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異世界で普通に生きるために危ない仕事をする  作者: Yuki


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第53話 崩落原因調査② カーノヴァス

今年もよろしくお願いいたします。

早速ではございますが、年初の一本を公開します。

引き続きお付き合いお願いいたします!

「あれは――カーヴァノスだ」


 グレンが言い切った瞬間、坑道の空気が一段だけ硬くなった。


 目の前の“岩”は、獣の輪郭をしている。だが毛も皮もない。削れた岩肌みたいな表面に、乾いたひびが走り、筋が何本も刻まれている。松明の光が当たるたび、鈍く反射して、石英みたいに白い粒が瞬く。


 歩くたびに、床の奥から鈍い揺れが来た。


 壁が震えるというほどじゃない。けれど、足裏に伝わる重さが違う。人間の足音じゃない。荷車でもない。地面そのものが「来た」と知らせてくる。


 ハウルが盾を前へ出す。ミラが矢を番える。セインが一歩下がって、薬包の口を切り、瓶を握り直した。ヴィレクスは壁に指を当て、目を細める。


 ルーシーは剣の柄に触れた。


 抜くためじゃない。中央を守るためだ。


 呼吸。


 腹で吸い、止め、吐き、止めた。


 深く入る。深く入ると落ち着く。落ち着くと、視界の端まで残る。足が前へ出ようとするのを、先に止められる。


 グレンの声が低く走る。


「ミラ、眼を追うな。首を振らせろ」

「分かった」

「ハウル、止めるな。流せ。壁に寄せるな」

「任せろ」

「セイン、投げ薬、用意しろ。倒れたら終わりだ」

「分かってる」

「ヴィレクス、割れるか?」

「割れる。……でも、きっかけが要る。薄い傷を作ってくれ」

「ルーシー、浅くでいい。線だけ作れ」

「了解」


 短い。説明はいらない。全員、前提を共有している声だった。


 カーヴァノスが、肩の位置を少し沈めた。


 ――来る。


 次の瞬間、通路いっぱいに質量が押し出される。突進というより、岩盤がずれて押し潰しにくる感覚。床が沈み、砂が逃げ、足裏が一瞬だけ浮く。


「流せ!」


 グレンの声と同時に、ハウルが盾を斜めに入れた。真正面で受けない。盾の縁で、進路を外へ逃がす。


 衝撃が盾に乗って、ハウルの肩が沈む。膝が割れそうな角度になり、それでも踏ん張って押し返さない。押し返せば、こちらが崩れる。流せば、通路の中心が生きる。


 カーヴァノスの前脚が盾の縁を滑り、爪が空を掻いた。壁まで届かない距離で、軌道だけがずれる。


 ミラの矢が飛ぶ。


 狙いは眼じゃない。首の付け根。刺さらなくていい。向きが変わればいい。


 矢は弾かれ、火花が散って床へ落ちた。刺さらない。通らない。けれど首がわずかに揺れ、重心が一瞬だけ外へ逃げた。


「硬すぎる……!」

「分かってる。今は“動かす”だけだ」


 グレンが前へ出た。刃を立てない。刃の腹で触れ、押し、方向だけを変える。切る動きはしない。切ろうとすれば、刃が弾かれて余計な衝撃を作る。


 カーヴァノスは首を振った。怒りというより、障害物をどかす動き。壁へ寄せ、中心を奪い、道を潰す角度。


 ルーシーは中央に立った。


 剣を抜く。抜いたが振らない。刃先を立てない。腹で当てる角度を作る。守るための剣の使い方を、身体が先に知っている。


 呼吸。


 腹で吸い、止め、吐き、止めた。


 カーヴァノスの肩がぶつかってくる。


 重い。


 腕が持っていかれそうになる。足裏が沈む。だが背中が固まらない。息が胸に上がらない。関節が引っかからない。腹の中で、止めて、吐いて、止める。


 刃の腹が、岩肌を滑った。


 硬い。圧倒的に硬い。普通の剣なら、ここで“何も残らない”。


 それでも、当たった場所に薄い擦れが残った。


 黒い線。削れたというより、表面が「削られたことになった」程度の痕。


 ミラが、息を飲む。


「……今、線ついた?」

「ついた。これでいい」

「もう一本。そこ、繋げろ!」

「分かった!」


 ルーシーは一歩だけ位置を変えた。前へ出ない。横へずれる。中心を守ったまま、同じ箇所に“続き”を作る。


 剣を滑らせる。押し当てる。刃の腹で線を延ばす。


 握りの奥が熱を持つ。火傷するほどじゃない。けれど、刃の表面がほんの少しだけ生きている気配がある。自分の内側が勝手に回って、余ったものが刃の外側へ滲む――そんな感覚だけが、手のひらの中で起きた。


