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戦士の憂鬱とその処方箋  作者: ごんぞー
7/8

神官は如何にして最初の勝利を得るに至ったか

今度は神官に悩んで貰います。

王都エリニシアは古都である。

いにしえの昔に大帝国を築き上げた大王が、この地を首都として定めてより千年以上の時が過ぎ去り、この都市はエリニシア王国の首都として繁栄を謳歌している。

古都の例に漏れず、この都市も外敵からの侵略に晒され続けて来た歴史がある。その歴史の中でエリニシアは分厚い防壁を建設する事により防衛力を増強してきた。防壁を積み重ねてきた故に、この都市は年輪を重ねた大樹の様な町並みとなっており、都市全体が壁によって区画が分けられていた。


その区画の一つである神殿地区の壮麗なる戦神の大神殿。その神殿は古い白い石造りの建物で荘厳な装飾が施されており、この神殿地区でも指折りの威容を誇る。その大神殿の伽藍の中で、一般信徒を前に説教台から大きくはみ出た一際大柄な神官が説法をしている。

救国の英雄の一人、宮廷神官でもあるミドラス大神官そのひとである。


「戦いというのは外敵と戦う事と思いがちですが、それは戦いの本質の極一部なのです。実際に私や皆さんが一番多く、そして一番苦しい戦いを強いられるのは己との戦いなのです」


野太く良く通る声は信徒達の心を打つのだろう。多くの信徒がその説法を真摯な顔で聞き入っている。


「不意に訪れる不運、挫けそうになる逆境、寂寞たる孤立。その様な時が己との戦いなのです。悪道に誘われそうな時、不正を働きそうな時、誇りを捨てようとする時、そんな時には己心とはいつも強大です。故にその強大な己心に打ち勝つ事こそが最も尊く、最も得難い勝利なのです」


説教台よりずいっと飛び出た巨体から発せられる声は、太く良く響きながらも明瞭闊達である。ミドラス自身がその事を心から信じている故にそれが自信となって声にも自信と迫力があるのである。


「ですが一人では強大な敵に勝つ事は出来ません。友と励まし合い、語り合い、助け合って強大な敵に立ち向かうのです。そうして我々は共に善なる道を歩んで行こうではありませんか…これにて本日の説法を終了致します」


説教台の巨体が恭しく一礼をすると、くるりと回って戦神の像にも一礼をする。そうして説教台から降りてくるミドラスに多くの信徒が駆け寄ってくる。その多くがミドラスに相談や教えを請いたいと願う者達である。


「ご相談は此処ではお受けできません、談話室にてご相談をお受けします。どうか慌てないで、順番に…」


押し寄せる信徒達に笑顔を向けるミドラスの顔は慈悲心と寛容に溢れていた。凡庸な容貌のミドラスの顔は、その信仰心から来る笑顔が浮かんでおり、多くの人を安心させる力に満ちていた。


夕日が部屋に差し込み質素な机の上の羽根ペンとインク壺を明るく照らしている。壁には本棚一杯の神聖文書や祭祀書が整然と並んでいる。学者の部屋とも見まがう個室に、場違いな槍が机の傍らに立てかけられた。聖印にも刻まれている神槍を模した名槍は、ミドラスが仕える神が戦神である事を証明するものでもある。ミドラスは神殿より与えられた自室のドアを開けてゆっくりと入ってくると、静かに机に近づき椅子を引いて腰を下ろした。特注の椅子は軋むこともなくミドラスの巨体を受け止めた。彼は説法の直後からずっと信徒達の相談を受けていたのである。


「ふぅ……」


大きな唇に相応しい大きなため息が口から漏れる。

ミドラスにとって信徒の相談を受けるのは日常の事である。毎日違う信徒の相談を受けていると、信徒の事情とその相談内容にそって適切であろう回答や解決方法が定まってくる。加えて多くの信徒が相談に来ているのは、彼に話を聞いて貰いたいから来ている。であれば和やかに話を聞いてやり、そっと助言する程度に止めておけば信徒は納得して帰ってくれる事が多い。故に、このため息は信徒の相談を受けて出るため息とは違った類のものである。


「………」


ミドラスは机の引き出しを開けると、ポットとカップを取り出して、お茶を淹れ始めた。淹れるお茶は盟友でもあるミランディアが作ってくれた薬草茶である。ミランディアは高位の魔法使いであると共に、優れた錬金術師でもある。魔法の水薬や煎じ薬はお手の物であり、この薬草茶も彼女の手による一品である。この薬草茶は不安や焦燥感を落ち着かせ、心を穏やかにする効果があり、ミドラスの為にミランディアが特別に調合した名品でもあった。


