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腐敗の水底  作者: 荒野銀


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3/7

(3)

 ローゼンカは16才、4年の兵科を修了し、銑鉄騎士の称号を得て、ナルナドの第一師団に配属される。グルノ、パーズは故郷である北東の駐屯地、セルガは第六師団、デンセルはなおも2年の士官過程に進む。卒業後も文通での交流は続いた、セルガは除くが。

 このころのローゼンカの悩みは2つ。1つには騎士としての将来性への疑念で、兵科を3番という高成績で卒業したにも関わらず、第一師団では極めて平凡、それどころか模擬戦では、いつも真っ先に砂をなめる。いつか隕鉄騎士にという目標は、いつしかナルナドの優れた左腕となって、戦場に双璧の美名を轟かすに変化していたが、実際には雑用をこなす毎日。来る日も来る日も配給の確認と、平穏な緩衝地帯の監視に、基礎訓練の日々。ひょっとして自分はとんでもない夢想バカでないか、いっそ辞めてしまった方が国庫を痛めずに済むのでは? マイナス思考は夜毎膨らみ、しかし若い肉体が欲する深い眠りで翌日分の判断が留保される。

 もちろん、この処遇は第一師団の総意だったわけで、若輩にはすべからくこの業務が課された。というのも、戦績のない若年の死傷率など目も当てられぬもの。成魚をまたず、シラスの状態でテーブルにのせてしまうのに等しかったし、運良く生き残れたにしても、地獄を見るのは必至。恐怖で辞めてしまう者も多かった。そして、もっとも強い理由として、前途ある若者が、自分らの横で苦痛と恐怖にまみれ、死体になっていく様を見たくなかったーーここでいう自分らとは、隊長や伍長といった壮年兵や老兵のこと。年季ある彼らにしてみれば、弱冠など息子や孫のようなもの。その彼らが、自分らであれば回避も反射も自在ななんでもない攻撃に、経験のなさから真っ向から受けきって、落とさなくてよい若い命をあたら散らせてしまう。あと数年実戦をくぐり抜ければ、冗談を飛ばす余裕すらできるだろうに、それを待たず、まだうっすら産毛の生えた頬を大きく空けた口でへこませ、目をむいたまま荒原に野ざらしにされてしまう。老齢が生き、若齢が死ぬ。人生をたたもうとする者が残って、これから人生を築こうとする者が枯骨となる。この命運の逆転に慷慨し、回避しようとしたがゆえの措置だった。

 ローゼンカの悩みの2つ目は、故郷で宙ぶらりんになっている許嫁のことだった。名をトーリといって、ローゼンカの8軒先にある民家の三女、ローゼンカより1才下。はつらつとして気が強く、腰に手をあて、そばかすの上に、クリクリとした怒れる丸い瞳を輝かす。で、面白そうないたずらに、いちいち忠告してくる痩せこけたチビ。が、ここ言うチビとは年齢差によるものだけでないーートーリは同年齢の子より頭1つ分小さく、それゆえ頭だけが異様に大きくみえた。でも、だからこその婚約だったのだ。つまり、ローゼンカの両親は老年、働ける時間は少ないが、なんとか生活できる家は保持する。一方のトーリは、日常生活に支障はないものの、まっとうな良家からは敬遠される肢体だ。この二家が妥協で結びついた結果が、この許嫁関係だったのだ。

 だから4年ぶりに帰郷を果たし、トーリと再会したとき、ローゼンカは本当に驚いた。トーリは「普通の」女になっていた。もちろん、以前の名残はある。常人よりは低い背丈、胡麻のようなそばかすに、情緒の噴出口のような爛々とした丸い瞳。鎖骨が浮き出て、腕と胴がくっつきそうな痩身もそのままだ。でもそれは、ローゼンカの記憶にある小児に兜を被せたような病的なシルエットではない。完全に人体の、普遍的形質にのっとっている。だが、ローゼンカがなにより驚いたのは、以前のトーリと眼前の少女に連続性を見いだせないこと。かつてはぶかぶかの服を着せられた頭のもげそうなこけし、だが今は、シャンとした背筋にくびれ、その下に広がる長いスカート。あまりに違いすぎる。つまり、ローゼンカはこのとき、幼なじみと再会すると同時に、トーリという「女性」に初めて出逢ったのだ。

