名医の扁鵲
登場人物
藺石…………藺家の当主。槍の達人。八人の子息を持つ。
藺授…………藺家の長子。苛烈な槍の名手。
藺離…………藺家の次子。槍の手練者。道徳的な思想を持つ。
藺翼…………藺家の三男。豪快な槍術の持ち主。
藺冑…………藺家の四男。鋭敏な槍術の持ち主。
扁鵲…………諸国を放浪する類稀な医の徒。
火鼠…………炎を自在に操る妖し。
舞ったのは、血飛沫だった。
藺離の躰に深く入った刃が、左肩から右の脇腹まで走った。その躰は、仰向けに倒れると動かなくなった。
肩で息をした藺授が、寸とも動かなくなった藺離を見下げた。眠っているように見えた。手にしていた槍が、手から滑るように地へ落ちた。ゆっくりと藺離に近付くと、その躰に跨るように覆い被さった。藺離の右腕、その袖を捲った。
「――――⁉」
八芒星だった。手首の内側に薄っすらと浮き上がっていた。
藺授は、苦悶の表情を浮かべると、眼を瞑った藺離の襟首を両手で掴んで揺すった。
「何故……何故、お前なんだ――⁉」
藺授は、天を仰ぎ見ると慟哭した。
「ま、拙い! このままでは離兄が……。冑、手を貸せ! 急いで離兄の手当てだ!」
「お、応!」
藺翼と藺冑は、藺離の許に駈け寄ると、泣きじゃくる長兄の躰を退かし、藺離を運んだ。それにほかの弟たちも手を貸すように駈け寄っていた。
門弟たちが見守る中、膝を突いた藺授が、いつまでも天を仰ぎ哭いている。
「…………」
その様子を眺めていた藺石が、高台から踵を返した。その姿は、邸内へ消えていた。
枕元には、父、藺石の姿があった。
藺離が眼を覚ましたのは、試合から三日後のことだった。
手負いの藺離が邸に運び込まれると、その弟たちは騒然となった。藺離の顔は見る見るうちに青褪め、眼を覚ます気配はなかった。
「静まれ。常に平静を保つようでなくば、真の強さを会得することはできぬぞ」
藺翼と藺冑、その弟たちの前に姿を現したのは、藺石だった。白髪白髯の小柄な老爺を連れている。白袍を纏った面識のない老爺だった。
「案ずるな。離は、この扁鵲さまが救ってくださる」
その老爺は、扁鵲という医の徒だった。当代の医の徒と云えば、必ずその名が挙がるほどの名医だった。あらゆる事態を想定し、予め藺石が招聘していたようだった。
扁鵲は、伏した藺離に身を寄せると、白髯を扱きながら袈裟斬りの傷を見遣った。




