28.謀計と感光
ビリビリと少し濁った音がする。
ああ、やっぱり玄関の呼び鈴は取り換えておいた方が良かったわね。壊れているわけじゃないけど、建てられて何年か経っている郊外の一軒家のベルはもう寿命が近いのか耳障りな音で来客を知らせてくれる。
今日はハンス様が家にいらっしゃる日。鏡の前で簡単に身だしなみを整えて部屋を出る。二階の階段のから顔を覗かせれば調度アニーが対応してくれているところだった。
「久しぶりね」
「ええ。こんにちは」
一時に比べれば彼と会う頻度は減ってきた。今にして思えば、三日に一度は呼び出していたのは申し訳なかったわね。それでも彼は何かと気にかけてくれているのは彼の優しさか、それとも別の感情か。
こちらの家に移って一番最初の来客もハンス様だったかしら。階段を下りていけば、ふわりと微笑んで会釈してくれるアニーとは対照的に彼は相変わらず眉間にシワを寄せている。
「天気はどう? 午後から降ると聞いていたのだけど」
「今はまだ大丈夫でしたよ」
ちらりと見えた彼の背後はどんよりと曇っていた。今にも降り出しそうな空模様ね。家の中にいればあまり気にならないけどずっと外にいるのは少し肌寒く感じるかもしれない。
玄関からすぐのリビングへ案内すると、アニーがお茶の準備を始めてくれた。彼女がお茶を持ってきてくれるまでの間に彼にソファを勧める。
もう何度目かになるけれど、こうして彼を家に招くというのはなんだか少し落ち着かないわね。こちらが妙にそわそわしているのに、ハンス様はこの家に来ること自体はなんとも思っていない様子なのも気に入らないというか。……いえ、私が勝手に気にしているだけなのだけれども。
アニーがテーブルの上に運んできてくれたティーカップをとお茶請けを置く。このお茶請けはハンス様が持ってきてくれた焼き菓子らしい。
「何か、困ったことはありませんか?」
「いいえ、今のところ特には。あまり心配しなくても大丈夫よ、何とかやっているわ」
この人は、家に来るたびにそう言う。
気にかけてもらえるのは有り難いけれど、以前に比べると少し過保護になっていると思うのよ。まぁ、その原因はわかっているんだけど。
多分ハンス様は、今の私の状態を自分のせいだと思っている。自分が「自棄になってみた」なんて言って私を唆したから、オスカー様との婚約解消に加え生家を出たんじゃないかと。全部私が選んだ結果なのにね。
「そういえばこの間教会に行ったわ。オスカー様の依頼で子供たちに読み書きを教えたの」
「以前から上げていた福祉支援の予算の見直しが通ったらしいですね」
「福祉支援ねぇ。あの人他にもこそこそとやってるみたいじゃない」
婚約していた時にはそんなこと私に微塵も漏らさなかったくせに、別れた途端手を貸して欲しいなんてオスカー様も切り変えが早いわよね。なんて、肩を竦めながら紅茶を口に運ぶ。
別に手伝うくらい構わないのよ。ただ教会の子供たちに読み書きを教えて、識字率を上げるだけが目的じゃないのが見え隠れしているのにうっかり気が付いてしまった。そしてそれが、必要な人に正しく作用しているのも。
教会側にもそういう話しを通していたか否かはこの際置いておき。今まで話してもくれなかった政のあれこれを察してしまい、何とも言えない気分になったの。
ふと顔を上げると、ハンス様の視線が下がった。
何か言いたいような、言いあぐねているような。とにかく視線が合わない。私が幽霊をしていた時の様な威勢はどうしてしまったのかしら。あの頃は遠慮なんてなく、嫌なことをずけずけと口出してきというのに。
少しの間、紅茶を楽しみながら待ってみる。私としては別に気まずくもないのだけど、ハンス様にとってはそうではないらしく。しばらく何かを考え込んだ後、観念したように口を開いた。
「文官に、興味がするんですか?」
「どういうこと?」
「いえ、そういう噂を聞いたので」
「初耳だわ」
最近、私の知らない私の話が流れている。
一部の界隈で私は文官を目指していると思われているらしい。私自身思ってもみない噂話に戸惑っている。これならまだ、ハリボテだの上手く第三王子に取り入っただの言われていた時の方が真実味がある。
一体どうしてそんな話になっているのか。聞けば、私がハンス様と頻繁に会っていたのは政や経営に興味があるからで、それを聞いたハンス様と一緒に働いている方が真偽を確かめに来たのだとか。
「それってどこのシャルロットかしら」
「俺はあなただと認識しているんですが」
もう随分と王宮に勤める人たちの間で広まっており、先日教会でエルザさんに聞いた婚約解消の理由についての噂も合わせ信憑性があると若い方の間で伝わっているんだとか。まぁ、きっとそう言うことよね。
この話もきっとあの人がエルザさんたちを使って広めたものでしょう。私には文官になりたいだなんて思ってないし、婚約解消の理由だって噂の通りではない。でもこの噂が流れて最終的に特をするのは私なわけで。
悪いようにはしないって、こういうこと? 確かに悪く言われ続けるよりはいいのかもしれないけど、こういう事実と掠りもしない噂を流されるのは少し落ち着かないわ。
