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16.消した復白


 揺れる紅茶の水面はつまらなそうな顔した私を映していた。

 先ほどマリアベルさんに絡まれたというのもあって疲れている自覚はあるわ。今まで遠巻きにされる方が多かったから、あんな風にぐいぐい来る相手というのはなれないものね。

 いいえ、きっとそれだけじゃないわ。別に対抗心があるとかそういうのではないけど、それをはっきりと言葉にしてしまうのはなんだかとても気分が良くないのでやらないつもりでいる。


 ティーカップを持ち上げ口を付ければ少し冷めた紅茶が喉の奥を通っていった。目の前でハンスも同じようにお茶を口にしている。

 平日の昼下がり。休日であればもう少し人がいるのだろうけれど、今は人通りもまばらで時折道を行く人が窓の外を流れるばかり。とても静かで穏やかな時間だわ。

 正直に言うと、こんな風に誰かと穏やかな時間を過ごすなんて考えたこともなかった。そのきっかけというのが一か月前に突然幽霊になったあの四日間よね……。なんというか、あれ以来憑物が落ちたみたいに心が凪いでいる感じがする。

 結局、なんで幽霊になったのかもわからないし、今更調べる術もないし原因を探る方法も調べられないんだけど。あれのおかげでハンス様と話すきっかけが出来て今があると思えば、まぁ幽霊になるのも悪くはなかったのかもしれない。


 幽霊の状態の私を体の方へ引き戻してくれたのがマリアベルさん、っていうのにはちょっと思うところがあるのは確かね。あの人からすれば全くの善意であるというのに、どうしてもどうしても穿った見方しかできない。

 もちろん、感謝の気持ちがないわけじゃないわ。ただ正直にそう伝えるにはちょっとばかりのっぴきならない理由があるというだけで。でも今はそういうのはいいのよ。今考えたいのはマリアベルさんじゃなくて、オスカー様のことだもの。


 私はオスカー様とどうなりたいのか。どうやって伝えればあの人は婚約破棄を受け入れてくれるのか。そして何より、オスカー様は私に何を求めているのか。そういうのを、私はちゃんと考えないといけない。

 思いの丈をぶつけて「はい、そうですか」と受け入れてくれるならとっても簡単だけど、実際にはそういう風にはいかなかった。別れたいと伝えても、あの人は笑ってそれを否定する。煙を巻くように適当な愛を囁くばかり。

 きっと私が何を言っても、それは彼の中では本気にならないんだと思う。だからってこのままずるずると婚約を続けるつもりも、今はもうない。

 百年の恋も一時に冷める、なんて言葉があるけどまさにそんな感じ。オスカー様との婚約破棄を申し入れた時はまだほんの少しだけ思い直してくれたらと考えていたわ。でも残っていた感情すら冷え切ってしまった。


 多くの女性を侍らせるのも、他所に本命の女を作っていたのも。今となってはもうどうでもいいの。私は何より、例え情すら残っていなくても婚約者であった私の「嫌だ」という言葉もきちんと聞いてくれなかったことが辛かったのよ。

 だから、もういいかなって。きっと何を言ってもオスカー様の耳に私の声は届かないんだって思ってしまった。


 幽霊をしていた時は気持ちが高ぶっていてどうにか不幸に出来ないか、呪うにはどうしたらいいか、なんて考えていたけど今はそんな風に考えてはいない。

 思うところがないわけじゃない。でも不幸になってほしいと考える機会は格段に減ったわね。だって幽霊の時ハンス様意外とは話せないし何にも触れなかったんだもの。何にもすることが無くて一日中オスカー様をどうにか呪えないかって考えていたのよ。

 でも今はそんな考えもなくて。話を聞いてくれなかった分は少し意趣返ししたい気持ちもある。でもそれ以上に酷い目に会ってほしいわけじゃない。


 まぁ、日常の中でちょっと痛い目を見て欲しいというのはあるわ。具体的に言うなら定期的に角で足の小指をぶつけたり、揺れが強めの馬車に当たったりすればいいと思うのよ。書類整理の時に紙で指を切るというのもいいんじゃないかしら。厚めの紙で切ると痛いものね。

 そんな感じで、ほんの少し不幸になってくれれば溜飲も下がるの。手段の一つとしてそういう方法もあると、考えている。まぁ、二週間後にある夜会で周りを巻き込んでぶちまけるというのは出来ればやりたくはない。

 それをやったところで、特に得るものものないしね。むしろ負債の方が多いんじゃないかしら。今更醜聞なんか気にするほどでもないわ。騒げば騒いだだけ尾を引くものだしね。でも出来れば穏便に。


 これのどこが自棄だって言われるかもしれないけど、これでも世間的に見たらかなり自暴自棄な方だと思うのよ。

 だって私たち家族は、私がオスカー様の婚約者になるために過去に途絶えたデュランド伯爵家の名前を与えられた。この婚約が破棄されれば家名はもちろん取り上げられるだろうし、元のレミントン男爵家に戻れるとも限らない。

