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遠足大事典 -Ensoyclopedia- 作者:シェフ

~ 当日編 レースパート ~

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持ち物16  強さと優しさ




 国道1380105号線を、観光バスが走る。
 2車線の広い幹線道路。
 路肩をどんどん流れるガードレールと、ぼうぼうに高く伸びた草むらの向こうに、このあいだ下見のときにとおった自転車道があるはずだった。ここからは見えないが。

 乙乎おとこは脳内で、『舞妓ハザード』の主人公、舞妓にして敏腕女スパイ『スザク御前』をものすごいスピードでバスと並走させながら、中央分離帯のガードレールや道路標識の上を次々と飛び移らせていた。
 足場が遠いときは両手に持った扇子ブレードを横に広げて、滑空気味に低空飛行。
 すぐさま襲いかかる街灯は、身体をひねりブレード乱舞で大根のように輪切りにすることで難なくクリアー。

 と、赤信号でバスがとまったので、装備を攻撃力ゼロのハリセンブレードに取りかえて、案内標識の太いポールを同じ操作のハリセン乱舞でひたすらたたくことにした。
 このアイテム、ゲームでも登場するが、なにしろいくら攻撃しても永久に敵キャラクターを倒すことができないので、一見ホラー要素をなごませるためのネタ武器でしかない。
 しかし、ハリセンでぶったたかれた敵はダメージこそ受けないものの、必要以上に大げさにのけぞってくれる。つまりノックバックモーションが大きいので、すかさず武器を持ちかえて追撃する、という戦法がとれる。

 ちなみに、友親ともちかはつい数日前からハリセンだけを使った無血開城プレイを始めたようだ。
 敵を倒すことはできなくても動かすことはむしろ簡単なので、ゾンビの群れをたたきまくってどこかのくぼみにぎゅうぎゅうに押しこんだり、中ボスのドラゴンロブスターを水中から押し出してどかしたすきに奥の宝箱から次の部屋への鍵だけをかすめ取って逃げる、とかそういうわけのわからないことをして遊ぶのだ。
 戦慄のホラーアクションゲームがお笑いパズルアクションゲームになってしまった瞬間だった。

 ……そんな具合に、遠足の移動中も全身全霊で満喫している様子ではあったが。
 乙乎の表情は硬かった。

 いまも、窓の外を見ながらつい友親のことを思い出してしまった。
 視線を車内にもどす。

 乙乎のとなりの席には、本来なら友親が座っているはずだった。
 座席は遠足前に、あるていど決まっている。
 乙乎たちチーム#10は、バスの右側後方に割り当てられていた。
 最後部の広い席は、大きな荷物を持ってきた人用の荷台として使われている。

 それで、実際に乙乎のとなりにいるのは音菜おんなだった。

 音菜は当初、ひとつ前の席で#9のメンバーのひとりと相席になる予定だった。
 だが、友親が欠席し、乙乎がひとりになってしまうので、先生と本来の席のおとなりさんに断って、うしろに移動してきたのだ。
 乙乎は気をつかわれたわけだ。

「友親くん、月曜日にはまた学校これるよね」

「ああ」

「熱が下がってたら、あしたかあさってにお見舞い行こ?」

「そうだな」

 音菜ががんばってはなしかけてくるが、乙乎はうわの空だった。

 友親がいないから気落ちしているんだろう、と音菜は心配しているようだ。

 だが、そうではなかった。
 乙乎はむしろ、かつてないくらいに集中していた。

 友親をうしなったのはつらいが、そのことはもう、これ以上言ってもしかたのないことだ。
 感傷も遠足のスパイスとしては味わい深いだろうが、ほどほどにしておかなければならない。

 それより、いま。これからどうするか。
 乙乎が外の景色での脳内アクションゲームをやめてバスの中を見たのは、となりに友親がいなくてさみしいな、とかそういうことを思うためではなかった。
 ハリセンをたしなんで頭脳をすっかりリセットした乙乎は、バスの中を観察していた。