 カーヴァノスが低く唸り、前脚を振り回した。


 床が沈む。天井から砂が落ちる。さっきより重い落ち方で、細かな粒が肩へ当たる。


 ハウルが叫んだ。


「壁を使う気だ!」


 カーヴァノスが、身体を壁側へ寄せようとしている。押し込めば、こちらの逃げ道が死ぬ。壁に寄せられれば、盾が逃がせなくなる。


「寄せさせるな!」


 グレンが言った。命令は短い。迷いが消える。


 ハウルが盾を一段だけ外へ出す。押し返さない。角度を作って、壁へ行く力を中心へ返す。ミラが矢を連続で放ち、首を揺らす。刺さらなくていい。向きだけをズラす。


 それでも、カーヴァノスは重い。止まらない。質量のまま進む。


 ルーシーの線は、まだ浅い。起点にはなるが、割れない。


「ヴィレクス!」

「分かってる!」


 ヴィレクスが杖を床へ当てた。


「テルラヴィス……床、締める!」


 土が沈む感覚が、一度だけ来る。沈んだのに、床が固くなる。砂が逃げない。踏ん張りが効く。カーヴァノスの踏み込みが、床に吸われず、前へ抜けきらなくなる。


 わずかな失速。


 それだけで十分だった。


「今だ、向き外せ!」


 グレンが叫ぶ。ミラの矢が首へ吸い込まれるように飛ぶ。弾かれ、火花が散る。それでも首が揺れ、重心がルーシーの線の方へ寄る。


 ヴィレクスの目が細くなる。


「オブシダル……入るぞ」


 ヴィレクスが杖先を床に当てた。


 途端に、松明の光の中で床の粉塵がふわっと浮く。

 風じゃない。浮いた粒が、同じ方向へすうっと走った。


 集まる先は一か所だけ。

 ルーシーが黒い線を引いた、その端だ。


 粉が吸い寄せられた瞬間、床の内側が「押す」。

 石肌がきしみ、白い粉が弾けた。


 ひびが、線の上に一本だけ走る。

 細い。だが、確かに“割れ目”だ。


「割れた!」

「いけるぞ、集中しろ!」


 グレンが踏み込んだ。斬らない。割れ目へ刃を差し込み、内側を“開く”。刃が入った瞬間、硬さが一段落ちた。外側じゃない。内側の“柔らかい層”へ届く。


 ミラが矢を叩き込む。今度は刺さった。矢羽が震えて止まる。


 カーヴァノスが吼え、暴れようとする。壁へ寄せる動き。質量のまま壁へ当てれば、次の揺れが来る。


 ルーシーは剣を当てて押さえた。押し返さない。角度で止める。壁へ行く力を、中心へ戻す。


 腕が痺れる。膝が沈む。足裏が床へ食い込む。だが崩れない。


 呼吸。


 腹で吸い、止め、吐き、止めた。


 止める。吐く。止める。身体の内側だけを落ち着かせる。動きが荒れない。余計な踏み込みが出ない。中心を守れる。


 ハウルが盾で支える。盾を当てる位置をずらし、壁へ逃げる力を削る。


 セインが薬包を投げた。瓶が割れて刺激臭が広がる。目に染みる匂い。空気が一瞬だけ変わる。カーヴァノスが反射で首を振り、その一拍で重心が浮いた。


「ヴィレクス、今!」

「――グラーディア、押す!」


ヴィレクスが杖を押し込む。


ルーシーが刻んだ外殻の傷へ、土の力をねじ込む。

傷の奥に砂が入り、押し広げる。


亀裂が一気に伸びた。

白い粉が舞い、硬質の欠片が落ちる。


欠片が跳ねれば、地面を叩く。余計な揺れになる。

ヴィレクスが即座に手を返した。


「アルケティア、受ける!」


土の縁がせり上がり、欠片を“寝かせる”。跳ねない。転がらない。

落ちた場所で止まる。


カーヴァノスの巨体が、ぐらりと傾いた。


 床が沈み、坑道全体が一度だけ揺れた。天井から砂が落ちる。今までより重い落ち方。遠くで小さく、石が擦れる音がした。


 全員の顔が固まる。


 ここで余計に揺らしたら、次が来る。


 グレンがカーヴァノスへ近づき、剣先で一度だけ触れた。反応はない。眼の光も消えている。


「撤収だ」

「証は?」

「それだけ。運び出しは無理。ここ、もう揺らせねえ」


 セインが布を広げる。ミラが矢を抜き、先端の欠けを見て舌打ちした。


