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遠足大事典 -Ensoyclopedia- 作者:シェフ

~ 前日編 サスペンスパート ~

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持ち物14  祈り (上)

 それは、神の領域。
 人の身では、いかにあがこうと届くことのない高みに存在するもの。
 あるいは、暗黒の世界にすまう悪魔。
 絶望の象徴。

 いいあらわす言葉はいくつもあろうが、とにかくこの場において、それは最悪のシナリオだった。

 雨が降る。

 人生で、いや遠足で、想定外のことというものは、それは当然起こりうる。
 乙乎おとこはなにも、雨具を用意していなかったわけではない。
 学校指定のレインコートは、当日の持ち物の中に含まれている。
 だからそれは、リュックサックにいれていて当たり前だ。

 だが、そうではない。
 雨具があるとかないとか、ことはそういう問題ではないのだ。

 そもそも、遠足というものは、晴天が前提の行事ではある。
 が、今度の遠足は、バス遠足。
 学校側は、すでにバス会社から観光バスをチャーターしている。
 これは前もってのことで、当日の天気がどうだからといって軽々しくキャンセルできる性質のものではない。
 そういう、いわゆる大人の事情も手伝って。
 遠足は雨天決行だ。

 なら、中止にならないのだったらいいじゃないか、と思ったら大まちがい。
 雨天決行はたしかだが、降りかたによって行き先が変わる。
 本降りなら、九十九つくも市内の歴史館、博物館めぐりになる。
 それがべつに、イヤというわけではない。
 乙乎は、言うほど勉強ぎらいなタチではない。
 が、それでも、せっかくの遠足、身体を思いっきり動かせる機会をうばわれるのはつらい。
 それに、うつらうつらしながら学芸員さんのおはなしを聞きのがして、それを題材にした作文が書けなくなるのは深刻なダメージだ。

 そして、もっとひどいのが小雨の場合。
 中途半端に降ったていどでは、森林自然公園に行くことになる。
 なるが、地面がぬれていて、草地に腰をおろすことができない。
 のびのびと遊びまわれなくては、遠足の魅力も半減だ。

 いや、もっと単純に、足元が滑ってあぶない。
 ぬれた木の根、低木のしげるけものみち。
 それらがすべて、まともにとおれなくなってしまう。
 つまり、森を抜けるショートカットが使えなくなる。
 芝生のある広場もスピードダウンだ。
 と、いうより。水にぬれた大岩には、登ることもできないだろう。

 乙乎は、雨具は持っているものの、それはあくまで最低限の装備。
 滑りどめのついたゴツイブーツではないし、撥水仕様の服でもない。
 ゴム長ぐつなんて、もってのほか。
 基本的に、荷物は軽く。
 のべたとおり、遠足は存在そのものがかわいた地面と晴れ空ありきであって、乙乎もそれにならっている。
 だから矛盾していることだが、乙乎の雨具は『雨の日に公園に行く』ためのものではない。
 持ち物にいれておかなければならない分だけはいれてますよ、というポーズにすぎないし、用途もおやつを保護するためのクッションとしてくらいだ。

 速度を最優先で作戦を立ててきた乙乎。
 いまから小雨用の安全策に切り替えるとなると、最初に決めた目的、『大岩に登る』ところから変更をしなければならない。
 それではどうしても考える時間が足りないし、だいたいこれ以上に遠足を楽しめる目的なんてありっこない。
 宿題の作文なんて、もっと書けやしない。

 こういった理由を総括すると、たどりつく答えはひとつ。

 雨が降ると、乙乎は敗北する。

 いや。敗北にすらならない。

 なにもかもが。戦うことなく、終わってしまうのだ。

「ぐはぁっ……!」

 急に、強い風が吹きつけてきた。
 あすには降りだす雨の前触れだろうか。
 乙乎の顔面を、熱い空気のかたまりがはげしくたたいていった。
 それは乙乎の無意識か、または精神の幻燈が実体とあらわれたのか。
 風にあおられて、ひたいに巻いていたはちまきの先が、ぼろぼろとほつれてちぎれていった。

 乙乎はついに、ひざから崩れ落ちて両手を地につけた。

 人生最大の喜びだった遠足、その中でも至高の憧憬と大望を賭けた大岩への到達計画が、根本から瓦解してしまったのだ。

 これまでしてきたことが、すべてムダと消えた……
 みんなで座れるレジャーシートも。
 いっしょに作ったバナナホルスターも。
 必死の特訓で編み出した早食いの技も。
 傭兵との内通策も。
 現地の下見とスケッチも。

 全部、全部。意味のないものになってしまった……!