「『水を抱きて沸け』」


ミドラスの合言葉により魔法のポットはしばしの時を経て、蒸気が吹き出る音を立てて茶の準備が整った事を告げる。そうしてミドラスはポットを手に取りゆっくりとカップに注いで薬草茶を喫し始める。


「………ふぅ」


豊かな香りとまろやかな風味の薬草茶を飲んでもミドラスの顔は晴れない。ミドラスが思い悩んでいるのは、家族の事…それも息子の事である。

晩婚気味に三十代半ばで結婚したミドラスは、その翌年子宝に恵まれた。産まれた息子には戦神の槍にあやかり、古語で槍の意味を持つハスタと名付けた。彼は信仰と戦いと妻…その三つ以外に、己の全てを捧げても良いもう一つの大切な物を得たのである。

ハスタが三歳の頃の春、救国王となるレックスに従って旅に出る事になった。彼に付き従った事は何も恥じる事はなく、神官としても、エリニシアに生きる一人の国民としても正しい選択だったと言える。だが、家族の夫として、息子の父親として正しい選択だったかと言われれば…ミドラスはその問いかけに沈黙するしかない。

二十代を幾つか超えたばかりの妻と三歳の息子を置いて七年間。武器を扱う商家出身の妻と息子は義両親達が面倒を見てくれるとは言え、夫の不在は言うに言われぬ苦労があったであろう事は想像に固くない。そして女盛りの妻を置いて七年、更には可愛い盛りの息子を置いて七年である。それでも妻は旅を終えて帰ってきたミドラスを笑顔で、そして涙で迎えてくれた。義両親も救国の英雄になったミドラスを誇りに思っていると言ってくれている。


問題は、息子であった。

愛息ハスタは今年の春で十一歳になった。大柄なミドラスの血を引いたのか、メキメキと大きくなっており、この分では成人までにミドラスの背丈まで迫るであろう事は伺い知れた。更に利発で健康そのものであり、ミドラスはこの息子を心から愛していた。

だが、息子ハスタは違うらしい。

ハスタにとっては見ず知らずの男が、急に父親であると家にやって来たという風に感じている。三歳から十歳までの七年は大きい、子供の人格形成のほとんどの時間であると言っても良い期間である。そんな中に急に父親と称する異物が家庭に入り込んできた…その違和感はミドラスで無くとも察するには十分であった。


ミドラスは信仰の英雄である。悪魔王の邪言呪法も、古竜の咆哮も、仲間の命の灯火が消えんとするその時でさえも、ミドラスは膝を折る事は無かった。彼の信仰と献身と力は旅の中で鍛え上げられ、英雄に相応しく堅牢かつ盤石に徒党を守り抜いた。

偉大なる英雄達の凱旋の日。いち早く妻と子に会いたいとミドラスが走るようにして我が家にたどり着くと、妻と息子が出迎えてくれた。目に涙を浮かべてこちらに小走りで走ってきた妻を抱きとめて包容し言葉を交わす。短く愛の言葉を交わし合うと、名残惜しく妻を離した。その後少し離れた場所でこちらを見上げる我が子を見つめる。七年振りに見た我が子は著しく成長していた。その成長具合に感極まり、歓喜の笑顔で息子に挨拶する。


「ただいま戻りました」


7年ぶりの父の挨拶にミドラスの子は恐怖と困惑の中間の表情を浮かべながら口を開いた。


「誰?」


その一言で幸福の絶頂から急転直下、ミドラスはあっさりと膝を折り崩れ落ちた。何者であるかと誰何した我が子の言葉は、率直かつ残酷で冷たく鋭利に過ぎた。ひょっとしたら覚えているのではないか、父親であると分ってくれるのではないか。そんな甘い期待は完璧に粉砕され、衝撃と心痛により両目から涙が溢れ出そうになる。妻の言葉と包容が無ければ立ち上がる事すら困難であっただろう。七年という時間の酷薄さは、ミドラスを強烈に打ちのめしたのである。その日の夜、ミドラスは愛する妻の胸で泣いた。それは寂しさと愛の涙だけではなく、息子との絆に致命的な傷が入った事を嘆く悲しみの涙も含まれていた。


「………」


再会の際の、著しく苦い思い出を思い出せば自然とミドラスの眉間に皺が刻まれ、口はへの字に変化していく。への字の口をそのままカップの薬草茶に口を付けた。

妻と息子との再会から二年以上が経過した今現在、息子との関係は改善されていない。会話もない、視線も合わせない、話しかけても返事すら素っ気ない、ないない尽くしの息子との関係は未だ修復の兆しすらも見えない…。

