第三十四話
ふぁ……マズイな。ちょっと、ううん、かなり眠い。
翌朝、私は必死で欠伸を噛み殺しながら、クリスティーネ様の後について王城内を歩いていた。
理由は簡単。昨夜、就寝するのが遅くなったせいだ。あれから侍女頭さんと結構話し込んじゃったものだから。
そんな私の私の腕には今、侍女頭さんとのお話の後でバックヤードから調達した籠が提がっている。中身はお茶の道具と、昨日クリスティーネ様が自ら焼いたマドレーヌとクッキー。
そんな物を持って何処へ向かっているのか? んーなもん、言わなくてもわかれ。
──そう言えば、クリスティーネ様からアルフレド様を訪ねるのは初めてかもしれないわね。いつも向こうからいらっしゃるから。
クリスティーネ様と私が向かっているのは、アルフレド様たちのために用意された客間の一つだ。今朝一番に面会を打診し、朝食後のお茶の時間をご一緒にってことになったのだ。
いよいよ欠伸が出そうになったとき、クリスティーネ様の歩みが止まった。
「クリスティーネ様、お待ちしておりました」
到着した私たちを、赤毛で若い爽やか青年そのものといった出で立ちの、従者その四が客間の中へと通してくれる。
部屋は、クリスティーネ様が客間として使っている部屋とほぼ同じ大きさだ。やはり中央に長方形のテーブルがあり、二人掛けのソファが二つと一人掛けのソファが二つ、テーブルを囲むように置かれていた。
いつものように感知魔法を発動させているのだけど、部屋の中にはアルフレド様お一人しかいないみたいだった。ヴィクトル様がご一緒でないなんて、珍しいこともあるわね。確かに今まで何度かご一緒じゃないこともあったけど、片手で足りる程度だ。それ以外は常に、ヴィクトル様が護衛しているのに。従者その四も、部屋には入ってこなかったし。護衛騎士のはずなのに、それでいいのかしら?
二人掛けのソファにゆったりと座っていらっしゃったアルフレド様は、クリスティーネ様を見ると嬉しそうに顔を綻ばせて立ち上がった。
「おはよう、クリス。待ってたんだよ」
「おはようございます」
そのまま側まで来たアルフレド様は、挨拶するクリスティーネ様の手を取り、たった三歩先のソファへとエスコートする。そして当たり前のように、二人掛けのソファにクリスティーネ様と一緒に腰掛けた。えっと、つまり、アルフレド様の脚の間にクリスティーネ様が座って、アルフレド様が背中から抱きしめている状態……。
イキナリ超ラブラブ展開かよっ!
……ダメだ、突っ込む元気も出ないや。私は無我の境地を知ったような気分で、持って来たマドレーヌとクッキーを乗せた皿をテーブルに置くと、紅茶を淹れる準備をし始めた。
「あ、あのっ、わたくし、昨日、お菓子を焼いたのです。アルフのお口に合えば、いいんですけど」
こめかみへのキスで愛情を表現するアルフレド様に、落ち着かない様子のクリスティーネ様が緊張を含んだ声で告げる。
「これ、クリスが作ったの? それは嬉しいな」
アルフレド様はお菓子の乗った皿をとろけるような笑みを浮かべ、あーんと口を開けた。
その様子にクリスティーネ様が困惑していると、アルフレド様が不思議そうに小首を傾げた。
「食べさせてくれないの?」
「えっ、ええっ!?」
クリスティーネ様が声を上げ、空いている手を口元に当てる。アルフレド様はさも当たり前なことのように告げたが、クリスティーネ様にとっては『食べさせる』というのは慈善事業などで小さな子供に対してやる行為だ。それも、スプーンやフォークを使って。
アルフレド様はクリスティーネ様にふわりと笑いかけると、再びあーんと口を開けた。
クリスティーネ様はうろたえながらもクッキーを一枚手に取り、アルフレド様の口へと辿々しく運ぶ。
「ど、どうぞ……」
アルフレド様がクッキーを咀嚼する。クリスティーネ様が心配気に様子を窺っていると、しばらくしてアルフレド様が花が咲いたような微笑みを浮かべて言った。
「うん、美味しい」
「本当ですか? よかった」
クリスティーネ様が胸を撫で下ろして微笑む。
今度はアルフレド様が腕を伸ばして自らクッキーを手に取った。しかし自分で食べるわけではなく、クリスティーネ様の顔の前に持って行く。
「ハイ、クリスもあーん」
「わ、わたくしはいいです」
「だーめ。あーん」
焦るクリスティーネ様の拒否を優しく去なして、アルフレド様が催促する。クリスティーネ様は差し出されるクッキーを眺めつつしばし迷っていたが、やがて小さくあーんと口を開けた。
もぐもぐと口を動かすクリスティーネ様を、空色の瞳を細めてアルフレド様が見つめる。
「ちょっと、甘みが足りなかったですね」
口が空になってから、クリスティーネ様が僅かに眉根を寄せて言った。
「そう? もう一つ貰える?」
そう言って、再びあーんと口を開けるアルフレド様に、クリスティーネ様は躊躇いつつもまたクッキーを取る。アルフレド様は、口元まで運ばれて来たそれを、何を思ったのかクリスティーネ様の指ごと口に含んだ。
「ふっ……!?」
驚いたクリスティーネ様がびくりと肩を震わせる。
アルフレド様がクリスティーネ様の反応を面白そうに見ながらゆっくりと指を引き抜いた。
そして呆然としているクリスティーネ様に、微笑みかける。
「ほら、十分甘いよ?」
──確かに甘い。なにこの甘さ。砂糖を入れすぎたワッフルに、チョコレートとカスタードクリームと蜂蜜とシロップかけたよりも甘い。甘過ぎる。病気になれそうなくらいに甘い!