「ひっさしぶりじゃない、ローゼンカ。おっきくなったのねぇ!」そういって以前の近親感のままに腰を叩いてくるトーリ。「あら、その左手。なに着けてるの?」が、ローゼンカは釈然としない。

「え、ああ。いや、ガントレット、だが」

「ガントレット?」

「重小手ーー要は小さな盾だ」

「たてぇ? でっかいナリして臆病なのね!」

「いや、ないと落ち着かなくてな。素の肉体はあまりに脆いし、硬化し続けるのはつらい。それに何か閃きがあったときはすぐ試せる」

「ふーん。なんかよく分かんないけど、真面目でいいね! 未来の旦那様が出世してくれたら、わたしも鼻が高いわ!」

(未来の旦那さま!)

 その一言はローゼンカの未来像を解体した。これまでのローゼンカの視界とは、盾の道であり、頂きのナルナドであり、あるいは不期の死傷による脱落、つまりは、寮の門戸に飾られた鉄騎士の心得と気を一にするものだった。なのに、それが、未来の旦那様という既決事項のような一語によって、考えもしなかった別の未来像が、突如現実感をもって迫ってきたのだ。

(めおと! 俺とトーリが夫婦! 俺が、トーリとーー本当に?)

 それはローゼンカにとって今からこの女と恋愛しろと命令されたに等しかった。そして恋愛するとは抱擁し、接吻し、性交渉につづく一連の諸事を連想させ、しかもその肝心要であるところのトーリの口調からは、それを許容するどころか、待望するといった内心までうかがえる。ローゼンカの困惑は極まった。しかしその困惑は、相手がトーリだからではない、もっと別のところにある。

(なぜか危険な感じがする。なぜだ? なにか、近づいてはいけないような......)

 16才の頭ではわからない。ただ踏み込めば、蛇のとぐろにとたんに巻かれてしまう。で、きっと抜け出せない。

 だから、ローゼンカはトーリを敬遠するようになった。1年前にローゼンカの母が足を痛めて以来、ローゼンカ家の家事を手伝うようになったトーリだったが、怪我が直ってもそれは続く。ローゼンカの老父母にとっては、息子の出郷で索漠とした部屋にトーリの訪問は暖炉の火そのものだったし、トーリにとっても、元気のない老夫婦を笑顔にできるのは純粋に喜びだった。そしてここにローゼンカが帰省してくる。トーリは3日に2度は訪問する、許嫁が嫁ぎ先を手伝うのは当然のこととの名分で。で、トーリはローゼンカに会い、そのたび不明瞭な拒絶にあって傷つくのだ。

 そして1月ほど経ったある日、ローゼンカが浜で投網の補修をしていると、

「ローゼンカ! ローゼンカったら!」例の腰に手をあて、怒り顔で相対してくるトーリ。「あのさ、なんでわたしを避けるわけ? 会ってからずっとじゃない。何がそんなに気にくわないの? ねぇ、ちゃんと言ってよ、ローゼンカ!」

「トーリ」が、ローゼンカは作業に戻る。背をむけまま言う。「いいのか、こんなとこまで来て。仕事はどうした? おじさんとおばさんにどやされるぞ」

「いいわよ、後でちゃんと怒られるから。それより、なんでちゃんと話してくれないの? 今だってそうよ! わたし、何か悪いことした?」

「いや」が、いちおう再思し「してないはずだ」

「嘘よ! じゃどうしてこっちを見てくれないの?目を見て話してよ! どうしてそんなに邪魔っ気にするの? わたしーーわたし、そんなに、醜い? わたしと結婚するの、やっぱり、嫌?」

 急に涙声が交じり、否応なく振り向かされるローゼンカ。見れば眉をつり上げた怒りの形相で、涙を、そして理性を、必死に崩壊させまいとこらえるか細い少女がいる。震えている。

「トーリ」だからすぐさま立ち上がって肩に手を置き「トーリ、すまない、そうじゃない。決してお前が嫌いだとか、結婚が嫌だとか、ましてや醜いなどと俺は。ただーー」そして、ここでようやく、ああそうかと理解する。「俺はただ、お前が怖かったんだ」