信奉する戦神に祈りを捧げても、帰って来るのは堅固な見守りの意思と暖かい激励の波動であった。

そして幾許かの『家庭でも戦ってどうぞ。お前ならやれるから』というやや雑な意思が含まれていた。


(如何にして息子の心に打ち勝てば良いのでしょうか…)


先程の説教で自分が言った言葉は今は己を刺し貫いている。一年に及ぶこの苦しい戦いの突破口は未だ見えない。ミドラスは薬草茶を飲もうとしてカップが空になっている事に気づくと、躊躇いがちに二杯目を淹れ始める。ミランディアより薬草茶の摂取量は明確に伝えられており、朝と夕方の一日二回、一回の摂取量はカップ一杯となっている。ミドラスは今日三杯目の薬草茶を無言で啜り始めた。


ミドラスは重い足を引きずりながら、商業地区にある自分の家へ向かう。通りは多くの買い物客がそれぞれの買い物を抱えて足早に帰宅の最中である。その帰宅途中の買い物客の中でもミドラスの足は流刑地に歩む罪人の如く遅い。鎗鞘を被せた槍を右手に握りしめて杖の様に石畳に突き立てて歩き、左手には粉砂糖と香辛料をまぶした揚げ菓子の包みをしっかりと抱えている。この揚げ菓子はハスタの好物で、何も会話が無かったとしてもミドラスは息子が菓子を食べているのを見るのが好きだった。

どんなに重い足取りであっても歩いていれば必ず家へとたどり着く。ミドラスの家は商業区にある武器屋の裏手にある石造りの家である。質実剛健な風情の簡素だが、しっかりとした作りの家の扉にたどり着くと、強盗対策の為に鉄芯が入った重い扉を開く。鈴が鳴る音と共に開いた扉からは、好物の鶏肉の揚げ物の匂いが飛び込んできた。ほんのりとチーズの香りもする事から、彼の大好物の鶏肉のチーズ挟み揚げが晩餐の主菜である事が伺い知れた。大好物の匂いに腹が鳴り、幾分か暗澹たる気持ちが和らぐ。


「おかえりなさい」

「ただいま」


台所の奥から聞こえてくる妻の声に返事をする。揚げ物の音からして今は手が離せないのだろう。

揚げ菓子の包みを食卓に置いて、槍を寝室の寝台の側の定位置に立て掛け、食卓に戻ると、息子のハスタと目が合った。揚げ菓子の香辛料の匂いに釣られて自室から出てきたであろうハスタは、包み紙から揚げ菓子を取っている最中であったようだ。


「ただいま」

「おかえり」


ミドラスの挨拶に、ハスタはサッと返事を返す。そして揚げ菓子の一つを咥えて、二つを手にとってそのまま自分の部屋に戻ってしまう。

自室に戻る息子の後ろ姿を眺めながら、自らも揚げ菓子に手を伸ばす。揚げ菓子は甘く、空腹の腹に染みいるほどに美味かった。

程なくして晩餐の支度が終わって義両親と妻、そして愛息ハスタと共に晩餐を取った。特に鶏肉のチーズ挟み揚げはいつもの事ながら絶品であった。

無口な義父はワインと挟み揚げを交互に楽しみながら、豊かな髭が生えた頬を綻ばせる事に忙しい。多弁で朗らかな義母は、同じ様な気質を受け継いだ娘である妻とお喋りに興じながら、武具の売れ行きや鉄の相場などを語り合っている。義母と妻は時折ハスタにも話しかけてハスタもそれに返して話が弾む。


「学校は楽しいかい?」

「うん、この間先生に朗読の声が良いって褒められた」


笑顔で祖母と会話するハスタ。その顔を見てミドラスも会話に混ざろうとする。


「そうですか…どんな朗読をしたのですか?」

「普通の朗読」


ミドラスが話しかけるとハスタの顔から途端に表情が消失する。

この時の返答は決まったパターンの返答で、「うん」「分かった」「普通」「違う」…等の簡潔かつ素っ気ない返答だけが返ってくる。もしくは聞こえなかったフリをして料理を食べ続けるのである。一年前の当初は返答が無かった事を考えれば、進歩していると考える事も可能であろうが、ミドラスはこの進捗結果に納得はしていなかった。


「挟み揚げのお代わりはあるだろうか?」


ミドラスは心のわだかまりを食事で癒やす事に決めて、妻にお代わりをお願いすると、義父と同じ様にワインと挟み揚げを楽しみ始めた。


「私は嫌われているのだろうか」


ミドラスは夫婦の寝室の寝台の上で、天井を見上げながら隣の妻のサルビアに話しかける。この一年でミドラスは数え切れないほどこの愚痴をこぼして、妻の返答もいつも通りである。


