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第一話

 建国神話

 天が生まれ、地が生まれ、光が生まれた後

 神は地上に降り立った。

 地界に初めて降り立った場所を神は「庭」と呼んだ

 

 神は自らに似せて人を作り

 自らの息子たちに庭を分け与えた

 

 神はやがて「帝」と呼ばれるようになり、

 3人の息子たちにより支えられ、共に榮えた。


 神帝曰く

 

「仁を以て徳と為せ

 徳を以て庭を統べよ

 子らよ邪心勿りしか

 子らよ庭を侵す事勿れ」

 

 (原文)

「以仁為徳、

 以徳統庭、

 子勿邪心、

 子勿侵庭」

 

 大庭協約(GGC)序文より引用  

 第一話


 後世、この日のことはしばしば次のように記録される。

 それは、千年にわたり維持されてきた秩序が、初めて自壊した瞬間であった、と。

 もっとも、その時点において当事者の多くは、その意味を正確に理解していたわけではない。

 

 なお、本戦争において、厳密に宣戦布告と呼び得る行為は確認されていない。

 それに相当するものとしては、南庭国がロンデール島嶼王国を一方的に「嶼州」として編入した上で、同地域に対する治安維持を名目として艦隊を派遣する旨を宣示した例があるのみである。

 すなわちこの戦争は、国家間の対等な敵対行為として開始されたものではなく、あくまで一方的な行政行為の延長として実行された軍事行動であった。

 

 東庭国臨時編成ロンデール島嶼王国派遣防衛軍第二師団もまた例外ではなかった。

 同師団は開庭暦一〇一二年五月二日未明〇四〇〇をもって臨戦態勢へ移行している。

 ただしここで言う「臨戦」とは、あくまで東庭国に於ける伝統的定義に基づくものであり、通常は防衛準備措置の延長に過ぎない。

 外征、ないし積極的戦闘行動を意味する語ではなかった。

 本件においては、その定義が現実の方により破綻させられることになる。

 

 〇五三〇。

 沿岸監視所より第一報。

 沖合三十キロ、煙跡多数。

 推定数二十以上。

 旗章解析結果、南庭国軍主力艦隊。

 当該情報は分単位で各部隊に共有された。これに伴い第二師団司令部は戦術段階への移行を決定する。

 少尉・水城昴みずき すばるがそれを知ったのは、その数分後であった。

 

 東庭は侵さない。それが千年の原則。

 だが今回は違う。

 ロンデールは「友邦」とされ、守るべき存在として再定義された。

 その論理の歪みを、水城は明確に言語化できなかったが、違和感としては理解していた。

 外を他人の庭と定義するか、外は庭に非ずと定義するか、

 その相違はかつて理論上の問題に過ぎなかったが、今や実際の砲口の向きを決定する基準となっている。

 

 東庭海は、常に流動している。

 ロンデール島嶼王国の小型船団、東庭の商船群、北庭の輸送艦隊。

 それらが複雑に交錯し、結果として一種の秩序を形成している。

 それは単なる交通網ではない。

 仁圏、すなわち四庭国経済圏における基盤そのものであり、いわば目に見える血流であった。

 この日の朝、その流れは明確に異常を呈していた。船の数が少ない。それだけではない。航路そのものが変形している。

 航跡は沖合を避け、あるいは海域を大きく回避していた。

 要するに、そこには「避ける対象」が存在する。

 そしてその対象が何であるかを理解するのに、水城はさほど時間を要しなかった。


 

「……早いな」

 水城はそう呟いた。正確ではない。そもそもこの戦争には予定と呼ぶべきものが存在していない。

 東庭議会の決議は既に下されていた。

 ——友邦ロンデール島嶼王国への敵性勢力による自治権侵害の危険性を確認。

 ——東庭国は集団的自衛権の行使を決定。

 ——同権限の下、二個師団からなる派遣防衛軍を編成、現地へ展開。

 文言上、それは限定的措置である。だが実質としては明白だった。

 東庭国が外で戦闘を行う。建国以来初の事例である。

 