「矢、何本折れたと思ってんの」

「文句は後で言え」


 グレンが短く返す。怒鳴らない。けれど、声が硬い。仕事の顔だ。


 ルーシーが硬質の欠片を拾い、布で包む。手のひらにざらりとした粉が残る。岩の粉じゃない。もっと乾いて、金属みたいな重さのある粉だ。


 ヴィレクスが壁へ指を当て、ひびの伸びを確かめる。


「長居はまずい。次の揺れで落ちる」

「分かった。戻るぞ」


 隊列を組み直す。


 帰りは速さじゃない。揺らさないことが第一だ。ハウルが先頭。盾を壁へ擦らせない歩き方で進む。ミラは二番手で天井と前を見る。セインは中央の後ろで全員の足元を見て、ふらつきが出たらすぐ支える位置。ヴィレクスは最後尾寄りで床と壁を見て、危険な箇所は締め直す。ルーシーは中央で、誰かが崩れた瞬間に受け止められる距離を保つ。


 呼吸。


 腹で吸い、止め、吐き、止めた。


 深く入る。深く入ると落ち着く。落ち着くと、余計な焦りが浮かんでも、そこで止められる。


 シルトリスの膜の地点で、ヴィレクスが杖先を床へ当てる。


「テルラヴィス。……滑るなよ」


 乾いた砂が広がり、足裏の嫌な粘りが消える。ハウルが短く笑った。


「助かる。ほんと助かる」

「礼は外で言え」


 グレンが言う。口調は荒くない。ただ早い。


 グロザードの狭窄部では、全員が一拍止まり、ずらして通った。切らない。刺激しない。怒らせない。通路の中央を守る。


 出口の光が見えた。


 坑道の湿りが薄れ、外の乾いた冷気が混じる。頬に当たる空気が軽い。肺が広がる。


 外へ出た瞬間、ルーシーは剣を鞘へ納めた。速くしない。最後まで同じ速度で。


 腕に残った痺れが遅れて戻る。筋肉の張りも戻る。けれど、その張りが動きの邪魔をしない。関節が引っかからない。


 呼吸が先に腹へ入って、背中が静かになる。


 ミラが、ようやく息を吐いた。


「……ほんと、通らなかったね。矢が笑えるくらい弾かれる」

「通らないのが普通だ。通ったのが例外だ」


 グレンの視線が、ルーシーの剣へ一瞬だけ落ちる。すぐに戻る。


「浅い線で十分だった。よくやった」

「……はい」


 ルーシーは短く返した。褒められて浮くと、次で崩れる。だから、受け取って終わらせる。


 ハウルが肩を回し、わざと大げさに言った。


「いやあ、今回は腕が二本あってよかった」

「次は言うな。縁起でもねえ」


 セインが布包みを抱え直し、苦く笑う。


「投げ薬、効いたか?」

「効いた。あの一拍がなきゃ、割れ目に乗らなかった」


 ヴィレクスが淡々と続けた。


「きっかけがないと割れない。きっかけがあれば割れる。……今日のは、いい形だった」

「いい形って言い方、むかつくな」

「事実だ」


 ミラが言い返すが、声に棘がない。張っていたものが、少しずつ抜けている。


 グレンが布包みを確認し、短く言った。


「報告行くぞ。……マスター案件だ」

「原因、掴めたのか?」

「“見たもの”は持ち帰る。推測は後だ」


 ヴィレクスが頷く。


「……カーヴァノスがいたのは確かだな」

「“いた”はいい。原因まで決めるな。証は持って帰る。あとはギルドで詰める」


 グレンの言い方はぶっきらぼうだが、筋が通っている。勝手に結論を出すな。仕事として畳め――そういう温度。


 全員が同じ速度で歩き出す。


 坑道の奥にいた“重さ”は、まだ足裏に残っている。だが残っているだけで、引っ張られない。腹で息を吸い、止め、吐き、止めると、視界が戻る。


 エルデンの門が遠くに見えた。


 今日の仕事は、まだ終わっていない。


 けれど――誰も欠けずに戻れる距離に、もう入っていた。

ここまで、読んでいただき、ありがとうございました。次回からは週に2-3本の更新となります。


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