「あの子はちょっと内気なだけで、あなたを嫌ってなんていませんよ」


酒が過ぎると、いつも同じ問いかけをするミドラスの不安をサルビアはよく理解していた。そして時間が解決する問題でもあろう事も、毎日ちゃんと息子を見ている彼女のは判断がついた。だが夫は遅々とした関係の進展にご不満らしい。

ミドラスは英雄、それも戦神を奉じるエリニシアで屈指の大神官である。致命傷を癒し、悪魔を祓い、人々に導きを与え、また模範となって先陣で戦う、更には死者の蘇生という奇跡さえ起こしてみせる。そんな英雄が悩み苦しんでいる事と、その悩みを聞いている人間が、自分一人だという事にサルビアは少し暗く濃い甘い感情で胸を満たす。

サルビアは甘い感情に身を任せて愛しい夫に身を寄せ、両手を回してミドラスの大きな頭を柔らかく抱きしめる。


「ハスタの事ばかりですね。私も同じ様に想って頂けているか心配になります」


ミドラスは妻の求めに応えて大いに奮戦した。


大神官であり宮廷神官でもあるミドラスの朝は早い。夜明け前には起床して井戸水で沐浴をした後に神殿の鍛錬に参加する。鍛錬に参加後に沐浴と着替えをした後に登城する。登城後は若き国王の相談などを受けて政務の補助をした後に、昼食を取ってから神殿地区の戦神の大神殿にて大神官としての務めを行う。その後は夕刻の礼拝を終えて帰宅をする。それが常の習慣になっている。昨夜たっぷりと妻の愛情を補給して、幾分か心の平穏を取り戻したミドラスはいつも通り神殿の鍛錬に参加した後に登城。若き王の執務の補佐として側に侍る。


王宮にある王の執務室、一国の王の執務室としてはやや質素に設えられており、絨毯も調度品も机も、何もかもが貴族が使うに適う品ではあるが、それ以上ではないという絶妙な塩梅の代物である。この部屋で一番目を惹くのは、壁の前に飾られている甲冑、外套、盾、長剣である。多くの者がひと目見て分かるほどの精緻な意匠が施された絢爛豪華な品々である。これらを魔法の武具を観る事の出来る者がみるならば恐るべき業物の数々であると知るだろう。

そして、その品々に相応しい持ち主である眉目秀麗な青年こそが『救国王』エリニシディア国王レックス・ミトランド・エリニシディア三世である。


「ミドラス。武闘大会の主催のほぼ全員からブラッドを闘技大会の武具有りの部門に参加して欲しいとの嘆願書が上がってきているのだが…参加させても良いのではないか?」


レックスは執務室の机の上で広げられた羊皮紙を見つめながら、宮廷神官のミドラスに尋ねた。ブラッドとはレックスの戦友でもあり、今は臣下となっているブラッド・ブラディネス男爵である。彼は二丁の戦斧を使った戦いを得意とする荒々しい闘士であった。


「陛下、武闘大会は国民から選びぬかれた精鋭の戦士達の祭典です。各々が鍛え上げた心技体を競い合い、お互いに高め合う場所です。一方的な蹂躙の場ではありません。例年通り徒手格闘の部門にすべきです」


戦神の神官として、ブラッドと並の戦士の力量の差を良く知るミドラスは、国王の提案を一蹴する。


「だが去年もブラッドは徒手格闘の部門で優勝したではないか。それも圧倒的な力量の差を見せつけての完全勝利だった」

「ブラッドは己の力量をよく弁えています。毎回対戦相手の力量を圧倒的な身体能力で受け止めた上で、真正面から打ち負かします。ですから観客も大いに盛り上がるでしょうが…」


ミドラスは言葉尻を濁して、若き王にどう説明するべきかを考え始める。


「では武具有りの部門でも良いではないか、その方が新鮮で盛り上がるだろう?」

「ブラッドが先手を譲って相手の攻撃を受けたとしましょう…問題はその後の反撃です。約三割の戦士が右手の戦斧で戦闘不能になります。次の二撃目の左の戦斧で約三割の戦闘不能になります」

「………」

「三撃目と四回目の左右の戦斧で、残った三割の内の三分の一。全体から見れば上澄みの七割の戦士が戦闘不能になります。おそらく殆どの戦士が十秒以内に戦闘不能になるでしょう」

