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第三十五話

 身体を覆っていた球体が爆ぜて再び世界に色が戻ったとき、妙な浮遊感が私を包んだ。空中に放り出されたんだ、と理解した瞬間落下が始まる。

「きゃぁぁっ!」

「ぐっ!?」

 ばふっ!

 という衝撃が思ったよりすぐに来た。地面と激突したにしては早い。転移場所はあんまり高くない位置だったらしい。それでも、落下すればそれなりにアチコチをぶつけるわけで。

「いったぁ……」

 ぶつけたおでこをさすりながら上体を起こし、くの字に折った両脚とお尻を下に着けて正座を崩して座るような体勢になる。

 それにしても、やけに下が柔らかいし温かい。土でも床でも絨毯でもなさそうだけど、ココ何処?

 そう思ったとき、嘘でしょと言いたくなる声が聞こえてきた。

「突然何かと思えば貴女ですか、マリー。まったく、寝ずの番が終わって、ようやく休んでいるというのに……。どうやったら人の真上に降って来れるんです?」

 反射的にばっと声のした方──つまり自分の真下──を見ると、私の目の前にヴィクトル様の顔があった。不機嫌そうな表情で、私を睨んでいる。

 ちょっ、なっ、えっ!?

 狼狽しつつも、自分の状態を冷静に確認する。信じたくない事実がそこにあった。

 そう。よりにもよって、私はベッドに寝そべるヴィクトル様の腹の上に馬乗りになっていたのだ。

 ちょっと! なんっつートコに転移してくれてんのよアルフレド様!!

 ヴィクトル様は本当に今の今まで寝ていたらしく、深い青色の目は眩しそうに半分だけ開かれ、結われていない長い髪が顔を半分隠している。乱れたシーツから覗く上半身には何も纏っておらず、細身でありながら騎士らしくしなやかな筋肉が無駄なくついているのが、はっきりと見て取れた。

 なんっつーか……、色気がダダ漏れで目の遣り場に困るんですけど……。

 そんな私の思考を知ってか知らずか、ヴィクトル様が顔の前に落ちる薄茶色の髪を掻き上げながら、はぁと気怠げに溜め息をついた。

 背中にぞくりとした何かが走り、思わず息を飲む。

「いきなり馬乗りとは、意外と大胆なんですね」

「わ、わざとじゃないわよっ!」

 私は睨み付けたけど、ヴィクトル様は未だ目が覚め切っていないのか面倒臭そうに小さく嘆息しただけだった。

「それで? 申し開きはあるのですか?」

「申し開きも何も、私はアルフレド様の転移魔法でここに飛ばされただけなんです! もうっ、早く戻らなくちゃ。アルフレド様ってば、会ったらタダじゃおかないんだから……ッ!」

「貴女じゃあ返り討ちに遭うだけですよ。アルフレドの魔法は護衛要らずですから」

「そんなこと言われなくてもわかってるわよ! あぁ、もう。早くしないとクリスティーネ様が……。まったく、本当にアルフレド様ってば何だってこんな所に……え?」

 ここに来る直前のことを思い出した私は、大急ぎでヴィクトル様の上から退こうとベッドに手をつく。が、体重を右手に預けようと身体を傾けたところでその右手首を掴まれぐいと引っ張られた。既に重心がずれていた私の身体はアッサリとその力の流れに飲み込まれる。

 ──気が付いたときには、私とヴィクトル様の身体の位置が入れ替わり、私の上にヴィクトル様が乗っかっていた。乗っかっていると言っても馬乗りってわけじゃない。私に重さがかからないようにしてくれてはいる。けど、私はまったく身動きが取れない状態だ。さすが騎士、抵抗させない術をよく熟知してる、なーんて感心してる場合じゃない。

「ちょっと! 何やってんのよ!?」

 私の問いに、ヴィクトル様は涼しい顔で答えた。

「護衛の仕事ですが? 我が主への攻撃を堂々と予告している人を野放しするわけにはいきませんのでね」

「あのね、自分の主の婚約者で隣国の王子様に対して、本当にそんなことするわけないでしょ? いーから早く放して」

「お転婆なのも口が悪いのもただの貴族の女性より面白味があって私としては好ましいですが、もう少し慎みを持ったらいかがです?」

「慎みを持ってるから急いで退こうとしてんのよっ!」

「まったく……本当にかわいくないですね。慎み深い淑女なら、男性とベッドの上にいるときくらい、恥じらうとか頬を染めるとかしてみせて欲しいものですが」

 か、考えないようにしてたのにっ!