 東庭には古くからの言い回しがある。

「東から外に出る」

 起こりえないことの喩えであり、同時に国是そのものを指す言葉でもあった。

 その不可能は、既に撤回されている。

 

「少尉」

 背後からの呼びかけ。軍曹・古賀である。

「南庭です」

 簡潔な報告。内容としては過剰ですらあった。

 水城は頷く。

 

 南庭国。

「外であれば庭にあらず」と解する国家。

 今回の侵攻をも、領域外における正当な拡張行為として定義している。

 一方、その命令を下したのは西庭国帝家であった。

 西庭は四庭連合の主家であり、海上交易の統制者でもある。

 しかし近年、ロンデール島嶼王国の廉価海運網により、その支配は著しく侵食されつつあった。

 東庭および北庭は既に一部貿易を王国経由に転換している。その時点で、西庭の優位は構造的に崩れ始めていた。

 したがって、今回の戦争には明確な性質がある。それは理念ではなく、経済に起因する戦争である。

 もっとも、現場の将兵にとっては、そのような区分は意味を持たない。

 

「命令通りだな」

 水城は言った。

 確認であり、同時に自己への整理でもあった。

「迎撃ではない。支援だ」

 言葉の上ではそうなっている。

 だが、砲の照準は南庭艦隊に向けられている。


 同時刻、南庭国嶼州鎮定艦隊旗艦『護風』艦上。

 前方監視よりの報告を受け、副官の浅霧 亮大尉は進言した。

「前方船団確認。ロンデールの武装商船です。攻撃しますか」

 それを聞いた南庭国嶼州鎮定艦隊司令官・榊原正彰中将は、即座に否定した。

「馬鹿を言うな。GGCでは民間人への攻撃は禁止されている  それを承知で連中は商船のままこんな沖合まで進出している」

 浅霧は一瞬ためらいを見せた。だが、言葉は止まらなかった。

「ですが……あれもロンデールの軍事力では?」

 榊原は視線を前方に据えたまま、淡々と応じる。

「GGCでは“軍人”は明確に定義されている」

「――軍装をし、明確な軍事的指揮系統の下で行動する者だ」

 短い間が置かれる。

「あの連中はどうだ」

「……平服です。船籍も商船のまま」

「そうだ」

 榊原はわずかに頷いた。

「民間船に乗り、自らの身を守っているだけだと言われれば、それまでだ」

 再び、間。

「――撃てば、こちらがGGC違反になる」

 浅霧は小さく息を吐いた。

「……なるほど」

 しかし、すぐに言い直す。

「いや、閣下。GGCは本来、四庭国の“庭”に適用される協約です」

「外であれば適用外……攻撃は可能では?」

 榊原はわずかに笑みを含んだ。

「忘れたのか」

「我が南庭国は、ロンデールを『嶼州』として編入する宣言を公布した」

 視線が戻る。

「つまりここは――」

「GGCの適用圏内、ということになる」

 浅霧は沈黙した。

 前方では、小型船団が散開しつつ航路を塞ぐように動いている。

 戦列は存在しない。だが、進路は確実に阻まれていた。

「……」

 榊原は低く言った。

「これが、奴らの戦争の仕方だ」

「撃てば違反、進めば妨害……ですか」

 その言葉に、正彰は小さく応じる。

「――戦争の形をしていないな」

 しばしの沈黙。

 やがて、浅霧が口を開いた。

「……厄介ですね」

 その声音には、現場的な率直さが含まれている。

「しかし、なぜ嶼州編入などという手続きを踏んだのでしょう」

「従来通り、外への進出として処理した方が単純だったはずです」

 榊原はわずかに考え、答えた。

「確かに、他の庭に関与しない地域であれば、それで済む」

「だが今回は事情が違う」

「東と北が、ロンデールと通商している」

 浅霧はわずかに眉を動かす。

「……つまり」

「通常の侵攻であれば、東は“友邦侵攻に対する防衛”を主張できる」

 正彰の声は変わらない。

