第68話 普通の仕事③ 力の開示と制御
「こちらから、攻めます」
ルーシーはそう言って、カイゼルを見た。
視線を合わせる。問いではない。引き受けるという意思を、そのまま置く。
カイゼルは一瞬だけ目を細め、黙って頷いた。
止めない。それで十分だった。
ルーシーは前に出る。
三歩。
(……近い)
足を止める。
この距離では、まだだめだ。いまの自分が“全部出せば”、敵より先に味方を危険にさらす。
最悪を具体的に考える。
反射で刃が走ったとき、どこまでなら確実に戻せるか。
一秒以内に、判断と動作を引き戻せる距離。
答えは、はっきりしていた。
さらに距離を取る。
木と木の間を斜めに抜け、地形を選びながら走る。
十メートルほど離れたところで、ようやく止まった。
(……ここなら)
視界の端に、パーティはまだ入る。
刃線が乱れても届かない。
何かあっても、すぐに戻れる距離だ。
ルーシーは一度、呼吸を整えた。
それでも――
力で何かを壊す判断に、慣れているわけじゃない。
この世界に来てから、倒した数はまだ多くない。
剣を振れば、簡単に命の火が消える。
その事実を、軽く扱えるほどにはなっていない。
(……だからこそ)
ここで、迷わない。
距離は取った。
仲間はいない。
巻き込むものはない。
覚悟は、できている。
ルーシーは、もう一度だけ背後を確認する。
仲間はいない。
巻き込む距離に、誰もいない。
剣を低く構え、肩の力を落とす。
これまで、あの力は勝手に上がるものだった。
抑えようとして、失敗して、止められてきた。
この三か月で覚えたのは、
出すことじゃない。
静かにしておくことだ。
ルーシーは意識を、胸の内側へ落とした。
そこに、何かがある。
普段は、波立たないように抑えているもの。
今日は、それを――
無理に押さえ込まず、
少しだけ、開く。
胸の奥が、わずかに熱を持つ。
熱というより、動きだ。
今までより、はっきりした“流れ”を感じる。
(……難しい)
放っておけば、ばらける。
力が散れば、刃が暴れる。
だから、閉じない。
広げない。
一本に揃える。
脚から、背中。
背中から、肩。
肩から、腕。
剣へ。
全身に回さない。
通す場所を、決める。
ルーシーは、静かに言った。
「……ヴァルキア」
声は、ほとんど音にならなかった。
次の瞬間、世界の見え方が変わる。
地面の感触が、足裏から鮮明に上がってくる。
空気の重さが、肌に分かる。
遠くの枝の動きが、手前に引き寄せられる。
(……出てる)
どれくらいかは、わからない。
ただ、いつもより、明らかに力が出ている。
それでも――
暴れていない。
上で枝が撓む。
スクラヴァルが一体、滑空してきた。正面。囮だ。
ルーシーは剣を振らない。
踏み込まない。
刃を、通り道に置くだけ。
皮膜が触れた瞬間、張り詰めていたものが抜ける感触が、はっきりと返ってきた。
次の刹那、獣の体が空中で横を向く。
落下。
地面に叩きつけられ、木の根にぶつかる。
骨が鳴り、動きが止まった。
ルーシーは即座に刃と身体を戻す。
胸の内側に意識を戻し、流れを締める。
(……抑えられてる)
それだけで、十分だった。
上では、すでに次の影が動いている。
最初の一体が落ちた瞬間、森の空気がわずかに歪んだ。
上で鳴き声が短く走る。
合図だ。
次が来る。
ルーシーは倒れた個体を見ない。
視線は、すでに上へ戻っている。
胸の内側に意識を残したまま、流れを締め直す。
(……静かに)
出ている力は大きい。
だが、暴れてはいない。
問題は――次だ。
右上、枝の影が二つ、同時に動いた。
一体は高く、もう一体は低い。
滑空の角度が違う。
先に落ちるのは、低い方。囮だ。
囮が来るのを見た瞬間、もう一体が角度を変える。
狙いは背中側。
挟む気だ。
(……速いな)
評価は冷静だった。
恐怖はない。
ただ、処理が遅れれば危ない。
ルーシーは、あえて半歩だけ遅れる。
囮が目前に来た瞬間、剣を振らず、体を捻る。
刃を立てない。
肩口に、当てる。
衝撃が走り、スクラヴァルの体が横に弾かれる。
そのまま幹にぶつかり、枝を折って落ちる。
致命傷ではない。だが、即戦闘不能だ。
――同時に、背後。
二体目が落ちてくる。
爪が先に来る。
この距離なら、普通は間に合わない。
だが、世界が違う。
ルーシーはその場で、振り向くと刃を短く返し、通り道に置く。
ガン、と硬い音。
爪が刃に当たり、衝撃が手首を跳ね上げる。
(……重い)
筋力が違う。
だが、押し負ける必要はない。
肘を緩め、肩を落とす。
刃の角度だけを残す。
次の瞬間、獣の前腕が裂けた。
深くはない。
だが、筋が切れ、体勢が崩れる。
着地。
跳ぼうとしても、跳ぶことができない。
そのまま地面を転がり、動きが止まった。
ルーシーは追わない。
すぐに胸の内側へ意識を戻す。
(……まだ、出てる)
出力が高いままだ。
油断すれば、次で暴れる。
上で、また鳴き声。
今度は少し長い。
指示が増えた。
四方で枝が揺れる。
三体目が、同時に動いた。
投石が来る。
高い。
盾を意識した軌道だ。
ルーシーは石を見ない。
石の影を見る。
影が重なった瞬間、体をずらす。
石が肩の横を抜ける。
その直後、正面から滑空。
速度が速い。
今までで一番、迷いがない。
(……特攻!?)