 意識してしまうのと同時に、急激に頬に熱が溜まっていくのがわかる。

 ちょっと待ちなさい、アン=マリー・ヤーロース。相手はヴィクトル・ニークヴィストなのよ? いろいろと有り得ないでしょ? 冷静になるのよっ!


 トントン、ガチャ


 突然部屋の扉が開き、従者その四が入ってきた。

「ヴィクトル殿、そろそろ起き…て……」

 ガシャン

 従者その四が、こちらを見た途端に持っていた剣を取り落とす。

「す、すみませんッ。あの、邪魔する気は、その、まったくなくてですね……」

 顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながら、従者その四が慌てて剣を拾おうとする。が、焦っているのか何度も掴み損ねてしまう。ようやく掴み上げると、従者その四はへらりと動揺を隠し切れていない笑みを浮かべ、入ってきたばかりの戸口へと身体だけを向けた。

「あ、えっと、ホント、すみません。すぐ出て行きます、うん。その、気にせず続けてください。皆にも入室禁止って伝えておきますから」

 従者その四は扉を開けずに出て行こうとしてゴツンと頭をぶつけ、額を抑えながらようやく部屋から出て行く。

 私は、呆然とそれを見送った。

 えっと……?

 改めて、自分の状態を確認してみる。転移魔法で落下したせいか、さっきヴィクトル様と体勢が入れ替わったせいか、侍女のお仕着せが乱れて胸元のリボンは解け、スカートが膝上まで捲れ上がって太腿が露わになっている。脚の間には上半身裸のヴィクトル様の身体があり、四つん這いで覆いかぶさるようにして私をベッドに縫い付けていた。

 ……マジか。

「ちょっと、どうしてくれるのよ? 完っ全に誤解されちゃったじゃない!」

「ですね」

「『ですね』じゃないわよ。醜聞にでもなったらどうしてくれるのよ?」

 私、まだ結婚どころか恋愛すらしてないのに!

 ヴィクトル様が私の言葉を聞いてにこりと黒く微笑んだ。

「どうしましょうね。慎み深い淑女のアン=マリー嬢?」

 こういうときばっかり敬称つけるな、大ボケ野郎!

「うっさい! いいから退いてよっ!」

 ヴィクトル様を睨みつけた私は、次の瞬間、金縛りにあったみたいに動けなくなった。微笑みを消し、感情の読めない表情で私を見下ろす深い青色の瞳の奥に、言葉では表現のできない熱が宿っているのが、見えた気がして。

 ヴィクトル様が目を閉じ、ゆっくりと静かに息を吐いた。

「仮にも私は、貴女に想いを寄せていると告げたんですよ? それなのに、このようにのこのこと寝所まで来ておいて、その態度はないですよね」

 ようやく我に返った私は、この状況から逃れようともがく。

「しっ、仕方ないでしょっ? 私だって来たくてここに来たわけじゃないんだから! それに、その件はお断りしたはずです! 私には心に決めた方がいるの!! 本当に、いい加減にそこから退かないと魔法で吹っ飛ばs……!?」

「少し、黙っていただけますか?」

 最後まで言う前に、ヴィクトル様の人差し指が私の唇に触れた。そして、ぼそりと、呟くように小さく漏らす。

「心に決めた方……ね」

「は?」

 ヴィクトル様の言葉が上手く聞き取れず、私は聞き返した。でもヴィクトル様はそれに応えず、私の口を抑えていた手を顎へと滑らせ、くいと持ち上げる。──そう。ちょうど、いい角度に。

「あぁ、醜聞の件は安心してください。責任は取りますから」

 微笑みとともにそう告げた、ヴィクトル様の整った顔が近付いてくる……


「ふ…っざけんな──っ!!」

 私の魔法がヴィクトル様に炸裂した。


 不敬罪? 正当防衛でしょ。

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