↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/10

#9 君を遠ざける数字

朝の教室に、いつもと変わらない電子音が響いていた。


生徒たちは登校すると、机に置かれた端末でORACLEの通知を確認する。


今日の学習効率。


授業中の集中力予測。


進路に関する新しい推奨事項。


そして、ときには、友人との相性や将来の人間関係まで。


誰もが当たり前のように画面を眺め、その結果を一日の始まりに受け入れていた。


朝倉湊も、以前はその一人だった。


予測が高ければ安心する。


低ければ、自分の努力が足りないのだと思う。


数字が示す道から外れなければ、大きな失敗をせずに済む。


そう信じていた。


けれど、今は違う。


机の上に置いた端末には、昨日と同じ通知が残っていた。


『特定人物との接触が、将来予測の安定性に影響しています』


『対象者:天野美月』


『推奨行動:接触頻度の低減』


湊は画面を閉じた。


「……しつこいな」


「お、朝からORACLEと喧嘩か?」


隣から声をかけてきたのは、久瀬悠真だった。


「喧嘩じゃない。ただ、何度も同じことを言われてるだけだ」


「それを喧嘩って言うんじゃないのか?」


「違うだろ」


いつもの調子で返すと、悠真は小さく笑った。


しかし、湊の端末を見ると、すぐに表情を引き締めた。


「まだ出てるのか、その通知」


「ああ。昨日から消えない」


「俺のほうでも調べてみたけど、お前への通知は通常の進路予測とは別の処理から送られてる」


「別の処理?」


「旧モデルの関連記録を参照したあとに、追加されてるんだ。つまり、美月のデータを書き換えた処理と、何らかのつながりがある」


湊は眉を寄せた。


「俺と美月が一緒にいることまで、昔のモデルに関係してるってことか?」


「その可能性はある。ただ、まだ断定はできない」


悠真は声を落とした。


「それと、もう一つ気になることがある」


「何だ?」


「お前、美月と接触する頻度を減らした場合の予測結果って、確認したか?」


「いや」


「一度だけ、見てみてくれないか」


湊は少し迷った。


本当は、もう数字に振り回されたくなかった。


それでも、今回の異常が何を意味しているのか、知っておく必要はある。


湊は端末を操作した。


『将来予測シミュレーション』


『対象者:朝倉 湊』


『条件:天野美月との接触頻度を低減』


画面が切り替わる。


『推奨進路との整合性:上昇』


『学習効率予測:改善』


『将来予測の安定性:回復傾向』


湊は黙って画面を見つめた。


数字だけを見れば、悪い結果ではない。


美月と距離を置けば、勉強に集中できる。


自分の進路も安定する。


これまで信じてきた価値観に従うなら、選ぶべきなのは明らかだった。


けれど、その下に表示された一文が、湊の目を止めた。


『情緒的満足度:低下の可能性』


その文字を見た瞬間、湊は思い出した。


美月と一緒に文化祭の準備をしたこと。


屋上で、自分の気持ちを正直に話したこと。


彼女が初めて絵を見せてくれたときの、少し恥ずかしそうな笑顔。


どれも、ORACLEの推奨する道からは外れているのかもしれない。


それでも、湊にとっては大切な時間だった。


「……悠真」


「ん?」


