラダが並んでいる。
「それだけで足りる? やっぱり、デザート取ってくる? このあいだの日焼け止めとタオルのお礼だから、遠慮なく」
「ううん、これをおごってもらっただけで十分よ。むしろ、よつはちゃんといっしょにいるだけで十分しあわせだわ」
そんなものだろうか、と首をかしげながらも、ことばの通りしあわせそうに微笑む礼華を見て、よつははおとなしく食事に戻る。
黙々と皿のうえをきれいにしていくよつはと、そんなよつはを眺めながらにこにこと食事を進める礼華。
静かなテーブルだが、周囲のにぎやかさに包まれてさみしさは感じない。おだやかでのんびりとしたひとときを楽しんでいたよつはだったが。
「あ、ここおじゃまするね」
知らない声がおだやかな空間に割ってはいってきた。かと思えば、声の主はすでによつはのとなりの席に腰をおろしている。
見れば、よつはの知らない男だ。おそらく、よつはたちと同じくらいの年だろう。やや長めの髪を明るい色に染めて、おそらく意図的にだろうがあちらこちらにはねさせている。悪びれなくテーブルにもたれかかる姿を見て礼華の知り合いだろうか、と彼女をうかがうと。
「どなた?」
よつはの対面に座る礼華は、きれいな眉をしかめて言う。それを見るに、礼華も知らない男なのだろう。
美人ににらまれているというのに、男は気にしたふうもなくへらりと笑う。
「おれ、福永ハヤト。きみがよつはちゃんでしょ? 同じ学科なんだけど、知らない?」
よつはの顔を見ながら首をかしげてみせる男、福永をまじまじと見るが、所属する学科の必修講義でも見た覚えがない。そこでよつはは、こっくりうなずき自己紹介をする。
「はじめまして、中紅よつはです」
「うわ、まじで不思議ちゃんだ、はじめましてって言われちゃったよ。おれ、基本的に講義は出てないせいかな。あ、敬語とかいーよいーよ。同学年だもん。おれもよつはちゃん、って呼ばせてもらうしさ」
「はあ」
ひとりでべらべらとしゃべる男になんと返事をしたものか、と考える気も起こらない。
呼び名についてもこだわりがないため、よつはは気の抜けた返事をするが、そこに待ったをかける者がいた。礼華だ。
「ちょっと待ちなさい! よつはちゃんよりあなたのほうがよっぽど不思議だわ。いきなりやってきて、認識もされていない男が『よつはちゃん』呼びしていいわけがないでしょう。まずは『中紅さん』からよ!」
眉を吊り上げた礼華は、美人なのも相まって迫力がある。
けれど福永は気にした風もなく口をとがらせる。
「えぇー。いいじゃん、かわいい名前なんだから、おれだって呼びたいし。代わりに、おれのこともハヤトって呼んでいいから。ね?」
福永のことばがどのような理屈に則ったものか、よつはにはわからなかったが、了承すればいまでも不愉快そうな顔を隠しもしない礼華が喜ばないだろうことは想像ができた。
「中紅、でお願いする。福永くん」
「えー、お願いされちゃったよ。まあいいや。仲良くなったら名前で呼ばせてね、中紅さん。じゃあ、またね!」
にっこり笑ってそう言うと、福永は立ち上がってよつはたちに背を向けた。目で追えば、あちらこちらに声をかけ、声をかけられしながらふらふらと去っていく。
その姿がすっかり人ごみにまぎれるころ。
「……よつはちゃん、あの男に気をつけるのよ」
男の去ったほうをにらみつけながら礼華が言うので、よつはは首をかしげる。
「これまで会ったことないから、きっとこれからも会わないと思う」
だから気をつけるもなにもない、と言う前に、水をあおった礼華が鋭い目でよつはを射抜く。
「甘い! 甘いわ、よつはちゃん。いままで会ったことがなくたって、あの男から会いに来るかもしれないじゃない。いいえ来るわ、きっとよつはちゃんに会いに講義にも出るし、学内をうろつくわ。もしかしたら街中をうろついて、ぐうぜん出会ったふりして声をかけてくるかもしれないわ!」
火を吹かんばかりの勢いでしゃべる礼華を見ていると、一所懸命にいろいろなことを話してくれる花緑青のことを思い出し、よつははほんのりと暖かい気持ちになった。
そんな気持ちのまま礼華を見ていることが伝わったのだろう。
「……ちゃんと聞いている? よつはちゃん」
礼華がじっとりとした目でよつはを見てくるので、うなずいて返す。
「だったら、どうしてそんな顔してるの」
むくれる礼華になんと説明したものだろう、とよつははすこし考える。花緑青のことをうまく説明できる気がしない。そもそも、他者につくもがみのことを口外しても良いものか、確認していなかった。礼華なら、悪いようにはしないだろうが。
考えたよつはは、礼華にうそをつきたくはないが白寿堂のひとたちに迷惑もかけたくない、といちばんシンプルな気持ちだけを伝えることにした。
「礼華ちゃんと仲良くなれて、うれしいと思って」
言ったとたん、礼華のほほが赤くなる。じわじわと笑顔の形になりそうな口を押さえつけながら、眉をしかめた礼華は腕を組んで顔をそむける。
「も、もう! いまはそんな話をしてるんじゃないの。とにかく、あの男に気をつけてね! ろくな男じゃないに決まってるんだから」
「わかった」
今度こそ、と念を押されてすなおに頷いたのを確認した礼華は、食べかけだった丼のなかみを勢いよく片付けにかかった。
それを見て、よつはも自分の昼食と向き直る。
「まったく、変なのに目をつけられたものね……でもあの男、よつはちゃんの良さに勘付いたところだけは、評価してやってもいいわね」
ぼそりとつぶやいた礼華の声は、せっせと箸を動かしていたよつはの耳には届かなかった。