 このクラスはもともと30人。
 今回は、担任の先生のほか、教頭先生も前のほうの席に座っているので、バスの運転手さんをのぞいて、全員そろえば32人いることになる。

 先生二人は通路をはさんで左の最前列。
 そこから、チーム#1から#5までがうしろに続く。
 1チームはどれも3人なので、どのチームも1人、ほかのチームのクラスメイトととなり同士になる。

 右の列はチーム#6から始まって、自分たちのいるチーム#10まで順番に前から座っている。
 きょうの欠席は友親一人だけなので、あいた席は一つだけだ。
 そして、そこに音菜がいるので、一つ前の席が空席になっている。

 こうして見ると、自分たちは孤立した少数派だ。

 一人分隙間ができて、なんだかその分浮いている、というだけではない。
 29人の中で、味方は乙乎と音菜ただ2人。
 ほかは全員敵だ。
 その数27人。

 以前、戦力対比で9倍の差をつけられているといったが、きょう、当日になってそれはさらに広がった。

 実に13.5倍。

 これはもう、ふつうに考えてすみやかに投降するレベルだ。
 そうでなければ、あっというまに血祭りにあげられることは想像にかたくない。

 だが、乙乎の瞳の奥、心の姿を投影する闘志の炎はみじんもおとろえる様子を見せなかった。

 そして、その目は、すぐそばにある未来、現地に着いてからの流れをも映し出す――

 乙乎のシミュレーション。
 このバスの座席表は、チームメンバーがすべて固まってから、それを受けて発表されたものだ。
 だが、おそらくそれにも裏がある。
 わざわざ席を固定するからには、この配列はバスの中だけに限られたものではないだろう。
 では、どこでこの列を使うのか。
 ……言わずと知れたこと。
 このさき、ゴールまでに整列する機会はあと一回しかない。
 すなわち、現地の入口かそこらで、解散する前に先生のおはなしを聞くときだ。
 それはべつにかまわない。
 乙乎は全校集会なんかで、校長先生の超絶長いおはなしを聞くときでも、気分が悪くなったりはしたことがない。
 立って聞く場合でも貧血にはならないし、座っててもおしりが痛くはならない。
 ただ、開始10秒で飽きるので、なにかべつの面白そうなことを考えて現実から逃避する必要はある。
 おもに、最近はまっているゲームとか、こんどの体育のイメージトレーニングとか。

 はなしを元に戻すが、スタート前に整列すること自体はいいとして。
 問題は、それがどの方向でおこなわれるか。
 どこで、ではない。
『入口かそこらで』とだけ推理したのは、そのことは重要ではないからだ。
 向きこそが大事なのだ。
 整列して、おはなしを聞いて、解散する。
 その瞬間、乙乎たちはすかさず走り出さなくてはならないわけだが、列の向きによっては、人垣が最初から完成した状態で目の前に立ちはだかることになる。
 つまり、スタートと同時に包囲されチェックメイト、というありさまだ。
 当然、それはさけるべきこと。

 では、整列する方向をこちらから操作することはできるのだろうか?
 それはむずかしい。
 交渉次第では不可能ではないかもしれないが、労力に対してどこまで効果が出るかはわからない。
 乙乎はプロのネゴシエーターではないので、そういった解決方法は現実的ではないのだ。

 かといって、無抵抗のうちにやられるわけにもいかない。
 乙乎は、すでに手を打っていた。
 実に簡単な手段で。

 あの『遠足のしおり』がくばられた、初日のこと。
 チームを結成したあと、メンバー表を提出する必要があったが、

『乙乎はもったいつけて用紙を最後に出した』。

 チームの番号をわざわざ最後にしたのだ。
 本当は最初でもよかったのだが、チーム#1は、あの最速の傭兵・麻門宮まかどみやだ。
 チーム結成のスタートダッシュが彼女らは圧倒的に早かったので、ならばと残った#10に乙乎は自分のチームを置いた。

 それで、意図的に順番を最後にすることでどうなるか。
 結果は単純、バスの席が右側最後尾になる。
 すると、自然、現地での整列も右側最後尾になるのだ。
 そうなると、列の向きを微調整してどんなにゴールから遠くなっても、最悪でも、解散後のスタート時、包囲されるのは二方向からにとどまる。
 ゴールからの距離は最大で何メートルかははなれることになるだろうが、包囲を受けるよりははるかにましだ。