「盾持ちの戦士なら防げるだろう?」

「競技用の木製の盾など、ブラッドの膂力の前では意味を成しません。心もとない木製の盾で、木製とはいえブラッドの振る戦斧の猛攻をしのぎ切る。そんな事が出来るのは、この国広しと言えども陛下とローランドだけです。いえ…近衛騎士団長のサリックス卿ならば可能やも知れませんな」


近衛騎士団長のサリックス卿は王国の騎士団統括も兼ねている歴戦の猛者である。還暦に近い年齢ながら、その剣技は国王であるレックスすら寄せ付けない程の圧倒的な技量を誇る。おそらくは今年も闘技大会の武具有りの部門に参加するだろう。


「では今回も前回と同じ様にローランドとサリックス卿での決勝戦になってしまう。それはどうかと思うんだが……ブラッドに手を抜くように依頼したらどうだ?」


顔に手を当てて口元と表情を隠しながらレックスが問いかけた。顔に手を当てて喋るのは、やりたくない提案をする時の彼の癖であった。


「まず確実に断られるでしょう、最悪は彼を怒らせます。彼は戦斧の技術を心から誇りに思っていますから…手を抜いた試合はしないでしょう」


瞬時にレックスの思っている通りの返答が返ってきた。食事、酒、女、父親、戦斧。この五つがブラッドの明確な地雷である。十分に食事が取れないと怒り出すし、酒も定期的に飲めないとイライラし始める。女も酒と同じ理由である。そして彼は心から辺境の樵であった父親を尊敬しており、彼から教わった二丁の戦斧を扱う術も同じ様にとても誇りに思っている。

以前、ブラッドの二丁戦斧の技術を戯れに嘲笑った若者の顎を、雷光の様な速さの拳で打ち砕いて叩き伏せた事があった。


「ともあれ…ブラッドを武具有りの部門に出場させると、およそ短ければ三秒、長くても三十秒以内にほとんどの試合が終わります」

「そこまで力量差があるだろうか?闘技大会に出るのは猛者達ばかりだぞ?」

「陛下は御自分を含めて仲間が英雄であるという事を、もう少し強く認識する必要があるかと思われます」


国王である以前に謙虚さや実直さを旨とする聖騎士でもあるレックスは自己認識が少し甘い部分があった。そのためこういった指摘をミドラスから度々受けている。


「それなら僕が出場したらどうだろうか?盛り上がらないか?」

「陛下…大会用の木製の長剣と盾、そして市販の鎧で、ブラッドに勝つ自信がお有りですか?」


ブラッドとレックスでは武力の武具に頼る比率が圧倒的に違う。ブラッドは全裸で戦場に放り込まれても、さしたる苦労はしないだろう。だがレックスは自分が同じ目にあった時に確実に生き残れる自信が無い。木製の武器防具はレックスとっては頼りない武装である。騎士神の祝福を受けた聖剣も、荘厳なる神聖魔法が付与された甲冑も盾もないのであれば、戦力はブラッドに大きく劣る。


「無理だ。でも勝敗はともかく…盛り上がりはするんじゃないか?」

「付け加えれば、国王が闘技大会で負けるというのも…些か外聞が悪いかと」


一国の王が主催する闘技大会で敗北するというのは流石に外聞が悪すぎた。下手すれば国の面子の問題になる。


「ローランドとサリックス卿も出場するんだ、彼らならブラッドと良い戦いが出来るはずだ」


レックスの提案にミドラスは首を振る。


「ローランドの武器は斧槍と大盾です。サリックス卿はおそらく長剣と盾を選択するでしょう。二人は確かに陛下よりは善戦するでしょうが…ブラッドは盾持ち相手の戦闘に慣れています」


ブラッドの常軌を逸した剛力の連打の嵐に対応する為には、最低限鋼鉄製の魔法の盾が必要であり、それでも不十分である事はミドラスはよく知っている。眼の前で幾度も右手の戦斧で魔法の盾を割られたり、押さえつけられた後に、左手の戦斧で頭をかち割られた戦士や魔物を数え切れないほどに見ている。堅固な魔法が付与された木製の武器は、堅固な特注品であるため普通は壊れる心配などは無いのだが、ミドラスはブラッドの剛力なら破壊もあり得ると予想していた。


「む…」

「加えて、ローランドは武闘大会という場所で大勢の大衆を前にして、確実に負けるような戦いはしたがらないでしょう。女性からの受けが悪くなりますからね。それでもブラッドを出場させて、ローランドに苦しい戦いを強いますか?」


四六時中、色恋沙汰の波を乗りこなし続ける男がローランドである。彼の守備範囲はかなり広く、現在は人妻から修道女まで広がっている。近衛騎士になった今も彼は浮名を流し流されながら、これぞ我が人生とばかりに色恋を謳歌している。


