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異世界で普通に生きるために危ない仕事をする  作者: Yuki


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第32話 階段の踊り場

午後の日差しは、朝よりも強くなっていた。


宿を出て、通りを歩く。 足元は石畳。すれ違う人の話し声。荷車の車輪が軋む音。 どこにでもある、街の喧騒だ。


ルーシーは歩きながら、無意識に左腕の肘をさすった。


日本にいた頃、そこには古傷があった。 かつて、あと一歩で手が届くはずだった場所。 そこに挑むには、この肘はあまりに脆かった。激しい衝突に耐えきれず、夢の入り口で体が悲鳴を上げたのだ。


だから私は、華やかだが不安定な道を捨てた。 企業に勤め、組織の保証の中で堅実に生きる道を選んだ。


冒険よりも、安定を。 それが、私が選んだ「普通」だった。


今はもう、痛みはない。 どこにあったのかすら分からないほど、きれいに消えている。


(……治ってるんだよね、全部)


体は軽い。 昨日、あれだけの生き物を相手にしたのに、指先ひとつ震えていない。 今のこの体なら、あの時耐えられなかった衝撃さえ、何事もなく受け止めてしまうだろう。


それが、少しだけ怖かった。


自分が自分の知っている「人間」の枠から外れていく。 このまま「強さ」に馴染んでしまったら、 かつて安定を何より大切にしていた自分まで、消えてしまうんじゃないか。


(……でも)


ルーシーは足を止めず、顔を上げた。


ここで生きていくと決めた。 逃げないと決めた。


なら、この体とも付き合っていくしかない。 怖がって縮こまるのではなく、 ちゃんと手綱を握って、「普通」に歩けるように。


ギルドの看板が見えてきた。


深呼吸をひとつ。 肩の力を抜く。


扉を押した。


午後のギルドは、朝とは違う熱気があった。 依頼を終えて戻ってきた冒険者たちの声で溢れている。


入った瞬間、いくつかの視線がこちらに向いた気がした。 けれど、昨日までの刺すような好奇心とは少し違う。 「ああ、あいつか」という、風景の一部として認めるような視線。 あるいは、「昨日のアレから生還した奴」という、畏敬の混じった空気。


それが、少しだけ背中を押した。


受付へ向かうと、マレーナが待っていたかのように顔を上げた。


「……来たわね」


仕事用の顔だ。 けれど、目元だけが少し柔らかい。


「マスターが待ってる。奥へどうぞ」


「はい」


短く答えて、通路へ進む。 背筋を伸ばす。 昨日のような、何が起きるか分からない緊張感はない。 あるのは、仕事に向かう時の、適度な張りだけだ。


扉を叩く。


「入れ」


ローデリックの声。


中に入ると、彼は窓際で腕を組んでいた。 ルーシーが入ると、ゆっくりと振り返り、机の前の椅子を顎でしゃくった。


「座れ」


「失礼します」


ルーシーは腰を下ろした。 ローデリックは自分の席には座らず、机に軽く腰を預ける形で向かい合った。


「体調は」


「問題ありません」


「そうか」


ローデリックは、じっとルーシーを見た。 値踏みするような目ではない。 検品を終えた商品を、最後に確認するような目だ。


「昨日の報告は、レッドスティールからも聞いている」


名前が出た。 グレンたちのことだ。


「『判断が早かった。配置が的確だった。  あいつがいなければ、誰か欠けていたかもしれない』……だそうだ」


ルーシーは膝の上で手を握った。


「……私は、言われた通りに動いただけです」


「謙遜はいらん。事実だけでいい」


ローデリックは淡々と言った。


「Eランクの動きではなかった。それは自覚しているな」


「……はい」


否定はできない。 でも、ルーシーにしてみれば、あれは「必死に動いた」というよりは、「当たり前の対応」をしただけだった。 迫ってくる相手に対して、位置を取り、躱し、隙間を抜ける。 それは彼女にとって、かつて仕事として何千回も繰り返してきた「基本動作」に過ぎない。


ただ、ここではそれが「異常」とされるだけだ。


ローデリックは息を吐き、机の上にあった何かを、カタリとルーシーの前に置いた。


小さな金属のプレート。 鈍い光を放つ、ドッグタグのような認識票。


そこに刻まれているのは、見慣れたアルファベットではない。 この世界独自の、角ばった文字だ。 翻訳すれば『一人前』や『実務者』を意味し、ギルドでは【Dランク】として扱われる階級の記号。