 さて、この策。
 遠足の裏に隠された陰謀に気づいたのがチームを結成してからなので、一見すると、乙乎の気まぐれがたまたま功を奏したようにも思えるが、厳密にはそれはちがう。
 乙乎はなんでも勝負事に持っていく、クセみたいなものがある。
 チーム結成のときからしても、友親と音菜が背後から忍び寄ってくるのを逆手にとって虚を突き返した。
 乙乎はそのとき、友親と音菜の作戦を打ち破って勝利をおさめたのだ。

 正直なところ。
 まさか遠足がここまでのことになるとは思っていなかった、のは事実にしても、乙乎は内心ではこういったことを望んでいた。
 明確な対決にはならなくても、雰囲気だけでも味わえればいいや、くらいのものだが。
 チームを最後尾にしたのは、カーレースゲームのようなシチュエーションを思いえがいていた、といったていどの理由からだった。
 だから、たまたまといえばたまたまだ。

 自分の策が当たったので、乙乎はこっそり気をよくした。



 だが――
 くれぐれも注意しなくてはならない。

 策士、策におぼれる。

 うまくいった、と喜んでいるとき、人間は油断する。
 乙乎も人間だ。
 足元をすくわれることもある。

 そして、ミカドも人間だ。

 この遠足、さきにはっきりさせておくが――

 策だけでは、決まらない。



 観光バスは、広い駐車場の一角、バス専用スペースにゆっくりととまった。
 歓声とともに、クラスメイトたちが次々と降りていく。

 乙乎と音菜は最後に降りた。
 駐車場のコンクリートの灰色。
 視界の端に映る、木々の緑や始まりかけた紅葉の黄色や橙色。

 そして、見事なまでの空の青。
 向こうの町からこっちの山のほうまで、きょうは雲一つない。
 青い青い、黒くすら見える正午前の空。
 やっぱり、晴れてこその遠足だ。
 この青空だけでもじゅうぶんなごちそうだ。

 これも、友親ががんばってくれたおかげだ。
 乙乎は、すこしだけ顔を上げて眉を引きしめ、右腰のバナナホルスターに結わえつけたてるてる坊主に手をそえた。

「きれいな空になって、よかったねー」

 音菜も、バスから降りながら乙乎にはなしかけてくる。

「ああ」

 乙乎は、静かに答えた。

「この空は、友親の作品だ……大きな、大きなキャンバスのな」

「へへ。乙乎くんって、ロマンチックなところもあるんだね」

 音菜は、そう言ってからもう一度、へへ、と笑った。
 しかしそれは、どこか悲しそうな、さみしそうな笑い声だった。


 いま、音菜は、乙乎と友親を結びつける、そう、強い絆のようなもののあいだに自分のはいる余地がないような気がしていた。
 このままだと自分は力不足で、仲間はずれになってしまうかもしれないと、そういった心配もないではなかったが。
 それ以上に、音菜は気負いすぎな乙乎のことを案じていた。

「そんな顔をするなよ、音菜」

 対して乙乎は、後ろにいる音菜の表情を見もせずはげますようにそう言うと、こちらもやはり笑った。
 不敵な笑みだった。
 それは、戦いに臨むものの顔。
 狩るか狩られるか、手に汗握る必死の攻防。
 かすかにのぞく犬歯がきらめく、獲物を仕留める獣の笑みだ。

「オレたち二人で力を合わせれば、きっとどこへでも行ける。だから……大岩の上、いっしょに行こうぜ」

 音菜はびっくりして小走りで乙乎のすぐ斜め後ろまで来ると、横顔をちらりとだけ見た。
 まっすぐ、揺るぎない乙乎の視線。
 ひとたびこれと目的を決めた乙乎は、いつもこの目になる。
 どこまでも突き進む、一途で燃えるような。
 それでいて自然な、なんの重圧も感じさせない目。
 この青空のように黒く深く、しかし軽やかに透きとおった目。
 音菜はその目にふらふらと吸いこまれそうになるので、いつもは横からこっそりとしか見ることができずにいた。

