14.一時の空白
あれから少し経った。
と言っても一月程度よ? 細々した予定があってそれを熟していたらあっという間に過ぎてしまった。
あれほどみっともなく騒ぎ立てたのに現状は全く変わっていないというのが些か不満ではあるけれど、それでも以前よりは言いたいことを言える様になった気がする。……気がするだけね。
いえ、でもそうね。最初からそうだった気がしないでもないのだけど、少なくともハンス様にだけは色々と言えるようになって来たわ。やりたいこととか、やりたくないこととか。そんな何でもないものの話をつらつらと吐き出せるようになったのは大きな進歩だと行っていいと思うの。
というか、そういうことにしないとやってられないというのも事実ね。だってそうでしょ?
結局オスカー様との婚約は継続しているし、あの人の本命の聖女様も割とお花畑よりの思考の人だったし、ハンス様もハンス様で割と自分の中で完結している人だし。話の通じない人が多すぎるのよ。あんなのに囲まれていたらどっちが可笑しいのか分からなくなるわ。
まぁ、いっそ自棄になってみるのもいいと唆されてそれに乗った私も私かしら。だってしょうがないじゃない? ちゃんとした方法で伝えても、分かり合えないんだから少しくらい無茶な方法を取らなきゃわかってもらえないわ。
具体的にどうするのかと言われるとまだ思いつかないけど、目安箱に投書するとか陳状を出すとかの段階は過ぎてしまったのよ。だから次はストライキとかデモになるのかしら。……流石に、それはダメよね。
とにかく、今までは言わなかったり、言えなかったことが言えるようになったというのが大切なの。今なら目の前で私を見下ろしているお父様にも言葉を返せるかもしれないわね。
なんて現実逃避しながら見上げたお父様は相も変わらず眉間にシワをたっぷり刻んでおり、廊下の真ん中でにもかかわらずなんだか厳めしい表情のまま口を開く。
「最近、宰相殿の甥と頻繁に会っているようだな」
「ええ。色々と相談に乗っていただいていますの」
ああ、そういえばハンス様はそんな肩書だったわね。なんて思いながら素直に答えると、更に眉間のシワが深くなった。……あら嫌だ。顔が怖くなってますわよ、お父様。そんなことを思っても口に出せるわけもないのだけれど。
私が黙って見つめていれば、そのまま何かを考え込むように腕を組み大きく溜め息をついたお父様がようやくこちらを見た。
いえ、睨まれたと言った方が正しいかしら。思わず背筋を伸ばして姿勢正す私の正面には、さっきよりもずっと怖い顔をしたお父様がいる。
「お前は本当にそれで良いと思っているのか?」
なんとも単刀直入なお言葉だった。
言っている意味はわかるわ。人目を気にしろと言いたいのでしょう? だって私はこの国の第三王子、オスカー様の婚約者なのだから。家族でもない、オスカー様以外の男性と二人きりになるな、と言いたいのよね。
まぁ、そうね。私だって以前はそういう体裁を考えて、可能な限りオスカー様以外の殿方との接触は避けてきたわよ? 貴族の醜聞なんて半日もあれば国中に広がっているんだもの。でもそういうのも含めて、気を遣うのをやめたのよ。
確かにここ最近はよくハンス様と頻繁にお茶をしているわ。でも本当にただそれだけなのよ。会って話して、二時間ほどしたらさようなら。うん。好意を持たれているとはいえ、とんでもないほど健全ね。
ハンス様には悪いけど、あの方と今後どうこうなるつもりもないし、向こうも割と遠慮なく言ってくるから一緒にいて気が楽なのよ。あらやだ。なんだか私、悪女になったみたいな言い方ね。
「良いも何も、私はお友だちと楽しくお話しているだけですよ?」
どうせならと思って、敢えて意地の悪い笑顔を浮かべながら言ってみる。おまけとばかりにちょっと小首を傾げれば、お父様のお顔がとっても渋くなった。
引き返せるならそれが一番良かったけど、もうそんな段階でもないんですもの。伯爵なんて爵位、一代限りの夢と思って私と一緒に沈んでくださいな。こういうのを、本当の自棄って言うのでしょう?