ルーシーは、ここで初めて一瞬だけ迷った。
この速度、この角度。
深く入れれば、胴を割れる。
だが――。
(……だめだ)
派手な演出は要らない。
いま必要なのは、数を減らすことだ。
ルーシーは刃を下げる。
落ちてくる体の中心線に、剣を合わせる。
ズン、と重みが来る。
次の瞬間、抵抗が抜けた。
皮膜が裂け、体が横を向く。
獣はそのまま落下し、斜面を転がって木にぶつかった。
骨の砕ける音。
動かない。
胸の内側で、流れが一瞬だけ乱れた。
(……抑えろ)
すぐに締め直す。
呼吸を浅くし、力を一点に戻す。
ルーシーは立ち止まらない。
上を見たまま、位置を少しだけずらす。
まだ、いる。
数は減ったが、終わっていない。
――連携は、まだ生きている。
枝の上で、間の悪い沈黙が生まれた。
鳴き声が、ない。
合図が途切れている。
(……崩れた)
判断した瞬間、左側で枝が大きく撓んだ。
四体目。
高さが低い。距離も近い。
落下というより、上から叩きつける動きだ。
速度が速い。
ルーシーの身体が、反射で前に出かけた。
(――やば。)
一瞬で気づく。
このまま踏み込めば、次の一撃が速くなりすぎる。
戻しきれない。
ルーシーは足を止め、刃の角度だけを変えた。
振らない。
当てない。
逃がす。
刃先を斜めに立て、獣の進行線をずらす。
落ちてきた体は、剣に触れた瞬間、軌道を失った。
横滑り。
そのまま太い幹に叩きつけられる。
鈍い音。
枝が落ち、葉が舞う。
獣は一度も跳ね返らず、そのまま崩れ落ちた。
(……行きすぎてない)
胸の内側に意識を戻す。
流れは、まだ制御の中にある。
上で、短い鳴き声が走った。
焦りの音だ。
次が来る。
だが――遅い。
五体目は、滑空の途中で角度を失った。
仲間の位置がずれ、距離が合っていない。
(……合わせきれてない)
ルーシーは踏み込まず、半歩だけ位置を変える。
剣を振らず、柄で押す。
獣の体が横倒しになり、斜面を転がる。
途中で岩にぶつかり、動かなくなった。
六体目は、来なかった。
代わりに、枝の上で音が乱れる。
散開。
逃走。
ルーシーは追わない。
胸の内側で、流れを静かに絞る。
強く締めない。
暴れさせない。
(……終わり)
その判断とほぼ同時に、
森の気配が一段、軽くなった。
ルーシーは剣を下げ、初めて大きく息を吐いた。
背後。
「……終わった、のか?」
ケスディアの声だった。
かすれている。
ルーシーは振り向かない。
代わりに、剣を鞘に戻した。
「雑魚は、たぶん」
その一言で十分だった。
少し遅れて、カイゼルが盾を下ろす。
セリナが顔を上げ、周囲を見回す。
誰も、傷を負っていない。
カイゼルは、ルーシーの背中を見て、静かに言った。
「……お前はいったい。」
ルーシーは、答えなかった。
胸の内側で、ようやく流れが落ち着いていく。
出ていた力が、ゆっくりと静まる。
(……まだ、終わりじゃない)
視線を上げる。
一段高い枝の上。
そこに、残っている影がある。
動かない。
逃げない。
こちらを、見ている。
――ボスだ。




