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燦宵行  作者: 水無飛沫
5/5

~結~


……不安で押しつぶされそうになりながらも、私は足を踏み出す。

もう案内してくれる者はいない。

それでも、この先にあるものはわかっているような気がしていた。


炎が揺らめきながら、私の影を作る。

照らされた私の体は、想像以上に傷つき、汚れていて、浴衣に描かれている赤い花も、もう識別できなくなっていた。

けれど、そのことは私の心に陰を落とさない。

平らな道、草原の参道を抜けて、私はそこにたどり着く。


照らされた人影と、小さな祠。

長い道のりを隔てて、私はあなたにたどり着いた。


「つきおと……」


赤く照らされた面が、小さく縦に振られた。

ついさっきまで一緒にいたというのに、何年も隔てて邂逅するような気持ちになる。


「待っていたよ」


狐の面を被った彼が、私の名を紡ぎ出す。

私は吸い込まれるような気持ちで、彼の首筋を眺めている。

甚平から覗く白い肌に、私は言いようのない気持ちを抱いていた。


「月音!!」


絞り出すように声を上げ、私は彼のもとに走る。


「私も……ずっと待っていた」


彼の背中に腕を回し、私は喘ぐように声を出す。

ひんやりと冷たい彼の体の感触に、熱くなった私の頭が冷えていく。

涙を流しながら、私は彼を間近に見た。

優しく私を受け止めた手が、ゆっくりとその狐の面を持ち上げる。

そこに現れた顔に、私は言いようのない懐かしさを感じる。


綺麗に整えられた髪は、後ろで結える程度の長さで、濃紺の光を宿す少し丸みを帯びた瞳。

均衛の取れた鼻筋に、艶やかに輝いた唇。

知っているはずない……初めての懐かしさ。

その矛盾した感情が、渦となって激しく私を揺さぶる。


わけもわからず慟哭する私の頭を、彼の暖かい手が優しく撫でる。

甘い香りが、彼の首筋から昇っている。

恐怖も安堵もなく、その全てがただ懐かしい。

涙に濡れた視界の先で、私たちを取り巻く炎が、渦を巻いているような錯覚に陥る。


「彼らには感謝しなければいけないね」

月音が耳元で囁く。

凛とした彼の声が胸の内にスッと溶け込むようだ。

彼ら……シロたちのことだろうか。

月音の目線を追うと、そこには炎に照らされた彼らが居た。


けれど、それらは私の知っている姿ではない。

闇の中浮かび上がる真っ白な鳥居。

それは暗闇の中で不敵に笑っていた白いカラスを彷彿とさせる。

炎に照らされて黒々と光る狛犬。

闇の中疾駆するあの獣だろうか。

そして、小さな社を取り巻く黄金の注連縄。

金目の蛇の、滑らかな肢体を思い出す。


「彼らが君をここまで導いて来てくれた。そして、これからの君を守ってくれる」


月音の声が炎の燃える音に交って、私の心を燃やす。

パチパチと弾けて消える、なにかの欠片。

それは眠りの中にいるように安らかで、それでいて私の中に不安を掻き立てる。

何か取り返しのつかないことを忘れてしまう恐怖が、頭を占める。

それは私の常識の、最後の抵抗だったのかもしれない。

そんなものに用はない。私はそれを躊躇いなく捨てて、月音の腰に手を回す。

彼の胸に顔を埋めると、優しい手が私の髪を撫でた。


「ごめんね」


小さく彼の呟く声が聞こえる。

そっと顔を上げると、すぐ近いところに彼の唇が見える。


「どうして……?」


言い終わる前に彼の柔らかな口が、私の言葉を塞いだ。

身も心も満たされ、私の感覚が極限まで敏感になっているのがわかる。

纏いつく夏夜の空気、炎の熱、動物たちの気配、そして月音の悲しみ……。

月音は悲しんでいる。

この夜の終焉が近づいていた……。


再び私の目から、熱い涙が零れた。

やっと逢えたのに……、再会すら満足に果たせず、私たちは再び離れてしまうのだ。

知らない記憶が、つーと私の中に浮かび上がる。

それはもう数十年も前の記憶。

その時は私が出迎えて、彼を残した。

私たちは、それをもう何度も繰り返しているのだ。

彼に会うためだけに……この瞬間のためだけに私たちは生きていた。


それは山が生きていく上での必然であり、人が暮らしていくための必然でもあった。

……私たちは、山に宿る贄のようなものなのだ。

その柵から逃れることはできない。

こうして陰陽印のように交っては別れる運命。


「あぁ、そうね……そうだったわ……月音……」

私は彼の身体に寄りかかり、五感の全てで彼を感じようとする。

この一瞬を覚えて、私は永劫を生きる。

その果てで、私は再び彼を抱くことができるのだ。


「ありがとう」

彼の声が響く。

その唇を塞ぐように、私は彼に口づける。

永遠に彼の味を忘れないように……この夜を忘れ得ぬように。


彼の姿が月に溶けていく。

もう時が残されていないことがわかる。

愛しているわ、と囁いて私は彼をより一層強く抱く。


長い口づけが終わり、私は一人。

手には狐の面だけが残された。


「ねぇ……月の音が聞こえるわ。いつまでも、私たちは一緒ね」


月を見上げ泣きながら、私は喘ぐように微笑んだ。


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