よく分からない噂話に肩を落としていると、再びビリビリと濁った呼び鈴の音がした。
今日はなんだか来客が多い。アニーが玄関の方へ行くのを見送り、窓へと視線を向ければガラスが少し濡れていた。どうやら雨が振り出したらしい。玄関から聞こえてくる声に耳を傾ければよく聞き知った声がする。
噂をすればなんとやら、あの人だ。
「やぁ」
リビングの扉が開きオスカー様が顔を出す。
「アニー、お茶をお願い」
「直ぐ帰るから気にしないで」
今日オスカー様が来られる予定はなかったと思うのだけど、用事のついでに立ち寄っただけみたい。驚きはしたものの無下に出来る相手でもなく、一先ずアニーも中に通したというところでしょう。いつもなら先触れをくれるのに、本当に珍しわね。
にこにこと笑ったまま彼が包みに入った何かをこちらに差し出す。
「これがこの間言っていた物と、この前のお礼」
「ありがとうございます」
この前言っていた、というと以前飲んだあの紅茶の茶葉かしら。それと、依頼の報酬でしょうね。
あの件については色々と思うところがあるけれど、私から何か言うべきではないのでしょう。別にオスカー様のやりたいことを邪魔したいわけでもないし、彼のその国を思う姿勢は……うん。私の好きなところだったもの、止めたりなんかはしない。
「ところで、私に付いて妙な噂が流れているのはご存じですか?」
まぁ、それとこれとは別なんだけど。
噂を流したのはあなたなんでしょう? と、オスカー様を見上げれば、なんだか悪戯っぽい顔を向けられてしまった。そんな子供みたいな顔をして、得意気にならないで欲しい。
というか、あなた。あまり噂話を作るセンスはないと思うわよ?
「以前流されていた話よりはずっといいだろう?」
「それは、まぁ。そうかもしれませんが」
悪意ある噂話よりはいくらか名誉は守られるのかもしれないけれど、なんとも微妙な気分になるのよ。自分のことのはずなのに、まるで他人の話を聞かされているみたいで居心地が悪い。
私を見て笑うオスカー様に零れかけたため息を呑み込む。
婚約を解消するための書類を用意してくれた時のあのやりきれない表情はいったい何だったのかしら。しおらしい姿はあれっきりで、まるで何かに化かされたみたい。
以前よりは険悪ではないけれど苛々することはある。定期的に話をする機会を作っているのも、もしかしたら険悪になって婚約を解消したわけじゃないと御云う周りへのアピールなのかしら?
そうだとしたら余計に嫌な感じよね。私のためにとしてくれているのだろうけど、結局私には何の説明もないまま話を進められているのだから。
不意にオスカーの視線が私の後ろに移動した。
「お邪魔だったかな?」
「いえ、別に」
「そう、それじゃ僕は帰るよ。ごゆっくり」
本当にそれだけの用事だったらしく、見送りも待たずにオスカー様は背を向ける。流石にそのままというわけにもいかず玄関まで見送ったけど、なんとも微妙な空気が残ってしまった。
「よく、来られるのですか?」
リビングに戻るなりかけられたハンスの言葉に顔を上げると、彼は眉間にシワを寄せながらこちらを見ている。
これは……、私が悪いやつね。
「いいえ? 今回は用事が合ったから立ち寄っただけみたいだし」
「そうですか」
答えながら、その感情を私に向けるくせに、肝心な言葉は吐いてくれないのかと自分自身を棚に上げて息を吐く。
私とハンス様の関係は、今一言葉にするのが難しい。友人、と言い切るには少し不純な感情が混じっているし、ただの知り合いと呼ぶほど浅い関係でもない。
もう一度だけでも、彼からあの言葉を聞ければ、私がハンス様に向けている感情がそういうものなのかわかるかもしれない。でも、だからと言ってその言葉を強請った後責任を取れる自信もない。
彼が私に好意を抱いていることは知っているし、告白もされている。心変わりをしていなければだけど。でもあの時は応えられなかった。まだオスカー様が好きだった。その状態で、彼の気持ちに応じるほど恥知らずにはなれなかった。
「何を頂いたんです?」
「紅茶よ。前に頂いて美味しかった茶葉をわざわざ取り寄せてくださったの」
あの時頂いたのは異国の茶葉だった。馴染みのない香りではあったけど、花の香の混じる紅茶はどこか懐かしくて好みだと言ったのを覚えてくれていたらしい。
「気になるなら入れましょうか?」
持ってきてもらった焼き菓子にも合うだろうと声をかけたけど断られてしまった。仕方なしと、アニーが用意してくれたお茶を一口飲む。ハンス様はテーブルを挟んだ向かい側に座って、同じようにお茶を飲んでいる。眉間のシワは刻まれたまま。
そんな顔するくらいならどうして欲しいのか言ってくれればいいのに。この人は私には何も求めない。好きだと言う癖に、思うだけで満足なのだと言う。私はそんな風に扱われる程良い人間ではないし、見返りを求めてくれるなら何かを返したいのに。
あぁ、そういえば。この男も十分野暮な人だったわね。




