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燦宵行  作者: 水無飛沫
1/5

~序~

町で一番大きな神社のお祭りに、私は友人と訪れていた。

父も母も、夜遊びということで、あまりいい顔をしてなかったけど、

年に一度ということで半ば強引に了承をもらうことができた。


友人に手を引っ張られながら、屋台に囲まれた参道を歩く。

薄水色の浴衣に身を包んだ友人が、リンゴ飴を頬張りながら、嬉しそうに話しかけてくる。

私はどこか上の空でそれに答えながら、ぼーっと辺りを見回していた。


この場にいる全ての人が、終わりの近づく夏を謳歌するように浮かれ騒いでいるようだ。

遅くまで鳴いている蝉のように、彼らは夜を彷徨い歩む。


……せっかくだし、私も楽しまなきゃ。

お気に入りの浴衣は濃紺で、つつましく一輪の赤い花が描かれている。

その花を眺めて気合を入れて、お祭りを楽しもうと顔を上げた。


「……あれ?」


気が付くと、私はひとりになっていた。

大きな参道には屋台が出ていて、提灯が辺りを照らしている。


今までと全く変わらない風景なのに、一緒に来た友人はおろか、屋台の人さえどこにも見当たらない。

先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返り、笛の音だけがどこか遠い場所から聞こえていた。


(そんなはずない……さっきまで私は友人に袖をつかまれていたし、人波だってあんなに……)


ありえない現実に途方にくれながらも、どこか懐かしさを感じさせる笛の奏者を探してみようと、境内に向かって歩き始めた。




かっぽかっぽと、下駄がどこか間の抜けた音を響き渡らせる。

お祭りという騒がしさを連想させる行事の中、人だけがいない。

石畳の参道は、寂しくも不気味だったが、笛と下駄の音がその印象をすぐに払拭してしまった。


私の下駄が境内に続く階段の前に差し掛かった頃には、笛の音が近くに聞こえていた。

数十段の階段の先にある鳥居は、提灯に照らされて朱く濡れていて、それをくぐった先に笛の主が私を待っているような気がした。


すでに混乱も恐怖も感じなくなった私は、熱に浮かされたように無心で階段を上った。

からんからん、と下駄が鳴くと、私の目に冷たい鳥居が近づいてくる。

最後の数段を残したところで、低い視点から境内が見えた。


薄暗くてよく見えないけど、鳥居と本殿の間に誰か立っている。

あの人が笛を吹いているのだろうか。

いつのまにか抱いていた恋焦がれるように甘苦しい気持ちで、私は鳥居をくぐった。


屋台のない境内での光源は、本殿の内部についている薄橙色の照明だけだった。

笛の音に身を任せながら、その人に近づくと、闇になれた目と薄い明かりで彼の姿が見えてきた。


本殿から少し離れているため色まではよくわからなかったけど、暗色の甚平を身に着けているようだ。

露出している腕と、脛の部分が妙に白い。

まるで薄い光を吸収して、発光しているように暗闇に浮き出ているかのようだった。


近づくことに抵抗を感じながらも、一歩進むと、身体よりも白いお面に気づいた。

発光することのないそれは、薄闇に紛れた光をかろうじて反射することで、自分は白い色だということを告げているようだった。


(……きつね?)


耳の付いた白い面に、墨を走らせたような模様。

暗くてよくわからなかったけど、黄色の目に見つめられているような気がした。


なおも続く演奏のさなか、私たちは見つめ合っていた。

高低さまざまな音域と、震える声のような旋律に、私は完全に蕩けていた。


目を開けているのか、閉じているのかもわからない。

本当の前後不覚……。

夢見るような心地で、私は彼と彼の演奏に身を委ねていた。


心に何かが触れると、涙が一粒零れ落ちた。

やがてそれは頬をしとしとと濡らした。

きっと小さく囀るような、深く嘆くような声音に心を動かされたのだろう。


ふと気がつくと、音が聞こえなくなっていた。

すでに演奏は終わっていたのだ。


名残惜しく思っていると、その狐は少年の声で「待っていた」と私に告げた。

透き通るような声は、印象を残さないほどすんなりと心に入り込む。

私と同じくらいの背丈の彼は、もしかしたら私より年下なのかもしれない。

疑問をもって然るべき事柄が、全てどうでもよくなったような、熱に浮かされたような笑顔で私は応えた。


「私も、あなたを待っていたのかしら」


私はゆっくりと彼に近づいた。

狐は何かを確認するように軽く頷くと、その面を上げた。


……彼の顔は、想像していたように私よりも幼い少年に見えた。

けれども……。


(なんだろう、この違和感)


少年の出す雰囲気と、彼の容貌はかけ離れていて、とても私より年下の人間には見えなかった。


やがて彼とすぐ近くの距離まで到達すると、彼が手を差し出した。

彼が優しく、口許を綻ばせると、私も安心して彼に手を伸ばす。

彼の手は暖かで、しっとりとした感触が私を包んだ。


「あなたは……誰だったかしら?」


私の言葉に少年は薄く微笑む。

神社の奥、山から吹いてきた風が、少年の瞳光を軽く揺らした。


「僕は……月音」


「つき……おと……」


彼の名を繰り返し呼んでみたけれど、それは私の知らない響きだった。


(どこかで会ったことのあるように思ったんだけど……違ったのかな)


思案していると、彼が軽く私の手を引っ張った。

彼が私の知らない世界へ連れて行こうとしているような気がして……

「どこへ、行くの……?」と、少し怖くなり聞いてしまった。


少年は黙ったまま、少し悲しそうに笑うと、「ずっと待っていたんだ……」と小さく呟いた。

悲しい、鈴が鳴るような声に私はそれ以上何も言えず、彼の手に引かれるまま、山の中に入っていく。


煌々と輝く月と、悲しそうに笑う少年に、私の頭は何も考えられなくなっていた。

暗闇の中、私の浴衣に咲いた花が一輪、仄かに揺れていた。


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