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ハニー44

最終話です。



 明日から九月だというのに、夜でも寝苦しいほどむし暑い。明日の朝ごはんのために、なんとなく焼いたホットケーキの熱がまだ室内に停滞しているのか。


 バニラアイスも買っておいてよかった。たまには冷たいものを食べて、この暑さを乗り切らねば。


 ひと回りもふた回りも大きくなって帰ってくるはずのシュンと別れてから、一月半。


 シュンがいなくなって広くなったベッドにはもう慣れて、寝返りも打つことができる。それでも片側に詰めて眠っている。癖になってしまった。


 これじゃあだめだなと、半分寝ぼけつつ寝返りを打つと、私の腕はなにかを抱き込んだ。さらさらとした毛並み。大きさ的に大型犬。


 夢かなー? と、頬ずりすると、ぎゅむっと抱きついてくる二本の……腕。



 ……う、腕?



 さぁーと全身の血の気が引いていき、一気に目が覚めた。


 これは、犬でも、夢でもない。


 またか。またなのか。また連れ込んでしまったのか。全然酔っていないどころか、シラフで普通にひとりベッドに入った記憶さえあるのに、夢遊病なのか、私よ。



 そんなことよりも!



 まずい。まずい、まずすぎる。



 ――シュンに、殺される!



「ああぁぁぁあぁぁ………っ!」



 やってしまったぁぁー……。



 引きつった悲鳴をあげると、もぞ、と私の胴体に抱きついたなに者かが動く。びくっとして距離を取ろうとその頭をぐいぐい両手で押しやると、うぅ、とうめきが聞こえてきた。ものすごく、聞き覚えのある声が。


 なんだろう、この既視感。思い切って布団をめくる。


 無防備な寝顔を見せつけているのは驚くことに、海の向こうでお勉強に励んでいるはずの、シュンだった。


「シュン!?」


 枕元にうちの合鍵が落ちている。爆睡中に侵入してきたらしい。まったく気づかなかった。


「うぅーん、ハニー……、もう少し寝かせて」


 時差ボケなのか、単に眠いだけなのか、シュンのまぶたは貼りついたように開かない。ついでに私からもべったりくっついて離れない。


 寝た子は起こさないのが家訓だとしても、ここは心を鬼にして、起こすべきところだった。


「シューン! 起きなさーい! ねえっ、学校は!?」


 シュンはうっすらと片目を開くと、ちらりと時計を見やり、めんどくさそうにまた閉じた。


「まだ、四時じゃん……」


 七時に起きればいいし、ともごもご言う。寝汗のにじむ人のパジャマに頬ずりして。


 汗をふかせてほしい。切実に。


「そうじゃなくて、なんでここにいるの!? 留学は!?」


 まさか、もう飽きたとか、やめたとか、いわないよね!?


 私がどんな思いで背中を押したと思っているんだ。この子は。


「ん、留学……?」


「そう。その、留学」


 これだけ話をしていたせいか、さすがにシュンの意識も夢からこちらへと帰ってきたようだった。目をこすり、それから不思議そうに私を映す。


「学校は秋からだけど?」


「だから今がその秋でしょうが」


 シュンは、うん? と首をひねってから、呆れぎみにこう言った。


「ハニー。俺、まだ高校卒業してないよ?」


「うん。……うん?」


「あっちの大学に通うのは、来年の秋から。それも、きちんと合格してから。その前に、高校の卒業をしたいとだよね? つまり、明日……あ、もう今日か。今日から、二学期です」


「に、がっき……?」


 二学期って、あの二学期?


「だから春までまた、よろしくね。ハニー」


 ぎゅーっと抱きつかれて胸が苦しいのに、理解が追いつかずに真っ白だ。


 寝ぼけ眼だったシュンは、清々しい笑みを見せている。その純粋な笑顔のまま、私のパジャマのボタンに手をかけてこようとする。


「ちょっ、待ちなさい! まだ約束の日じゃないでしょう!」


「え? 次に帰ってきたときって、約束したよね?」


 それは次に帰るのが早くても来年くらいだと思っていたからだ!


「卒業! 卒業が必須条件です!」


 もがきながら叫ぶと、そこまでにこにこしていたシュンが一転、ふと眉をひそめた。


「ねえ、ちょっと、ハニー。胸、育ってない? 俺がいない間に、誰にもませてたの?」


 すぅっと冷めた目に陰鬱な陰を落とすシュン。まずはボタンから手を退けなさい。なんで見ただけでわかるんだ、この子は。


「二の腕や脇腹の肉は無視か、シュンよ。見てわかるでしょうが、太ったの!」


 この年での体重増加は、戻すのが困難なんだから、思い出させないでほしかった。これもすべて、新陳代謝が低下しているせいだった。


「ごめんね、ハニー……。むしろありがとうって感じだから、泣かないで」


 泣いてはいない。怠惰な自分を悔いているだけで。


「一緒に運動してあげるから、ね?」


 かわいい顔して、相変わらずの発言だった。だけどもう、それがうちの子だから、仕方ない。


 不埒な動きをしかけた右手を剥がして、繋ぐ。


「……よし、あいわかった。じゃあ、一緒に運動しよっか」


「え!? いいの!?」


 誘いはしても期待はしていなかったのか、びっくり顔でがばっと顔を起こすシュンに、にっこりして続ける。


「健全なる運動をね」


 むぅ、と不満げなシュン。


「だけどまずは、寝よう。今すぐ。このままだと睡眠時間が減って明日に支障が出る」


 冗談でなく。


「しょうがないなぁ。わかった、じゃあ、今日からまた、よろしくね。ハニー」


 なんだろう……たぬきやきつねに化かされてうやむやにされたようなこの気分は。


 それでも、この笑顔に私は弱い。惚れた弱み。考えるのはもう放棄しっぱなし。


 かわいくて、あざとくて、愛に飢えた子供。


 いつかまた捨てられるのではないかという不安は、一生つきまといそうだけど……。


 たくさん食べさせて餌づけして。心を満たした彼が幸せなら、それでいい気もする。


「朝ごはんはホットケーキにしよっか?」


「やったぁ!」


 目を輝かせて抱きついてくるまだまだ子供の旦那さまを抱きしめて、ひとまず眠りについたのだった。






最後までお読みくださり、ありがとうございましたm(_ _)m

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