「……っ」

 けれど、今回はがんばって、なんとか乙乎とギリギリ視線をかわしながら、素直な笑顔を向けることができた。

「うん!」


 と、整列の号令がかかった。
 予想どおり、バスの席の順だった。

 整列が終わると、そのままクラスごとに先生に先導されて公園への石段に向かいだした。

 九十九つくも森林自然公園。

 森を切りひらいて作られたこの公園は、山のふもとからはじまって奥へと続く。
 ごくなだらかな丘陵が一つの広場を作り、それがつづら折りの道でつながり、いくつもつらなっている。
 丘といってもゆるやかな斜面が多く、ほとんど平地といってもいいくらいのところもある。
 ボール遊びなんかをするのに、まったく支障はない。

 列は、最初にあった、『遊びとスポーツの広場』というところをすこしだけ進んですみのほうに寄った。
 とまった地点は、広場と森とのさかいめ、なんとなく木陰になりそうな、ほどよく涼しいところだった。
 どうやら、このジャマにならなさそうな場所を、帰りの集合場所も兼ねるようだ。

 乙乎はわずかに顔を上げた。
 まずはこの広場、その全貌を把握する。
 ここはもっともたいら、かつもっとも広大な芝生の広場で、名前のとおりさまざまな運動をするのに向いている。
 もちろん、野球をはじめとした球技も問題なくできそうだ。
 また、遊具もいろいろと取りそろえてある。
 ジャングルジムやシーソーといったふつうのものもさることながら、けっこう好奇心をくすぐられそうな大きいアスレチック、小さいながらもサッカーのコートまである。
 ここだけでもじゅうぶん楽しめそうな第一ステージだ。
 だが、乙乎たちの行くところはこの先にある。

 頭を動かさずに、乙乎は目的地を視線の端におさめた。
 ゴールの大岩は、前方気持ち左。11時の方向といったところか。
 思ったとおり、自分たちにとって最大限に不利な角度調整だ。
 これも、ミカドの根回しがあってのことだろうか。
 ……いや、いまさらそれを勘ぐっても、もやは意味はない。
 偶然だろうと必然だろうと、取るべき行動は決まっている。

≪傭兵たちをさけて、ゴールを目指す!≫

 乙乎はだまって、前を見つめた。

 ――――

 さあ、乙乎の遠足力は最高潮に張り詰められていた。
 あとは、スタートの合図を待つばかりだ。
 それがあとどれくらいでおとずれるか、乙乎にははっきりとわかっていた。
 極限まで研ぎ澄まされた集中力。
 先生のおはなしがさっきからずっと続いているあいだも、直感的カウントダウンは刻まれている。
 おはなしの内容自体はさっぱり頭にはいってこなくても、それが発言のどの部分にあたるのか、どのくらいのスピードで言っているのか、どのくらいで結論部分にはいるのか。
 そういったことが、乙乎の聴覚から直接、全身の運動神経に伝わってくる。

 10……

 体育座りをしたままの足の裏が、かっと熱くなる。

 7……

 肩甲骨のあたりの背筋が、ぎゅっとしまった。

 5……

 血流が一気に加速する。身体中、すみずみまで力がみなぎってきた。

 4……

 座ったまま、気をつけ。

 3……

 一拍おいて。

 2……

 礼。

 1……

 ……。

 ゼロ。

 解散!

 乙乎の両のまなこがカッと見ひらかれ、全身から闘志の炎が噴き上がらんばかりに爆発した。
 溜めに溜めこんでいた瞬発力。
 交差させた両の手から上腕をとおって肩、鎖骨を経由し腹筋と背筋をめぐり腰にて合流した力は、それを一滴たりともあますことなくバネのように膝を跳ね上げ、根が張ったようにがっちりと地面をつかんでいた両足の先まで完璧に伝わった。

 全身を反転させながらの超高速の起立。
 すこしだけ身体が空中に浮いた瞬間、同時に足をまげて上体をわずかに沈め、交差させたままの両腕をそのまま前後に持ってくる。
 いまの乙乎にとって、体育座りの姿勢は身体を拘束するものなどではなく、クラウチングスタートに匹敵するスタートダッシュの構えだった。
 激しく回転していたが、そのあいだ背負ったリュックサックも腰のバナナホルスターも、まったく重心をくずすことなく乙乎についてきていたのは、まさに鍛え抜かれた乙乎の遠足力の片鱗にほかならない。

 もう一度運動靴の裏で、短く刈りこまれた芝生をしっかりと握りしめた。

 背嚢に仕込まれたかの気合のロケットブースターが、いま一度爆炎を上げる――!