「そしてサリックス卿はまず間違いなく善戦するでしょうが、彼は還暦が近いのです。ブラッドの暴威の前に老人を晒すのは些か…」


ブラッドとの戦いは、前回大会の決勝戦の様なサリックス卿とローランドの積んだ鍛錬と技術の研鑽を披露する戦いではない。ブラッドとの戦闘は圧倒的な身体能力と怒号による暴虐の嵐との対峙である。結果として救国の英雄が、老人を圧倒的な暴力で嬲り殺す様な絵面に成りかねない。


「詰まる所…ブラッドは武闘大会の武具有りの部門に相応しい人物ではないのです」

「よく理解した。今回の闘技大会もブラッドは徒手格闘の部門に参加させる」

「お判り頂けた様で何よりでございます」


ミドラスは自らの巨体を、宮廷神官らしく丁寧に折りたたんで一礼をした。


「次の問題だ。闘技大会の関連の屋台等の税収で、税務官から嘆願書が上がっている。管理しきれないとな…いっそ祭りの期間だけ無税にするか?」


「それにつきましては、屋台を出す者に一定の初期納付を義務付ける事で対応出来るかと。今まで屋台関連は有耶無耶になっておりましてたので、税収の規定もしておりませんでした。早急に商人ギルドに連絡を取りましょう」


国王と神官は細々とした政を処理していった。


◆◆◆


(食べ過ぎました…)


ゆったりとした神官服のやや膨らんだ腹を擦りながらミドラスは神殿区の階段を上がっていく。昼食は妻が作ってくれた弁当を王城の個室で取った。弁当の内容は、大きな麵麭に昨日作った鶏の揚げ物が挟まれ、さっぱりとしたソースが絡んだ抜群の一品。それに加えて、昨夜ミドラスが買ってきた揚げ菓子に乾酪を挟んでとろりと溶けるまで炙った一品。四人前程がミドラスの適量であるが、気が落ち込んでいるミドラスを見たサルビアが気を利かせたのだろう。弁当は六人前以上の量があったが、ミドラスはそれを全て平らげた。どちらもミドラス好みの味付けであり、特に鶏の揚げ物が挟まった麵麭は最高であった。

ミドラスが階段を登り終わって戦神の大神殿に向かうと、向こうから見知った姿が二つ、こちらに歩いてきた。

一人は猛獣のような筋肉に覆われている事が分かる大柄な戦士である。短く刈り上げられた灰色の髪、戦傷が斜めに走る頬、窮屈そうに流行の上着に身を収めているが、見間違えるはずもない。七年の間、艱難辛苦を共にした戦友のブラッドである。


「ブラッドではないですか」


彼の隣には、戦乙女の様な凛々しい美貌の彼の妻が並んで歩いている。淡い水色の婦人服がよく似合っていた。


「おぉ…やはりミドラスか。壮健で何よりだ」

「ごきげんよう、ミドラス宮廷神官」


夫婦は二人でミドラスに向かって挨拶をした。傍目から見ても幸福な夫婦そのもので、二人の頭上に青く澄んで広がる蒼天も夫婦を祝福している事は疑いがない。


「ブラッドも婦人もお元気そうでなによりです。特にブラッドは何時もの装束と違うので、人違いかと思った程です」

「あぁ…義母(はは)に、貴族らしい格好をする様にと言われてな。似合わないか?」


戦友に衣装の事を言及されて苦く笑うブラッド。最近までお転婆三昧であった妻のアレクシスには、貴族が着るような男物の流行りの服を見立てる力量はない。全て義母である伯爵夫人が吟味して仕立て屋に誂えさせたものであった。


「いいえ、よく似合っておりますよ」


以前見た際のどこか不満げな荒ぶる闘士の雰囲気と打って変わって、今の彼は国の英雄ブラディネス男爵として相応しい装いと立ち姿であり、それがとても似合っている。


「だってさブラッド。私の言った通りでしょ?ブラッドはかっこいいんだからもっと胸を張って!」


アレクシスが胸を張って『うっとこのおとうちゃんはかっこいい!』と自慢する。その様子にブラッドは戦傷のある頬を緩めた。


「して、この戦神の大神殿に何用ですかな?」

「闘技大会に参加する事になってな、戦神の神殿に戦勝を祈ってワインを奉献をした帰りだ」

「然様でしたか、戦神もお喜びの事でしょう」


歓談する三人を遠く…それも長い階段の下から見つめている者がいた。ミドラスの息子…ハスタであった。


ハスタにとってミドラスとは降って湧いてきた父親である。

率直に言えば、母と祖父母と自分の四人で暮らしていた日常に入り込んできた異物である。最初の頃はともかく、憎んでいる訳ではない。だがミドラスが自分の父親だという自覚を持つことが出来ない。一年が経った今でも、母のサルビアがミドラスと仲良くしていると、違和感を覚える。それは母が自分の知らない顔をしているという、嫉妬が混じった感情から始まっており、運の悪いことに父親への感情は悪感情からの始まりであった。

