27.曇天と採光
なんというか、断る理由もないと思ってオスカー様からの依頼を引き受けたけど、やめておけばよかったかもしれない。
遠目に見るだけで足を踏み入れたことのなかった王都にある教会は、南の街にあるものよりも規模が小さい。本来、教会なら厳かな雰囲気のはずなんだけど、この教会はどちらかというと活気がある。
教会らしい清貧な暮らしとは少しずれているもの、ここに住む人たちは皆仲睦まじく暮らしている。ただ如何せん孤児たちの数が多い。小さな教会に神父様やシスターよりも数の多い子供たちは確かに大人の手に余るだろうし、外部からの支援という名の人手が欲しくなるのも納得ね。
ここに住む子たちは、子供らしい無邪気さはあるものの行儀のいい子が多く、彼らと接する自体には抵抗はない。別に慣れない場所で人見知りをしているとかそういうことでもない。
なのに、なんでこんなに複雑な気分になっているかというと、私と一緒に教会に住む子たちに読み書きを教えているのが、どこかで見た顔触ればかりなのよね。
「シャルロット様って教えるのもお上手なんですね」
「そうでもないわ」
「謙遜もお上手なんですから」
どういうわけか見覚えのある、出来る限り関わりたいとも思っていなかった存在たちが代わる代わる声をかけてくる。
ええ、そうね。忘れられるわけないわよね。だってこの娘たちはずっとオスカー様が侍らせていた貴族の娘たちなんだもの。
あぁ、オスカー様のこと嫌いではなくなったはずなのに嫌いになりそう。何でこの娘たちと同じ環境に私を放り込むのよ。本当にあの人何考えてるの。やっぱり頭の中がお花畑だったの!?
「そういえば聞きましたわ。オスカー様とのご婚約を解消されたんですってね」
「私も聞きましたわ。お家も出られたそうで、無理はなさってませんか?」
「おねえちゃん家出してるの? 教会来る?」
私の事情なんか気にした様子もなく彼女たちのペースで気軽に話しかけてくるし、相変わらず何考えているかわかんないし、つられて子供にも心配されるし。
というか私、今ものすごく色々言われているはずなのによく普通に話しかけてくるわね。
確かにオスカー様は私に悪いようにはしないと言って、かなり手を尽くしてくれた。とは言えそれでも、ゴシップが大好きな社交界では色々言われているはずなのに。
「家出、ではなく自立ですわ」
「何でもオスカー様との婚約解消もお互いに成長するためだとか」
「おねえちゃんすごい!」
なんでそんな話になっているの? 別に私そんなにストイックな性格でもないわよ?
自分の知らないところであれやこれやと言われるのは慣れているつもりでいたけど、これはいったい誰の話をしているんだと困惑してしまう。
楽しそうに話しながら教会に住んでいる子たちに読み書きを教える彼女たちはやっぱり私とは違う感性を持っているらしくよくわからない。所謂普通の女の子って皆こんな感じなのかしら。
どう反応していいのか困りつつも雑談交じりに子供に読み書きを教える。神父様たちにも興味のあることを中心に話してあげて欲しいと言われてはいるとはいえ、若干脱線しすぎな気がするけどいいのかしら。
教養として覚えたはいいもののいつ使えばいいのかもわからない詩の一説とか、実は家紋とバラを刺すぐらいしか出来ない刺繍の話とか。彼女たちの口はよく回る。
ただ面白かったのが子供たちも刺繍の話では自分たちも簡単な洋裁なら出来ると言っていたり、季節のフルーツの話ではその時期に安くなる作物の話をしてくれたりとか。私たちとは違う、生活に密着した視点に私だけじゃなく他の娘たちもとても関心させられていた。
だからこそ、私や彼女たちをここに集めたオスカー様が憎らしくなる。
あの人が教会にいる子供たちに読み書きを教えて欲しいと言って呼び出したのは子爵男爵の次女三女ばかり。皆それぞれ子供たちとの会話を通して様々なことに興味を持ち始めている。
私に執拗に話しかけて子爵の娘、名前は……確かそう、エルザさんと言ったかしら。彼女は洋裁が出来ると言った少女をしきりに褒めていたし、隣にいたユーリさんはパンが焼けると行った少年の話を熱心に聞いていた。きっと彼女たちはそちらの方面に興味があるのね。
孤児たちへの奉仕活動、なんて語りながらその実、家督を継ぐ権利のない娘たちを社会支援のような物じゃない。
ああ、いやだわ。本当にあの人を嫌いになりそう。
いつも貴族の娘たちを入れ代わり立ち代わり傍に置いていたのも、きっとこの支援活動の報告か相談かだったのかもしれないわね。
酷い男。あの人、結局私のことを全然信用もしていなかったんじゃない。話してくれればもう少し、私たちの関係も違ったはずなのに。
楽しそうに子供たちと話しながら指導している彼女たちにバレない様にこっそりとため息を吐く。気分はまるで今日の曇天みたい。来た時とは違う意味でどんよりとした気分になる。
なまじあの人のやろうとしていることに気付き、それを納得してしまったからか、余計に腹立たしい。だってこんなの、全部オスカー様の手のひらの上みたいじゃない。
