第06話 帰郷
ヤメス城は、アメザス王国の北部で随一の規模の城塞都市だ。
周囲を広大な森に覆われ、一年の半分を白い雪と共に過ごすこの城の内部の街並みは豪華さには欠けるが、それはこの地方の領主でありレオニスの父であるアンドリュー・ラフリスの人柄同様に、機能主義の質実剛健さが伺われる。
レオニスは馬に跨ると、ロザリーを担ぎ上げて後ろに乗せ、城門の跳ね上げ橋を渡った。
「レオニス様、お帰りなさいませ!」
開け放たれた城門に差し掛かると、門番の太った男がレオニスの姿を認めてぎこちない敬礼で迎える。
「この跳ねっ帰りが、いつも迷惑をかけてるんだろう?」
敬礼を返したレオニスは、後ろのロザリーの頭を掴んで門番に問いかけた。
「い、いえ、その様な事は……」
「今度、無断で外に出た時は締め出して構わないよ!」
口ごもる門番に笑顔で告げて、レオニスは馬を先に進める。
「三年ぶりだけど、変わってないなぁ」
感慨深そうに周囲を見回すレオニスに、ロザリーはぶっきらぼうに答えた。
「そうでもないよ」
ロザリーがムスッとした表情を浮かべて視線を向けた先には、木の箱の上に立った辻立ちが観衆を集めて何やら演説をしている。
「今、偉大なる【死】が訪れようとしています、予言の時は今来る!
世界は一度死に絶えてまた蘇るのです!
それは龍神様のみが与える事のできる奇跡!
さぁ、龍神様に祈るのです!」
辻立ちはゆったりとした灰色のローブを羽織り、首元からは龍を模った黄土色のストールを掛けている。
数十人の観衆は熱心に演説に聞き入り、辻立ちに合わせて祈りを捧げる仕草をしていた。
「龍神教の奴ら、こんな所にまで来てるのか?」
「ここ半年くらいかなぁ、薄気味悪いったらありゃしない」
ロザリーは怒った様に唇を尖らせる。
【龍神教】はここ1~2年で急速に勢力を拡大している新興宗教だ。
【アルス・ノトリアの予言】を終末思想と組み合わせて、七大陸中の伝統の神や宗教を駆逐する勢いで広がりを見せている。
アメザス王国でも王都では既に最大の信者数を誇り、最近になって組織し始めた独自の軍隊は、既に各大陸の名家の軍勢を凌駕するとの噂であった。
「父上がよくお許しになるものだ」
レオニスの嘆きにロザリーが答える。
「父上は最近、王都とこっちを行ったり来たりだからなぁ……」
ロザリーの声には寂しさが伺えた。
馬留めに馬を回すと、ロザリーは馬から飛び降りて、塔に登る階段へと駆け出して行く。
「母上に伝えてくる! 今日はご馳走だよ!」
「もう暗くなってきたから走るなよ! 危ないぞ!」
子どもを叱る様な言葉に、ロザリーは舌を出した後、振り向いて駆け出していった。
その後ろ姿を苦笑いしながら見送ったレオニスが、馬を繋いで労わる様に頭を撫でていると、柔らかい声が降りかかる。
「あら、お兄様!」
振り返ると、深い藍色のローブをまとった妹のサラ・ラフリスが、少しカールした長いブロンドを揺らして、小脇に重そうな本を抱えて微笑んでいた。
「サラか、大きくなった!」
レオニスが最後に会った三年前にはまだ十二歳だったサラも、もう十五歳に美しく成長していた。
「それに、綺麗になった」
「もうっ、からかわないで下さいよ、お兄様!」
サラは照れた様にはにかむと、改めて歓迎の言葉を口にする。
「お帰りなさい、お兄様」
「あぁ、ただいま」
「母上がアップルパイを焼いて、首を長~くしてお待ちよ」
「オレンジジャムも用意してあるのか?」
「もちろんよ!」
楽しそうに先を歩くサラの後に続いて、レオニスも石造りの階段を登り、食堂に向かう。
「暗くなってきましたね、灯りよ!」
サラが指を鳴らすと、すっかりと日が暮れて暗くなった廊下の燭台に次々と火が灯っていく。
(相変わらず大したもんだな)
レオニスは改めて妹の才能に感心しながら尋ねた。
「そういえば、アリア先生が惜しがってたよ、本当にフリエールに行くのか?」
サラは振り向くと、手に持っていた分厚い魔術書をレオニスに押し付ける。
「ルシャール先生ったら、入学する前にこれ全部覚えて来いですって」
ずっしりとした重みが手に伝わり、この本全部に目を通すだけでも気が思いやられそうだ。
「さすが、白魔導士・ルシャールは厳しそうだな」
レオニスは妹に同情の言葉を投げた。
【ドイル・マズル・ルシャール】は七大陸に五人しかいないと云われる魔法族の一人で、白魔導士・ルシャールと呼ばれている。
魔法族は七大陸の営みには関わりを持たずに居る事が多い、というよりはあまり興味を持っていない事が多いが、このルシャールは人間の世界に興味を持ち、フリエール王国の魔法学院で魔法力に覚醒した人間に魔術を教えている。
年齢は定かではないが、魔法族きっての変人として有名だ。
そのルシャールが、杖を使わずに魔法を使える子供がアメザスに居ると聞いて、わざわざスカウトに来たのが二ヵ月程前の事らしい。
学校の寮で暮らしていたレオニスはその場にいなかったが、ロザリーからの手紙では、家族全員相当に面喰ったようだった。
「でも、魔法の腕は確かよ、なんたって魔法族ですもの!」
サラは不安よりも期待の方が大きそうだ。
二人は食堂に着くと、サラが扉を開ける。
「母上、お兄様がお戻りになりました!」
中に入ると、壁に掛けられた牡鹿のくん製などの懐かしい装飾と、美味しそうに湯気を立てる料理がレオニスを出迎える。
食卓の奥に父・アンドリュー、左側に母・テレサと兄・ライオット、右側にロザリーが座っている。
「父上、母上、レオニス・ラフリス、ただ今戻りました」
両親のもとに近寄り挨拶をするレオニスを、椅子から立ち上がったアンドリューとテレサが順に抱擁する。
「卒業おめでとう、レオニス。」
「良く無事に戻りましたね、レオニス。」
「はい、父上も母上もお元気そうで。」
再会を喜び合う三人に、兄のライオットも加わる。
「レオ、三年会わないうちに、ずいぶん背が伸びたな」
「兄さん、戻ってたのか! でも王都守備隊の作戦参謀がこんな所で遊んでていいの?」
「いいんだよ、今日は特別だ、それに《《今は》》王都は平和だよ」
軽口をたたくレオニスを抱擁したライオットに、ロザリーが声を掛ける。
「レオ兄さまは腹ペコだよ、早く食事にしようよ!」
「まぁ、この子ったら」
テレサは形だけ叱る素振りをして、歓迎の宴を始めた。