 私自身と家族の未来を勝手に賭けているという点ではかなり自棄を起こしていると言えるんじゃないかしら。


 まぁ。あの人が、別れた後の私の処遇をどうするのかはわからないしなんとも言えないわね。いえ、今までだって理解できていたわけじゃない。だってオスカー様が私に対して本心で話した機会なんてきっとないんだもの。私は、オスカーのことを知らない。

 ため息を一つ溢す。

 ふと、目の前で私と同じ様に紅茶を啜る男が目に入った。わからないと言えばハンス様も大概よくわからない人なのよね。私を好きだと言いながら、何ひとつ求めない。


「散々話を聞いてもらっているけど、あなたは何かしたいことはないの?」


 なんとなくそう聞いたら、ハンスは一瞬きこちらを見た後また視線を手元のカップに戻した。


「俺が好きでやっているだけなので」

「またそんなことを言って」


 あれから一ヶ月。こんなような会話を何度もしている。それでもハンス様は言葉通り私に何か、金品でも行動でも、それこそ言葉すら求めなかった。

 何も求めないのは返って不信感を抱かせるものよ。特にしがらみの多い連中には。いっそ見返りを求めてくれた方が私的にも気が楽なのに、彼的にはそういうものは求めていないらしい。

 口元は少し緩んでいるのに、眉間には相変わらずしわが少し刻まれている。本当に可笑しな人。


 彼は、ハンス様は私を好きだと言った。そしてオスカー様相手に「私が欲しい」と。でもその後、私に向かって自分のことは好きにならなくていいとも言った。一連の流れを思い出してなんとなく納得してしまう。

 この人もある意味この男も自分勝手なのだわ。基本的に自分の中で完結してしまっている。ええ。わかるわ、とても。だって楽なのよね、それ。だって自分の意見しか聞かなくていいだもの。外からのノイズがない分思考がブレないのよ。

 それを積み重ねた結果。確固たる意志になるのか、ただの融通が利かない頑固者になるのかはその人次第。

 その思考回路をダメと言う権利は私にはないのだけど、それはそれとして私を踏み出させた相手がいつまでも自分の殻に閉じこもっているのは、ちょっとおもしろくないわ。


「難儀な人ね」


 ぽつりと呟いた言葉に、ハンス様がこちらに目線を向けた。それに気づかないふりをしてカップの中に残った紅茶を飲み干してしまう。

 ギブアンドテイクが成り立たない相手というのはとても面倒なもの。頑固で一方通行で、こちらの提示するもので妥協しようとしてくれない。

 彼は私を好きだと言った。でもそれは愛ではないのかもしれない。だってそれは思い合うもののことを指すのでしょう? ならきっとそれは愛じゃない。もっと一方的な感情の押し付けに過ぎない。

 別に、私もそんなに詳しいわけじゃないけど。


「……何ですか」

「いいえ、なんでもないわ。それより二週間後の話よ」


 彼が渋い顔をした。そんな顔するくらいなら何か言えばいいのに。


「あなたも来るのよね?」

「ええ。叔父上の付き添いで」


 ああ、あなたの叔父様はこの国の宰相をしているのだったわね。なんとなくそうなるだろうとは思っていたわ。

 夜会の名目としてはオスカー様の一番上のお兄様の婚姻発表になる。正式に籍を入れるのはもう少し先になるのだけれど、お相手の方が国外から輿入れされた方のため、今回の夜会は王家に近しい者を集めた顔合わせの意味が大きい。

 その夜会にハンス様は宰相の甥として、私はオスカー様の婚約者として参加することになっている。前々から決まっていたから辞退もできないし、ドレスや装飾品の準備を進めているけど、最近はその合間に少しだけオスカー様と話す機会も増えてきた。

 あの人、本当に仕事は出来るのよ。その時の真面目さで婚約破棄の話も聞いてくれればいいのにと思わなくもないけれど、公私を混ぜないのが私の知るあの人の唯一と言ってもいい良い所なので水を差すような真似はしたくない。


「こちらも準備は順調よ。まだちゃんと婚約破棄の話は出来ていないけど」


 相変わらず険しい顔のままハンス様がティーカップを手に取った。そのままゆっくりと口を付け、何事もなかったようにソーサーの上に戻した。

 何か言えばいいのに。いえ、そういうわけにはいかないのはわかっている。でももう一度言ってくれれば、何か変わるかもしれない。……変わらないかもしれない。でも。

 ああ、いやね。これじゃ本当に悪女みたいじゃない。やってることのみを書き出せばある意味悪女で間違いじゃない気がする。でもそう認識されるのはちょっと癪だわ。


 この人は、悪い人じゃない。野暮だけど。結局のところ私の問題なのでしょう。ため息を一つ吐いてハンスを見つめた。彼の言葉を借りると、ずっと前から好きだったらしい。どこかのタイミングで会ってそれ以来ずっと。

 でもそのタイミングを私は覚えていなくて。それでも第三王子の婚約者だった私のことをずっと好きでいたなんて随分とバカな人だと思う。目の前の彼は相変わらず真一文字に口を結んでいる。

 軽い気持ちで答えられるような内容でもないのはわかっている。あの時だって随分と考えた先に言葉にしたんだと思う。


 卑怯なのはわかってる。今は私からは言えない。

 それでももう一度だけ言葉をくれたら、もう一歩だけ踏み出せるかもしれない、なんて。


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