それぞれの想い
その先も幼い頃の朱音に関する記録が残されていた。
「これが朱音ちゃんの……」
「うん。その後雅文さん達の協力で何とか龍族の遺伝子を抑える薬が出来たの。でも、この事はもうアイリとあなただけしか知らない」
「これ、お返しします」
アイリはそれを受け取るなり立ち上がった。
そして彼女はあろうことかシュレッターにかけてしまったのだ。
「な!?アイリさん!?」
「もういらないから」
「いらないって……」
「いいんだ。もうすぐこの世界も終わるから」
「………アイリさん…」
美波は最近アイリのその暗く、世界に絶望した表情をよく見るようになった。
セレナ達が人々を逃がすために犠牲となって死んだあの日から。
「用事は済んだでしょ?アイリこれから忙しくなるから出て行ってくれないかな」
「あ、あの……いえ……忙しいところありがとうございました…」
有無を言わせない強い声音に美波は何を言おうとしたのか忘れてしまい、アイリに頭を下げて部屋を出る。
あの全てを失った日から皆の時間は止まったままだ。
表だけ見れば動いているように見える。まるで秒針だけ動いて時針は動かない時計のようだ。
ずっとあの日の悲しみから誰一人として立ち直れていない。
美波はまだマシな方だろう。彼女には最愛の夫と親友が今も隣で生きている。師匠も生きている。
『うっ……ぐすっ…!セレナお姉ちゃん…!』
涙を堪える声が聞こえてきた。
「……やっぱり皆の時間は止まったままだね…」
美波は定時で家に帰ると、ご飯の用意を始めた。
「今日は何にしようかな……確か玉ねぎと人参はあったはず」
「お邪魔します」
「あ!癒理さん!今日は早いね!」
「ええ、今日は特に何もなく書類もすぐ終わりましたから」
癒理は早く仕事が終わると美波の家に来てご飯を食べて行く生活を送っている。
最初は何度も断っていた癒理だったが、美波の覇気に折れて今では当たり前のように家に来ている。
「今日は玉ねぎとかあったからカレーにしようかなって」
「いいですね。さて、直人君が帰って来る前に作ってしまいましょう」
「そうだね。直人君、なんだかここ最近帰ってくるとお酒ばかり飲んでるから」
「師匠のようです、最近の直人君は」
「え?」
「豊姫さんや瑠璃さんがよく話していたのですが、師匠は帰ってくると冷蔵庫の中にあるお酒を持ってテレビを見るのが好きだったようです」
「そうだったんだ……」
癒理はいつも通り無表情だが、長年の付き合いから彼女が今何を思っているのか大体分かってしまった。
「直人君は師匠の代わりにはなれません。ですが、代わりを務めようと頑張っているのはいいことです。それが重荷にならなければいいのですが」
「直人君は本当によく頑張っていると思うよ……紅哉さん達がいなくなった後の部隊をもう一度編成し直して防衛部隊を作ったこと。悲しんでいる豊姫さんを慰めてたこと。朱音ちゃんと理沙ちゃんにもちゃんと説明したこと。本当に昔の紅哉さんみたい」
「師匠の意思を引き継いだのでしょう。言ってはなんですが、俊介さんでは少し心もとないですからね」
「それ、凪咲さんが聞いたら怒られますよ?」
「俊介さんには遊佐さんがいるでしょう。二人とも友達以上恋人未満ですが」
「ちょっとそこ気になるよね!お互い意識しているのにくっつかないもどかしさ」
「あの二人はああいう関係が一番居心地がいいのでしょうね」
その時玄関の扉が開かれた音がした。
「あ、直人君だ!おかえり!」
「ただいまっす。お、今日は癒理ちゃんもいるのか」
「早かったですね。いつも20時らへんだと思っていましたが」
「今日は珍しく早く上がれただけっすよ。今日は何?」
「今日はカレーだよ。もうちょっとで出来るから、お酒飲まないで待っててね」
「へいへい。今日は飲まないっすよ」
直人は上着を脱ぐとソファに寝転がった。
「朱音ちゃんのことだけど、アイリさんが探索器開発しだい始める予定っす。朱音ちゃんによれば一つ目は分かっているそうっすから、そこには癒理ちゃんと豊姫さんが同行する形になったっす」
「分かりました。それで場所は?」
「旧東京地区」
「…ッ!?…………分かりました」
紅哉達が最後まで守り抜くと誓った場所。
魔物に蹂躙された東京はもう復興不可能とされており、今も撤去が済んでいない建物が数多く残っている。
