第33話 日常の対価
ルーシーは、大きい袋の一つを片手で持ち上げた。持ち上がってしまってから、広間の目を思い出して、両手に持ち替えた。
「今回の報酬よ。中身、確かめてちょうだい」
袋の口を開けると、鈍く光る金貨が三枚と、溢れそうなほどの銀貨が入っていた。
「あの、これ、桁が――」
「合ってるわ。ウル=ガルムは、赤の上の値がつくの。森の外に出てきた分の上乗せもね。それを五人で割ったら、こう。補助の取り分じゃないわ。一人分」
嬉しさより先に、重さが来た。
「ありがたく、受け取ります」
「それと、ここからは事務のお知らせ。Dになったから、寮は出てね。来週まででいいわ」
「はい」
マレーナが、帳簿をめくる手を止めた。
「あら、やけに素直ね。少しは名残惜しむかと思った」
「鍵のかかる部屋が、欲しかったので」
「鍵?」
「寮の扉、ずっと鍵がなくて。今は、釘を一本、差してます」
「釘」
「もらいものです」
「あなた、そんなこと気にしてたの」
「すごく、気にしてました」
ペン先にインクが小さくにじむのも構わずに、マレーナはしばらくルーシーの顔を見ていた。それから、帳簿を閉じた。
「鍵ね。……呼んでくれたら、お酒は持っていくわ」
「来てくれるんですか」
「鍵のかかる部屋ならね」
ルーシーは袋の口を縛りかけて、手を止めた。
「あの。北の森は、どうなるんですか」
マレーナの目が、一瞬、奥の部屋のほうへ動いた。
「赤は、上で止めてる。あなたには回さない。管理指定って、そういうことよ。さ、装備を整えてきなさい。今のままじゃ、札だけ立派よ」
ギルドを出たところでフォークテイルの三人に捕まり、事情を話すと、トムが馴染みの武器屋へ案内してくれた。
「親父、この子に使いやすい片手剣を見繕ってやってくれ」
店の奥から出てきた店主は、太い腹に革の前掛けを締めた男だった。壁から剣を一本外し、ルーシーの肩口にかざして、長さを目で測る。
「背があるから、少し長めがいいな。この鋼のがおすすめだ。銀貨十二枚でどうだい」
手に取ると、薄く、芯がなかった。指先で刃の腹を押すと、わずかにしなって、戻る。
「あの、もっと重くて、分厚いのはありませんか?」
「は? 娘さん、これ以上重い片手剣なんて、手首を壊すだけだぞ」
店の隅の格安品の棚を漁っていたトムが、埃を被った一本の剣を引き抜いた。
「おい親父、この無骨なのはなんだ? 妙に肉厚で、重い気がするが」
「ああ、それは鍛え損じだ。剣先が重すぎて、大の男が両手で振って、自分の足を切りかけた。三年ぶら下がってる。はね物だよ」
ルーシーがその剣に手を伸ばすと、店主は腹を揺らして笑い、柄に下がった値札を指で弾いた。銀貨十枚とある。
「片手で振れたら、半値にしてやるよ。振れたらな」
「親父、やめとけ。それ、賭けになんねえぞ」
トムが、慌てて手を振った。
「だから言ってんだよ」
店主はますます笑った。リナが小さくため息をついて、壁に立てかけてあった盾を一枚、そっと脇へよけた。
「跳ねたら、危ないから」
柄を握り込むと、剣先の重さが、手のひらへまっすぐ落ちてきた。嫌な重さではなかった。
低い風切り音が、店の中を横切った。
手首は負けない。腕も遅れない。
――ただ、止まらなかった。
止めたはずの剣先が、半歩ぶん先へ流れ、天井から吊るしたランプをかすめた。
店主の笑い声が、途中で止まった。
ランプが大きく揺れた。灯りが壁じゅうの刃物の上を右から左へ走り、端まで行って、戻ってくる。もう一度、走る。三度目には、光の届く幅が少しだけ狭くなった。
「三往復した」
カイが、ランプを見上げたまま言った。
「すみません。止まりませんでした」
揺れが、少しずつ小さくなっていく。ルーシーは剣を下ろして、柄を握り直した。
「これに、します」
店主は、止まりかけたランプから目を離さなかった。
「大の男が両手で振って、足を切りかけた剣だ。片手で振って、ランプで済んだか」
それから、値札をむしり取って、手の中でくしゃりと握りつぶした。
「……言っちまったからな。半値だ。銀貨五枚。持ってけ。もう、店の中で振るなよ。次に止まらなかったら、ランプじゃ済まねえ」
「すみません。ありがとうございます」
「だから言ったろ、親父」
トムが、店主の肩を叩いた。
「やかましい。お前は先に言え」
次は防具だった。鋼の板を仕込んだ革鎧を、リナが選んで、ルーシーの背中に当てた。着けてみると、重さより先に、守られている感じが来た。
「背が高いから、いちばん端の穴ね。それでもぎりぎり」
合わせて鋼入りの脛当ても選ぶと、店主は今度は値引きの話を一言もしなかった。代わりに、前掛けのポケットから握りつぶした値札を取り出して皺を伸ばし、帳場の柱に釘で打ちつけた。
「三年ぶりに売れた記念だ」
店主は腹を揺らして笑った。今度は、ルーシーを笑う声ではなかった。
釣り銭を数えながら、店主は、ルーシーの背中の剣に顎をしゃくった。
「街道に出るなら、それでいい。最近は、東の道で、通る者から金を取る連中がいるって話だ。ああいう連中は、細い剣には寄ってくる」
「寄ってこない剣のほうが、いいです」
「そりゃ、そうだ」
払ったのは、銀貨だけだった。金貨は三枚とも、袋の底で一度も鳴らなかった。
その週のうちに、ルーシーは商家の裏の離れを借りた。石造りの一部屋に、小さな竈と水場。中庭には井戸があり、何かの木の実の殻を干した平籠が、いくつも並んでいた。扉には、鍵穴があった。
家賃はひと月に銀貨八枚。半年分を前払いで納めると、大家の商家の主人は帳面に何か書きつけてから、鉄の古い鍵をルーシーの手のひらに載せた。
「出かけるときは、鍵をかけてくれ。言うのは、それだけだ」
「かけます。二回、確かめます」
「一回でいい」
退去の日、ルーシーは寮の扉の前にしゃがんで、掛け金の穴から釘を抜いた。叩き直した跡のある頭が、指先に引っかかった。
少ない荷物をまとめ、新しい剣を背負って、寮の扉を出た。ポケットの中で、釘と、借り物ではない鍵が触れ合って、小さく鳴った。
その夜、ルーシーは離れの扉を閉めた。
内側から鍵を回すと、カチャリ、と小さな音がした。
(この音が、ずっと聞きたかった)
腰の単語帳の板を外して、裏を返した。三行のうち、最後に残った『鍵』の字の上に、炭で線を引いた。
線の引かれた三行を、しばらく眺めた。
板の下の端に、まだ少し、木の地が残っている。ルーシーは炭を持ち直して、そこに『来期の目標』と書いた。
① 目立たない
② 杯を、二つ使う
炭を持つ指に、膝の裏の、ぶつっ、が戻ってきた。
③ 指一本手前で、止め――
ぽきり、と炭の先が折れた。
折れたかけらが机の端から落ちて、新しい部屋の床を、ころころと転がっていった。
やっとルーシーも冒険者として普通の生活が送れるようにになれましたね。
さあ次回はDランクの初仕事です。