「え、怖い? わたしが?」

「ああ」そして周囲を見渡し「少し、いいか?」傍の小舟を指す。並んで腰かける。

「なあ、トーリ。俺がなんで騎士になりたいか、聞いてるか?」

「弱い人の味方になりたいんだよね?」

「そうだ。まあ最初はな。でも今は、自分の務めを果たしたい、だ。つまりな、俺には騎士としての適正があって、しかも群を抜いて強い適正らしい。で、そんな人間が、12才という若さで、自発的に養成所に入って、騎士の訓練を受ける。これはとても稀有な事だとデンセルさんーー知り合いの貴族に言われたよ。実際、同年齢の2人の親友は口減らしで養成所に放りこまれたと言っていた、自ら志願したんじゃなくてな。つまり、平民出の志願者、それも適格と不適格の境界にいる者は、のべつまくなしに合格となって、鉄騎士団に配属される。そして戦場で、貴族の指揮のもと、肉盾として消費されるんだ。グルカとパーズーーさっき言った俺の友人なんだが、彼らなんかその最たる例だ、きっと消耗品として前線に据え置かれる。俺は彼らを死なせなくない。救いたいんだ。で、それが俺ならできるかもしれない。才能がある、明確な才能が。こころざしも。つまりな、俺はナルナドさんみたくなりたいんだよ。トーリは、ナルナドさんのことは、知ってる?」

「ローゼンカが憧れてる人、でしょ?」

「そうだ。圧倒的な力で、仲間を守り、師団を守り、国を守る。そんな圧倒的な力をもつ絶対の存在に、俺はなりたいんだ。でも、それには厳しい鍛練を積まねばならない。地味で、気の滅入るような鍛練を。何年もだ。で、トーリ。君だ。君の出現だ。そんな刻苦精励に徹しようというときにトーリ、君は、その決意をくじく堕落の天使みたいに現れた。だから、恐れ、避けたんだ。だからトーリ、君が醜いだとか、結婚が嫌だとか、そんなの、ちっとも思っちゃいない。むしろトーリのことが、す、」

「す?」

「す、すき、に、なれる、かもしれないーー、いや、やっぱ今のなし! 決意が崩れる」

 停止するトーリ。が、瞬刻のみ。口を覆う掌、爛漫とゆれる瞳、そしてその源泉たる歓喜の奔流は、ついに彼女の身体までも躍動させるーー相手に飛びつき、首をかき抱き、接吻にはまだ早いけれど、その代替として、頬どうしでキス。が、心情的にはそれ以上のことをしていた。

「ああ、ローゼンカ! ローゼンカ! 愛しているわ、わたしの未来の旦那様!」


 まるで新婚生活のようなうぶで窮屈な休暇を送ったローゼンカだったが、2ヶ月の帰省など矢の光陰、別れはすぐにやってきた。4年ぶりの潮の香りに父母との団らん、それにトーリという思わぬ華を盛った帰省に、ローゼンカは後ろ髪ひかれる思いいっぱいだったが、3人と別離の抱擁を行うと、あっさりと軍に帰還した。その心情は、帰郷とはあくまで幕間であって、追求すべき目標ある自分には、戦場こそが、あるべき持ち場。休息から練磨、懐郷から使命の階段に、はやく帰着したいのだった。それにトーリとの約束にも満足していた。婚約という今まで形骸だった空き箱に、小さな種が発生した、振ればうれしい音がする。これを取りだし、地に埋めたらどんな芽が出、どんな花が咲くのだろう。が、今はその実感だけで十分だった。

 が、2年も経つと状況は変移する。毎週のようにトーリと手紙を交わしていたローゼンカだったが、17ヶ月が過ぎたころ、不意に受けとる手紙の枚数が倍増した。婚約が解消されるとの公算が高くなったのだ。これはトーリが「普通の」女性として成長したがゆえのもの。つまり、暗い因業をのぞかせる忌むべき肢体こそローゼンカとトーリを結ぶいしずえだったのに、それが解消した今、トーリの父母に欲が出た、要はローゼンカ家などという格下の貧家に嫁がせるより、もっと格上の、中流の家系と縁組みしたくなったのだ。鉄騎士という、いつ成婚できるか分からない点も拍車をかけたーー鉄騎士は武功をもって初めて妻帯が許される。

