第62話 崩落原因調査③ 解除と昇格
ギルドの扉を押し開けた瞬間、視線が集まった。粉で白くなった靴、擦れた盾、欠けた矢、そして布包みに。
ハウルが肩を鳴らした。
「腹減った」
「朝は『減ってない』って言ってたな」
ヴィレクスが、指先の土を払いながら言った。
「朝は朝だ」
壁際の卓で、昼前から杯を傾けていたらしい男が、顎をしゃくった。首に、色の褪せた襟巻きを巻いている。
「おい、見ろよ。首輪付きだ。Bの後ろにくっついて、今日はどこまでお散歩だ? 紐、ちゃんと持っててもらったか」
連れが、卓を叩いて笑う。ミラの目がすっとそちらへ流れ、ハウルの首がゆっくり回りかけた。
「止まるな」
グレンが、歩く速さを変えずに言った。ハウルの首が戻る。
(首輪。……あれ、けっこう安心なんだけどな)
広間の隅の柱の陰に、大きな盾を壁に立てかけて座っている男がいた。笑い声のほうへは、顔も上げない。親指で、盾の縁をなぞり続けている。ハウルと目が合い、互いに顎だけを下げた。その隣で、袖を肘までまくった小柄な女が、男の脇腹を肘でつついていた。
受付のマレーナが顔を上げた。目が、入ってきた顔を一つずつ数える。六つ。
「全員いるわね。マスターが待ってる。奥へ」
隣の窓口で、エリーが背筋を伸ばした。
「お、お帰りなさい……です」
「ただいま、です」
それだけで、エリーの顔がぱっと明るくなった。
◇
机の前にローデリック。壁際に、ブレイデンがいた。挨拶も会釈もなく、視線だけで「続けろ」と言っている。ルーシーの背筋が、ひとりでに一段伸びた。
「全員、歩いて戻った」
グレンが最初にそう言い、セインが布包みを机の端でほどいた。ローデリックが指先で粉をつまみ、擦り合わせる。
「硬いな」
「外殻だ。鉱石と違う混ざり方をしてる。自然物じゃない」
「推測はいい。見たものを言え」
「カーヴァノスがいた」
グレンが言った。
「証は、それだ。ウル=ガルムの時と同じだ。いるはずのない所に、いた」
ローデリックの指のあいだから、粉がひとつまみ、机に落ちた。ブレイデンの組んだ腕が、ほどけかけて、また組まれた。
ローデリックは、粉のついた指のまま炭を取った。広げたままの地図の、北の森の縁には、炭の丸がいくつも打ってある。丸の一つに、ブレイデンの報告書の余白を裂き取った切れ端が、留め針で留めてあった。そこからずっと東、丘の影の坑道の印の上に、新しい丸を一つ足した。
炭の先が、北の森の縁の丸を、一つずつ叩いていった。最後に、新しい丸で止まった。
数を口にする者は、いなかった。
「お前は。全部言え、と言ったな」
「はい。首の下に、白い筋がありました。そこへ、線を作りました。浅く」
少し考えてから、付け足した。
「それと、行きに、肩で壁の石を一つ落としました」
ローデリックがこめかみを指で押さえた。炭のついた指だったので、黒い跡が残った。
「小さいことでも、とは言ったがな。自分の落とした石まで数えてくる奴は、初めてだ」
「割れる筋を見つけたのも、こいつだ。俺じゃない」
ヴィレクスが、壁を見たまま言った。
ブレイデンが初めて口を開いた。
「斬ったか」
「斬ってません。押し当てて、滑らせました」
ブレイデンの目が、ルーシーの背中の剣の柄へ一度行って、戻った。
ローデリックが引き出しから紙を一枚出した。ルーシーの名前の横に、『管理指定』の文字が並んでいる。
「ここからは、ルーシーの『管理』の話だ」
ペンが、その一行に、まっすぐ線を引いた。紙を擦る音が、やけに長く聞こえた。
「今日をもって解除する」
ルーシーの胸の奥が、遅れて沈んだ。見られている距離が、一本の線で消えた。
ローデリックが、ペンを置いたままルーシーの顔を見た。
「不服か?」
「……少しだけ、です」
ハウルの喉が、変な音を立てた。咳でごまかしたが、ごまかしきれていない。
「変わった奴だ。普通は喜ぶぞ」
「見ていてもらえるのは、安心でしたので」
「首輪を外すだけだ。目まで外すとは言ってない」
「はい」
ローデリックは同じ引き出しから、もう一枚の紙を出した。右下の判の朱は、とうに乾いていた。
「それと。Cランクへ上げる。手続きは明日だ。細かいことはマレーナに伝えてある」
(いつ、押したんだろう)
ハウルが口笛を吹きかけて、セインに肘で止められた。
壁際のブレイデンが、腕をほどいた。扉の取っ手に手をかけたところで止まる。振り返りはしなかった。
「勘違いするな。Cは褒美の札じゃない。請けていい仕事の、幅の札だ」
扉の木目に向かって言うような声だった。
「『Cの仕事』を崩さなかった。だから上げた」
扉が開き、閉まった。
ルーシーは、閉まった扉に向かって頭を下げた。下げたまま、すぐには上げなかった。グレンが、机の上の地図を見るふりをした。
「よし。今日は解散。報告書はグレンが書いておけ。欠片は預かる。原因の最終確認はこっちでやる」
「了解」
◇
廊下に出ると、ハウルが粉の残る手でルーシーの背中を叩いた。
「前は、お前が前に出て、助かった」
左腕を、ぐるりと回してみせる。今回は、二本とも動く。
「今日は、お前が前に出なくて、助かった。変な奴だよ、ほんと」
「今日、二人目です」
「一人目は」
「ギルド長です」
ハウルが、ぶはっと吹き出した。
「褒めてんだよ。二人とも」
セインが小さく笑い、ミラが「言い方」とだけ言った。
広間へ戻ると、フィリスが奥から回ってきたらしい紙を一枚つまんで、窓口から身を乗り出した。
「なあ、ルーシー。この紙、『C』って書いてあるように見えるんだけど。僕、目が悪くなったかな?」
広間の端まで届く声だった。
マレーナは、ゆっくりとフィリスを見ていた。
「書類が先に回ってきてたんだよ。見えちゃったもんは仕方ない」
「見えても言わないの」
「え、えっ、C……!?」
エリーの手から、判が落ちた。押すはずのない紙の上に、ぽんと。依頼票の真ん中に、受付印が斜めに一つ増えた。
「お、おめでとうございます! ルーシーさん!」
「ありがとうございます。その紙、大丈夫ですか」
「えっ。あっ」
フィリスが肩をすくめた。
「で、祝勝会は?」
「やらない。今日は寝かせる」
「厳しい」
マレーナは斜めの印のついた紙を、書き損じの箱へ入れた。蓋を閉めてから、ルーシーを見た。
「明日、朝一番。銀を用意しておくわ。……おめでとう。首輪の外れた、Cランクさん」
広間の柱の陰で、大盾の男が、盾の縁から親指を離した。
ルーシーは首もとに手をやりかけて、やめた。