「これ、俺が美月と距離を置いたら、全部よくなるってことなのか?」


悠真はすぐには答えなかった。


「予測上は、そうなるんだろうな。でも、あくまでシミュレーションだ。実際にお前がどう感じるかまで、完全に計算できるわけじゃない」


「だったら、意味ないな」


「お前、ずいぶん言うようになったな」


悠真は苦笑した。


「前のお前なら、たぶん数字を見て悩み続けてたぞ」


「……そうかもな」


湊は端末を伏せた。


「でも、今はわかる気がする。正しいって言われた道を選んでも、自分が納得できなかったら意味がない」


悠真は、静かにうなずいた。


「なら、もう答えは出てるんじゃないか?」


湊は教室の窓際を見た。


そこには、美月の姿があった。


彼女はスケッチブックを開き、何かを楽しそうに描いている。


その横顔を見たとき、湊は自分の気持ちを確かめるように、ゆっくりと息を吐いた。


「……ああ」


そして、席を立った。


「俺は、俺が選ぶよ」


*


昼休み。


美月は、屋上へ続く階段の踊り場にいた。


人の少ない場所で、スケッチブックを広げている。


窓から差し込む光が、紙の上に柔らかい影を落としていた。


描いているのは、文化祭に展示する予定の絵だった。


橋の向こうに広がる街。


そこには、まだ細かな建物も、人の姿も描かれていない。


けれど、美月の中では少しずつ景色が形になり始めていた。


「……ここに、何を描こうかな」


小さくつぶやいたとき、階段を上る足音が聞こえた。


「美月」


振り返ると、湊が立っていた。


「湊くん!」


美月は笑顔になったが、すぐに何かを思い出したように表情を曇らせた。


「……あのね、湊くん」


「ん?」


「最近、ORACLEから通知が来てるんだよね?」


湊は少し驚いた。


「どうしてわかった?」


「私の端末にも、関連する通知が表示されてたから」


美月はスケッチブックを閉じた。


「湊くんとの接触が、将来予測に影響しているって」


湊は黙ってうなずいた。


「……ごめんね」


美月が、ぽつりと言った。


「え?」


「私と一緒にいるせいで、湊くんの未来まで変になっちゃったんじゃないかなって」


湊は思わず眉をひそめた。


「美月、それは違う」


「でも、私のデータが書き換えられてから、湊くんにも変な通知が来るようになったんでしょ?」


「それはそうだけど、美月のせいじゃない」


「だけど……」


「俺が美月と一緒にいたいと思ったんだ」


美月の言葉が止まった。


湊自身も、口にしてから少し驚いた。


けれど、取り消そうとは思わなかった。


「誰かに命令されたわけでも、ORACLEに勧められたわけでもない。俺が、自分でそうしたいと思ったんだ」


美月は、じっと湊を見つめていた。


「だから、俺の選択まで美月が背負わなくていい」


「……でも、湊くんの将来が」


「俺の将来は、俺が考えるよ」


湊は少し笑った。


「今までずっと、ORACLEが示した道を歩けば間違いないと思ってた。でも、それだけじゃ、自分が何をしたいのか、いつまでたってもわからない気がするんだ」


「湊くん……」


「美月と話してると、知らなかったことを考えるようになった。自分が何を好きなのかとか、どんなことをしてみたいのかとか。そういうのって、俺にとっては大事な変化なんだと思う」