「お話はそれだけですか? この後もお友だちと約束があるのですけれど」
「待ちなさい、シャルロット」
踵を返しかけたところで呼び止められる。そうなるわよね。
別に待つのはいいのよ、約束の相手もそのハンス様だし。あの人ならまぁ、理由を話せばわかってくれると思うもの。今の状況でも構わないと言って待ってくれる人だし、もう少しだけ甘えてしまいましょうか。
一応振り返ってみると、お父様がいつにも増して険しい表情でこちらを見据えていた。
「それがどういうことかわかっているのか?」
えぇ、もちろん。わかりきっているでしょう? そう思いつつ、なるべく上品に見えるよう微笑みを作る。お父様が少し目を開いたのを見て、その笑みを深めると、小さくため息をお付きになった。あぁ、嫌だ。まるで私が悪いみたいじゃない。
実際、悪いのでしょうね。貴族としての振る舞いが出来ていないと言われても仕方ないと思うし、嫁入り前の娘が婚約者以外の男性と頻繁に会うというのはもちろん外聞が悪い。
元々色々と噂の的にされて来た家だし、もうとっくに私の噂も回っているはずよ。だからこそ、お父様もこうして苦言を呈してきているのでしょうね。
でもそんなのは今更なのよ。噂があるからといって口さがない者たちを放っておいて良いわけではないけれど、何もかも手後れなの。
私たちがどんなに頑張ったって彼らにとっては、我がデュランド伯爵家は第三王子のわがままで爵位を与えられた貴族社会にはそぐわない一家。それが一つ潰えたところで貴族社会には何の影響もない。というか、間違いなく潰れる未来を望んでいるわ。
「お話がそれだけなら、もう行っても?」
「……勝手にしなさい」
思わず笑ってしまいそうになるのを堪え、軽く頭を下げてからその場を離れる。お父様はまだ何か言い足りなさそうな雰囲気だったけど、これ以上お説教を聞くつもりはないわ。そもそも私だって好きでこんなことになっているわけじゃ無い。
早足に歩きながら私自身もため息を吐き出す。
私だってね、守れるものならこの身もお二人を守りたいわよ? でもあの人たちに何を言ったって無駄なんだもの。いくら言っても聞く耳持たない相手に何を言っても同じでしょう? むしろ悪化していく一方だわ。
それがわかるくらいに、私はこれまで散々言われ続けてきた。なら悪い噂が今更一つ増えた所で気を揉むのも付かれるじゃない? それに今回は根も葉もない、というわけではないのだから好きに言わせておきましょう。
見慣れた屋敷の廊下を抜けて玄関ホールに出れば馬車の手配をしてくれていたアニーが待っている。
「待たせたわね」
「いえ。何か、ありましたか?」
「お父様とお話していただけよ」
扉を開ける彼女に答えながら御者の手を借りて馬車に乗り込む。いつものように向かい合わせに座って窓の外を眺めると、自然と口元が緩むのを感じた。自分でも子供っぽいと思うけど、どうやら私はお父様に言い返せたのが随分と嬉しかったらしい。
もちろんお父様の言いたいこともわかるし、以前の私ならその通りだと頷いて粛々と従っていたでしょう。でも今日はそうしなかった。そうしようと思えなかった。ゆっくりと息を吐き、背もたれに体重を預ける。窓の外に流れる空は相変わらず気持ちの良い快晴で。
揺れる車体に身を預けながら、ぼんやりと外を眺める私の口から思わず溜め息がこぼれ落ちる。諦めるのって、意外と疲れるものなのね。肩の荷は下りた気がするけど、周りの反応で気疲れしてしまいそうだわ。
「お嬢様、どうかされましたか?」
不意にかけられた声に視線を向けると、心配そうな顔をしたアニーがこちらを見ていた。
ダメね。お父様とのやりとりで知らずに力が入っていたらしく、無意識に握りしめていた手を解く。
「何でもないわ。気にしないで」
短く返してまだ少し納得していない様子のアニーを下がらせる。
この子も頑固なのよねぇ。この子さえ家を出ていってくれれば後は野となれ山となれ、何も憂いはなくなるというのに。何が良くて私付きのメイドをしているんだか。うちの家のいい所なんて借り物の爵位くらいよ? それも近い内に返還か廃絶になるのだろうけど。
振動と共に流れていた窓の外の景色が緩やかに止まる。どうやら目的地に着いたらしい。扉を開けてくれた御者に礼を言い、馬車を降りる。
屋敷を出てしばらく下った先にある王都は今日も変わらず穏やかで、あちらこちらで日々を営む音が聞こえてきた。
ハンス様との待ち合わせ場所は、城からさほど遠くない位置にある広場だった。中央に大きな噴水があり、周りにはベンチがいくつも設置されている。休日になると家族連れで賑わう場所だけど、平日の昼間ともなれば人の姿はあまり多くはない。
これならすぐに見つけられるだろうと辺りを見渡せば遠くのベンチに座る黒髪が見えた。まだこちらには気が付いていないらしい男の元へ歩み寄りつつ、改めてその姿を確認する。
遠目で見ても整った顔立ちだと思ったけれど、近くで見るとより一層眉間に刻まれたシワが際立っている様に感じた。あの人、一人でいても不機嫌面なのね。
今日もこの後合流したら、いつもの様に今後どうするのかの話をするつもり。話す、と言っても私が一方的に話して自分の考えを整理するのに突き合わせているだけ。
私はオスカー様との婚約を破棄したい。その為にあの人にどう納得してもらうかを考えないと。
やっぱり一番の問題は、オスカー様が婚約破棄を受理してくださらないことよね。どういう理由があるのかは本人が答える気がないようなのでわからないけど、こちらに心がないのならいい加減手離して欲しい。ああ、そういえば問題と言えばもう一つある。
軽やかな足音が背後へと近づいてくる。
「シャルロット様!」
甘ったるい声で私を呼ぶその人を私は知っている。いえ、こんな声で呼ばれる筋合いはない。
「やっぱり! 馬車をおりる姿が見えたから走って来たんです」
私を見て目を輝かせる彼女。この国の聖女にして、私の婚約者の心の中に在中する娘。光を浴びて淡く輝くピンクベージュの髪を軽く乱してもう一つの問題、マリアベルさんは破顔した。
「よければご一緒しませんか?」
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