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1.元公爵令嬢の優雅な朝

「貴様のような高慢な女とは、婚約破棄だ!」


脳裏に響き渡る懐かしい罵声を浴び、アヴァリスはガバと跳ね起きた。


大きく息を整えながら、自身の胸元に手を当てる。そこにあるのは、見慣れた修道院長室の天蓋付きベッドだ。窓の外からは、朝を告げる小鳥のさえずりが暢気に聞こえてくる。


「またあの夢ね」


前髪をかき上げ、盛大に舌打ちする。


「もう二十年以上も前のことなのに、我ながら執念深いこと。あの時の元婚約者の顔ときたら、今思い出しても腹立たしいったらないわ。馬面のくせに、婚約破棄なんて上等な捨て台詞、あの語彙力のどこから出てきたのかしら。今頃どこかの田舎で禿げてるといいのに」


「院長、お目覚めでしょうか」


控えめなノックとともに、若い修道女が部屋に入ってきた。その瞬間、アヴァリスの声はまるでスイッチを切り替えたように一段階、高く、清らかに変わる。


「ええ、起きておりますよ。神のお導きのもと、清らかな朝を迎えられたことに感謝を」


聖歌でも口ずさみそうな声色のまま、しかし修道女に背を向けた手は寝間着のリボンを力任せにぶちぶちと解いていた。声と手がまったく別の生き物のように動いている。


絹の寝間着を脱ぎ、身支度を整えさせる。色合いこそ漆黒だが、ウエストが細く絞られ、スカートが美しく広がる公爵令嬢時代と変わらぬ絹のドレスに絹シフォンのヴェール。胸元に大きな金の十字架、真珠で編まれたロザリオ、それに神の花嫁の証であるルビーの指輪で仕上げる。着替えさせる修道女の指がかすかに震えているのに気づくと、アヴァリスは鏡越しに目だけをぎろりと動かした。


「その手、震えていてよ。私の髪を一本でも引っ張ってごらんなさい、あなたの今月の休みを全部没収するから」


「も、申し訳ありません!」


彼女は三十五歳。かつては社交界の頂点に君臨する公爵令嬢だったが、手痛い失恋の末にこの修道院へ流れ着いた。持ち前の計算高さと実家の権力で院長の座まで上り詰めたものの、半年前、実家がまさかの没落。教会への寄付金追加が見込めなくなり、現在は院長の座を追われる最大の危機に瀕していた。


「院長、朝食をお持ちいたしました」


盆がテーブルに置かれるより早く、アヴァリスの鼻がひくりと動いた。匂いを一嗅ぎしただけで、すでに顔が能面のように固まっている。


「これをご覧なさい」


スプーンを一度、二度とスープの中で泳がせ、何一つ掬えないことを確認すると、これ見よがしに天を仰いだ。


「このスープの薄さは何事ですか。水に緑の葉を浮かべただけではないかしら。スプーンで底を漁っても、具材どころか希望さえ見当たらないのだけれど」


「申し訳ありません、院長。今月は修道院全体の予算が厳しく、皆様と同じ清貧のメニューでございます。神への祈りと共に、この質素な食事を受け入れていただければと……」


「私は元公爵令嬢ですよ?」


人差し指を立て、指揮者気取りで空を切る。


「聖職者とはいえ、私のお肌と健康を維持するためには最低限の質というものがあります。あなたたちの不手際を神のせいにしないでちょうだい。もう結構です、下がりなさい。そんなに予算が厳しいなら、あなたがお夕食を抜けばいいのよ。ついでに明日の朝食も抜いておきなさい、痩せれば身も軽くなって神様に近づけるでしょう」


修道女が悲鳴を噛み殺して逃げ出すように部屋を出ていくと、扉が閉まるが早いか、アヴァリスは聖女の仮面をべりっと剥がし、素早く立ち上がって扉の鍵をカチャリと閉める。


ここからが彼女の本当の朝食の時間である。クローゼットの奥にある隠し扉を開け、中から特製の香草ステーキと、程よく冷えたワインを取り出した。これらは、信者から巻き上げた金で、弱みを握られ言うなりになるしかない料理番に、毎食用意させているものだ。


ナイフとフォークを構える手つきは、先ほどまでの「清貧の院長」とは別人のように機敏で迷いがない。むしろ嬉々としている。


「やはり、肉の脂とワインの組み合わせは格別ね」


一口食べて、うっとりと目を閉じ、天井に向かって小さく祈るような仕草をしてみせる。神への感謝ではなく、自分の舌への感謝だった。


「あの未熟な修道女たちには、聖書の教え通りに一日一杯の薄い粥で十分よ。胃が軽くなれば、その分天国に近くなるというもの。私の配慮に感謝してほしいくらいだわ」


上機嫌でナイフを動かしていたはずが、手帳を開いた途端、笑みが潮のようにさっと引いていった。


陰で「あそこの院長は金を溜め込んでいる」と噂されているのは知っている。だが、還俗して再び華やかな王都で暮らすには、その噂が笑い話に思えるほど資金が足りない。手帳のページをめくる指先が、だんだん忙しなく苛立たしげになっていく。


「もしも院長を解任されたら、あの生意気な修道女たちに雑用を押し付けられて、毎日のように小言を言われる側に回されてしまうわ」


想像しただけで、優雅なはずの背筋がぞわりと粟立ち、フォークを持つ手が止まった。


「床掃除をしながら彼女たちの足元を見上げるなんて、そんな恐ろしいこと、絶対に、絶対に避けなければならないわね」


ワインを一気に呷ると、グラスをテーブルにガツンと叩きつけた。


「そのためには、もっと大きな獲物が必要よ」


寄進者の名簿を勢いよく引き寄せ、ページをめくる手つきは、さながら賭場でカードを切る胴元そのものだった。舌で唇を舐める仕草まで、すっかり悪徳商人のそれである。


「神様は欲張りな信者がお嫌いでしょうから、私が代わりにその重荷を預かってあげなくては。さて、今日の懺悔室には、どんな迷える子羊がやってくるかしら」


アヴァリスは次の標的を探すべく、寄進者の名簿をめくり始めた。強欲な院長の頭脳は、朝からフル回転で金の回収を計画しているのだった。

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