「なあ」

 あしたからおとずれるであろう、からっぽな毎日を、乙乎の頭脳はひとりでに想像していた。

 ぱらぱらと人を小ばかにしたような雨から逃げまどって木陰にひそみ、目の前をほかのクラスメイトたちが素どおりしていく光景。

 もちろん、その先陣を切るのはミカドのチームだ。

 ミカドのことだから、財力にモノを言わせて、雨の日の遠足どころか冬山登山にも行けそうな完全装備で固めてくるかもしれない。

 水びたしの草地も、滑りやすい岩場も、関係ないといわんばかりにやすやすと蹂躙していく死神の行軍。

 競う相手もいなくなった大岩に登って、勝どきをあげるかはわからないが、そのかわり、こちらのそばをとおりぎわに、思いっきり敗者を見下すような嘲笑を向けてくるのだ。

 そのあいだ、乙乎は指をくわえてぼんやり眺めていることしかできない。

 そしてそれは、遠足の翌日からも引きずる。
 作文ができないので、まず土日は真っ白な原稿用紙を前にして這いつくばるだけの二日間を無為に過ごす。

 それからは当然、毎日居残り。
 永久に書けない作文を提出するまで、放課後ひとりで席に座り続け、一秒たりとも遊ぶことなく、うつろでにごった目と半開きの口でただただ時間だけがたつのを待つ。
 それがすくなくとも2学期いっぱいは続く。

 そこから先はまだわからないが、きっと代わりの宿題を課せられて禁固刑終了、となるだろうが、うしなった時間は戻らない。
 乙乎は決して癒えない傷をかかえて、余生をなんとなく浪費していくことだろう。

 そんなの――

 耐えられるわけがない。

「なあ、乙乎」

 そんなとき。

 ふと。

 頭上から、なんだかふわっと、暖かいものが落ちてきた気がした。

 友親ともちかが、ひざまずいてうなだれた乙乎に声をかけてきたのだ。

 優しい声音だった。
 失意の底にある心をなぐさめようとするような、そんな柔らかい声だ。

「来週あたり、『光秀の謀反』の新しいゲームシートが完成するんだ。今回は攻城戦のやつだ。堀から天守閣まであるからよ。お前、絶対びっくりすっぞ」

 遊びの誘いだ。
 気持ちはありがたいが、乙乎は今後、放課後を友親たちといっしょに楽しむことはもうできないだろう。

「で、来月の合唱コンクール、そろそろ自由曲も決まるだろ。オレ最近、リズムの取りかたわかってきたんだ。だから、オレのとなりで歌えばはずすことねーぜ」

 話がすこし飛んだ。
 一か月後なんて、乙乎にはそんな未来なんてないはずなのに……?

「その次は、クリスマスだな! 去年までは、ゲームソフトとかプラモデルとかばっかだったけど、今年はおもちゃをイチから作るための、ちゃんとした工具が欲しいんだよなー。やっぱ、はさみとカッターだけじゃなかなか、な。……へっ、ちょっと大人っぽいか?」

 知ってるよ。
 友親はもう、大人だ。
 いつもいつも、乙乎を助けてくれた、大切な仲間だ。
 でも、そんな友親には、ついになにもお返しできなかったな……

 ――いや!?

 乙乎はがばっと顔をあげた。

『さっきから、友親はなにを言っているんだ?』

 そう思おうとしていたが、乙乎のひとりでに回転している頭脳はそれを許しはしなかった。
 なぜなら、乙乎の遠足りんせん態勢はまだ、解かれていないから。

 でも、乙乎は気づかない、フリをしていた。

 遠足がまだ終わっていないことに。
 乙乎がふたたび挑戦するための、最適解こたえを。
 すでに思いついていることに。

「友親、お前……」

 その、やっとしぼり出したひとことは、乙乎の精いっぱいの反抗だった。
 気づかないままでいたかった。
 負けたままでいたほうがよかった。

 だけどもう。
 わかってしまった。

『友親はどうして、あしたの遠足を飛ばして未来の楽しみを語っているんだ?』

『友親はどうして、乙乎もいっしょに未来を楽しめることを前提に語っているんだ?』

 そして。

『友親は、どうして……』

『あしたの遠足を、いっしょに楽しもうって、一言も言わないんだ!?』

 乙乎はもう、立ち上がっていた。

 立ち上がって、友親を見ていた。

 だがそのまなざしは、怒っているのか悲しんでいるのか、おどろいているのか、自分でもよくわからなかった。
 ひとつだけ、なけなしのうしろめたい喜びの感情だけは、必死におさえていた。