ミドラスが穏やかな性格であり、離れ離れであった自分を気遣っている事はハスタにも理解できた。だがそれは父親と認識する理由にはならない。自分の顔つきは母似だし、髪は祖父譲りの赤毛で、目の色は祖母に似て榛色である。ハスタは自分がミドラスと似た所など無いと思っている。だが、十一歳にしては大き過ぎる自分の体躯は間違いなくミドラスからの遺伝である。このままいけば成人する頃には平均男性の背丈を大きく超える偉丈夫になるだろう。

ハスタの周りの人々は父を英雄だと言う、救国王を支えた紛うことなき英雄であると。何度聞いても、誰に聞いても、母も祖父も祖母もミドラスが英雄である事を否定しない。学校でも教師がミドラスの名前を出して自分を褒めたり叱ったりする。

ハスタにはそれが今ひとつ信じられない。体が大きく、家と神殿と王宮を往復して、家で大量の食事をする、おそらくは心が穏やかでのろまな生き物。それを母が飼育している。ハスタの中での認識はおおよそその様なものであった。

故に救国の英雄達の中でも、一番強いとされるブラッドと話していた際に少なからず衝撃を受けた。


(なんで?)


ミドラスと対等に会話するブラッド。それもブラッドの方が十分以上のミドラスに敬意を払っている事が立ち振舞からハッキリ分かった。それもそのはずである。ブラッドは一介の男爵であり、ミドラスは宮廷神官である。長年連れ添った戦友とは言え、現在の立場は圧倒的にミドラスが上位であった。

家で飼っているのろまな生き物が、国の英雄に敬意を払われている。ハスタはその風景にひどい違和感を覚えた。そしてその違和感は得体の知れない怒りと焦燥感になってハスタの中で爆発しそうになっていた。その感情に押されるようにしてハスタは家への道を駆け出した。


ミドラスの好物ばかりが並べられた食卓と家族全員が揃う晩餐の席でハスタはミドラスの方を見て口を開いた。


「なんで闘技大会には出ないの?」


母、祖母、祖父、父であるミドラス、ハスタ以外の全員の顔が驚きの表情で固まる。母と祖母がそっくりの表情で口を丸く開いて、祖父がフォークに刺していた分厚い白身魚のフライを卓上に落とし、息子の発言でミドラスの目が見開かれる。

ハスタからミドラスに話しかけたのは、再会してから初めての事であった。


「……並み居る戦士を押しのけて神官である私が出るべきではありません」


ミドラスは急に話しかけてきた息子の言葉に驚きながらも、無難で穏当な回答を返した。


「なんで?強いんでしょ?王様とも一緒に戦った英雄なんでしょ?」

「確かに陛下と、仲間と共に戦いました」


ハスタの声は徐々に熱が籠もり始め、それが良くない熱である事が、聞いている者達に伝わり始める。


「なんで?戦いの神様に仕えてるんでしょ?毎日戦いの練習をしてるんでしょ?」

「毎日の修練は戦神の神官として必要な信仰の修行でもあるのです」


模範的に過ぎた回答にハスタは顔を顰める。


「なんで?戦うことが正しい事だってみんなに言ってるんでしょ?」


鬱屈に満ち、幼い顔を怒りと疑いで一杯にしてハスタはミドラスに問いかける。だがミドラスはその問いかけに答える事が出来ない。もっともらしい理由は幾らでも言える。神官が格闘大会に出る事が稀である事、最初から自分が参加する事を想定していなかった事、だがどんな理由を述べた所で息子の正体不明の怒りを鎮める事は難しい。


「シギントのお父さんが闘技大会に出るんだって」


きっかけは友達の父親が闘技大会に出る、そんな些細な嫉妬から始まっていた。だとしても、それは既にハスタの全身を焼く怒りの業火に変わっている。


「そうですか…立派な戦士なのでしょうね」


業火に対して、桶の水を浴びせるかのような当たり障りのない感想に、ハスタの目が釣り上がり口が引き絞られる。


「あんたは立派な戦士じゃないのかよ!英雄なんだろ!」


ハスタは赤く凛々しい眉を釣り上げて怒声を上げる。母も義両親もそしてミドラスも初めて聞く、ハスタの怒声。いつもこんな風に癇癪を起こす子ではない、口数の少ないおとなしい子というのが義両親と母の認識である。ハスタ自身にとっても食卓で癇癪を起こすなどという事は初めての経験であった。更には自身も自らの怒りがどこから来ているかを理解はしていない。それが立派な戦士である父親がいる友達への羨望、自らが未だ父親という存在を持ち得ていない…そういう満たされない愛情への不満や怒りから来るものであると、認識できていない。