「うっ……」

 背後。

 なにか、聞こえた。

 その声には聞き覚えがある。

 なんだ?

 誰かは、すぐに思い出した。

 乙乎には、なにしろほんのすこしだけ遠い存在だったので、ここまでにその行動を読むことはあっても、ちょっとした仕草とかそういったことは、あまりよく見ていない。

 ――ああ、そうだったな。

 乙乎は脳内で、『人差し指を目と目のあいだで上下に動かして、メガネの位置を直すような仕草をいれた』。

 あれは、まちがっていたんだった。

 言い訳だけしておくと、それはもうしかたがないことだ。
 だって作文が得意な人間というものは違う世界の住人だろうし、日記をつけている人間の気が知れない。小説を書く人間なんて、完全に頭がどうかしているに決まっている。

 だから、忘れてたとかそういうんじゃないんだ。

 なあ、

 ――鬼瓦おにがわら 舞砂子ぶさこ

「ブサコさん!」

 音菜がうめき声の主の名前を呼んだ。

 乙乎は振り返らない。
 身体は完全にクラスメイトの集団から背を向けて、その意識はゴールの大岩に太い杭となって打ちこまれている。

 そのため、たなびきはじめたはちまきの先端と、むき出しのひじの先が触角みたいになって、そこに当たる空気の流れだけでそれを感じていた。

「どうしたの、大丈夫? ブサコさん!」

 音菜がもう一度呼びかける。
 うずくまるブサコの肩に手を回して、いっしょにしゃがんで心配そうに顔をのぞきこむ。

 ブサコは切れ長の目を苦しそうにゆがませて、身体を丸めた。

 見えるはずのないうしろの様子がわかる。
 音菜がゆっくりと、恐る恐る声をかける。
 時間や空間的な感覚がまるでおかしくなってしまったかのように乙乎は感じたが、この瞬間、実際に乙乎が長々と聞き耳を立てていたわけでもなく、ちらちらと盗み見をしていたわけでもない。
 多少の前後はあったのだろうが、乙乎が全力でその場を駆け出してから音菜は第一声をブサコにはなったのだ。
 それを、乙乎はそこに耳だけを置き去りにしたかのように、集中を極めてその情報を拾い集めた。
 そのため、乙乎は時間がとまったか縮まったかのような感覚をおぼえたわけだ。

 ……ともかく、音菜はいま、ブサコといっしょになって広場にしゃがんでいる。

「気持ち悪いの? 頭、痛いの? ……きのう、身体冷やした?」

「……すこし……」

 なにをしているのかはわかる。
 音菜がブサコを介抱しているのだ。

 なぜ?

 考えなくてもわかる。
 ブサコは、体調が悪いのだ。

 そして音菜は、保健委員だ。
 保健委員は、ケガ人や病人を助けてあげるのがその役目だ。
 音菜はそれを見過ごせない。
 早朝のにわとりの世話はきちんとやるし、手洗い場のせっけんもちゃんと取りかえる。
 ついでに、誰にも言われていないのに教室の花を生けかえるくらいには、音菜は責任感が強く面倒見がいい。
 この前の運動会も、音菜はケガ人を保健室に連れて行って、最後の競技であるリレーを応援する機会を逸した。

 だから、ここでも音菜は必ず動く。
 動いてしまう。
 目の前でつらそうにしている人をほうっておけるはずがないのだ。

 ましてや、相手はブサコ。
 そう、音菜が『ブサコさん頭いいしなんだか大人だし、同い年なのにあこがれちゃうなー』とまで評して慕うクラスメイトだ。

「……救護室、行く?」

「……ええ、ありがとう……」

「肩を貸すから、つかまってね?」

「うん……」

 音菜とブサコが連れ立ってよろよろと、入り口近くの管理室のほうに歩き出す。
 ブサコは長い髪を乱して、シャツの襟の部分のボタンをはずしていた。
 とても仮病のたぐいとは思えない。
 音菜はブサコのリュックサックをかわりにお腹のほうでかかえた。
 自分の荷物をほかのチームに持たせるということは、遠足においてリタイアを意味する。

 音菜にとってあこがれのブサコといっしょにいられるチャンスが思いがけずやってきたのはこっそりうれしくはあったことだろうが……
 ここで音菜と乙乎の思考は一瞬、完全に同調した。

(……やられた――!)