もはやゴーストタウンだが、防壁が破られたあの場所は危険指定区に位置付けされており、たまに魔物が徘徊していたりする。
「紅哉さん達がいなくなった場所だから…ね。よく考えてみればそこでファーヴニルもヴリトラも神龍もいなくなったと言ってもおかしくないっすよね」
直人は独り言のように語る。
しばらくの間直人の声と鍋の音しか聞こえなかった。
「ご馳走様でした。では、また明日」
「本当に泊まって行かなくていいの?」
「直人君と美波の家です。流石に親友とは言え、泊まるわけには行けませんよ」
「そっか。やっぱり癒理さんはあそこで…」
「ええ、今日も隊長室で眠ります。あそこならよく眠れるんです。自分の家よりも」
癒理はそう残して美波の家を後にした。
「紅哉さんは俺達のリーダーだった。ただの形じゃなくて、皆の心をまとめる本当のリーダーとしてっす」
「そうだね……癒理さんとお友だちになれたのも紅哉さんのおかげだった」
リビングに戻ってコーヒーを直人に渡すと彼は語る。
「俺には無理っすよ。紅哉さんみたいなカリスマはないし、さっきも癒理ちゃんの心を埋めてやる事も出来ない」
「うん……私でもダメみたい…」
「紅哉さん、死ぬ前に俺にメールを寄越したんすよ。誰にも言ってないけど」
「え!?本当に!?」
「これっす」
美波は隣に座る直人の携帯画面を覗いた。
「『後は任せる』って短い文っすけど、組織は俺に任せるって事っすよね」
「ホントだ…紅哉さんのメアド…」
「もう俺達が死ぬことは決まっている。でも、俺達にはまだやる事はあるっす。朱音ちゃんを過去に送ってこの腐った世界をやり直す。多分俺達が見た朱音さんの時代も失敗したんだろうと思う。でも、成功するまで俺達は何度でもリトライして誰もが幸せに過ごせる世界を掴みとるんだ」
「そうだね。私達の未来を過去の紅哉さん達に託そう」
直人は美波を抱き寄せた。
美波はそのまま目を閉じて直人に身をゆだねた。
「ただいま戻りました」
誰もいない隊長室に癒理は帰って来た。
誰もいない事は分かっているが、どうも癖が残ってしまっているらしい。
癒理は服を脱いでハンガーにかけると休憩用の大きいソファに倒れる。
ここ最近癒理は居住区に用意された自分の新しい家に帰っていない。あの家に帰ったのは数年間でも数えるほどしかなく、もはや隊長室の方がよっぽど自室らしかった。
「あ……」
シャワーを浴びるのを忘れていた癒理はソファから身を起こすと自分で用意したタンスから着替えを出す。
『お前、旦那がいなくなってからすっかり腑抜けちまったな』
「余計なお世話です。それにそれを言うのなら私だけではないでしょう」
『それもそうだけどよ』
リンは言いたい事は言ったのか、それっきり喋らず寝てしまったようだ。
癒理だって自覚はある。あの頃の覇気があった自分とは打って変わって、今では老人ように存在意識が薄い。
鏡で顔を見ても酷い顔だ。よく眠れていないせいか、目の下にはクマが出来ており、少し毛先が痛んでいるように見える。
「はぁ……これじゃ師匠に顔向け出来ない…」
ファーヴニル部隊隊長を受け継いだ癒理はそんな事より今は亡き紅哉の事を考えていた。
別に元から外見には拘らない方だったし、髪の手入れなどは――――
「あれ……誰のためにやっていたんだっけ…」
シャワーを頭から浴びながら癒理は考える。
一体自分は誰のために服を新調したり、髪型を変えてみたりしたのだと。
「あ……」
考えてみれば簡単だった。
今こうして自分が隊長室を自室代わりにしているのも、全て―――
「紅哉さんに見てほしくて、紅哉さんといつまでもいたくて……くッ!」
癒理は涙を流すまいと壁に拳を叩きつけた。
コンクリートが凹む。自分の拳は傷つかない。
普通の女の子がこんな事をすれば腕が痛くなるに決まっている。が、癒理は違う。
それは過酷な修行の果てに手に入れた力だった。
紅哉といつまでも傍にいるために手に入れた力。
「くそ…ッ!………私を置いて行かないでください…紅哉さん…」
涙が流れない癒理の代わりにシャワーの水がいつまでも流れて行った。
結構日にち空いてしまいました。
どうも本編の方と両立が難しく、話が乗っているときに書き上げてしまわないと『あれ、私ここどういう話にするつもりだったんだっけ』となってしまいますので、なかなかこちらの方に手が出せずしまいだったのです。