「…………」


ミドラスが息子の癇癪に絶句していると、急にハスタの顔から色が抜け落ちていく。そして赤い眉を平坦にし、榛色の瞳に落胆と失望を浮かべた。


「もう良いよ」


無機質な声が卓上に響くと、ハスタは無言でフォークを掴んで自分の食事を食べ始める。母親と義母が息子を叱責する声が響く中、ミドラスは一言も発する事が出来ず、息子の顔を見つめていた。


戦神の大神殿の神像は、他の神殿の神々の神像と比べても、大きく豪放である。古い神々の一柱である戦神は伝統的に豪快な造作として神像が作られる事が多い。御多分に漏れずこの戦神の神像も豪快かつ精緻な威風堂々たる彫像であった。

ミドラスはこの堂々たる戦神の神像の前で祈りを捧げていた。

大柄な体の膝を折って跪き、槍と秘印を象った聖印を握りしめ、祈祷の連祷を続けながら彼は祈り続ける。王宮での務めを終えてから大神殿に戻ると、直ぐに神像の前に跪いて祈りを始めるのである。彼はこれを一週間程続けていた。


「神よ、私に戦う力をお授けください」


豪放たる神像の威容の前で跪いた神官の口から連祷は響き続ける。息子との亀裂が深刻になったその翌日からこの祈りは続いている。祈り始めた日は微かだった不思議な感覚は、この七日目になってからはっきりと自覚する事が出来た。

頭を下げて祈りを捧げる神像から、大いなる意思を感じるのである。それはミドラスが戦神の意思を自覚してより、常に感じている視線であり、吐息であり、脈動であった。

その意思は彼に何も要求しない、ただ彼を見ている。

戦神は善なる神々の中でも老練で達観した意思を持ち、それでいて茶目っ気も存在する。そして信徒や神官の祈りに関しても雑に扱う事が多い。

だが、試練に臨む時、大いなる決断が迫られた時、戦いが起きる時、そんな時には決まって、この様に自らの使徒の決断を見守るのである。

救国の英雄となったレックス・ミトランド・エリニシディア三世が旅立つ際にもそうであった。


(あの時の決断は間違っていない…)


妻と三歳になったばかりの息子を置いて、レックスの旅に従った際は、実直で正義感に溢れた少年という年齢の彼を、誰かが守らねばならないと思った。そしてその事を祈り始めた時も、同じく戦神の意思に見守られて旅立つ決断を下した。

おそらくはあの時、ミドラスが決心しなければ他の神官がレックスに付き従っていたであろう事は間違いない。レックスには人を惹きつける天与の才がある。加えて運命を切り開く力とも言うべき何かがある。故に自分がいなくても偉業を成し遂げたであろう。だがレックスと共に旅立ちを決心したからこそ、今の自分がある。故にあの時の決断は間違っていない。ミドラスはそう信じる。


あの旅では、立ちふさがる敵は常に強大で、試練は常に厳しく、状況が逼迫する事は珍しくもない。頼れる仲間と信仰が無ければ歩き抜く事など、到底できない辛く苦しい道だった。そしてこれからまた眼前に立ちふさがる敵と試練もまた同じ様に強大である事をミドラスは自覚している。


「神よ、私に戦う力をお授けください」


幾度目とも知れぬ連祷の中でミドラスは思う。


(御身は誠に厳しく在らせられる)


ミドラスの口元が苦笑で歪む。戦神は『その時』になってからは、命令しない、指示しない、導かない、選択の全てを信徒に決めさせる。

ミドラスはこの戦神の苛烈なあり様を心から尊崇し敬愛する。長い祈りの果てに心が定まり、ゆっくりと膝を上げながら顔を戦神の神像を見上げる。ミドラスの目にははっきりと戦神の微笑みが見えた。


「私の戦いを御照覧下さい」


ミドラスは英雄たる堂々たる言葉で戦う決意を戦神に捧げ、最初の戦い…己心との戦いに勝利した。

なんだか続いちゃいました。

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― 新着の感想 ―
槍対戦斧2刀流、一体どのような勝負になるか、そして親子の関係がどうなるか楽しみです
偉大なパパのでっかい背中見せつけてやんな
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