 乙乎には知るよしもなかったが、ブサコはたしかに、体調をくずしていた。
 ゆうべ、いつもより遅くまで起きて髪を乾かしていたからだ。
 入浴が遅れたのは、未来の宿題や遠足の作文までも先に書いていて時間がかかったからだ。
 なぜ、それをまとめてやっていたかというと、『すべて遠足の準備だった』からだ。

 ブサコは、あまり身体が強くない。
 休み時間は教室や図書室で一人、本を読んでいることが多いし、体育もちょくちょく見学になる。
 だが、それを自分でわかっていないブサコではない。
 ここまで用事を詰めこんで、就寝も遅くなると、翌日ほぼ確実に身体を悪くすることくらいは知っている。
 知っていて、あえてやったのだ。
 そうすると、現地に着いたらこうなる。
 救護室行き。
 それは、みずから望んだことだ。

 本当は、身体は丈夫でありたい。
 だけどそれはかなわない。
 もとよりこの広大な公園での遠足、とても完遂できるものではないとブサコはわかっていた。
 ならばせめて、行き帰りはみんなといっしょに雰囲気だけでも楽しんで、現地では身体を休めておく。
 遠足自体を欠席にはならなくても激しく動くことはない、これも体調管理、びみょうな調節だった。

 乙乎はそれには気づかなかった。
 行きのバスで、本来なら、音菜はブサコのとなりの席になるはずだった。
 しかし、イレギュラー、友親が来られなくなって、音菜は乙乎のとなりに移動した。
 もとの席のままだったなら、音菜がいち早くブサコの不調を察して、先生に知らせていただろう。

 友親がいればこんなことにはならなかった。
 いや、乙乎が座席の配列だけを見て作戦を立てていたとき、あるいはきょうの最高の青空を見上げて勝利を誓っていたとき、少しでもクラスメイトの顔を見て様子を確認していれば、こうはいかなかった。
 結果、これは乙乎の失策だ。


 なんということだ。
 きょうまでの2週間、あれほどがんばって準備を積み重ねていた仲間が。
 一人はここまでたどり着くことなく志なかばで倒れ、ついいまほど、二人で力を合わせてともに行こうと約束した音菜が。

 開始の合図と同時に、盤面から姿を消してしまった……!


 乙乎を瞬時に後悔が襲った。
 だが、それ以上に心をつつんだのはひとつの疑惑と、それによる怒りだった。

 音菜がブサコと退場したのは痛い。
 痛いが、策にはまった音菜はともかく、ブサコは純然とした体調不良だ。
 だからこれはもう、しかたがない。
 だが。
 仮に。もしも。

 これが、これまでもが、ミカドの指示によるものだったとしたら?

 その場合、これは自分のチームメイトを捨て駒に、ひとの優しさをも利用しつけこんだ、卑劣極まる残虐な策ということになる。

 絶対に許せない。
 たしかめなくてはならない。

 ミカドに直接、一対一で問いただす!


 乙乎は決して立ち止まらない。決して振り返らない。

 自責の念を振り切るように、つくは全力疾走の一路。

 目指すゴールは大岩の上。
 わき目も振らずに前へ、前へ――!
 ☆★ 次回予告 ★☆

ただ一人、ゴールへと走る乙乎。
迫り来るはミカドの雇いし大軍勢。
だが、乙乎はひるまない。
このときのために用意しておいた策、
鍛えてきた技が、

いま――炸裂する!

次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
持ち物17  奥義

――バトルは最高のおやつだ。甘くとろけて、ちょっぴりスパイシー。
+注意+
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