それが、確かに刻まれていた。


「……これは」


「受け取れ」


ローデリックは短く言った。


「昇格だ。  今日付で、お前をDランクとする」


ルーシーは目を見開いた。


「……審査は? 試験があるのでは……」


「終わった」


ローデリックは窓の外、昨日ルーシーたちが向かった森の方角へ視線をやった。


「昨日の依頼だ。  Bランクパーティへの同行。想定外のボス遭遇。負傷者のカバー。そして生還」


視線を戻し、ルーシーを射抜く。


「あれ以上の試験があるか?」


「……」


「ギルドが用意した安全な試験場で、人形相手に剣を振らせても意味はない。  お前に必要なのは強さの証明ではない。『現場での制御』の証明だ」


ローデリックは机を指先で叩いた。


「お前は、パニックにならなかった。  力を暴走させて味方を巻き込むこともなく、自分の役割を全うした。  それが答えだ」


ルーシーは、目の前のプレートに手を伸ばした。 冷たい金属の感触。 一人前の冒険者としての、確かな証。


「……認めて、もらえるんですね」


「早まるな。話は終わっていない」


ローデリックの声が、ピシャリと空気を叩いた。 ルーシーの手が止まる。


「Dランクにはする。お前をEランクのまま置いておくのは、周囲の混乱を招くからな。  だが、普通のDランクと同じ扱いはしない」


「……扱い、ですか?」


「お前は『管理指定』だ」


聞いたことのない言葉だった。


「お前を野放しにはできん。  かといって、檻に閉じ込めるのもギルドの利益にならん。  だから、条件をつける」


ローデリックは指を二本立てた。


「一つ。  お前が受ける依頼は、全てギルド側——つまり私が選定し、許可したものに限る。  勝手に掲示板の依頼を受けることは許さん」


自由の剥奪。 普通の冒険者なら反発するところかもしれない。


「二つ。  定期的な『調整』——マレーナによる面談と状態確認を義務付ける。  精神的に不安定だと判断されれば、即座に活動停止とする」


ローデリックは、試すような目でルーシーを見た。


「自由な冒険者とは程遠い、窮屈な首輪付きだ。  ……不服か?」


ルーシーは、少しだけ考えた。 自分の行動を制限され、監視される。 それは一見、不自由なことのように思える。


けれど。


(……それって)


ルーシーは顔を上げた。


「……つまり、私が自分の力で事故を起こさないように、ギルドが管理してくれるということですか?」


「……そういう風にもとれるな」


ローデリックは、ふいっと視線を逸らした。


「私が無茶しないように、仕事を選んでくれると?」


「そういう場合もある」


否定はしない。 けれど、肯定もしない。 それが、この人なりの距離感なのだと分かった。


ルーシーは、ほっと息を吐いた。 そして、プレートをしっかりと握りしめた。


「お願いします。それがいいです」


拍子抜けしたように、ローデリックが片眉を上げた。


「……変わった奴だ。  普通はもっと嫌な顔をするぞ」


「私は、英雄になりたいわけじゃありませんから」


誰よりも目立ちたいわけじゃない。 組織の一員として、役割を果たして生きていく。 それはルーシーにとって、枷ではなく、命綱のような安心感だった。


「管理してもらえるなら、安心して働けます」


「……そうか」


ローデリックは短く鼻を鳴らし、少しだけ表情を緩めた。


「なら、契約成立だ。  手続きはマレーナに任せてある。行け」


「はい。ありがとうございました」


ルーシーは立ち上がり、深く一礼した。 プレートを握りしめ、部屋を出る。


扉が閉まる。 廊下には、マレーナが待っていた。


「おめでとう。  ……首輪付きのDランクさん」


からかうような、でも優しい口調。 ルーシーは苦笑いしながら、プレートを見せた。


「望むところです。  これで、路頭に迷わずに済みます」


「ふふ、本当にあなたらしいわね」


マレーナは笑って、ルーシーの背中をポンと叩いた。


ギルドを出る。 夕暮れの風が心地よい。


手の中のDランクプレートが、体温で少しずつ温かくなっていく。


(よし)


ルーシーは拳を握った。 自由気ままな冒険者ではない。 ギルドの管理下にある、一人の労働者として。


それは、かつて自分が選んだ生き方と、どこか似ていた。 世界はずっと物騒だけど、ここならきっとやっていける。


「明日からも、頑張ろう」


石畳を踏む足音は、昨日よりも確かに軽く、そして力強かった。

長くなってしまいましたがようやくDランクに昇格できました。

ルーシーの過去も少しだけ出してみました。

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