「シャルロット」
一人でもやもやした胸の内と戦っていたら、不意に名前を呼ばれた。
なんだか今日はよく知っている人に会う気がする。私と同じ髪の色の、私よりもずっと落ち着いた声の女性。お母様がそこにいた。
「御機嫌よう、お母様」
「ええ。あなたも来ていたのね」
お母様はよく教会に御寄進に行っていたし、ここに来るのは何も可笑しなことはない。ただ、私を見つけたこの人はとても動揺しているようだけど。
確かに会う機会があればお礼を言いたいと思っていたわよ? でもそれはもっと後で、気持ちの整理が付いてからと言うかなんというか。とにかく今じゃないと思っていたのよ。
「まぁ、シャルロット様のお母様なのね。お話してらしたら?」
「いえ、私は……」
私の背中を押しながらエルザさんが笑った。この人、本当にぐいぐい来るわね。
諦めてお母様に向き直れば、少しだけ困ったような笑顔を向けられた。なんとなく気まずいのはお互い様らしい。
「今日はオスカー様に孤児たちへの支援活動を依頼されて来たんです」
「そう、だったの……」
なんだか歯切れが悪い。普段私が何をしようとあまり気にした様子のない人なのに珍しい。
それとも。この人も、私やお父様と同じだったのかしら? 何枚も分厚い虚勢で着飾って、今度こそ何も奪われないように必死に振舞っていたのかしら。
「オスカー殿下とは……本当に、仲違いして別れたわけじゃないのね」
「ええ。何度も話し合いをして、納得した上での婚約解消です」
お母様が戸惑っているのも無理はないと思う。お母様には何にもお話しせずに勝手に決めてしまったもの。お父様は何度か止めてくださったけど、お母様はお声をかけてはくれなかった。だから私も、お母様とお話するのが少し怖かった。
お母様はよく社交に出ていらしたし、私なんかよりもずっと私がどんな風に言われているか耳にしていたはずだわ。きっと、私のことでお母様が酷い言葉をかけられたりもあったでしょうね。
それでも止まらなかったのは私だし、申し訳ない気持ちはある。
「お互いに成長するために婚約解消を選んだと聞いたのだけど、それは本当なの?」
さっきも聞いた話に少しだけ頭が痛くなる。
確かにあのどうしようもない関係を終わらせるために婚約解消という方法を選んだわ。それを綺麗な言葉に言い直せばそのようになるのかもしれない。でも本当はもっとみっともない感情でいっぱいだったから素直に頷けない。
というかどうしてそういう言い回しになったのかしら。なんとなくあのエルザさんたちが面白おかしく広めている気もする。別にそこに悪意があるわけではないのが余計に面倒ね。
「お互いにもう少し自分を見直すべきだって思ったんです」
嘘ではないけれど、本当の事でもない。それを聞いたお母様はまた何かを言いかけて、そして口を閉じた。
「ねぇお母様。私、あなたにお礼が言いたかったんです」
「何かしら」
「家を用意していただいた上に、アニーをまで付けてくださったこと。本当に感謝しています」
お母様はあの後すぐにお出かけになられて、その後もついタイミングを逃してしまってすぐにお礼を言えなかった。だから今日会えて、ちゃんと言えてよかったと思うわ。
お母様はちょっとだけ驚いた顔をした後、少し困ったような顔で微笑んでくれた。
「生活の方は、大丈夫? 何か困っていることはない?」
「ええ。何とかやっていますわ」
これは、心配してくれているのかしら。ならとても有り難いわね。この人も、昔はとても優しい人だったもの。
私もこの人も、お互いに嫌いになって話をしなくなったわけじゃない。と、思う。少なくとも私はお母様が嫌いではなかったし、お母様もそうであってくれたら嬉しい。
ただ。ある日突然私がオスカー様の婚約者に選ばれて、それまでの様には暮らしていけなくて、お互いにどうしていいか、わからなくなってしまっただけだと信じたい。
幸せだった日々が突然壊れ、じわじわと家族の会話が減っていったけれど。きっと、守りたかったものは同じだったのだと思いたい。
久しぶりに会ったお母様の顔を見て、改めてそう思ってしまった。少し疲れたような表情をしているのは気になるけど、それでもいつも優しかった頃の面影が残っている。
「家を出て、色々考える時間も増えたから。何か新しいこと始めてみようと思っているんです」
「うん」
「今回がそのきっかけになればいいなって」
「そうなの」
ずっと必死だった。たくさんの物を失くして、たくさんのものを諦めた。
今更遅いかもしれないけれど、これからは少しずつでも失くしたものを拾い上げていきたいと思っている。大切なもものも、そうでないものも拾い上げて。そうしてちゃんと、自分で選んでいければいいと。
窓の外は相変わらずの曇天で、まだ雨季が終わるには程遠いのだけど。いつかはきっと。
「また会える?」
「ええもちろん」
私は私で頑張っていくから、お母様にも、いつかまたあの頃の様に穏やかな笑顔で笑える日が迎えられたらと願っている。




