第20話 新しい門出
町の門が見えたところで、ルーシーはようやく肩の力を抜いた。
見張り小屋への補給は終わった。帰り道も問題はない。
門番に軽く目で合図される。男が先に通り、ルーシーも続く。止められない。
もう「仕事で出入りしている人間」として見られているのだと分かった。
門をくぐったところで、男が短く言う。
「……今日は、ここまで」
仕事の区切りだ。
男の視線が一度、掲示板のある建物の方へ向く。
「……あとで」
それだけ言って、男は人の流れの中へ入っていった。
先に戻って待つ、という意味だろう。
ルーシーは小さく頷く。
一人になって、ようやく息を吐いた。
(……このままだと、ちょっと恥ずかしいな。
倉庫だったらいいけど、街だと結構みられてるし。
サンダルも壊れかけてるから、服と靴、ちゃんと買わなきゃ)
そう思った直後、頭の中で別のことが割り込む。
(その前に、借りたものしっかり返さなきゃ)
治療所での処置。
町まで連れてきてもらった分。
その場で払えなかった分。
「あとで」のままにしているのが、ずっと引っかかっていた。
ルーシーは通りを一本外れ、治療所の近くへ向かった。
少し探すと、革装備の男が一人、建物の影にいた。
あの日、腰袋を叩いて合図をした男だ。
ルーシーは近づき、布包みを差し出す。
「……返す」
男は受け取り、指先で重さを確かめる。
短い言葉が返る。細かい意味は分からないが、通じたのは分かる。
ルーシーは自分の肩を指し、治療所の方を示してから、布包みをもう一度指した。
(……あのときの分)
それから、息を整えて、言葉を絞り出す。
「……ありがとう」
発音が合っているか分からない。
それでも、気持ちは伝えたかった。
ルーシーは深く頭を下げた。
男は一瞬だけ目を細め、短く頷いた。
「……いい」
それだけだった。
時計のことには触れられない。
あれは護送の対価として受け取った、そういう扱いなのだろう。
胸の奥が、すっと軽くなる。
(……やっと一個、片付いた)
そこから先は、買い物だ。
ルーシーは日用品を扱う小さな店に入った。
店主はルーシーを一目見て、余計なことを言わない。
欲しいのは高いものじゃない。
丈夫で、動けて、目立たない服。
それと、ちゃんと足を守る靴。
指で示し、言葉は最小限にする。
着替えて外に出る。
靴を履いた瞬間、足裏がきちんと地面をつかんだ。
(……うわ、全然違う)
歩幅が揃う。
視線が落ち着く。
(……やっと、普通だ)
清算も済んだ。
身なりも整えた。
ようやく、次に行ける。
向かったのは、掲示板が並ぶあの建物だった。
中に入ると、空気がざわつく。
武器を持つ者、荷を担ぐ者、強い声。
少し緊張しながら、男を探す。
いた。
入口近くで待っている。
「……奥だ」
ルーシーは頷き、ついていく。
人の少ない通路を抜けると、空気が変わる。
静かで、事務的な匂い。
受付の職員が出てきて、ゆっくり説明を始めた。
言葉は短く、区切れて聞こえる。
「……仕事。ここ。仲介」
「……管理」
それから、呼び名。
「……ギルド」
(……あ、これがそうなんだ)
名前がついた、というより、名前が分かった。
それだけで、少し安心する。
案内された小部屋には帳簿と机、木箱が積まれていた。
職員が言う。
「……登録、前。できる、見る」
「……どんな、仕事。できるか」
戦う試験じゃない。
そう聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。
箱を運ぶ。指定の線まで。
一つ、二つ、三つ。
ここまでは普通にできた。
四つ目に手をかけたところで、職員が声をかけた。
止める言葉だった気がする。
だが意味が追いつかない。
そのまま持ち上げてしまう。
踏み出した瞬間、体が思った以上に前に出た。
重心が先に行く。
とっさに箱を離し、床に手をついた。
箱が転がって、鈍い音がした。
(……うわ、やっちゃった)
痛くはない。
ただ、ものすごく恥ずかしい。
職員が近づく。
「……大丈夫?」
ルーシーは顔を上げて、すぐに頷いた。
次は廊下の往復。
止まらずに、一定で。
走り出すと、足が軽い。
(……あ、楽しい)
折り返しで減速するつもりだった。
でも踏み替えが一拍遅れ、壁が近づく。
反射的に、両手をついた。
(……また? 思った以上に体、動いちゃうな)
最後は藁束だった。
形を崩さず切る、らしい。
職員が、鉄の剣と思われるものを置く。
刃は鈍く光り、柄には布が巻かれている。
「……これ。持つ」
「……切る」
(……え、剣?)
武器なんて、ちゃんと触ったことはない。
ルーシーは恐る恐る柄を握る。
布越しの感触は、思ったより柔らかい。
(……あれ?)
剣は、思っていたより軽かった。
もっとずっしりくるものだと思っていたのに、手首で持てる重さしかない。
(……これなら、振れる、かも)
力は入れすぎない。
そのつもりで、藁に向けて振る。
――すぱっ、と音がした。
藁束が一息に割れ、断面が揃っている。
(……え? きれいに切れた)
(……剣なんて、使ったことないのに)
職員が帳簿に何かを書き足す。
悪い顔ではない。むしろ、納得した顔だ。
次に器具へ案内される。
手をかざす。
反応は、ない。
職員が眉を動かし、器具を替える。
「……もう一回」
もう一度。
それでも、反応はない。
別の器具。
結果は同じだった。
職員は淡々と言う。
「……測定、できない」
測れない。
ただ、それだけだった。
職員が帳簿を閉じる。
「……いったん」
「……この内容で。登録」
「……名前?」
「……ルーシー」
帳簿に書かれる。
職員は隣の部屋を指した。
言葉は相変わらず短い。
「……言葉。ここで。教える」
「……来る。毎日、でも」
(……やった。これで言葉、覚えられる)
今いちばん欲しかったものだった。
外に出ると、男が待っていた。
「……どうだ」
「大丈夫」
それ以上、言葉はない。
歩き出す合図だけが出る。
ルーシーは新しい靴の感触を確かめながら歩く。
借りは返した。
身なりも整えた。
言葉を学ぶ場所も見つけた。
(……明日からだ。たぶん、ここからすべてが始まる気がする)
そう思って、町の灯りの中へ戻った。