私はちょうどよい加減に入った紅茶をお二人の前のテーブルにそっと置いた。もう、シュガーは添えなくていいよね!
「マリー……」
潤んだ瞳のクリスティーネ様が「見てたの?」とでも言うように私を上目遣いで見上げる。
見てましたよ。じっくりと見せていただきましたとも。私はクリスティーネ様専属の侍女で護衛ですもの。どんなに超ラブ甘な展開を目の前で繰り広げられようとも、そう簡単に目を離したりできませんわ。
という気持ちを込めて、私なりの祝福の言葉を微笑みと共に贈る。
「お幸せそうで何よりです。何故未だにご結婚されていないのか、不思議なくらいですわ」
既に真っ赤なクリスティーネ様がさらに赤くなっていく。これ以上お顔に血が昇ったら倒れちゃうかしら。
そんなクリスティーネ様を後ろから抱き込んでいたアルフレド様は、私の物言いに驚いたのか口を小さく開いていたけど、次の瞬間には満面の笑みに変わった。
「それいいね。今からしようか」
「……え?」
「え?」
私とクリスティーネ様がアルフレド様を見ると、アルフレド様は涼しい顔で言った。
「え? だから、結婚」
いやいやいやいや、ちょっと待て。
確かに、はいはい、結婚結婚。もぉさっさと結婚してください、とは思ってるけど!
「あの、本気で仰ってるんですか?」
「本気も何も、アン=マリー嬢だって僕とクリスが婚約の儀を済ませた仲だって知ってるでしょう? さすがに挙式はヴィカンデル王国主催でやらなきゃいけないけど、神に誓うだけなら今すぐにでもできるしね。婚前交渉で既成事実を作るって手もあるけど……」
ちょ、おまっ!? 今サラリと凄いこと言ったよこの人──!?
私のクリスティーネ様に何する気ですか! 幸いにも、クリスティーネ様は意味分かってないみたいだけど!!
「ちょっ、アルフレド様、それは……えっ? きゃっ!?」
慌てて思い留まらせようとした私の身体を、突如透明の球体が覆い、宙に浮かび上げた。
ちょっと何なのよコレはっ!?
「ごめんね、アン=マリー嬢。ちょっとクリスと二人きりにさせてくれる?」
「は? ちょ、ちょっと──」
球体を内側から拳でガンガン殴ってみるも、びくともしない。やい貴様、私をどうする気よ! いやそれよりも、クリスティーネ様をどうするつもりよっ!!
「マリー!!」
「大丈夫だよ、クリス。僕を信じて」
私の状態を見て悲鳴を上げるクリスティーネ様の耳朶に、アルフレド様が優しくキスをする。どさくさに紛れて何やっとんじゃ──!!
「でも……」
「ちょっと移動してもらうだけだから。安全──じゃないかもしれないけど」
「はい?」
ちょっと待て。今不穏な言葉が聞こえてきたんですけど!
「いいからいいから」
クリスティーネ様の疑問をかき消すようにアルフレド様は後ろからぎゅっと抱き込むと、パチリと片目を閉じた。
「ちょっと待て──っ!!」
叫ぶ私を無視して、球体の外の景色が歪み始める。アルフレド様の「ようやく二人っきりになれたー」という呑気な声が聞こえ、次の瞬間には世界が暗転した。