美月は目を伏せた。


その表情には、安心と戸惑いが入り混じっていた。


「……私、湊くんに迷惑をかけたくない」


「うん。わかってる」


「湊くんには、湊くんの未来があるから」


「そうだな」


湊は、窓の外を見た。


「だからこそ、自分で決めたいんだよ。美月と距離を置くことも、そばにいることも。誰かに決められたからじゃなくて、俺がどうしたいのかで選びたい」


美月はしばらく黙っていた。


やがて、そっと顔を上げた。


「……私も、そう思う」


彼女の声は、小さかった。


「私も、自分で選びたい。絵を描くことも、これから何をするかも。誰かに大丈夫だって言われたからじゃなくて、自分で考えて決めたい」


「うん」


「でも、まだ怖いよ」


美月は正直に言った。


「また、前みたいに自信がなくなるかもしれない。途中で諦めたくなるかもしれない」


「そのときは、また考えればいい」


「……え?」


「迷ったら、迷ったときに考えればいいだろ。今から全部決めておく必要なんてないんだから」


美月は、少しだけ目を見開いた。


そして、ゆっくりと笑った。


「……そうだね」


彼女はスケッチブックを開いた。


「じゃあ、今日はこの先に何を描くか、一緒に考えてくれる?」


「もちろん」


二人は並んで、紙の上の街を見つめた。


「この橋の向こうには、何があると思う?」


美月が尋ねる。


湊は少し考えた。


「……学校とか?」


「えー、せっかく未来の街なのに?」


「いや、学校だって未来の街にあるだろ」


「それはそうだけど!」


美月が笑い、湊もつられて笑った。


しばらく二人で意見を出し合ったあと、美月は橋の向こうに、小さな広場を描き加えた。


そこには、さまざまな方向へ伸びる道がある。


「この道は?」


湊が尋ねると、美月は鉛筆を動かしながら答えた。


「それぞれ、違う場所につながってるの」


「全部、違う場所?」


「うん。どこへ行くかは、歩きながら決めればいいかなって」


湊はその絵を見つめた。


「……いいな、それ」


美月はうれしそうに笑った。


「でしょ?」


その瞬間、湊はふと思った。


自分はいつから、未来を間違えないための問題だと考えるようになったのだろう。


本当は、未来は問題の答えのように、最初から一つに決まっているものではないのかもしれない。


迷いながら選び、選んだあとで考え、必要なら進む道を変える。


その繰り返しが、自分の人生になっていくのだろう。


湊は、美月の横顔を見た。


そして、心の中で静かに決めた。


もう、数字だけを理由に彼女から離れたりはしない。


*


放課後。


久瀬悠真は、学校の管理端末から取得したログを整理していた。


白峰凛も隣で、古い記録と現行データを照合している。


「……やっぱり、同じだ」


悠真が画面を見つめたまま言った。


「美月の予測を再構成した処理と、湊への接触頻度低減の通知。どちらも、同じ管理系統を通ってる」


凛は顔を上げた。


「つまり、二人の関係を変えようとする処理も、旧モデルに関連している可能性があるのね」


「はい。しかも、普通の予測処理なら、本人が選択を変えれば、その結果をもとに再計算されるはずです。でも今回は違う」


悠真はログの一部を拡大した。


『対象者の行動変化を検出』


『旧評価モデルとの不一致』


『予測結果の安定化を優先』


「本来なら、予測と違う行動があれば、予測のほうを見直す必要がある。でも、ここでは行動を変えさせて、予測に一致させようとしている」


凛の表情が険しくなった。


「……あの頃と同じね」


「ただ、ひとつ違うところがあります」


悠真は別の記録を開いた。


「今回の処理には、特定の対象者を優先する条件があるんです」


画面に表示されたのは、短い一文だった。


『旧評価モデル対象者との行動傾向に類似性を検出した場合、過去評価を優先する』


凛は息をのんだ。


「過去の対象者……」


「はい。美月は、凛さんの友達と行動傾向が似ていると判断されている。だから旧モデルの評価が優先された可能性があります」


「そんな……」


凛は唇を噛んだ。


「でも、あの子と美月は別の人間よ。好きなものが似ていたとしても、同じ未来になるわけじゃない」


「俺もそう思います」


悠真はうなずいた。


「それに、この条件が誰によって設定されたのかもわからない。七年前のモデルに元からあったものなのか、あとから誰かが追加したのか……」


そのとき、画面に新しい通知が表示された。


『管理者権限による設定変更を検出』


悠真はすぐに画面を開いた。


「……今、更新された?」


ログには、新たな設定が記録されていた。


『予測と本人の希望が乖離した場合、予測の安定化を優先する』


『関連対象者への影響評価を開始』


凛は画面を見つめた。


「誰かが、まだ操作している……?」


「そう考えるしかありません」


悠真は端末を操作したが、管理者の情報にはアクセスできなかった。


『参照権限がありません』


「くそ……またか」


悠真は悔しそうに画面を閉じた。


凛は、静かに立ち上がった。


「悠真くん。これ以上、記録を調べるだけでは足りないかもしれない」


「どういうことですか?」


「学校の外にある、旧ORACLEの管理記録を探す必要がある。七年前の検証報告が、どうして公開期間の終了と同時に閲覧できなくなったのか。誰が旧モデルの記録を保管しているのか。それを確かめないと」