「だが嶼州と定義すれば、たとえ実態が防衛であろうと」

「“他人の庭への侵攻”という形になる」

「……GGC違反」

「そうだ」

 簡潔な肯定。

「編入は、東に違反を踏ませるための布石だ」

「我々は“嶼州を攻撃された側”と主張できる」

 浅霧は小さく息を吐いた。

「……詭弁ですね」

 榊原はうなずいた。

「まったく詭弁だな」

 その声は苦く、しかしどこか妙に清々しさを含んでいた。

浅霧はそれを聞き、内心で理解する。この人物もまた、軍人であるのだと。

 

 その直後である。ロンデール本島湾内へ進入しつつあった南庭艦隊の前方において、商船群の隊形が急激に変化した。

 それまで進路を塞ぐように散開していた小型船団が、ほぼ同時に航路を放棄し、各方向へ解散する。

 回避ではない。位置の再配置である。

 航路そのものが、消失した。

 


 

「……本当に、やるんですか」

 古賀は海を見たまま言う。問いとしては成立しない。

 東庭の兵にとって、戦争とは侵入を排除する防御行為であり、外部において実施されるものではない。

 しかし現状は、その前提が消滅している。

 水城は答えなかった。彼は水平線を見ている。

 そこにあるのは海ではない。

 金属によって構成された線列——南庭侵攻艦隊。

 

 士官学校講堂の銘文が、不意に想起される。

「以仁為徳、

 以徳統庭、

 子勿邪心、

 子勿侵庭」

 庭を侵すな。

 その言葉が本来、誰に向けられていたのかについて、水城は考えたことがなかった。

 守るための規範か。あるいは、拡張の禁止か。

 もしくは単に、解釈を後代へ委ねた曖昧な命令に過ぎなかったのか。

 いずれにせよ、その統一解釈は既に存在しない。

 今まさに東庭海を取り囲む現状がそれを証明している。

 

「通信入ります!」

 少し上ずった声で通信兵が叫んだ。

「ロンデール司令部より。南庭艦隊ノ領海侵入ヲ確認」

 空気が変わる。

 それは戦闘開始の通告ではなかった。ある状態の成立を、形式的に伝達したものに過ぎない。しかしその情報は、東庭国臨時編成ロンデール島嶼王国派遣防衛軍に対し、友邦防衛の名のもとに戦闘行為を開始するに足ると判断されるに十分であった。

 ここに至って水城少尉個人の判断猶予は消滅した。

 狭義での戦闘は既に開始されている。

 

 水城は息を吸う。肺に入った空気が妙に冷たい。

 彼の視線は一瞬、自らの指揮する砲兵小隊へと向けられる。各員は配置につき、作業を進めている。練度としては標準値を維持。

 問題はない。問題があるとすれば、それは別の層にある。すなわち、自らが何に参加しているのかという認識である。

 それは恐怖とはやや異なる。むしろ、長く信じられてきた言葉の前提が崩れる際に生じる、構造的な不安定さに近い。

 

「……撃ち方用意」

 声は平静を保っている。

「目標、南庭侵攻軍艦隊先頭」

 照準が確定する。

 距離、方位、射角、風速補正——すべて規定値内。

 技術的問題は存在しない。

 

 東庭が外に出る。

 それは単なる派兵ではない。

 千年にわたって維持された解釈の破綻である。

 

 水平線の光が変化する。

 それは水面反射ではなく、金属外板上の反射光。

 南庭艦隊は既に有効射程内に入っている。

 その事実だけが、すべてを十分に説明していた。

 

 水城は一瞬、息を止める。

 そして命じた。

「撃ち方始め」

 

 その発声は記録されていない。

 しかし同時刻、第二師団各拠点において一斉射が実施されたことは、戦闘記録により確認されている。

 それが、歴史上初めて記録された庭園相撃の始まりであった。

 



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