 この事態にさいしても2人の気持ちは変わらなかった。トーリは手紙の3/4を恋を貫く決意表明にあてたし、ローゼンカもトーリを強く望む旨を返信した。ローゼンカは余裕を抱いていた、この恋愛は決して崩れぬ不落の堅城だと。まずもって、2人は互いを愛している、これが絶対の金剛の盾。そしてこの婚約は、お貴族さまがたが為す家格の向上を念頭にした、見も知らぬ他家への人身売買ではない。ローゼンカはトーリの幼年を知り、その発育に驚嘆し、運命のもたらす心象の逆転に、抱腹絶倒の感動すら覚えている。女性ならだれでもよいというわけではない。トーリ。トーリがいい。トーリでなければ。

 だが、これは樹木で抽象される男の理論であって、花たる女性には当てはまらない。第1子の妊娠に出産。これは女性がほぼ24才までに達成せねばならない課題だったが、では結婚は?いやさらに言えば相手との出会いは?と、こう逆算すると、二十歳をまえに相手を見つける必要が出てくる。でなければこの世界では、未亡人という慰めすら受けられぬ一人ものの哀愁を噛むことになる。これが男で、しかも若輩のローゼンカにはわからなかった。

 ローゼンカの確信に反し、トーリの手紙は悲哀の色が濃くなっていった。トーリは今17才。5ヶ月後にはもう18才が来る。それは嫁ぐ町娘が多数派になる歳。「今日も父に小言を言われました。鉄騎士なんかやめろ」「いつ武勲を立てられるのですか? 2年後?3年後?」「確約がほしいのです」「なぜわたしは普通の女の子になってしまったんだろう。嫌いな小魚を無理して食べた日々は無駄だった。小さな歪なわたしのままだったら、ローゼンカとの結婚を(ここは執拗に黒く塗りつぶされている)安穏と待つわたしでいられたのに」「会いたい。会って話がしたい。ねえ、ローゼンカ。騎士とは、それすら叶わないのですか?」

 もちろんローゼンカには、なだめすかすしかない。無許可の外出はさいあく死罪。簡単には選べない。武功など10年、15年先の話で、だいいち、戦場にすらまだ立っていない。

 だから、遠隔地から精一杯の申し訳をしたためることになる。しかしそれも焼け石に水。困り果てたローゼンカは父に相談した。相談といえばいつも父、波紋に、流水に、変易の悟りを開いた達眼の識者。ローゼンカにとっては宣託にも等しい言葉だった。そしてそれは、こう告げてくる。

「自然のなりゆきにまかせなさい。息子よ、トーリになにを望む? 自分の妻として隣で笑ってくれることか? 自分とは切り離されても幸福でいてくれることか? もう自分で自分の人生を選択してもよい歳だ、のみならず、もうすぐ他人の人生をも決める歳になりつつある。自分で決めなさい。真心で。どんな選択をしても、お父さんはお前を愛しているよ」

 一見、突き放したかのように思える短い返信は、短文であるがゆえにローゼンカの心を打った。そこには真個の愛情がこもっており、そうであればこそ、メモ書きのような紙切れに、魂を揺さぶる力が宿る。

(真心......、真心か。俺はトーリに、どうなっていてほしい?)

 もちろん、自分の妻だ。が、それには代償がいる、しかも自分ではなく、トーリの歳月という代償が。呪いのような苦節を強いることになる。

(弱者を守ろうとする自分が、他人を犠牲にし、己の幸福を追求しようというのか。愛する人を苦しめてまで)

 これでは貴族以上の悪党だなと自嘲するローゼンカだったが、その裏ではもう腹を決めていた。自分の痛みならいざ知らず、それをだれかに、ましてやトーリに、背負わすなどできるわけがない。

 ローゼンカはトーリに別れを告げる帰省の算段をつけたーーデンセルに協力を要請した、デンセルからは嫌味ったらしい貴族的言い回しの長い苦情と、しぶしぶの了承。

 しかしその出立の前々日になって、連合国と北東の国境を接する小国ウラニアで、暴動が発生する。

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