54. 生活に先立つもの
ほとんど動きはなし。
もっぱら主人公の内面描写です。
生活を続けるのに必要なもの――言うまでもない、金だ。
リリィの部屋から彼女の荷物を持ち帰ったので、着替えやら寝床用の毛布やらは新たに用意する必要はなくなった。
だが、食料品は当然食べれば減っていくため、そうもいかない。自給自足できる部分も多いが、パンや調味料などは山の中では用意できない。
今あるパンを食べきってしまえば、残った金で買えるのはあと10個もない。芋のおかげでパンの消費が多少減ったといっても、もって数日。
リリィに頼まれて買った調味料の瓶も、予算の関係から店で一番小さなものだった。すぐ使い切ってしまうというわけではないだろうが、そう長くもつとも思えない。
「それまでには、なんとかしないと……」
琢郎は口の中で小さく呟く。
自分だけなら、まだどうとでもなる。だが、リリィに今以上の我慢を強いるわけにはいかない。
生活環境を向上させることはあっても、逆に悪化するような事態は避ける必要があった。
『個体名:リリィ=カーソン 種族:人間
LV: 3
HP: 13/ 13
MP: 4/ 4 』
料理する背中に向けて『特殊表示』を使うと、琢郎にしか見えない画面が宙に浮かぶ。
見ることのできる項目が増えているのは、「表示される内容はスキル強度や対象との関係などの諸要因による」と説明にあったように、これまでの生活で琢郎との距離が近しくなったことを示していると言えた。
元は、互いの信頼を深めるのがこの生活の目的だった。その成果がこうして目に見える形で現れているということだが、実のところ琢郎の考えはすでに変わっている。
(信頼云々に関わらず、できることならこのままずっと共に暮らしたい)
それが、今の琢郎の本音だ。
巣を去った後、今生で初めて人間の食事をした時と同じだ。知らないこと、忘れていたことならば、それがなくても問題はない。
しかし、一度味わってしまうと、そこから遠ざかれなくなる。得たものを失うことは、その価値を知らず初めから持たずにいた頃に戻ることとは、決定的に違っていた。
まして、地球にいた頃から人付き合いが苦手だった琢郎にとっては、これだけ近くに家族以外の他人(それも異性)がいるという生活は初の経験だ。
転生以後を考えても、巣にいた頃は他のオークとは馴染めず、人里に紛れるようになってからもその正体を隠し通す必要があった。
リリィは、琢郎がこの姿になってから初めての自分を偽らずに接することができる相手だった。
「まあ、我ながらちとチョロいんじゃないかとは思うんだが」
「? 何か言いましたか?」
自嘲する琢郎の呟きが耳に入ったのか、リリィが首を傾げてこちらを振り返る。
「いや。そろそろ料理も出来上がりそうだから、こっちも準備しようかと思っただけだ」
誤魔化しを口にしつつ、事実でもあるので実際にコップを出して、琢郎は朝と同じように用意を始めた。
身体はそのために動きながらも、頭の中は先ほどまでの続きを考えている。
生活環境がどうなろうと、力の差を考えれば強要することはできる。だが、それでは意味がない。
仕方ない事情があるとはいえ、リリィがある程度自発的に受け入れてくれているからこそ、琢郎は今の生活が気に入っている。嫌がるリリィをここに軟禁したところで、そこに価値などない。
だからこそ、リリィに嫌がられないよう色々気を遣ってもいる。
リリィが過ごしやすいよう、希望を聞いてできる範囲で棲家周辺を弄っているのもその一環だ。
魔除けの聖木も、苗木はないということだったが、毎日枝を取りに行くのは面倒かつ、途中で効果が薄れることも考えられる。そこで、森の浅いところにあった比較的小さな木を植え替えた(思いのほか重労働で、昨日1日がかりの作業になった)。
万が一にも本能を暴走させて彼女を襲ってしまわないよう、自家発電による発散も毎日欠かさないようにした。
日課だと言って毎夜棲家を離れた場所で処理しているが、何をしているかはリリィには気づかれていない……はずだ。
それはともかく、やはりリリィとの生活を続けるにおいては、今の水準から落とすことはしたくない。
そのためには金が不可欠であり、残金は必要額を満たしていない。
そうなると、リリィに会ったことですっかり中断していたが、当初の予定通りの金策を実行に移すべきだろう。
「はい、どうぞ。タクローさん」
ようやく料理が完成して、昼食の時間になった。
リリィが世話になった家のことなどを話題にしつつ、冷めないうちに温かい料理を口に運ぶ。
その一方で、この食事が終われば足を伸ばして例の場所に行くことを、琢郎は心に決めていた。
いつも以上に動きが少ない。
それにしても、主人公がどんどんヘタレていくのは書いてる人間のせいなんだろうか……