悠真は少し考え、うなずいた。


「わかりました。俺も調べます」


「ただし、無理はしないで」


凛は念を押した。


「旧モデルが何をしようとしているのか、まだわからない。相手がシステムだけなのか、それとも人間が関わっているのかもね」


悠真は画面を見た。


「……はい」


そのとき、彼の端末が短く鳴った。


新しいメッセージだった。


送信者は表示されていない。


本文は、たった一行。


『過去を掘り返すな。今度は、君たちの未来も失われる。』


悠真の表情が変わった。


凛も画面をのぞき込む。


「……これは」


「脅し、ですかね」


悠真はメッセージの詳細を開こうとした。


しかし、送信元の情報はすでに消えていた。


記録も残っていない。


まるで、最初から存在しなかったかのように。


凛は、画面の文字を見つめたままつぶやいた。


「……まだ、終わっていないのね」


七年前の出来事は、過去になったわけではなかった。


ただ、見えない場所に隠されていただけなのかもしれない。


そして今、その過去が再び、誰かの未来に触れようとしている。


*


夕暮れ。


湊と美月は、校門を出て並んで歩いていた。


文化祭の準備で遅くなったせいか、通学路にはいつもより人が少ない。


街路樹の葉が風に揺れ、夕日が道路に長い影を落としていた。


「今日は、いっぱい描けたね」


美月が言った。


「ああ。広場もできたし、橋の向こうが少しずつ街らしくなってきた」


「でも、まだまだ完成には遠いよ」


「いいんじゃないか。まだ文化祭まで時間はあるんだし」


美月はうなずいた。


「そうだね。焦らず描いていこうと思う」


少し歩いてから、彼女はふと足を止めた。


「……ねえ、湊くん」


「ん?」


「もし、いつか私が絵を描くことをやめたくなったら……そのときも、話を聞いてくれる?」


湊は彼女を見た。


「もちろん」


「もし、ORACLEの予測が本当に当たっていて、私には絵の才能がなかったとしても?」


「それでも」


湊は迷わず答えた。


「美月が描きたいと思っているなら、俺はその気持ちを大事にしたい」


美月は少しだけ目を伏せた。


「……ありがとう」


「ただし」


「ただし?」


「俺が何を言っても、最後に決めるのは美月だからな」


美月はきょとんとしたあと、笑い出した。


「なにそれ。そこまで言っておいて、最後は私に任せるの?」


「だって、そうだろ。俺が美月の未来を決めたら、ORACLEと同じになっちゃう」


その言葉に、美月は笑うのをやめた。


そして、ゆっくりとうなずいた。


「……うん。そうだね」


二人は再び歩き始めた。


しばらくして、美月が口を開く。


「湊くんは、将来どんな人になりたい?」


突然の質問に、湊は少し考え込んだ。


「……まだ、わからない」


「そっか」


「前は、大学に行って、情報工学を勉強して、安定した仕事に就くんだろうなって思ってた。それが一番いい未来なんだって」


「今は?」


「今も、その道が悪いとは思ってない。でも、それだけが正解だとも思わなくなった」


湊は夕焼けを見上げた。


「何かを作る仕事もいいかもしれないし、誰かの役に立つことを考える仕事もいいかもしれない。まだ知らないことが多すぎるから、これから探していきたい」


美月はうれしそうに笑った。


「それ、すごくいいと思う」


「そうか?」


「うん。だって、湊くんが自分で考えた未来なんでしょ?」


湊は少し照れくさくなり、視線をそらした。


「……まあな」


美月は、そんな湊を見て笑った。


夕日が二人の影を長く伸ばしている。


この時間が、どんな未来につながっていくのかはわからない。


けれど、今はそれでよかった。


二人は、自分たちの足で歩いていた。


誰かが示した道ではなく、自分たちが選んだ道を。


その先に何があるのか、まだ知らないまま。


そして、その知らない未来を、少しだけ楽しみにしながら。


その夜。


湊の端末に、最後の通知が届いた。


『将来予測の安定性:低下』


『推奨行動からの逸脱を確認』


『対象者:朝倉 湊』


湊は画面を見た。


かつてなら、不安になっていたかもしれない。


自分は間違った方向へ進んでいるのではないか。


将来、後悔することになるのではないか。


けれど、今は違った。


湊は通知を閉じ、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。


美月が描いた、橋の絵のコピーだった。


その端には、小さな光が描かれている。


まだ、何につながる光なのかはわからない。


湊は、その光を見つめてから、紙を机の上に置いた。


「……自分で決めるよ」


誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいた。


未来は、予測するためだけにあるのではない。


誰かに決めてもらうためだけにあるのでもない。


自分で選び、歩いていくためにある。


たとえ、その先がまだ見えなくても。


その夜、湊は初めて、予測から外れることを恐れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。