 対して友親は、やはりこっちを見ていた。
 なんだか勝ち誇ったような、満足したつらがまえだ。
 それはたしかに、これまで乙乎のほうが分析して対策して、行動をしてきたのだ。
 その分、友親はそのたびにさんざんおどろいて回ったことだ。
 今回やっと、乙乎にそんな顔をさせることができて、すこしは溜飲が下がったんだろう。

「それだけは、ダメだ」

 乙乎は、ウソをついた。

「だが、できるのはオレしかいねーぞ? これは、最後の作戦だ」

「効果のほどは、たしかじゃない」

「大丈夫だって。オレのは効くんだ。それとも、お前らふたりでやるか? 疲れてるヤツと、体力ないヤツのふたりでよ」

「3人がかりなら……!」

「それこそダメだ。お前らはしっかり休め。あしたにさわるだろーが」

「やるしか、ないのか……?」

 こんな、こんな……

≪てるてる坊主をたくさん作る≫!

 なんて!

「ほかに方法があるなら教えてくれよ。やらねーなら、可能性はゼロだ」

 雨が降りそうなとき、唯一にして最大の対策。
 たしかにそうだ。
 友親は晴れ男だという、根拠のない自慢は聞いたことがある。
 手先が器用なのは、知っているとおりだ。
 これ以上ない適任。

 だが、晴れるまでひたすら、たくさん作るとなると話は別だ。
 徹夜仕事になる。
 友親の体力がもたない。
 かといって半端にやっても効果は薄いだろう。

 乙乎や音菜おんながそれに参加しても、戦力にはならない。
 乙乎は連日の準備で相当疲労しているのは見抜かれているし、音菜は作業スピードもおそいうえに夜9時には寝てしまう。
 友親ひとりのほうが全体の効率がいい。

「くっ……だけど……!」

「ああもう、ラチがあかねーな」

 まだ乙乎がグズグズしていると、友親が腕をまくった。

「ならオレは、お前とケンカする! なぐってケガさせっからな、そしたら遠足どころじゃあねーぞ!」

 友親と乙乎は、取っ組み合いのケンカをしたことは何度かある。
 おもちゃの取り合いとか、モノを壊した壊してないの言い合いとか、そういったことがおもな原因だ。
 ただ、5年生になってからは、ちいさな口論はさておきなぐる蹴るの暴力はいっさいない。
 たがいに身体が大きくなったぶん力がついて、ケガのおそれがあるから遠慮しているのもそうだが、彼らのコミュニケーションにもはや肉体言語はこれ以上必要なくなった、ということもある。
 無言のうちの思いやり、といううつくしいなにかが発達してきているのだろう。

 だから、乙乎はこぶしを握ったまま黙りこんだ。
 友親のほうが体格があって腕っぷしが強いから殴り合いは不利なのはそうだが、それよりも。
 友親が憎まれ役を買って出ても、仲間に嫌われても、乙乎たちを先に進ませようという心意気に返す言葉をなくしたのだ。

 乙乎は黙ったまま、くるりと背を向けた。
 しばらくそうしていたが、やがてそこのかどに走り出した。

 音菜もそれを追うように続いた。
 友親のほうをちらちら振り返りながら、走るのはやめなかった。

 それらをやはり黙って見送って――

 あとには友親が、道にひとり残った。

 そして、きっと見据えるは夕暮れの、はるかに遠く西の空。
 迫りくる軍勢を前に、彼は一歩も引かずに不敵に笑った。

 その様子は、見えも聞こえもしないはずだったが――
 乙乎にはなぜだか、届いていた。

「かかってきやがれ低気圧……ここから先は、一滴たりともとおさねえぜ!」
  ~ 次回予告 ~

聞こえたんだ、アイツの叫びが。
届いたんだ、アイツの心が。
仲間のために身体をはって、その身を犠牲にしてまでも!
その想いにこたえるためにも、
その意志にむくいるためにも、

もう迷わない。もう振り返らない!

次回、遠足大事典 -Ensoyclopedia-
前日編 サスペンスパート最終話
持ち物15  祈り (下)

――今夜、奇跡が起きる。
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